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第8話 洞窟の疑心(2)

 目を覚ましたのは、洞窟の入り口から差し込む光のせいだった。外は既に明るくなっており、雨も完全に止んでいる。鳥のさえずりが聞こえ、清々しい朝の空気が洞窟内に流れ込んでいた。


「おはよう、黒崎」


 レイナが既に起きており、身支度を整えていた。彼女の髪は既に乾いており、いつもの活発な雰囲気を取り戻している。


「もう朝か。よく眠れたか?」


「ぐっすりよ。あんたこそ、ちゃんと眠れた?」


「ああ、問題ない」


 俺が立ち上がると、アリアも目を覚ました。


「…朝か」


「おはよう、アリア」


「おはよう」


 彼女の返事は素っ気なかったが、昨夜の微笑みを思い出すと、それほど気にならなかった。むしろ、彼女なりの照れ隠しなのかもしれない。


「さあ、出発の準備をしよう」


 俺たちは手早く荷物をまとめ、洞窟を出た。外の空気は雨上がりで清々しく、山の緑が雨に洗われて鮮やかに見える。朝日が山々を照らし、美しい光景が広がっていた。


「いい天気になったね」


 レイナが伸びをしながら言った。


「ああ。絶好の戦闘日和だ」


 俺がそう答えると、アリアが小さく笑った。


「戦闘に天気など関係ないだろう」


「まあ、そうだが」


 俺たちは山道を下り始めた。レイナが先頭に立ち、地図を確認しながら進む。道は険しかったが、雨で滑りやすくなった岩場も、三人で協力して乗り越えていく。


 山道を歩きながら、俺は昨夜の出来事を振り返っていた。アリアがレイナを疑ったこと、そしてその後の和解。三人の関係は、確実に深まっているように感じられた。


「あと一時間くらいかな」


 レイナが振り返って言った。


「この調子なら、昼前には着きそうだ」


「昼前か…敵の警戒が薄い時間帯だな」


 俺がそう言うと、アリアが頷いた。


「不意を突けば、戦闘は短時間で終わる」


「でも、油断は禁物よ。カルトの連中、魔術を使ってくる可能性もあるし」


 レイナの指摘はもっともだった。俺は聖剣の柄に手を置き、いつでも戦えるよう心構えを固めた。


 山道を下ること約一時間。ようやく谷間が見えてきた。木々の隙間から、粗末な建物が見える。


「あれが拠点ね」


 レイナが指差した。確かに、平凡な小屋のように見える建物があった。しかし、よく見ると、周囲には木の柵が張り巡らされ、入り口には見張りらしき人影が見える。


「見張りは一人だけか」


 俺が確認すると、レイナが頷いた。


「思ったより警戒が薄いわね。これなら楽勝よ」


「慢心は禁物だ」


 アリアが警告した。


「カルトの連中は狡猾だ。罠を仕掛けている可能性もある」


「分かってる。慎重に行こう」


 俺たちは木陰に身を隠し、拠点の様子を観察した。建物は思ったより小さく、せいぜい十人程度しか収容できそうにない。見張りの男は槍を持っているが、緊張感は見られない。退屈そうにあくびをしている様子が見て取れた。


