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戸惑いながら鞄を持って教室を出ると中学の時にキスをした女子三人組が待っていた。彼女達は私を発見すると揃って頭を下げた。
「あの時は色々とごめんなさい」
撫子と一緒に他の二人も「ごめんなさい」と言いながら震えている。
「……別に済んだことを今更どうこうしようとは思わないよ。だって、もう仕返しはやったから」
三人は顔を見合わせて相談を始めた。そして急にひそひそと話す声が聞こえなくなる。
「百合ちゃんはどうしてキスをしたの?」
撫子が私の手を掴む。
「好きというか、嫌がるかなと思って。それについてはごめんなさい」
握っていた手の力が強まった。
「そんな理由で?」
「いじめられてたからキスでもしてやろうかと思ったの。怒ってる?」
撫子は口を開くこともなく、髪の毛を掻き上げると上目遣いになる。彼女の手には鮮やかなピンク色のネイルが見えた。
撫子が言おうとして椿が間に入る。
「怒ってないよ。撫子ちゃんも菫ちゃんも……私だって」
椿は顔色をうかがいながら慎重に言葉を選んでいるように感じた。
「さよなら」
菫は人懐っこい笑顔を見せると手を振った。
「うん、ばいばい」
駅に行くとタイミング良く電車が到着した。車内にいると恐ろしげに鳴り響く雷の音が聞こえてくる。電車が停車するとドアがスライドして開いた。雨で濡れた人の体を見ながら降りると険しくなる風の音に耳を澄ます。
ひやりとした風に震えながら駅の中で待っていると雨の音が聞こえなくなっていた。
水はけの悪い地面をゆっくり歩きながら家に向かうと私を見つめる女子を発見する。傘を手に持ち不機嫌そうな顔で近づく桃は「どこ行くの?」と私の行く手を阻む。
「家かな」
彼女が何も言わず睨むだけだったので横を通り過ぎるが、桃は自然と私の肩にぴたっとくっつけるようにしながら一緒に歩く。
「歩きにくい」
「高校でも一緒のクラスだね」
「中学で同じクラスだったけど、そんなに親しかったっけ?」
「……私はね。あなたのこといじめてたの。あの激キモ百合女だって私が広めるように言ってたことだって、あの時正直に告白したの覚えてない?」
あの三人組にキスをした後に桃から罪の告白をされた。廊下での会話は単純で口を開けば変態や不快だとか罵ろうと努力をしていたが、説教のように一方的に喋り続ける高圧的な態度の彼女にキスをすると混乱してしまった。
「あ、また雨が……借りるよ」
降り止んだと思ったが僅かな雨に気づき、彼女が持つ傘を開くと肩をつけて一緒に入る。
「家ってどこ?」
「向こうだけど……」
私の家と同じ方向だ。
「じゃ、行こうか」
二人で歩くと傘の中は狭くて歩きにくい。
うつむき喋ることのない桃の家に到着する。傘を返すと雨の中走り出そうとするも彼女が私の腕を掴んだ。
「待って! 雨止むまで家にいても大丈夫……」
「うん、わかった。甘えようかな」
家に上がると絶え間なく聞こえる雨の音が更に強くなっていく。彼女と一緒に二階へ行くとルームプレートに桃と書かれているのが見える。
「ここが私の部屋」
ドアを開けると彼女がベッドに座るので隣に座った。一瞬肩を震わせていたが深呼吸をして目を見つめて「私……百合ちゃんが好きなの」と言って顔を近づかせる。
目を閉じて雨の音に耳を澄ます。
今日は不思議な日だ。
「返事は?」
「返事か。私も好きだよ、友達として」
泣きそうな彼女の顔を見て中学の時にしたキスを思い出す。嫌われようとして行ったことはキスだったが気持ち悪い行動の最適解を考える。
「わ、私も百合ちゃ」
私は彼女の首筋を舐めてみた。
突然首筋を舐められて悲鳴を上げる彼女を置いて部屋を飛び出す。激しい雨の音が聞こえる中、全速力で走って帰った。
沈む美しい夕日を眺めながら背を伸ばす。
正直友達は作りたい気分にはなれなかった。
翌朝になると電車へ飛び乗り、一息つくと後回しにしていた問題が近寄ってきた。昨日告白してきた桃は不機嫌な顔で他の人と話をしている。
結局彼女が私に話しかけてくることはなく、学校に到着するまで一瞥もせずに昼休みまで退屈な授業を聞きながら過ごす。
「こんにちは。鹿島さん」
私が一人でお昼ご飯を食べていると席の近い桃が鈴蘭に挨拶をしたのが聞こえる。二人は席が近いのでよく会話をしているようだが今日は空気が違っているような気がした。
「こんにちは、清水さん」
「挨拶なら朝もしたでしょ」
少し喧嘩腰に見えるのは気の所為かと思っていると桃が鈴蘭を睨んだ。
「鹿島さんは岸辺さんと話さないでね」
弁当箱にあるプチトマトが目に入る。
「鈴蘭ちゃん」
私は箸でプチトマトを掴む。
「あーん」
一瞬だけ戸惑っていた鈴蘭は口へと運ばれていくプチトマトを食べ始める。次々と口に入る私の苦手なプチトマトを美味しそうに頬張る彼女に「どう? 美味しい?」と言ってみた。
「うん、美味しいよ。百合ちゃん」
