第15話:神宮寺麻里
――胸の奥がざわつく。
「硝子越しのkissみたい〜♪」
玲奈の歌声を聞きながら、私は自分のグラスを強く握りしめていた。
……あの歌詞。
あの比喩。
それは――直也と保奈美ちゃんを、そのまま映しているようにしか聞こえなかった。
数日前、直也の自宅での会食。
あの時の保奈美ちゃんを思い出す。
凛とした眼差し。
まるで自分の立場を理解し、直也を支える「妻」であるかのようにふるまう姿。
まだ十代の少女だったはずなのに――もう違う。
あの子は完全に「大人の女性」へと脱皮しようとしていた。
私は愕然とした。
もともと天使のように美しく、可憐で、輝くような存在だった。
でも、それだけじゃない。
芯の通った姿勢と、直也を支える責任感まで身に付けようとしている。
その姿に、私は本能的に悟ってしまったのだ。
――この子は、直也の「妻」になろうとしている。
それはあまりに鮮烈な未来予想図となり、私を怯えさせた。
だって私は、直也の元カノ。
彼に何度も抱かれ、愛され、恋人として過ごした時間がある。
あの夜の熱も、囁きも、ぜんぶ覚えている。
それなのに。
どうして、こんなに追い詰められているの?
どうして、あの子の視線一つで、こんなにも焦燥をかき立てられるの?
玲奈の歌声が続く。
「こんな近くて遠いわ〜」
――ブッ、と誰かが酒を吹き出した。
でも私は笑えない。
笑えるはずがない。
だって、「近くて遠い」なんて――直也と保奈美ちゃんそのものじゃない。
義兄妹という枷はある。
でも、それはもう時間の問題。
あの子が「壁を壊す」と決めた瞬間、直也は必ず応じてしまう。
もう直也は全てを保奈美ちゃんを最優先にしているのだ。
だから抗しきれない。
「もどかしいほど好きなの〜」
胸が張り裂けそうになった。
直也のことをもどかしく想い続けてきたのは、保奈美ちゃんだとでも言うの?
私だってずっと思い続けている。
自分の過去をずっと呪っている。
何故直也という人のあり方を心底信じ続ける強さを持てなかったのかと。
だからこそ、今、自分が成せる全てをもって懸命に直也を支えている。
それなのに――。
言いようのない怒りと、焦り。
私は直也に愛された女だった。
確かに、抱かれていた。
なのに、この恐怖は何?
過去の記憶じゃ、もう抗えないってこと?
――そんなはずない。
そんなの、絶対に認められない。
私はグラスをあおった。
喉に落ちるアルコールの熱よりも、胸の内側の焦燥の方が、ずっと強烈だった。
「直也……私は、もう本気で行くから」
私が決意した言葉は、歌声にかき消されていった。