「作戦を確認しよう」


 俺が小声で言った。


「まず、レイナが見張りの注意を引く。その隙に俺が背後から近づいて無力化。アリアは建物の裏に回って、逃げ道を塞ぐ」


「了解」


 二人が頷く。


「それじゃあ、始めましょうか」


 レイナが立ち上がろうとした時、建物の中から数人の男が出てきた。黒い衣装に身を包んだ男たちは、何やら書類のようなものを手にして話し合っている。


「あれ?予想より人数が多いじゃない」


「計六人か」


 俺が数えると、確かに六人の男がいた。全員がカルトの黒い衣装を身に着けている。


「作戦変更だ」


 俺が二人を振り返った。


「レイナは建物の正面で囮になってくれ。俺とアリアで側面から攻める」


「囮って、あたし一人で六人を相手にするの?」


 レイナの声に、僅かな不安が混じった。


「逃げ回っていればいい。時間稼ぎができれば十分だ」


「…分かった。でも、あんまり長くは持たないからね」


「すぐに合流する」


 レイナが深呼吸をして、立ち上がった。その表情には、恐怖を押し殺した決意があった。


「よし、行くわよ」


 彼女は木陰から飛び出し、拠点に向かって駆け出した。


「おーい、誰かいませんかー!道に迷っちゃったんですけどー!」


 レイナの大声が谷間に響く。カルトの男たちが慌てて彼女の方を向いた。


「何だ、あの女は?」


「旅人か?」


 男たちがざわめく中、レイナは手をひらひらと振りながら近づいていく。その演技は見事で、本当に困った旅人のように見えた。


「今だ」


 俺とアリアは建物の側面に回り込んだ。木の柵を乗り越え、建物の影に身を隠す。


「アリア、魔術で建物内の人数を調べられるか?」


「…五人いる。全員、正面に気を取られているようだ」


「よし」


 俺は聖剣を抜いた。青白い光を放つ刀身が、日光を反射して輝く。


「建物の裏から入ろう」


 俺たちは建物の裏手に回った。小さな扉があり、鍵はかかっていない。俺がそっと扉を開けると、薄暗い室内が見えた。


 中は思ったより広く、テーブルや椅子が置かれている。壁には地図や資料が貼られ、明らかにカルトの活動拠点だった。そして、部屋の奥には大きな木箱がいくつも積まれている。


 男たちは全員、正面玄関の方を見ている。レイナの声が聞こえ、まだ囮作戦は続いているようだ。


「後ろから一人ずつ無力化していこう」


 俺が聖剣を構えると、アリアも戦闘態勢に入った。


 最初の男に忍び寄り、聖剣の柄で頭を殴って気絶させる。音を立てないよう、そっと床に横たえた。


 二人目、三人目も同様に無力化。残る二人が振り返った時には、俺たちは既に間合いを詰めていた。


「何だ、お前たちは!」


「侵入者だ!」


 男たちが武器を構えるが、もう遅い。俺は聖剣で一人の剣を叩き落とし、アリアが魔術で最後の一人を吹き飛ばした。


「レイナ、大丈夫か?」


 俺が外に向かって声をかけると、レイナの声が返ってきた。


「こっちはオーケー!そっちは?」


「片付いた!」


 建物の外では、レイナが見張りの男を相手にしていた。男は槍を振り回しているが、レイナの身軽さについていけずにいる。彼女は軽やかに跳び跳ねながら、男の攻撃をかわしていた。


