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 城というのは何かを守るための建築物だ、ということを僕は記憶の底から引っ張り出した。村の住人たちが同じ意図で城という言葉を使っているのか疑わしいところもあるのだが、この城が何かを守っているとしたら、村でも、人でもなく、泉だろう。

 くたくたと言うほどではなくても、歩けばそれなりに疲れるだけの距離があるのだから、村と村人を守っているとは言えない。

 そして城の外観もまた、城塞というよりは、僕のなけなしの記憶による感覚からすれば、神殿といったほうが近かった。

 城は平屋で、居並ぶ柱に、平たい屋根が載っている。そこには彫刻のような陰影があるが、よく見れば、それは捩って作ったような筋がいくつも刻まれているのだった。

 柱には壁がなく、白い布を張った幕屋が奥の方にあるのが柱の隙間から見えた。

 広々として厳かな雰囲気ではあるが、極めて簡単な造りで、……どこか、人間の自然な好みを退けるような造形である。

 しかし、何よりも特徴的なのは、中に入るまでもなく漂ってくる水の匂いである。乾いた外気が、城から漂ってくる湿った空気と混じるのがわかる。泉とやらは、あの屋根の下にあるのだ。

 それが証拠に、少女がひとり、城から瓶を持って出てきた。その少女にユーディが声をかける。

「ドーニャ。紹介するわね、ドーニャよ」

 少女は城の低い階段を降り、ユーディとニコ、それから僕に目をとめ、おそらくは「あ、さっきの人」と呟いて駆けてきた。

 その顔立ちがはっきり判別できるくらいに近づいた時、僕の心臓は急に跳ね上がった。

「いいわよ、走らないで。水がこぼれるわ」

「ユーディじゃないの。その人。私、あなたの話をカーにしてみたの。カーがあなたを待ってるわ、洗礼をするんだって」

 言ってから、ドーニャは水瓶を抱え直し、僕の顔をまじまじと見詰めた。

「やっぱり、同じ顔ねえ」

「ええと……話してくれてありがとう」

 控えめな造りの顔立ち、黄色っぽい肌色、黒い目が僕の視線と合って離れた。少女はにこっと微笑み、手を振って村へと歩き出した。

 ニコが促して僕らは城の低い階段を上った。 石造りの床板のちょうど真ん中がくりぬかれてあり、そこに水が湛えられていた。これが泉だろう。よく見れば、その中央に小さな穴があり、そこから弱く水が噴き出しているらしく、水面が盛り上がっている。

