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第9話 炎に舞う正義

 聖剣が、俺に語りかけた。


「お前は、何のために戦う?」


 炎の立ちのぼる村を前に、俺は答えられなかった。それでも、剣を抜いた。


 ◇


 その異様な静けさに気づいたのは、村の外れに差し掛かった時だった。


「……鳥がいない」


 俺は立ち止まった。いつもなら鳥の囀り、虫の音、風に揺れる木々のざわめきが森を満たしているはずなのに、今は違った。まるで森全体が死んでいるような静寂が俺たちを包んでいる。


「動物たちが逃げてる……」


 レイナの唇が微かに震える。その手が、無意識に剣の柄を握りしめていた。


「何かが、来る」


 アリアはドラゴンの鋭敏な感覚で、俺たちよりも先に異変を察知していた。金色の瞳が光り、表情が険しくなる。だが、その奥に一瞬だけ、人間を心配するような色が見えた。


「血の匂い。たくさんの血だ……人間の」


 俺の心臓が跳ね上がった。まさか――


 その時、遠くから立ち上る黒煙が見えた。オレンジ色の炎が夜空を染めている。


「村だ」


 俺たちは走った。


 ◇


 村に着いた瞬間、俺は言葉を失った。


 地獄だった。


 家々は炎に包まれ、村の中央広場では黒いローブを纏った信者たちが複雑な陣形を組んでいる。彼らの中央では、村人たちが縄で縛られ、怯えた顔で身を寄せ合っていた。


「記憶よ、血に宿れ!」


「魂よ、〈原初の記録核グラナ=ル〉に刻まれし痛みに共鳴せよ!」


 狂信的な叫び声が夜空に響く。


「三十人は超えてるな」


 俺は素早く数を数えた。外側に戦士型の信者、内側に魔術師らしき者たち。完全に組織化された布陣だ。


「いいじゃない」


 レイナが舌なめずりをする。だが、その瞬間、彼女の顔が一瞬青ざめるのを俺は見逃さなかった。まるで自分の言葉に嫌悪感を抱いているかのように。


「久しぶりに本格的な戦いができる」


 嘘だ。レイナは震えている。戦うことに興奮しているのではなく、戦わなければならないことを恐れているのだ。


 その時、村の奥から子供の泣き声が聞こえた。


「お母さん!助けて!」


 俺の血が逆流した。刑事時代の記憶が蘇る――あの時守れなかった小さな命。俺は迷い、躊躇し、そして田中を失った。


『今度こそ』


 俺の心の奥で、決意が固まる。


『今度こそ、守り抜く』


「行くぞ」


 俺は既に駆け出していた。


 ◇


 村の中央広場では、カルト信者たちが異様な儀式を続けていた。彼らが囲む中央に、七、八歳ほどの少女が一人、炎に包まれた家屋の前で泣いている。


「お母さん!お母さん!」


「おい、そこの侵入者ども!」


 カルト信者の一人が俺たちに気づく。瞬く間に、十数人の信者が俺たちを取り囲んだ。だが、その布陣は明らかに対ドラゴン戦を想定したものだった。


「ドラゴンの血よ」


 信者のリーダー格らしき男が近づいてくる。深い皺に刻まれた顔、痩せこけた体。だが、その瞳だけは異様に輝いている。その瞳の奥には、消えることのない憎悪の炎が宿っていた。