「はい、お疲れ様」


 俺が背後から近づき、男を気絶させた。


「やっと終わったか」


 レイナがほっと息をついた。その額には汗が浮かんでいる。


「思ったより楽だったね」


「お疲れ様、レイナ。見事だった」


 俺がそう言うと、レイナの顔がぱっと明るくなった。


「えへへ、褒められちゃった」


「油断するな。まだ終わっていない」


 アリアが建物の中を指差した。


「あの資料を調べる必要がある」


 俺たちは建物の中に戻り、壁に貼られた資料を確認した。地図、人員配置図、物資の一覧表。そして、一枚の羊皮紙が俺の目を引いた。


「これは…」


 羊皮紙には「血の祭壇」と書かれ、詳細な儀式の手順が記されている。文字は流麗で、どこか詩的な響きを持っている。


「アリアの血を使った邪神復活の儀式か」


「どこで行うつもりなんだろう?」


 レイナが羊皮紙を覗き込んだ。


「ここに場所が書いてある」


 俺が地図を指差すと、「聖なる遺跡」という場所に印が付けられていた。


「聖なる遺跡…俺たちが聖剣を手に入れた場所じゃないか」


「そこで儀式を行うつもりなのか」


 アリアの表情が険しくなった。そして再び、彼女の首筋が微かに光った。


「いつ行うかは書いてないのか?」


 レイナが他の資料を調べていたが、首を振った。


「詳細な日程は別の場所で管理してるみたい」


「この資料を持ち帰ろう。他にも重要な情報があるかもしれない」


 俺が羊皮紙をまとめていると、アリアが物資の箱を調べていた。


「薬草や魔術の触媒がある。こちらも持って行こう」


「金目の物は…あ、これいいじゃない」


 レイナが小さな宝石を手にして、にっこりと笑った。


「これ一個で、しばらく食いっぱぐれないよ」


「盗賊の本性が出てるぞ」


 俺が苦笑いすると、レイナが肩をすくめた。


「職業病ってやつよ。でも、カルトの資金源を断つことにもなるし、一石二鳥でしょ?」


 確かに、彼女の言い分にも一理ある。俺は他の箱も調べてみることにした。


「おい、これを見てくれ」


 アリアが奥の箱から、黒い巻物を取り出していた。巻物は古く、表面に不気味な文様が刻まれている。


「何が書いてあるんだ?」


 俺が巻物を広げると、そこには見覚えのある文字が踊っていた。


「これは…アシュヴィンの直筆じゃないか」


 文字は流麗で、どこか詩的な響きを持っている。しかし、その内容は薄ら寒いものだった。


『血の祭壇における最終儀式について』


『黒き月が昇る時、鍵を連れよ』


 その一行を読んだ瞬間、アリアの身体が僅かに震えた。


「誰だよ、この気取った筆跡」


 レイナが皮肉めいて言ったが、アリアが即座に答えた。


「アシュヴィンだ」


 その名前が口にされた瞬間、洞窟の空気が一気に重くなった。


 俺は巻物を読み続けた。


『ドラゴンの血は、邪神の復活に不可欠である。しかし、単に血を流すだけでは不十分。供物となるドラゴンの絶望と怒りが、邪神の力を最大限に引き出す』


『故に、儀式の前に、ドラゴンの心を完全に折る必要がある。最も愛する者の死を目の前で見せつけ、希望を完全に断ち切るのだ』


 俺は巻物を読みながら、背筋が寒くなるのを感じた。


「こいつ、アリアを絶望させるために、俺たちを殺すつもりなのか」


「どういうことだ?」


 アリアが俺の肩越しに巻物を覗き込もうとしたが、俺は巻物を彼女から隠そうとした。しかし、アリアの動きの方が速かった。


「…なるほど、そういうことか」


 アリアの表情から血の気が引いた。


「アシュヴィンは、私の絶望を利用するつもりなのだな」


「アリア…」


 俺が手を伸ばそうとしたが、アリアは一歩後ずさった。


「構わん。どのみち、奴との決着は避けられない」


 アリアは冷静を装っているが、その手が僅かに震えているのを俺は見逃さなかった。


「心配するな、アリア。俺は絶対に死なない。お前を絶望させるような真似はさせない」


「約束できるのか?」


 アリアの瞳が、俺を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、恐怖と希望が入り混じっている。


「ああ、約束する」


 俺の言葉に、アリアの表情が少し和らいだ。


「では、信じよう」


「おーい、二人とも」


 レイナが窓の外を見ながら声をかけた。


「そろそろ撤退した方がいいんじゃない?他の拠点から援軍が来るかもしれないし」


「そうだな。必要な物は全て回収した」


 俺は巻物を懐にしまい、立ち上がった。


「建物は燃やすか?」


「いや、あまり派手にやらない方がいい。レイナの言う通り、他の拠点に警戒される」


「じゃあ、このまま立ち去りましょう」


 俺たちは建物を出て、来た道を戻り始めた。しかし、谷の出口近くで、レイナが急に立ち止まった。


「あれ?」


「どうした?」


「あそこ、誰かいない?」


 レイナが指差した方向を見ると、確かに人影が見えた。黒いローブを身に着けた人物が、木陰に隠れるようにして立っている。


「カルトの見張りか?」


「でも、なんで隠れてるんだ?」


 俺が聖剣に手をかけると、人影がゆっくりと姿を現した。


 現れたのは、意外にも若い女性だった。年齢は二十代前半といったところか。黒いローブを着てはいるが、カルトの戦闘員という感じではない。その顔は青白く、明らかに恐怖に震えている。


