1 激キモ百合女
中学三年の時に高校一年の高橋翔太先輩に告白をした。
恋愛に興味があったからだ。
彼は「ショートケーキノックアウト」のボーカルでメジャーデビューを目前に控えていた。そんな彼と恋人になってデートを繰り返すうちに私達は唇を重ねた。
当初は本気で好きだと思っていたが徐々に気持ちが変わっていくのに気がつく。
好きな人ではなかった。
恋愛というものに密かな憧れを持っていたが心の幸福感は他の友達と変わらなかった。男性に対する好奇心はあったが考えるまでもなく将来が想像できた。
私には荷が重い。
他の女子が話すように彼は美形だと自分でも思う。それ故に熱狂的なファンを冷静になって見るとわざわざ苦しい戦いを選ぶ必要性に疑問が生じる。例え他の男性と付き合っても強い精神力のない私には継続的な交際に耐えられない。
彼以上に有望な男性は存在しないが、この楽しみは永遠ではないだろう。
別れ話は私からしたが彼もすんなり受け入れてくれた。
彼との別れ話から数日後、中学へ普段通り登校すると私の机に落書きがされていた。一般的な罵倒が書かれていたがショックは少ない。
笑い声と一緒に女子達の話が聞こえて振り向く。
元子役で幼い顔立ちの三浦菫やアイドルの川上椿の近くにいる私を笑う声の存在が見えた。
モデルでテレビドラマにも出演している柿崎撫子だ。
彼女達が関わっているのか判断ができない。それでもあの三人は教室内でも私の話を良くしていた。関係しているのなら、あの三人というのは正しいのかもしれない。
他にも大勢の人が私を見ているが明確な敵意は複数感じて判断ができなかった。
そういえば彼と付き合った当時に仲の良かった友達から無視をされた記憶がある。この現状が彼女達によるものなのかと考えながら持っていた鞄を置く。
女子バスケットボール部で活躍していた時は随分と好かれていたのが昔のようだ。
当時私に告白してきた女子の顔も見える。
冷静に考えれば私が悪いのか。
好かれていた男子を奪ったことで嫌われ者となったのを知っていたのに放置していた。好かれていた女子達の期待を裏切って不都合な存在に成り代わった。
彼と付き合ったことで他者との関わりが減ったことも原因か。
悪には正義が必要で都合の良い存在が必要なのかもしれない。
あれほど惹かれていた恋から離れると本気の愛などが彼に向いていなかったことがわかる。答えを遠ざけていたが恋に陶酔する人がどういう思考になるか今判明した。
明確な敵意の言葉を耳にしながら語られる口へと目が移る。
「あの子って親の愛情を受けてないから平気な顔して色んな男子と付き合えるんだよ」
女子の言葉に男子が首を傾げる。
「あいつ前に親がいるって言ってたような」
「血は繋がってないって本人から聞いたよ」
教室中のいる男女の会話には岸辺百合という名前ばかり登場していた。
一人としか付き合ってないのにと呟くこともできずにため息をつく。
涙さえも出ない。
仲が良かった女子だけでなく、頻繁に話をしていた男子も会話に参加していた。誰も助けようとしない光景に僅かな絶望を味わうと同時に腹が立ってしまう。
今暮らす血の繋がらない父と母に不満はないが心の余裕はなく、家族の話をされると先程まで冷静さを保っていた心が乱れ始める。
本当にこんなのをして何が面白いのだろうか。
面白い行動。
いっそのこと何か行動を起こしてやろうか。
そういえば前にお笑い芸人の動画を見ていた。その時人を貶めて笑いを取るのは近年で良くないことだとSNSのコメント欄で彼らを批判していたのを覚えている。実際に面白い人は道化を演じることができるはずだ。選んだ末に人格や容姿の否定で誰かを笑わせようと考えたのなら脚光を浴びる機会は二度と訪れない。
その人となりを表現する方法としての行動という側面があるなら、今私を笑っているのは彼らとしてのユニークな芸風だと思える。
この際善意か悪意かはどうでもいい。
言動で人は決まる。
良くないことをした人を私は笑えない。笑わせるようなこともできないが人を恐怖させて笑顔を消す方法は知っている。単純な暴力という手を使うのはリスクを伴うが、同じ危険な行為でも恐怖という感情を抱かせるのは力なんて必要ない。
私は鞄を床に落とすと落書きがされた机を一瞬だけ舐めた。
その奇行に一瞬で静まり返る教室内の空気を感じながら先程の女子三人組を見る。顔をしかめる撫子に困惑する椿と菫に悪事を思いつく。
少なくとも私は彼と付き合ってキスをした瞬間は嬉しかった。好きな人に初めてのキスを捧げられて嬉しいという気持ちは持っている。
ここにいる人達はどうなのだろうか。
彼女達三人は特別誰かと付き合ったという情報は耳にしたことがない。私に告白してきたような女子とは違って同性が好きというのも聞かなかった。
突然撫子まで距離を縮めると彼女にキスをしてみた。
予想外の事態に彼女は声も上げられずに距離を取る。手を広げて近づこうとすると彼女は誰かに助けを求めるように「なんとかして!」と叫ぶ。
近くにいた椿が立ち塞がったので彼女にもキスをした。撫子のように離れようとはしないがうつむき「あ……なんで」と呟き倒れてしまう。
「撫子ちゃん! 椿ちゃん!」
二人に向かって声をかける菫を押し倒すと強引にキスをした。僅かな抵抗で彼女が私の頬を叩くも痛くはなかった。
