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俯いてフェドルセンを見ないようにして自分の感情を抑え込もうとしたエミリアだが、冷えた体が再び一気に足先から頭まで熱が駆け上る。
──なんて、なんてなんてなんて酷い言葉を口にするのだろう、この男は!!
「……あなたなんかに憐れんで欲しくはありませんわ!」
怒りにまかせて、フェドルセンを睨みながら怒鳴った。
もしかして、ここまで声を荒げたのは初めてかもしれない。 少し驚いた顔をするフェドルセンの様子に、自分自身が戸惑った。
──しまった。
怒りにまかせて叫ぶなんて。淑女にまるまじき行為だ。
恥ずかしくてたまらなくなったエミリアは、フェドルセンの視線を避けるように自分の寝室へ飛び込む。
きちんと扉を閉めて、そのままふかふかの絨毯の上に座り込んだ。
寝室へ飛び込むエミリアについてきたのだろうアレクサンダーが慰めるかのように傍で座り、鼻を鳴らした。
アレクサンダーを抱えるように抱きしめ、その柔らかな毛に熱くなっていく目頭を押し付けてため息をついた。
「アレクサンダー……」
艶やかな毛をなでながら、愛犬の名前を呼ぶ。
大きな黒い瞳がこちらを心配そうに見つめ、エミリアはふさふさとした毛に指先を絡める。
彼に、図星を言われた。
異国に嫁ぐというのは以前から決まっていた事で、それなりに覚悟もしてきた。しかし、まさかこれほど放置されるとは予想もつかず、興味さえ持たれていないのがどれほど虚しい事か毎日実感してしまう。
「大丈夫。絶対王子を産んで地位を確立するのですから」
そのために嫁いできた。
エミリアはゆっくり息を吐いて、自分を落ち着かせる。大丈夫、と自分の中で何度も繰り返し、その不確かな言葉に縋った。
もし、姉がいたら、この状況を打破していたに違いない。元々いた女など寄せ付けないに違いない。
姉のように誉れ高い美姫としての噂だけでもあれば、もしかしたらエミリアに興味を持ってくれるかもしれないのに。指先に力を入れて、ゆっくり何度か深呼吸を繰り返す。
──姉とは違うなら、自分のやり方で興味を持ってもらえばいい。
祖国の厳命を果たすためならどんな姑息な手段も厭わない。
必要であれば媚薬を盛って寝室に忍び込み、既成事実を作ってやればいい。
ラガルタの王女をむげには出来ないだろうし、そもそも落ち度は向こうにあるのだから、エミリアが既成事実を作ろうと動いても厳しくは言われないはず。
「それと、わたくしの地位を脅かす無礼な女の顔も見なくてはいけませんわ」
どれほどの美女か知らないが、どんなに美しくてもエミリアは怯まない自信がある。どれだけ整っていても、姉のアランシアよりかは劣っているに違いない。
「報復を考えていたら何だか気分が良くなってきましたわ」
すっくと立ち上がり、エミリアは寝室から出てみた。すでにフェドルセンはおらず、隣でこちらを見上げるアレクサンダーが小さく鼻を鳴らす。
***
コツコツ、と静かな廊下に自分の足音がやけに響く。
全ての人がフェドルセンの姿を目でとらえると道を開け、立ち止まって礼をする。フェドルセンに逆らう者はいない。唯一は、兄とその女、そして──未来の姉であるエミリアだけ。
小鳥が囀るかのような心地良い声は、いつまでも聞いていたい。
小さな唇から発せられるのは可愛らしい容姿とはかけ離れたものだが、それすら心地良く思う。
しかし、興味を惹かれるが、相手は兄の嫁になる女で、しかも自分は国を出て行く身だ。
──やっかい事はごめんだしな。
ひとまず未来の姉が精神的にかなりきつそうではあるので、それくらいは解消してやるべきだろう。
兄のルドベードの執務室までやって来て、扉の前で暫く深呼吸をする。出来るだけ兄には近寄りたくなかった。兄の側には必ず奴がいる。
ため息を零しつつ、重たい腕で扉をノックした。すぐに扉が開かれ、やせ細った骨のような老人が顔を出す。
ルドベードの補佐役を勤めているカリラシュだ。カリラシュはフェドルセンを見るなりくぼんだ目元にある小さな瞳を見開いた。
「フェドルセン様!」
「……兄はいるか?」
カリラシュが返答しようと口を動かした時──いきなり扉が大きく開いた。
「やだ、フェドルセン! 久しぶりじゃないの!」
ぶわっとキツい香水の香りが鼻の奥まで刺激し、顔をしかめた。
目がチカチカしそうなくらい派手な赤のドレスは谷間がくっきりわかるくらい大胆に開いている。
粉を叩いて無理矢理白くした肌に、真っ赤なギトギトした油っこい唇。
最近女性での間で流行っているという、肌の白さを際だたせる効果を持つと噂のつけぼくろが、左の口端の下にある。
「相変わらずだな、アンネ」
「さあ遠慮せずに入って! 会いに来てくれるなんて嬉しいわ」
むぎゅっと腕に絡みついてきたアンネが胸を押し付けてきて、しかも絡ませた彼女の長い指の爪がジャケット越しに刺さって痛い。
──そもそも俺はお前に会いに来たんじゃない!!