火の通ってないトマトは苦手なだけで食べられないわけじゃない。
笑顔になる彼女を横目に食べ終わった弁当箱を鞄に入れる。授業が始まろうとしているのに桃がその場を離れようとしない。
「私は百合ちゃんのことが好きだから」
何も返事をしない私は卑怯者だ。
席に座ってから桃は顔を伏せたまま動こうとしない。
授業が終わって帰ろうとするも鈴蘭が「一緒に帰ろ」と言ってきた。帰り道が同じなので駅に行く間を二人で歩いていると弱々しい声で私の耳元に寄せる。
「あのね、私も百合ちゃんが好きだからね?」
「態度でわかる」
多少ドキドキしてしまう自分がいる。
「ねえ、見て」
野良猫が歩いているので立ち止まると人に慣れているのか可愛いお腹を見せてきた。声をかけながら優しく撫でてあげると、鈴蘭は両手を震わせて野良猫に触れようとする。
「にゃあ!」
声を上げた彼女が野良猫を掴もうとしたので驚き逃げてしまった。
「……嫌われちゃったかな」
「そんなことないよ。びっくりしたんだね」
無難に猫の話で盛り上がっていると駅に着いたので別れようとするも彼女が裾を掴む。
「連絡先聞いてもいい?」
「私スマホ持ってないよ」
意味がわからないのか数秒動きが止まる。
「そんなに私のこと嫌い?」
「嫌いじゃない」
「本当は持ってるんでしょ」
「鞄確認してもいいよ?」
私は彼女に鞄を渡すと中身を確認して制服や体の隅々まで触っていく。
「どうやって生きてるのよ……」
「中学の時に一度壊してから親に私が言ったの。スマホはいらないって……お値段がそれなりに高いからとか言って」
親に嘘をつくのは良い気分じゃないが、今もこうして誰かに嘘をついて生きている。私はどこまでも卑怯な存在だと感じてしまう。
「偉いね。私なら耐えられない」
確かに壊れた時は耐えられなかったよ。
彼女は持っている鞄を渡して小さく手を振る。
「また会おうね、学校で」
「うん」
駅を通過していく電車を眺めていると恋人らしき人の笑い声が聞こえて目を向けた。昔の思い出を目の前の男女に重ねながら風に揺れる髪の毛を手で押さえる。
到着した電車に乗り込むとつり革を掴む。
「百合ちゃん、なんで座らないの?」
目の前にある座席で座る菫は誰よりも幼く思える。彼女は退屈そうに私を見上げていた。
菫のことはよく知らないが一人でいるとは思わなかった。
仕方なく座ると菫は隣でゲームを始める。私に持っているスマホの画面を見せてきた。可愛い動物を育成するシミュレーションゲームの話をしながら内容を説明していく。色々と話をしてくれるので興味を持って聞くと色々な種類の猫が登場して時にはバトルやダンスまでするらしい。
「これおすすめだよ」
「ごめんね。私スマホ持ってないんだ」
「……そうなの?」
「中学の時にスマホが壊れて、それから買ってない」
彼女がゲームを中断して頭を下げる。
「ごめんなさい」
「なんで謝るの?」
「あの時のことずっと謝ろうと思ってて。あの時も現場にいたのに私は何もしなかった。助ける勇気が私にはなかったの」
「別に怒ってないよ。誰が悪いかなんて今更考えても仕方ないし」
「望むなら今度は私をいじめてもいいから」
嫌なことを言うなよ。
「……そのスマホ貸して?」
「え、うん……いいけど」
私は彼女のスマホを手に取ってアプリ上にある育成シミュレーションゲームをタップする。
「じゃあ、このゲームをプレイしたら許したってことで」
納得していない表情だが彼女は自分の好きなゲームをしてくれたことが嬉しそうだった。
電車から降りると菫は私の手を握って歩き始める。彼女とは同じ方向らしく、歩き慣れた道を二人でゲームの話をしながらゆっくりと家まで帰っていく。
「あ、私こっち!」
菫は急に走り出すとすぐに振り返る。
「また遊んでね!」
「うん、じゃあね」
元気良く去っていく彼女の後ろ姿が見えなくなると私も家まで歩いていく。
家に帰ったが誰かがいる様子はない。父も母も仕事で忙しい。二人の為に夕飯を作ろうとカレーを用意する。野菜と豚肉を切って時間を確認。鍋が沸騰するまで静かなリビングで時計を見つめる。蓋を取って思わず熱さにびっくりしながらアクを取っているとドアが開いた。
「百合、ただいま」
「おかえり」
父は疲れたように横たわるも母から連絡を受けて急いで着替える。父はお風呂の準備をしているようで大変そうだが楽しそうな表情だ。その様子を眺めながらルウを溶かして夕飯の準備が整うと母が帰ってくる。
「ただいま! 百合! 聞いて!」
「ん? お母さん?」
母は私の体に抱きつき仕事で疲れたと言いながら上司との話をする。それらを聞き流しながら椅子に座ると自然と私達は食べ始めた。
和やかな空間で夕食を食べ終わるとコップや皿をシンクに置く。
「百合、お風呂先にどうぞ。洗い物は私がしとくから」
「うん」
浴室で髪や体を洗って浴槽に入る。遠くから聞こえる声に耳を澄ましながら浴室から出ると頭を乾かすと自分の部屋に戻って一息つく。
私は机に置いてある写真立てを見た。
「パパ、ママ」




