現れた人
ーーコツコツ
「気分、悪ないなら、よかったわ」
トイレから出た灰原を彼は殴り付けた。
ーードサッ
殴られた拍子に、灰原は床に尻餅をつく。
「なんやねん、お前」
灰原の言葉に、彼は黒いサングラスを勢いよく外した。
あっ、ああーー。
俺は、その顔をハッキリと覚えている。
「今度へんな真似したら、確実に殺るで。あの頃と違って俺も大人になったんやからな、覚えとけよ」
彼は、灰原の胸ぐらを掴むと勢いよく引きずりあげる。
「なんの話や」
「まぁまぁ、今日は同窓会やから。おおめにみといたるから有り難く思えや」
灰原を立たせた彼は、スーツの襟やネクタイを丁寧に直してあげる。
「なんやねん、お前。俺はお前の事、忘れへんからな。俺達の邪魔しやがって。ちょっと面構えがええからって何様のつもりやねん」
「はいはい、わかった、わかった。しっかりとこの顔、覚えとけ」
「チッ!!」
灰原は強く舌打ちをして、トイレの壁を殴ると去って行った。
俺は、2人のやり取りを見ていたせいで、上げたはずのズボンを落としていた。
そんな俺に、彼が近づいてくる。
ヤバい、今度こそ軽蔑される。
体に力が入った俺は、必死でズボンをあげる。
もう、嫌や。
あんな目を向けられたない。
そう思ったのに……。
「ズボン、一人であげられへんのか?」
彼はトイレに入ってくると膝までしか引き上げてない俺のズボンを丁寧にあげてくれる。
見られたくないそこを見られてしまう。
わかってる、「ヤバい癖、キモい」って、かつてのあいつらみたいに言うんだろ?
誰だって、そう思うやろ。
だから、もうわかってるから。
君まで、俺を軽蔑せんで。
お願いやから。
俺は、泣きそうなのを堪えながらその光景をジッと見ている。
「ごめんな。遅なってしもて」
彼は、丁寧にチャックを閉めると俺の頭をポンポンと優しく撫でてから、ゆっくり優しく抱き締めてくれた。
「そんな顔もさせてごめんな」
耳元で囁かれる優しい言葉に、我慢していた涙がゆっくりと流れていく。
「ごめんな。俺は、お前を必ず守るって約束したのにな。だめなやつやで」
抱き締めながら、俺の背中を優しく擦ってくれる。
何で、そんなに優しいん?
何で、そんな言葉をかけれるん?
君は、俺のこと。
俺のこと。
「キモくないん?」
ずっと、それを聞きたかった。
ようやく口に出すことができた。
俺の言葉に、彼はゆっくり離れて顔を覗き込んでくる。
「キモいって、そこが、そんな風になってしもたからか?」
優しい眼差しを俺に向けながら聞いてくるから、ゆっくりと頷いた。
「キモないよ。そんなん自然現象やんか」
「それでも、軽蔑するやろ?」
彼は、ポケットからハンカチを取り出した。
「軽蔑なんかせーへんよ。これ、痛いやろ?俺のせいであいつが、噛ったな」
その目は、みんなとは違う。
こんな目を向けてくれる人は2人だけだった。
たった2人。
でも、あの頃の俺は救われていた。
心配そうな顔をしながら、彼は俺の唇の血を優しく拭ってくれる。
そして、先に彼が個室トイレから出た。
俺は、まだ出れなくて中にいる。
動けないでいるとゆっくりとトイレの扉が開く。
俺と彼は扉の方を見つめていた。
「遅くなった、秋帆。はい、これ、ぐちゅぐちゅするの買ってきたよ」
「ぐちゅぐちゅってな。まあ、ええわ。心春、ありがとう。あっ、絆創膏ないか?」
「うん。あるよ」
「心春、よう怪我するから持っとる思たわ」
彼は、動けない俺を個室トイレからゆっくりと出してくれる。
「ほら、ぐちゅぐちゅしとき。気持ち悪いやろ」
彼は口腔洗浄液を渡してくれた。