「あ、あの…」


 女性は震え声で話しかけてきた。


「あなたたちが、カルトの拠点を襲った方たちですか?」


 警戒しながらも、俺は答えた。


「そうだが、君は何者だ?」


「わ、私は…私は、カルトに捕らわれていた者です」


 女性はローブのフードを下ろした。栗色の髪に青い瞳、整った顔立ちをしている。しかし、その表情には深い恐怖が刻まれていた。


「助けてください」


 女性は俺たちの前に跪いた。


「私は、隣の村の者です。カルトの連中に連れ去られ、儀式の生贄にされるところでした」


「生贄?」


 アリアが眉をひそめた。


「どのような儀式だ?」


「血の儀式です。若い女性の血を使って、何かを召喚するとか…詳しいことは分かりませんが」


 女性の話を聞きながら、俺は違和感を覚えた。何かがおかしい。刑事時代の勘が警鐘を鳴らしている。だが、具体的に何がおかしいのかは分からない。


「君の名前は?」


「マ、マリアです」


「マリア、君はどうやってここから逃げ出したんだ?」


 俺の質問に、マリアは慌てたように答えた。


「あの、拠点が襲われた時の混乱で…鎖が外れて、なんとか逃げ出せたんです」


「なるほど」


 俺は頷いたが、心の中では疑念が膨らんでいた。もし本当に囚われていたなら、なぜ拠点の近くにいるのか。普通なら、できるだけ遠くへ逃げるはずだ。


「マリア、君の村はどこにあるんだ?」


「こ、この谷の向こうです」


「案内してくれるか?君を家族の元に送り届けたい」


 俺の提案に、マリアの顔が青ざめた。


「い、いえ、それには及びません。一人で帰れますから」


「危険だ。カルトの残党がまだいるかもしれない」


「だ、大丈夫です。本当に」


 マリアの慌てように、俺の疑念はさらに深まった。


「黒崎」


 レイナが小声で俺に囁いた。


「この女、何かおかしくない?話が矛盾してるよ」


「ああ、俺もそう思う」


 俺がマリアを見つめていると、彼女の表情が次第に変化していった。最初の恐怖は消え、代わりに冷たい笑みが浮かんだ。


「…気づかれてしまいましたね」


 マリアの声が、急に低くなった。


「やはり、元刑事は侮れませんね」


「正体を現したな」


 俺が聖剣を抜くと、マリアは後ろに下がった。


「私の名前はマリアではありません。カルトの魔術師、ルーナです」


「魔術師だと?」


 アリアが戦闘態勢を取った。


「拠点にいた連中とは格が違うということか」


「その通りです。あの拠点は囮。本当の目的は、あなたたちをここにおびき寄せることでした」


 ルーナが両手を上げると、周囲の空気が急に重くなった。魔術の気配が濃厚になっていく。


「アシュヴィン様の命令で、ドラゴンの血を採取するよう言われています」


「させるか!」


 俺が聖剣を振りかぶると、ルーナは詠唱を始めた。


「『闇よ、我が意志に従い、敵を縛れ』」


 突然、俺の足元から黒い触手のようなものが現れた。それは俺の足首に絡みつき、動きを封じようとする。


「くそっ!」


 俺は聖剣で触手を切り払ったが、すぐに新しい触手が現れた。


「黒崎!」


 レイナが短剣を投げ、ルーナの詠唱を妨害しようとしたが、ルーナは魔術の盾でそれを防いだ。


「無駄です。あなたたちでは、私の魔術には対抗できません」


「それはどうかな」


 アリアがドラゴンの姿に変身した。巨大な黒い体躯が、谷間を覆い隠す。彼女の瞳が金色に輝き、威圧的な雰囲気を放っている。


「ドラゴンの炎を受けてみろ!」


 アリアが口から炎を吐くが、ルーナは再び魔術の盾で防御した。しかし、その盾にはひびが入っている。


「流石はドラゴン…ですが」


 ルーナが新たな詠唱を始めた。


「『古き契約に従い、眠れる者よ、目覚めよ』」


 すると、地面から巨大な骸骨の戦士が現れた。高さは三メートルほどで、朽ちた剣と盾を持っている。その眼窩からは不気味な赤い光が放たれている。


「アンデッドか!」


 俺は聖剣を構え直した。聖剣の光がアンデッドに当たると、それは苦悶の声を上げた。


「聖剣の光は、アンデッドの天敵だ!」


 俺はアンデッドに斬りかかった。聖剣の一撃で、骸骨の左腕が砕け散る。しかし、アンデッドは怯むことなく、右手の剣を俺に向かって振り下ろした。


 しかし、ルーナは怯むことなく、さらなる詠唱を続けた。


「まだまだ…『地の底より、死者の軍勢よ』」


 今度は五体のアンデッドが現れた。俺は一人で複数の敵を相手にしなければならない。


「レイナ、アリア!」


「分かってる!」


 レイナが素早く動き回り、アンデッドの注意を引く。彼女の身軽さは見事で、アンデッドたちの鈍い動きを翻弄している。アリアは炎でアンデッドを焼き払おうとするが、魔術で強化された骸骨は簡単には倒れない。