「ようやく姿を現したな。我らが待ち望んだドラゴンの血が」


「その子を離せ」


 俺は聖剣を抜く。青白い光が辺りを照らす。


「子供に罪はない」


 リーダーが哀れむような笑みを浮かべる。


「罪?君は何も理解していない。私にも息子がいた」


 彼が懐から小さな木彫りの馬を取り出す。子供の手作りらしく、いびつで愛らしい形をしていた。


「レンという名前だった。七歳の、この子と同じくらいの可愛い息子が」


 リーダーの声が震える。木彫りの馬を握る手が白くなるまで力が込められている。


「三年前、ヴァンデル伯爵とミューラ侯爵の領土争いがあった。戦場から離れた小さな村だったのに、伯爵の傭兵団が食料調達のために襲撃してきた」


 俺の胸に、鈍い痛みが走った。


「レンは隠れていた。納屋の奥で、震えながら、それでも私を信じて待っていた。『お父さんが必ず助けに来る』って」


 リーダーの瞳から涙が一筋流れる。


「でも私は商人だった。剣を持つことも、戦うこともできない。隠れて、息を殺して、息子の悲鳴を聞いているしかできなかった」


「それは……辛かっただろう」


 俺は心から言った。田中を失った時の無力感が蘇る。


「辛い?」


 リーダーが首を振る。その表情が急激に歪む。


「辛いなんて言葉じゃない。息子は最期まで『お父さん』と呼んでくれた。血を吐きながら、『お父さん、痛いよ』って」


 リーダーが懐から黒い石を取り出した。それは不気味に脈打ち、触れただけで魂が汚れそうな邪悪なオーラを放っていた。


「その時だ。アシュヴィン様が現れた。『君の息子の痛みを、決して無駄にしてはならない』と言って、これを授けてくださった」


 石が光る。〈原初の記録核グラナ=ル〉――俺は夢で見たことがある名前だった。


「これは息子の最期の記憶を宿している。痛みも、苦しみも、そして――私への信頼も」


 ◇


「黒崎、待って!」


 アリアの声が響く。だが、俺の決意は揺るがない。


「あの子を助ける。それが俺の――」


 記録核から黒い光が放たれる。俺の頭の中で、幼い少年の声が響いた。


『お父さん、どこ?痛いよ、お父さん……』


 と同時に、別の記憶も蘇る。あの日、俺が守れなかった子供の顔。田中が最期に言った言葉。


「聞こえるだろう?息子の声が」


 リーダーの声が震える。


「この世界は腐っている。貴族たちの争いの犠牲になるのは、いつも罪のない子供たちだ。だからこそ、すべてを破壊し、呪われし神ナスラの力で作り直さねばならない」


「君も同じだ」


 リーダーが俺を見据える。


「君の心にも、守れなかった者の記憶があるだろう?その痛みを、私は理解できる」


 記録核の力で、俺の記憶が蘇る。田中の死、刑事時代の失敗、守れなかった命――


 だが、その時、俺の脳裏に別の記憶も浮かんだ。アリアの笑顔、レイナとの語らい、昨夜救った村人たちの感謝の表情。


「だが、私は諦めない」


 俺は聖剣を構える。


 戦闘が始まった。


 ◇


 リーダーが記録核を掲げると、信者たちの陣形が変化する。明らかに対ドラゴン戦術だった。


「アリア!上からは危険だ!」


 俺の警告と同時に、魔術師集団が一斉に呪文を唱える。空中に巨大な魔法陣が浮かび上がり、アリアの飛行を妨害する光の網が展開された。


「くっ!」


 アリアが地上に降りざるを得なくなる。


「お前、バカなの!?」


 アリアが俺に向かって叫ぶ。だが、その声には怒りと同時に心配が混じっていた。


「一人で突っ込んでどうするのよ!」


「でも、あの子が――」


「私たちがいるでしょ!」


 アリアの瞳が潤む。


「あなたが死んだら、私は――」


 その時、レイナが俺たちの間に割って入る。


「いちゃつくのは後!今は戦闘よ!」


 だが、俺は気づいた。レイナの手が微かに震えていることに。


「レイナ、無理しなくていい」


「は?何それ」


 レイナが苦笑いする。


「私は殺しのプロよ。これくらい――」


 だが、彼女が信者に剣を向けた瞬間、一瞬だけ躊躇するのを俺は見た。


 戦闘が本格化する。


 俺は記録核の幻影と戦いながら、リーダーとの一騎討ちに持ち込んだ。アリアは地上から炎を吐いて信者たちを牽制し、レイナは影に紛れて敵を翻弄している。


 だが、状況は厳しかった。敵は組織的で、明らかに俺たちの戦術を研究している。


「君は理解していない」


 リーダーが魔術で俺を攻撃しながら言う。


「この世界は『作られた嘘』で動いている」


 俺の動きが鈍る。幻影に惑わされ、リーダーの魔術が俺を直撃した。


「ぐあっ!」


 俺は吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。


「黒崎!」


 アリアとレイナの叫び声が聞こえる。


 リーダーがゆっくりと俺に近づいてくる。


「それでも」


 俺は這いつくばったまま呟く。


「それでも、俺が信じたものが嘘でも構わない。信じたってことに、意味があるんだ」


 俺はゆっくりと立ち上がった。


 その時、思いもよらぬことが起こった。


 村の外れから、松明の明かりが見えた。


「援軍だ!」


 レイナの盗賊仲間たちが、村人の避難を助けながら駆けつけてきたのだ。


「レイナの旦那!状況は!?」


「悪くない!子供たちは安全な場所に避難させた!」


 レイナが振り返る。


「私、昨日の夜に仲間に連絡してたの。何かあった時のために」


 彼女の判断力に、俺は改めて感服した。


 援軍の到着で戦況が変化する。信者たちの注意が分散され、俺たちに反撃のチャンスが生まれた。