その後は様々な蔑む声が聞こえたが卒業までの間で教室内での騒ぎを語る人は減っていく。時間が経過すると高橋翔太先輩との別れ話が広まり、悪事を企む女子も素知らぬ顔の男子も通常通りに戻った。
自然と私に声をかけてくる女子と男子の間で密かに「激キモ百合女」と言われていることを耳にする。
弁明の余地はない。
そうして私が彼の通う地元から比較的近い場所にある私立の高校に入ってから数日が経った。浸透していく私の昔話を信じる人が多い新しい環境では友達を簡単に作れずにいた。
塞ぎ込んだ気分で席に座っていると私を睨みつける女子が机を叩く。
「どうして私にキスしたのよ」
確か父親が元芸能人の清水桃で中学の時に話したことがある。その時は以前の女子達のように私と接していたので相手の嫌がることをしようとキスを行った。文句しか言えない口を塞いだことで、更に増える罵倒を止めようと唇を重ねる行動を取ると彼女は逃げてしまった。
あの時を思い出しながら「どう思った?」と呟く。
「……怖かったけど」
私が満足して立ち上がると音もなく近づく鹿島鈴蘭がひっそり笑う。彼女は私と桃の会話を聞きながら「二人は知り合いなんだね」と顔を近づかせる。
彼女はクラス内の噂だと元総理大臣の孫で多国籍企業の社長の娘らしい。彫りの深い顔立ちの大きな目をした女性で誰かと仲良く話す場面を目撃した記憶がない。
「同じクラスだっただけだよ」
「清水さんは岸辺さんと仲が良いんだ」
「良くない……多分」
「へえ」
鈴蘭の瞳を見ていると妙な感覚になる。
トイレに行こうとしても体が動かなかった。
「岸辺百合さん……あなたは女の子が好きなの?」
「好きじゃない」
「好きじゃないのに女の子とキスをして、色んな人から注目されてしまったのね。それで学校とか変えなかったんだ」
「親のこともあるし……どうでもいいでしょ? そんなことあなたには関係」
突然鈴蘭が私の腰に手を回す。
「あるよ」
冷静だった心が乱れていく。
「相手は選んだ。私がやったのは自分の為……そう、だから私は……」
私を見透かすような瞳に心を奪われてしまう。
お互い見つめ合うと自然と唇を重ねてしまった。彼女が離れる瞬間になって始めて時間が動き出す。誰もが呆然とする教室内で咳払いが聞こえる。
太った男性教師を横目に満ち足りた雰囲気が落ち着くのを感じた。そこで恥ずかしさから席につくと頭を抱えてしまう。
あの時は何気なく目を閉じて受け入れていた。
キスなんて何度もしてきたのに。
乱れた呼吸で男性教師の声に耳を傾けると不自然なほどの穏やかな空気で授業が進んでいく。放課後になるまで誰とも喋ることなく私は机と向き合っていた。
「岸辺百合さん」
放課後になってから鈴蘭が柔らかな髪を触りながら私の顔を覗き込む。
「あなた……その」
何も言えずにいると彼女は小さな声で喋り始める。
「聞いたよ? 激キモ百合女だってこと。詳しい事情も聞いた。あなたは友達が多くて……女子からも人気で告白もされていたことやかっこいい彼氏ができたこと」
「女子にも男子にも良い顔をしすぎて敵を作りすぎたんだよ」
「あなたに対して謝りたいと思ってる子も大勢いる。仲直りしたいと言っていた」
「今の状況に特別不満はないよ。中学の時は恋の相談で彼氏と仲良くしたいと言うのにも何時間も付き合った。失恋の時だって一緒にみんなで遊ぼうとかも言ってたな」
「順風満帆でいいね」
「鹿島さんは……友達だと思ってた人に何を言われても気にしない人ならいいと思う。私は多少は傷ついて嫌になったかな。仲直りも中学の時に言ってきたけどさ、空気を読んで誰かを貶めることができる人と親しくなるなら空気が読めない人と仲良くなりたい」
私が席を立つと彼女が歩き出す。
「自分の為にキスをした。そう言ってたけど、私も自分がしたいからあなたにキスをしてみた」
彼女の唇を見て自分の顔が赤くなるのを感じる。
鈴蘭の顔を真っ直ぐに見つめた。
「中学の時……いじめられて正直面白くなかった。家で一人になって考えても結論は変わらないと思う。悲しかったけど、受け入れて前に進むしかないの。そうじゃないと私が許せない……だから……だから私は好きな人としたキスをいじめていた女子にした」
「嫌がらせとしては乱暴ね」
「別に誰も良かったの。男子にしたところで喜ぶかわからなかったけど、明確な敵意を示していたのは女子だったから」
あの三人にしたのはクラス内で有名な人だったからで主犯だと確信はなかった。直感のようなものだが一人ぐらい当たっていると思いたい。
もしも違っていたら謝ればいいが、その機会が訪れるように動くこともしなかった。結局私も誰かを貶める人と本質的には変わらなかったということだ。
「私は誰でもいいわけじゃなかった」
彼女が近づくも私は後ずさりする。
「気持ち悪い女とキスなんておかしいよ」
彼女は真面目な顔になる。
「私は二度と歯向かわないようにキスすることはない。意地悪されたからお返しをしようとも思わないよ。私空気読めないし」
「普通人前でやるわけないからね」
「岸辺さんには一度はっきり言っておくね。冗談でも好きじゃない人とキスなんてしないで。これは友達としての忠告」
「私達って友達なの?」
「同じ気持ち悪いことをした同士で友達になるのっていいと思うよ」