「くそ、きりがない!」


 俺が聖剣で二体目のアンデッドを倒すと、ルーナが高笑いした。


「無駄な抵抗です。私の魔術は無限に…」


 その時、ルーナの詠唱が突然止まった。


「な、何?」


 彼女の足元を見ると、細い針金のようなものが巻き付いている。


「今よ、黒崎!」


 レイナが叫んだ。彼女が盗賊の技術で、ルーナの足を罠にかけていたのだ。


 俺は聖剣を構え、ルーナに向かって駆け出した。


「させませんよ!」


 ルーナは最後の詠唱を試みるが、俺の方が速かった。聖剣の一撃が、ルーナの杖を真っ二つに折る。


「あぁぁぁ!」


 魔術の力が暴走し、ルーナは地面に倒れ込んだ。アンデッドたちも、術者の力を失って崩れ落ちる。


「やったな、レイナ!」


 俺が振り返ると、レイナがにっこりと笑った。


「このくらい朝飯前よ」


 そう言いながらも、彼女の額には汗が浮かんでいる。


「終わったか…」


 俺が息を整えていると、倒れたルーナがうめき声を上げた。


「ま、まだ終わりません…アシュヴィン様の計画は…」


「アシュヴィンの計画とは何だ?」


 俺がルーナに詰め寄ると、彼女は苦笑いを浮かべた。


「教えるとでも思いますか?」


「ならば、力ずくで…」


「その必要はない」


 アリアが人間の姿に戻り、ルーナの前に立った。


「この女の記憶を読めばいい」


「記憶を読む?」


「ドラゴンの能力の一つだ。相手の心を覗くことができる」


 アリアがルーナの額に手を当てると、ルーナは恐怖に顔を歪めた。


「や、やめてください!」


「黙れ」


 アリアの瞳が金色に光った。数秒後、彼女は手を離した。


「どうだった?」


「…悪い知らせだ。アシュヴィンの計画は、俺たちが思っていたより早く実行される」


「どういうことだ?」


「三日後の新月の夜。聖なる遺跡で、血の儀式が行われる」


 俺は愕然とした。三日後といえば、すぐそこだ。


「それまでに、俺たちは何とか阻止しなければならない」


「でも、どうやって?アシュヴィンの本拠地がどこにあるか分からないし」


 レイナの指摘はもっともだった。敵の居場所が分からなければ、先手を打つことはできない。


「いや、方法がある」


 アリアが立ち上がった。


「奴が儀式を行うなら、必ず聖なる遺跡に来る。そこで待ち伏せればいい」


「それは危険すぎる」


 俺が反対すると、アリアは首を振った。


「他に方法はない。それに、聖なる遺跡なら地形も分かっている」


 確かに、アリアの言う通りかもしれない。しかし、敵の本拠地で待ち受けるようなものだ。


「分かった。だが、十分に準備をしてからだ」


「当然だ」


 レイナが倒れているルーナを見下ろした。


「この女はどうする?」


「放っておけ。杖を失った魔術師など、大した脅威ではない」


 アリアが冷たく言い放った。


 俺たちはルーナを置き去りにし、その場を後にした。谷を抜け、山道を登りながら、俺は今後の計画を考えていた。


 三日後の決戦。俺たちに勝機はあるのだろうか。アシュヴィンは強力な魔術師で、おそらく多くの部下を従えている。


 だが、俺には守るべきものがある。アリアを、レイナを、そしてこの世界の人々を守らなければならない。


「黒崎」


 アリアが俺の隣に並んで歩いた。


「さっきの約束、本当に守れるのか?」


「どの約束だ?」


「絶対に死なないという約束」


 俺は立ち止まり、アリアの瞳を見つめた。


「ああ、絶対に守る。俺はお前を悲しませるために、この世界に来たんじゃない」


「では、私も約束しよう」


 アリアが微笑んだ。


「私も死なない。お前を一人にはしない」


 その笑顔を見て、俺の心に温かいものが広がった。この感情は、確実に恋だった。


「ありがとう、アリア」


「お礼を言うのは、まだ早い。全てが終わってからにしろ」


「そうだな」


 俺たちは再び歩き始めた。レイナが前方で鼻歌を歌いながら歩いている。彼女の気楽さが、重い雰囲気を和らげてくれる。


「でも、黒崎」


 レイナが振り返った。


「あんたたち、いい感じじゃない」


「何がだ?」


「とぼけちゃって。見てて微笑ましいよ」


 レイナの茶化しに、俺とアリアは同時に赤くなった。