 赤い世界の外光を取り込み、白い城内もわずかに赤く見えるが、それでも泉の水が透明なのがわかった。

「……水、飲みたい、いい?」

「え? ああ、もちろん。汚しさえしなければ、村の者は誰でも自由に使っていい」

 ニコの説明が終わる前に僕は泉に走っていた。心臓が鳴っている。僕は泉の水を手にすくい、手早く啜った。

 ドーニャという少女、彼女の顔。僕は、どこかで彼女を見たことがあるような気がしたのだ。

 どこかでと言ったって、もちろん、目覚めたばかりのこの赤い空の下であるはずがない。

記憶をなくす前に出会っている人が、ここにはいるのだ。

 では、カーという人は。

「カーが洗礼をするって言ったのよね」

「ここに来たばっかりなんだから、当然だよな。……何だか、ずっと昔のことみたいで、すっかり忘れてたぜ」

 ニコがしみじみと言った。

 洗礼、という言葉も僕は知っていて、それが宗教上の儀式に用いる言葉だと記憶していた。なので、僕はニコにそう問うた。

「この村には、宗教があるの?」

「シュウキョウ?」

 宗教がなければ、洗礼はないはずだ。やはり、この言葉は、僕の知っている意味で使われているのではないらしい。

 ニコは泉の奥に張られている幕に歩み寄り、丁寧にその幕を開いて声をかけた。

「カー、いますか。会わせたい者がいます」

 待っていた、と、声が掛かった。乾いた空気を潤すように、よく響く、とても綺麗な声だ。

「入ってくれ」

 許されて幕屋へ入り、僕はやっと、「城」へ来たと感じた。

 高い天井から吊された布で仕切った室内には、豪華とは言えないが、整えられた調度がいくつか並んでいた。棚、書き物用の卓、人が集って座るための卓と椅子、飾り用の小さな卓に、大きな水差し。その水差しをこれ見よがしに飾っているのは、水を守る城には相応しく思える。何より、いずれも柱や屋根と同じ、捻れたような白い石でできているのがこの城に似つかわしい。

 そして、三人を控えさせて、長椅子に寝そべる若者。

 この人がカーなのだと、一目でわかった。

 確かに、僕と同じ顔をしていた。つるりとした頬と顎に、黒い髪と目。あの赤い海に映っていた顔、先程泉に映った顔と同じ顔をしている。

 だがそれ以上に、カーの顔にも、横たわったその姿にも、厳かさがあった。ニコが最初に言ったとおり、同じ顔だが、纏っている空気が違った。

 僕の記憶に依るなら、城は城と呼びがたかったが、カーは王と呼ぶのに相応しかった。

「こちらへ来てくれ」

 カーは僕を招き、大儀そうに寝椅子から身体を起こした。彼もまた、僕と同じような黒い長衣を着ていた。

「待っていた。……ツァラ」

 僕が寝椅子に歩み寄ると、カーは僕と同じ顔を柔らかに微笑ませた。

「ツァラ……それが、僕の名前ですか」

「そうだ。この世界では、アニミストは、はじめから名を持って目覚める。そして、お前が最後のアニミストだ」

 アニミストとは、確か、ニコが自分たちを指すのに使っていた言葉だ。

「ツァラ、私を覚えていないのか?」

「何も……思い出せません」

 自分でも意外なことに、カーの顔を見ても、何かを思い出したり、気持ちに引っかかりを覚えることはなかった。ただ、それは自分と同じ顔、既に見知った顔を見ているせいに過ぎないのかもしれないが。

「私はお前の兄にして父。記憶にないか」

「そんなに近い関係の人だったのですか?」

「そうか、お前も、何も知らずに目覚めてきてしまったのだな……」

 労しい、というように、カーは瞳を伏せた。何だかこちらまで悲しくなるような、情感のある、綺麗な動作だった。同じ顔だというのに、本当に僕とは随分雰囲気が違う。

 カーは手を軽く振った。その所作だけで、控えの人々と、ニコとユーディとが幕屋から退出した。

 控えの三人の顔をすれ違いざまに見ると、先程村で集まった群衆にいた人だった。きっと村人の中に、カーに仕える役割の人がいるのだろうと僕は思った。

 その中の一人と目が合った瞬間、またしても僕の心臓が飛び上がった。次いで、冷や汗までもがうっすらと背に浮かぶ。

「いや、でも……全く覚えていないというわけでも、ないようです、かつて出会ったことがある人が、いるような気がします」

「そうだろうな」

 当然というようにカーが呟いた。

「昔のことは、追々、思い出して貰うこととしよう。今すぐにしなければならないのは、お前の洗礼だ」

「洗礼……何かの宗教なのですか?」

 そう僕が言うと、カーは座ったままで、にやりと微笑んだ。

「何だ、村のアニミスト達よりは、よほど過去の記憶があるようじゃないか」

 言いながら、カーは僕を手招きし、間近まで引き寄せた。

「ある共同体に加わることを許す儀式という意味ならば、同じものだよ」

 カーは先を続けなかったが、その共同体とは、カーを頂点とするものなのだろう。


評価、お気に入り登録など、有り難うございます。励みになります。

ご挨拶など、愛想のない状態ですみません。(サブタイトルもないし……)追々要素を追加していきます。よろしければ、続編も読んで頂けると幸いです。

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