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そこから母は先の話としながらも私に将来好きな人との子供を見せてくれと言い始めた。
私は先の話なんてわからないと言って笑ってみせるしかない。苦笑いしかできずに部屋に戻ると鈴蘭に電話をかける。
『もしもし』
思ったより緊張しているのか何も言葉が出てこない。
『どうしたの?』
『そういえば鈴蘭と通話したことなかったと思って』
『寂しくなった?』
『そうかも』
『なんでも話してよ』
『大した話じゃないけど、私の母が妊娠して家族が増えるみたい』
『そうなの?』
『前までは早く妊娠して子供を作ってと思っていたが、いざ子供ができると素直に喜べない自分がいて……嫌になる』
『居場所がなくなると思ったんだ』
『前までは私の話が多かったのに今日はお腹の子の話ばかりで嫌な気分になった。私すごい悪い人みたいで嬉しくなくなってきたの。将来好きな人との子供を見せてとか、私にどうしろって言うのよ』
『私じゃ駄目なの?』
『ち、違う!』
『やっぱり百合も男の子と付き合いたいよね』
『母とそういう話になっただけで』
『わかってる。私も好きかどうかは別にしても必要だとは思ってるから、親が言っている言葉の意味を理解できないわけじゃない。親ってのは孫が見たいものなんだと思うよ』
一瞬不機嫌になったのかと思ったが鈴蘭は意外にも笑っていた。
『そうだ。明日から夏休みだよ』
『すっかり忘れてた』
『楽しみじゃないんだ』
『別に特別なものってわけじゃないし、鈴蘭は?』
『私も今まではそうだよ。でも、今日からは毎日デートができそうで楽しみかも』
『明日とかどう?』
『行こう!』
そうして二人で予定を立てていたが急な話で鈴蘭がアメリカに住む母親のところに行くことになった。詳しい理由は聞かなかったが大事なことらしい。
二人で空港に行くと名残惜しい気持ちから手を繋いだまま見つめてしまう。
「帰ってきてね」
残念そうに話す私に鈴蘭も「大丈夫。すぐに帰って来るから」と言って別れを惜しんだ。
そうして一ヶ月が経とうとしている時に桃から連絡が入る。ショートケーキノックアウトのライブが始まるので一緒に見に行かないかという誘いだ。
以前清水先生に伝えていた話のようで桃には大丈夫とだけ言っておいた。他の人は行けるのかわからずに当日まで迎えてしまう。
アメリカにいるという鈴蘭には連絡が取れずにいたが、他の人達とは特別仲が良いわけではないので聞けるわけではなかった。
桃の家で待っていると少しだけ痩せたような気がする清水先生が現れた。彼が自慢話のように筋トレや食事生活の見直しについて話すのを聞いていると桃は私から離れていく。
「桃ちゃん!」
「パパの話長いんだもん」
呆れた表情の桃は私を残して家を出て行く。
「あの……他の人は?」
「来ると聞いているよ」
「桃はどこへ?」
「ああ、そういえば……君は待ってて」
窓の外からしばらく一緒に家の前で立っている二人を見ていると車が到着した。鈴蘭が乗っている車で運転手が清水先生に頭を下げている。家の外で四人で仲良く話をしていると菫と一緒に椿がやってきた。聞こえる笑い声から遠ざかるように私は体を縮める。
「楽しそうだな……」
目を閉じると朝早くに起きたせいか眠くなってきてしまう。
「百合ちゃん! 起きて!」
桃の声に飛び起きると目の前には五人全員がいた。
「撫子ちゃんも来たんだ」
「さっきね。それよりも行かなくていいの?」
慌てた様子の清水先生が車を走らせると高速で一時間ほど経過して野球場に到着する。
「すごい人……」
「離れないでね」
圧倒されている私と違って桃は落ち着いていた。先々週に開催された会場に私は行かなかったが、他の日にもライブはやっていたようで桃は「こっちだよ」と言いながら先頭を歩く。
「あ」
何気なく混み合った会場で繋いだ手の先を見ると鈴蘭がいた。彼女に手を引かれながらスタジアムの入口に行くとピンク一色の服装をした人が多く、客席から見る景色には統一感があった。
「そういえば桃の服って」
「あ、これはショートケーキノックアウトのカラーでファンはこの色を着てるんじゃないかな」
誰もが汗を流すほどの太陽に水を飲みながら開演を待ちわびていると桃からライトスティックを手渡される。他の人にも丁寧に受け取らせると彼女は「始まるよ!」と言って笑顔になった。
ここに来てから私は奇妙な感覚に悩まされてきた。
友達と一緒に出かけるということ、その友達達と一緒に以前付き合った彼氏のライブを見ること。それらは私にとって現実感のないものだったが、いざライブが開始されると私が知っている当時の彼氏は存在しなかった。
高橋翔太の歌声が広いスタジアムで響き渡り、鮮やかな色のライトスティックを持った人達がリズムに合わせて揺れ動く。お年寄りや小さな子供までもが空に向かって叫ぶ姿は些細な悩みなど吹き飛ぶほどの感動を私に与えた。
会場ではほとんど曲を知らない私までもが一緒になって歌ってしまう。サビしか知らない曲だが周囲の反応を見ていると私まで笑顔になって応援をしていた。