 その時、アリアとレイナの声が頭の中に響いた。


『黒崎、あなたは一人じゃない。私たちがいる』


『今度は違うよ、黒崎。今度は俺たちが一緒に戦う』


 俺は聖剣を両手で握り締める。剣から放たれる青白い光が、記録核の黒い光と拮抗している。


「あなたの息子さんは」


 俺はリーダーに向かって歩き始める。


「父親が復讐に生きることを望んでいるのか?」


 リーダーの動きが止まる。


「子供というのは、親の笑顔を見たがるものだ。レンくんは、お父さんがそんなに悲しい顔をしているのを見て、天国で喜んでいるのか?」


 記録核の表面に、幼い男の子の笑顔がちらりと映った。木彫りの馬を抱えて、嬉しそうに笑っている少年の姿が。


「やめろ……やめてくれ」


 リーダーの声が震える。


「息子は……息子は私に『笑って』と言っていた。最期に『お父さん、泣いちゃだめ』って」


「それが答えだろう」


 俺は優しく言った。


「レンくんは、お父さんに笑顔でいてほしかった。復讐なんて望んでいない」


「でも……でも、このままじゃ息子の死が無駄になる!」


「無駄にならない」


 俺は全力で前進し、聖剣をリーダーの胸に向けて突く。


「今度は一人じゃない」


 聖剣の光が強くなる。


『ようやく答えが見つかったか』


 剣から確かに声が聞こえた。


「ああ。守りたいからだ。俺たちの日常を、仲間を、未来を――そして、もう二度とレンくんのような子供を作らないために」


『良い答えだ』


 聖剣から声が響く。


「ぐああああ!」


 リーダーが血を吐きながら倒れる。〈原初の記録核グラナ=ル〉も同時に砕け散り、黒いオーラが消失した。


 その時、石の破片から光が溢れ出し、そこに幼い少年の姿が現れた。レンは優しく微笑み、父親の頬に手を当てた。


『お父さん、もういいよ。ありがとう』


 少年の姿は光の粒となって消えていく。リーダーの表情から狂気が消え、代わりに安らかな笑みが浮かんだ。


「レン……息子よ、許してくれ」


 リーダーは静かに息を引き取った。


 ◇


 戦いが終わった後、俺たちは燃え残った村を見渡していた。


「よくやったな、黒崎」


 レイナが俺の隣に来る。その表情は、いつもの軽薄さではなく、真摯なものだった。


「……ねぇ、黒崎。私、今日初めて思った」


 彼女が俺を見る。


「戦いって、守るためにするものなんだね。今まで勘違いしてた」


 アリアが俺の反対側に立つ。


「私も。人間を信用できなくて、いつも裏切られることばかり考えてた。でも――」


 救助された村人たちが俺たちに向かって頭を下げている。怖がらずに、心からの感謝の表情を浮かべて。


「あの人たち、私を恐れてない。ドラゴンの私に、ありがとうって言ってくれてる」


 アリアの目に涙が浮かぶ。


「あなたたちを信じてみたい。人間という種族を、もう一度」


 俺は胸が熱くなった。


「〈原初の記録核グラナ=ル〉は、古の邪神ナスラの神殿で使われていた遺物の一つ」


 アリアが口を開く。


「アシュヴィンがナスラを復活させようとしているなら、きっと他にも集めているはず。そして――」


 アリアが一瞬、表情を曇らせる。


「私の血が、何か重要な役割を果たすらしい」


「アリア?」


「実は、最近よく夢を見るの。古い神殿で、祭壇の上に横たわる私の姿を。そして、私の血が石に注がれて――」


 アリアが震える。


「もしかしたら、私がアシュヴィンの最終目的なのかもしれない」


 俺とレイナは顔を見合わせた。


「だったら尚更だ」


 俺は強く言った。


「俺たちが君を守る」


「でも、あなたの聖剣の光が記録核を浄化した。それは大きな希望よ」


 レイナが苦笑いする。


「感動的な話はそこまで。でも確かに、今日は良いチームワークだったね」


 ◇


 夜明け前、俺たちは燃え尽きた村を背にして歩いていた。


 振り返ると、廃墟となった家々の間から煙がまだ立ち上っている。救えた命もあれば、失われた命もある。それが現実だった。


「今日のことで分かった」


 レイナが大きく伸びをする。


「私、本当は強がってただけだった。戦うのが怖くて、でも弱い自分を認めたくなくて」


「でも、今は違う」


 アリアが星空を見上げる。


「私たちには、守るべきものがある」


 俺は二人を見る。


「君たちは俺にとって、かけがえのない人たちだ」


「私も」


 アリアが頬を赤らめる。


「あなたは、私にとってとても大切な人」


「あーあ、また始まった」


 レイナが呆れたように言う。だが、その声に嫌味はなかった。


「よし」


 レイナが手を前に差し出す。


「改めて、よろしく」


 俺たちは三人で手を重ねた。


『何のために戦う?』


 あの声が、また聞こえた。


 今なら、答えられる。


「守りたいからだ。俺たちの絆を、出会う人々を、そして――もう二度と、レンくんのような悲劇を生まないために」


 聖剣が微かに光る。


 廃墟となった村を背に、俺たちは新しい朝日に向かって歩き続けた。


 救えなかった命への想いを胸に刻み、これから救うべき命のために。


 道は長く、困難に満ちているだろう。だが、もう一人ではない。この絆がある限り、俺たちは負けない。


 その時、遠くの森から黒い煙が立ち上った。


「また……」


「行くぞ」


 俺は剣の柄に手を置く。


「今度は、絶対に間に合わせよう」


 俺たちは再び走り出した。廃墟を背負い、希望を胸に。

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