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 太陽を南に見て、東が城、西が海、とニコに習って、僕たちは村の門を潜った。

「城に着いたら、泉を見ましょうね。これからあなたも毎日使う事になるのよ」

 結局ついてきたユーディが言う。 彼女はニコよりもさらに楽しそうに城の話をした。

「泉の水は透明でね、とても綺麗なのよ」

「へえ」

「真水の出る泉はここにはひとつしかないの、それを守っているのがカーなのよ」

「そう」

「カーは本当に何でも知っているの。綺麗な人だし、思いやりもあって、素敵な人なのよ。たまに村まで出てきて、一人一人に声をかけてくれるの」

 どうも途中から、城の説明ではなく、カーを褒めそやすほうへと力が込められている。

僕は適当な相槌を打ちながらそれを聞き、ニコは僕の隣で、黙ってそれを聞いていた。

「あなたが、カーがずっと待っているっていう人ならいいのにね。ナントカって言って、随分楽しみにしているらしいのよ」

「ナントカ?」

「何て言ったかしら、いつも私、忘れるのよね」

「俺もそれ、覚えられないんだよなあ」

 ニコがやっと口を利いて、僕は少し安堵する。

「オト……何とかっていうはずなんだが」

「弟?」

「え……ああ、それそれ。お前さん、よく知ってるな」

 ニコが感心したように目を見開いた。ユーディはもっと目を丸くしている。

「私たち、誰もその言葉を覚えられないのに」

「えっ」

 待て、弟という言葉を覚えられないだって?

「……じゃ、兄って言葉は知ってる?」

「さあ」

「何、人のことなの? 村にはそういう人はいないわよ」

 血縁関係は、どんな言語でも、基礎的な言葉であるはずだ。何せ、その人の存在意義に関わる語彙だからだ。

 それが、そういう人はいない、とは。

「じゃ、母は」

「しらねえなあ」

「父親は」

「あ、それならカーが何か言ってるわ、我々は水をチチとするキョーダイだ、って」

 水が父親になることはまずないが……村のみんなは兄弟同然だという喧伝文句なのだろうか?

「ようするにカーという人は、みんな兄弟だから仲良くしなさいよって言ってるのかな?」

「お、うまいこと言うな新入り。結束力が大事だってことだな」

 言葉の力でニコをごまかしてから、僕は核心を突いた。

「で……あの村に、血の繋がっている人たちって、いるの」

 僕は精一杯深刻そうに尋ねたのだが、ニコもユーディも、いっぺんに気抜けして、いい加減な答え方になった。

「そりゃ、血なんか繋がってたら気色悪いだろ」

「実をなす時、どうなるのかしら、両方食べられるのかしら、両方食べられなくなるのかしら」

「食べられなくなるんだろうさ。血ってもんは、その人だけのものだぜ」

 何だか険悪な雰囲気になってしまったので、聞くか止すか迷っていた問を、やや柔らかい言葉にくるんで言ってみた。

「じゃ、村には家族ってないんだね」

「カゾク?」

 ニコが愛想悪く相槌を打つ。どうやら本当にわからないらしい。

「……お前さん、随分ものを知ってるようじゃないか。こりゃ本当に、カーの待ち焦がれた人とやらなのかもしれないな」

 言いながら、ニコはユーディをちらちら横目で見た。きっとそうよとユーディが喜ぶと、目に見えて落胆した。ははあ、そういう事か。「あああ、今すぐ確かめたくなっちゃったなぁ。ね、急ごうよ」

 僕は敢えて砂漠を小走りで進んでみせて列の先頭に立った。自然、ニコとユーディが隣同士になる。

 よし、これでいい。ユーディはどうかわからないが、ニコは内心できっと喜んでくれる。

「さあ、城まであとどのくら……うわあっ」

 後をついてくる二人に身体を向け、後ろ向きに歩いていると、かくんと足が宙を踏み外した。反動で首が仰け反る。足下の砂に窪みがあることに気付かなかったのだ。

 僕の足はずるずると窪みの壁面を滑り落ちて止まった。垂直とは言わないが、結構な傾斜がある。大きさはちょうど僕の両腕を広げた程度、深さは、結局頭が出ているから、さほど深くはない。

「あ、それ、俺がここへ来たときに最初にいた穴」

 大して面白くもなさそうにニコは言い、穴の上から手を延べてくれる。

「たまにこういう穴ボコがあるから、注意が要るんだぜ」

「私のはあっちの方よ」

 ユーディは南を指す。

「もっと浅い穴だけど。村の人は、一番始め、砂漠で目覚めるの。それから村で暮らすのよ」「お前さんのも、海の近くのどっかにあるんだろ」

 僕は平べったい砂地に横たわっているところから記憶があるのだが、その砂地は多少ほどにしか窪んでいなかったように思うのだが、 それよりも重大な疑念に僕は気付く。

「二人とも、最初に目覚めたときから、その背格好なの」

 ニコとユーディは互いに視線を交わし、少し笑った。

「そうよ。あなただってそうじゃない」

 そう、僕もそうなのだ。

 ということは、僕の子供時代というものがもしあるなら、それはこの砂で目覚める前にあったことであるはずだ。

 そして、ニコとユーディは、その事実を認識していない。恐らく、自分たちが子供であった時代というもの自体を把握していないだろう。でなければ、こんなに単純に、この偏った世界を信頼できない。

 偏った世界。世界には大きく何かが欠け、それに躓いたり疑念に思ったりせずに人々が生きている。

 いや、つまずいたり疑念に思うのは、先刻ニコが言ったように、僕に幾許かの知識があるせいだ。

 それはこの世の枠組みとなる知識で、常識と呼べるものの一部だ。

 それはここで目覚める前の僕に備わり、僕や僕の他のものをしっかりと支えている知識であったはずだ。

 それが、この赤い空の下では、存在しないのだ。

 城が見え始めた。白い城だ。しかし、黄色の砂と赤の空に挟まれて、攻撃的な色に見える。きっと黄にも赤にも染まらないためなのだろう。

 赤い太陽の下を歩くのは、大変に辛い。刺すようなその陽光に身体が灼かれ、体力が削がれる。時間にすれば、小一時間といったところか。

 だから僕は、そのようにニコに言った。

「いち……何だって?」

 実は、僕はもうニコの反応をあらかた予測してしまっていて、ああ、うん、と曖昧な相槌を打つに留めた。

 では、カーという人は。

 少なくともこの人は、血縁という定義を知っている。そっくりな顔だとニコが言い、真偽の程は知らないが、その血縁が僕かもしれない、とユーディが言う。

 カーなら何を知っているのだ。

「あ、見て、泉が見えてきたわよ」

 彼女は頭陀袋から先の水差しを取り出した。あまり合っていないようだが、今度は蓋があった。

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