後半になると空は暗くなって激しい曲から静かな曲へと移っていく。それまで声を上げていた人も黙って高橋翔太の歌声を聞き入る。スタジアムを埋め尽くす人全員が瞬きもせず、その心地良い空間を作り上げているようで私は溢れてくる感情に少し戸惑うと彼を見つめた。
私は目が合ったのかと思ったが、別にそんなことはなかった。
ライブが終わると車に乗り込むまでの間に、ファンの人達が感想を伝えようと興奮気味の声で語る姿を見ることができた。当然だが桃や私以外も負けておらず、今日の感想について話をする。その熱気に当てられて感動した様子の桃が泣いてしまった。全員が彼女の涙に影響されて泣き始めると私も不意に涙が流れ出す。
その時感動だけで泣いていたわけではなかった。
私は自分の愚かさに涙を流してしまう。
こんなことをできるほどの人を無下にしたこと、今この場で後悔する自分の卑しさに心から不快さを感じていた。
私は彼を本気で好きだったと思おうとする気持ち悪さに吐き気がした。それと同時に欠けていた愛情に気づき泣き出す。
何故私は彼に寄り添おうとしなかったのか。
悲しそうな顔をする彼を見て私は疑いを持ってしまった。
誰もが私を苦しめようとする存在だと思い込み、きっと立場が変われば彼も嫌うはずと恐怖を感じていた。家族も友達も信じられずに彼の愛情を受け入れずに別れて、今更になって動揺する私を本気で嫌いになりそうだった。
他の人と種類の違う涙を流す私を優しく包み込む鈴蘭に「一緒にいてくれて、ありがとう」と言った。
二人で抱き合うと安心してしまう。
「もう、泣き虫だな」
笑う鈴蘭を見て桃が「急に泣き出すとびっくりするでしょ」と言いながらも清水先生がエンジンをかける。彼は泣き終わるのを待っていたようで黙って私達の会話を聞いていたが「シートベルト、大丈夫か?」と言って確認すると車が動き始めた。
景色を見ながら菫が涙を拭く。
「泣き出したのは桃ちゃんだからね」
撫子も涙を拭きながら「あんなに感動するものなんだね。嬉しくて泣くことがあるなんて信じられないよ」と笑う。
「私は結構泣くこと多いよ。悲しいことだけで泣くなんて嫌な気分になりそう」
「桃ちゃんって気楽そうでいいな」
「これでも色々考えて生きてるんだよ。将来はどんなことをするのかとかさ。お母さんから聞かれる度に落ち込みそうになるけど」
「うちも毎回叱られてるわ。菫ちゃんは?」
「私もそうだよ。ちょっとうるさいなとは思ったりするかも。椿ちゃんはそういうのなさそうだよね」
「え? 私? 確かにあんまりないけど、相談とか乗ってくれるから安心するかも」
話を聞きながら鈴蘭の顔を見ると外の景色を黙って見ていた。先程まで笑っていたのが嘘のように無表情になっている。
「相談とか乗ってくれるんだ」
感情のない声に「どうしたの?」と私は思わず聞いてしまう。
「私のママは自分の話ばかりするの。自分は離婚してるのに結婚はやっておくべきとか、勉強なんてしなくても案外生きていけるとか」
「離婚してたんだ」
「撫子ちゃんには言ってなかったね。私のママって、多分誰も好きじゃないと思うの。パパが嫌いだからだと思ってたけど、きっと私が嫌いなんだよ」
そんなことないと言うのは簡単だったが鈴蘭のことを何も知らない私は意味もなく「好きな人同士でも別れることがあるってだけで、別に特別なことじゃない」と言うべきではない言葉を選んでしまう。
「そうだね。私だけが特別じゃない、きっと誰もが同じようになる可能性があるんだ」
「そんなわけないだろ」
運転中の清水先生が口を挟む。
「子供を愛さない親はいない。事情までは知らないが会っているのなら君のことを好きなはずだ。たとえ会わなくても産んだことを後悔する人はいない。こうして桃と会えたことは人生を生きる理由になるからだ」
「私の話はいいんだけど」
「結婚して子供が成長していくのは悲しさよりも嬉しさのほうが増すものだ。君達も……いつか結婚して子供が立派になっていく時を眺めたいと思う日が来る」
「清水先生は奥さんと結婚して可愛い桃ちゃんが産まれて嬉しかったんだ」
撫子の言葉に「うちの桃は可愛くてな。小さな頃は毎日パパを連呼して」と長話を始めそうになって桃が咳払いをする。
「あ、悪い」
「いい加減にしてよね……あー、私もいい人いないかなとは思ってるんだよ」
「桃ちゃんは可愛いからすぐにできるよ。私も彼氏欲しいな」
突然撫子から出た彼氏という言葉に驚く。
「彼氏?」
聞き返す私に撫子は笑う。
「欲しくない人いないでしょ。ねえ、清水先生は女同士の結婚ってどう思う?」
「急にどうした?」
「いや、どうかなと思っただけ」
「否定はしない。それが生物として正しいかはわからんが」
「桃ちゃんが女の子のほうが好きと言って孫ができませんとか言われたら困るんじゃないの?」
「できないわけじゃないだろ。それに本人の自由だ。こうした問題は否定したところで解決できる話ではない」
「きっと桃ちゃんの母親も自分と同じように男の人と付き合って欲しいと願ってるはずだよ」
「想像だろ? 撫子と会ったことがない人の話をしたところで意味はない。それよりも俺はリバウンドを想像することのほうが怖いよ……すぐに太るからね」
「私はそういうパパが一番好きだよ」
「……驚いた。桃が素直になるなんて」
「前向いてよ」