「余計なことを言うな」


 アリアが慌てて言うが、その表情はまんざらでもなさそうだった。


「それにしても」


 レイナが急に真面目な顔になった。


「アリア、さっきあんたが黒崎を庇おうとした時…あたし、ちょっと見直したよ」


「庇った?」


 アリアが困惑する。


「魔術師との戦いの時、黒崎が触手に絡まれた時のことよ。あんたの表情、すごく心配そうだった」


 レイナの指摘に、アリアの頬が赤くなった。


「べ、別に…」


「素直じゃないなあ。でも、それもあんたらしいか」


 レイナがくすくすと笑った。


 俺たちは山を登り続け、やがて夕暮れの空が見えてきた。今日は長い一日だった。カルトの拠点を襲撃し、重要な情報を入手し、魔術師との戦闘を切り抜けた。


 そして何より、俺とアリアの関係が、また一歩前進したような気がしていた。


「今夜は、どこで野営する?」


 レイナが尋ねた。


「あの岩場の陰がよさそうだ」


 俺が指差すと、二人とも同意した。


 俺たちは岩場の陰に荷物を下ろし、焚き火の準備を始めた。今夜も長くなりそうだった。三日後の決戦に向けて、しっかりと準備をする必要がある。


 レイナが薪を集めている間、俺はアシュヴィンの巻物をもう一度読み返した。その詩的でありながら不気味な文章が、俺の心に重くのしかかる。


「黒崎」


 アリアが俺の隣に座った。


「その巻物のことだが…」


「心配するな。俺は絶対に死なない」


 俺がそう言うと、アリアは小さくため息をついた。


「お前は分かっていない。アシュヴィンの狡猾さを」


「どういう意味だ?」


「奴は、私がお前たちを大切に思っていることを知っている。だから、わざとお前たちを危険にさらして、私を苦しめようとするのだ」


 アリアの声には、深い苦痛が込められていた。


「それなら、なおさらだ。俺たちは負けるわけにはいかない」


「しかし—」


「アリア」


 俺は彼女の手を握った。彼女の手は冷たく、僅かに震えている。


「俺を信じてくれ。俺は必ずお前を守る」


 アリアが俺を見つめた。その瞳には、不安と希望が入り混じっている。


「…分かった。信じよう」


 その時、レイナが薪を抱えて戻ってきた。


「おっと、お取り込み中?」


「違う」


 俺とアリアが同時に言うと、レイナがにやりと笑った。


「はいはい、分かってますよ」


 焚き火に火が灯ると、辺りが温かい光に包まれた。俺たちは火を囲んで座り、今日の出来事を振り返った。


「それにしても、レイナの足の罠は見事だった」


 俺がそう言うと、レイナが得意そうに胸を張った。


「でしょ?盗賊の技術を舐めちゃダメよ」


「お前がいなければ、あの魔術師を倒すのは困難だった」


 アリアが素直に認めた。


「えー、アリアからそんなこと言われるなんて」


 レイナが照れたように頬を赤らめた。


「あたし、ちょっと感動しちゃった」


「調子に乗るな」


 アリアがそっけなく言うが、その表情は柔らかい。


 俺は二人のやり取りを見ながら、心が温かくなるのを感じていた。最初はぎくしゃくしていた三人の関係が、徐々に本当の仲間になっていく。


「しかし、三日後か…」


 俺が呟くと、場の空気が再び重くなった。


「準備する時間は十分にある」


 アリアが立ち上がった。


「私は少し、ドラゴンの力を整えてくる」


「一人で大丈夫か?」


「心配無用だ」


 アリアは岩場の向こうに姿を消した。やがて、大きな羽音が聞こえ、空に黒いドラゴンの影が舞い上がった。


「すげぇな、やっぱり」


 レイナが空を見上げながら呟いた。


「何度見ても慣れないよ」


「ああ」


 俺も同感だった。アリアがドラゴンの姿になると、その圧倒的な存在感に圧倒される。


「でも、黒崎」


 レイナが俺の方を向いた。


「あんた、本当にアリアを愛してるんだね」


 突然の言葉に、俺は戸惑った。


「愛って…」


「隠さなくていいよ。さっき手を握った時のあんたの顔、すごく優しかった」


 レイナの言葉に、俺は自分の気持ちと向き合った。確かに、俺はアリアを愛している。彼女の笑顔を見た時の喜び、彼女が危険にさらされた時の恐怖。それは間違いなく愛だった。


