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「ずっとアイドルの百合を見てた。すごく可愛くて、とてもかっこよかった。それがちょっとだけ寂しかったの。そんな人に相談なんてして迷惑かけたくなかった」
「気にしないよ。解決策なんて私は持ってないけど……こんな頼りないこと言ってる人がいいならさ。いっぱい迷惑かけてよ」
「ありがと。婚約者と一生暮らすのが想像できない。そんな子供みたいなこと誰にも言えなかった。だから逃げちゃった」
「まるで自分が大人のようなこと言うね」
「そうやって育てられてきたから」
「私からしたら赤ちゃんだよ」
鈴蘭に近づき手を握る。
「こんなに柔らかい手は赤ちゃんしか持ってない」
「喜んでいいのかな」
少しだけ話をすると汗を流そうと最上階にある大浴場に入りに行く。二人の子供がお湯に浸かりながら窓一面に広がる景色を見ている。
「百合は大学行くんでしょ?」
「行くよ」
「私は別にわざわざ大学に行く必要はないんだ。イギリスで大学までの勉強を済ませてきたからさ。無理してまで行く理由はないの。本当は高校も通う必要があるのか、そんなことパパから言われてけど押し通しちゃった。あの時はできたことが、今はできなかったの」
騒ぐ子供達が遠くに行った。
「本当に少しだけ大人になったのかもね」
「どこがよ」
「親は私のやりたいことを尊重してくれる。好きなものは買ってくれるし……子供にとって理解できない時があるよ。そんなことを繰り返してると思うんだ。これだと私駄目になるなって……きっとさ、婚約者と付き合うことは親が用意した精一杯の娘の幸せなんだろうな」
「パパって古い価値観を持っていて……結婚は早めにしろとかさ。他にも料理は覚えろとか言うのに、それで私がやりたくないって言うと反対しないの。あんなママと付き合ったぐらいだから慣れてるんだろうね」
「私と付き合うのも、そこまで反対してなかったな」
「元々資産家の息子さんを婚約者にしようとか話になってて、仲の良かった人らしいから私が逃げなければパパも気まずい思いしなくて済んだと思うの」
お湯に浸かっていると鈴蘭の顔が赤くなってくる。
「出たほうがいいよ」
「わかった」
髪を洗い終わり脱衣所で服を着ていると先程の子供達の笑い声が聞こえてきた。
「元気だね」
「あの母親も大変そうだ」
「……やっぱ大変なのかな」
「二人いるとね」
ラウンジに行くと景色を見ながら近くの椅子に座る。
「実はパパから就職先も用意しようとか話も決まってたの」
「良かったじゃん」
「それを言われた時嫌な気持ちになった。百合と会った時に……幸せにしようと何もかも自分で決めたと思ってたの。イギリスで勉強をするのも、日本の私立の高校に通うのも。でも……後々考えてみると単純にパパが反対しなかっただけ。本質的に私ならできると思ったことをパパが決めていた」
「そういうものだと思うよ」
「私は……」
「それで私と付き合うことを決めた」
「本当は百合を幸せにする為の……先の話なんて考えてなかったの。私の勝手な考えで巻き込んだだけ」
「別に構わない。それで鈴蘭が幸せになるのならいいよ」
「百合と別れたことで婚約者と会わない理由がなくなった」
「悪い人じゃなかったんでしょ?」
「いい人だった」
「それならどうして」
「会って余計に不安な気持ちになった。あの人は百合じゃなかったから」
「そりゃ当たり前だと思うな」
「こんなの私のわがままでしかない。一緒にいたいのは百合であの人じゃなかった。こんな気持ちは前から気づいていたのに……」
「私も同じ気持ちだよ」
「百合が男の人なら良かったのにね」
「女の子でも変わらないよ。気持ちでは負けてない」
ラウンジから部屋に戻ると自然と同じベッドに入る。手を握りながら眠るも先程まで寝ていたせいで目は覚めていた。
「鈴蘭……起きてる?」
「おき……おきうよ」
鈴蘭の寝言を聞きながら彼女の頬を指で突く。
「起きないと襲っちゃうぞ」
「う……うん。百合……好き」
「私も好き」
流石に何もしないが寝ている鈴蘭は可愛くて仕方ない。
「あ、あれ?」
今日はクリスマスイブだ。
それに今は真川玲と付き合っている状態なのに鈴蘭とホテルで寝ている。
「友達だよ。私達は友達誤解しないで」
鈴蘭はすやすやと眠りながら小さく頷くだけだった。
朝食を取ってホテルを出る時、肌に当たる風は冷たいが繋いだ手は温かい。
近所を歩き回りながら可愛い小物を購入する。二人でただ可愛いねなどと何気ない会話をしながら笑い合っていると、私達を見る女性が「もしかしてエターナル・サンクチュアリの岸辺百合さんですか?」と声をかけてきた。
特別ファンというわけでもないが思わず話しかけてしまったと謝罪をする女性に「いいですよ」と苦笑いをするしかない。迷惑ではないがファンへの対応というのは苦手で上手に話せなかった。
鈴蘭が間に入って話をしたら満足したのか帰っていった。
「可愛い女の子だったね」
「確かに可愛かった」
「手を出しちゃ駄目だからね」
「もうどっか行ったよ」
自分としては少しネット上で人気だった程度だと思っていたが案外そうでもないらしい。
「アイドルになってさ。知らない人になっていくのを怖いと思ってたの」
私の手を引くと鈴蘭は駅にやってきた。
「別れても平気だと思ってた。ずっと私は友達でもいいと思っていたのにさ」
遠くから迎えの車が見える。
「私もそう思っていたよ」
車に乗ってみると運転手は鈴蘭の父親ではなかった。
景色を眺めながら私達は一時間ほど無言で過ごす。僅かな風の音に寝息が聞こえて隣を見ると鈴蘭は安心した様子で眠ってしまっていた。
私の家に車が止まると鈴蘭が目を開ける。
「終わっちゃったね」
「まあ、ね」
ドアが開くと私は背伸びをした。
「長いようで短い旅行だった」
「楽しかったよ。ありがとう、百合」
鈴蘭に振り向き「私も楽しかった。また遊ぼう」と言っていたら、彼女が私の頬を包み込むように両手で触れて見つめ合う。
少し位置を調整すると目を閉じた。
何度もやってきたことを今更確認なんてしない。
唇を重ねた時間は短く感じた。
離れていく鈴蘭は私の顔を見ようとせずに車へ飛び乗る。そのまま何も言わずに去っていくのを呆然と眺めていた。
私は少しだけ体が熱くなるのを感じたが冷たい風でようやく家に入ろうと足を動かす。
ドアを開けると目の前には真川玲がいた。
彼女に住所を教えたかどうかを考えていると「あの人って誰なの?」と言いながら真っ直ぐ私の目を見る。
「……友達」
「友達とキスなんてしないでしょ」
「それよりなんで私の住所を知ってるの?」
「そうやって誤魔化すんだ」
「そうじゃないけど」
「事務所に行って教えてもらったの」
「そこまでしなくても」
「……さよなら」
突然去っていく真川玲に驚いていると父が現れる。
「あの子が今日ね、突然来て。とりあえず部屋に上がってとは言ったんだけど……何かあった?」
私は急いで彼女の後を追う。
歩いている真川玲の手を掴む。
「心配してきたらあなたの親からは友達と遊んでると言われた。その友達をあなたの部屋から見てたらキスして……」
私が掴んでいた手を離すと彼女の手で頬を叩かれた。
真川玲の頬から涙が流れていく。
「気持ち悪い」