受け取った俺は、すぐに口の中をゆすいだ。
「こっち向いて」
ゆすぎ終わった俺は彼の方を向く。
唇に優しく絆創膏を貼ってくれる。
「ありがとう」
「かまへん、かまへん」
優しい笑顔に安心する
あの頃と変わってなくて安心する。
俺を軽蔑しない眼差し。
2人だけは、俺を普通の人と同じように接してくれた。
それが、嬉しかった。
「ちょっと、外の椅子で休んでからもどろう」
イントネーションが、標準語になっている心春君が話す。
「うん」
俺が頷くと秋帆君が連れて行ってくれた。
俺はようやく中学生の頃を支えてくれていたヒーローに会えたんだ。
「なんで、きたん?」
秋帆君に言われて顔をあげた。
「ずっと人生をかえたかった。性に対する嫌悪感がずっと拭えんかったから。俺は彼女作るのも結婚も諦めた。それだけやない、あの日から人の目が怖くて怖くてたまらんのや」
話をするとあの日がよみがえってきて俺の手はカタカタと震えてきた。
心春君が、優しく手を握ってくれる。
「それなら僕達の事も、怖いの?」
心春君は昔から優しい声と優しい話し方をする人だ。
俺は、心春君の問いかけに首を横に振った。
「それなら、よかった」
心春君は、柔らかい笑顔で笑う。
「嫌悪感が拭えんのは、自分の体が反応するからか?」
秋帆君は、心春君と違って男らしい声と男らしい話し方をする人だ。
「そうかもしれへん。中学の時、見られたやつに、ヤバい癖やって言われたから。それが引っ掛かってるんかもしれん」
初めて、この事を誰かに話した。
あの時の俺は、ヒーローにも言えんかったから。
「そんなしょうもない事、気にしてどうすねん?俺なんか、昔、心春にキスされただけで下半身がヤバかったで。ハハハ」
しょうもない事って言われて心が救われていく。
あの時の俺が少しだけ笑ってる気がする。
秋帆君が笑いながら言うと、心春君も話し出した。
「秋帆は、僕を軽蔑しなかったよ。僕は、女子人気No.1って言われていたけど……。本当は、男の子が好きなんだ。だから、さっきの話だと、美月君は僕を軽蔑するってことになるよね。今、こうやって僕に手を握られてるのも気持ち悪いよね。そうでしょ?」
心春君が俺から手を離そうとするのを反射的に強く握ってしまった。
そんな悲しい顔せんといて。
そんな悲しい顔。
「軽蔑なんかせーへんよ。心春君は、俺のヒーローやのに」
気づけば口が勝手に動いていた。
俺は、心春君を傷つけたくない。
みんなみたいな目を心春君に向けたくない。
「ハハハ、よかったな。心春」って秋帆君は笑いながら言った。
優しい目。
「そう言えば、気になってたんやけど。二人ってそういう関係なん?」
「そんなんちゃうちゃう。ただ、好きなやつが同じってだけや」
「好きなって……事は、秋帆君もそうってことやんな!!」
「まあ、俺が、それに気づいたんわ。高校二年の時やった。心春は、それ聞いて自分を責めとったわ、ハハハ」
「だって、僕が中学三年の夏にキスしちゃったから」
「俺は、最初から、そうやったんやろ?ずっと、気づいてなかっただけで」
秋帆君はゆっくりと立ち上がる。
自分というものを2人はしっかりと持っている。
俺とは違う。
誰かの言葉や態度や視線にブレない強さがある。
「ほな、そろそろ同窓会に行こか」
秋帆君の顔つきがピリッとする。
そして、先陣を切って歩き出した。
心春君は、俺の手を優しくしっかりと握りしめてくれる。
安心して、大丈夫だからって言われてるみたいだ。
また、あの場所に戻ると思うだけで、心臓の鼓動が強くなる。
せやけど、さっきとは違う。
さっきとは、違って。
俺……大丈夫や。