「ああ、そうだ。俺はアリアを愛している」


 俺が素直に認めると、レイナが微笑んだ。


「良かった。ちゃんと自分の気持ちを認められて」


「レイナ…」


「でもね、黒崎」


 レイナの表情が急に寂しそうになった。


「あたしも、ちょっと嫉妬しちゃうな」


「え?」


「あんたみたいな人に愛されるアリアが、羨ましいよ」


 レイナの言葉に、俺は胸が痛んだ。彼女の過去に何があったのかは分からないが、きっと辛い経験をしてきたのだろう。


「レイナ、お前だって…」


「大丈夫、大丈夫」


 レイナが手を振って俺の言葉を遮った。


「あたしは一人でも平気だから。慣れてるしね」


 そう言いながらも、彼女の笑顔は少し無理をしているように見えた。


「でも、お前は一人じゃない」


 俺がそう言うと、レイナが驚いたような顔をした。


「俺たちがいる。お前は大切な仲間だ」


「黒崎…」


 レイナの目に涙が浮かんだ。


「ありがと。そんなこと言ってもらえるなんて思わなかった」


「当然のことだ」


 俺がそう言うと、レイナが小さく笑った。


「あんたって、本当にいい人だね」


 その時、空からアリアが舞い降りてきた。人間の姿に戻った彼女は、少し疲れたような表情をしている。


「お疲れ様」


 俺が声をかけると、アリアが頷いた。


「力の調整は終わった。明日からの準備に集中できる」


「そういえば、準備って具体的に何をするんだ?」


 レイナが尋ねた。


「まず、聖なる遺跡の地形を詳しく調べる必要がある」


 アリアが火のそばに座りながら答えた。


「それから、アシュヴィンがどれだけの戦力を連れてくるかも予測しなければならない」


「情報収集が必要だな」


 俺が頷くと、レイナが手を上げた。


「それなら任せて。あたしの仲間たちに頼めば、色々分かるかも」


「頼む」


「でも、一番重要なのは…」


 アリアが俺を見つめた。


「お前の聖剣の力をさらに引き出すことだ」


「聖剣の力?」


「今のお前では、アシュヴィンには勝てない。聖剣にはまだ隠された力があるはずだ」


 アリアの言葉に、俺は聖剣を見つめた。確かに、まだ完全に使いこなせていない感覚がある。


「どうすればいいんだ?」


「修行だ。明日から、私がお前を鍛えてやる」


 アリアの宣言に、俺は身が引き締まる思いがした。


「厳しくなりそうだな」


「当然だ。手加減はしない」


 アリアの口元に、僅かに笑みが浮かんだ。


「楽しみにしてるよ」


 レイナが茶化すように言った。


「アリアの特訓なんて、想像するだけで恐ろしいわ」


「お前にも役目がある」


 アリアがレイナを見た。


「情報収集と、非常時の撤退ルートの確保だ」


「了解。任せといて」


 こうして、俺たちは三日後の決戦に向けて、それぞれの準備を始めることになった。


 焚き火の炎が小さくなってきたので、俺は薪を追加した。炎が再び大きくなり、俺たちの顔を照らす。


「しかし、不思議だな」


 俺が呟くと、二人が俺を見た。


「何がだ?」


 アリアが尋ねる。


「俺は元々、一人で生きてきた。刑事をやめてからは特にな。でも、今は違う」


 俺は二人を見回した。


「お前たちがいるから、戦える。守りたいものがあるから、強くなれる」


「黒崎…」


 レイナが感動したような表情を浮かべた。


「あたしも同じよ。一人だった時は、ただ生きることだけ考えてた。でも今は違う」


「私も…」


 アリアが小さく呟いた。


「長い間、人間を信じることができなかった。でも、お前たちと出会って…」


 彼女の言葉は途中で途切れたが、その表情には確かな信頼が浮かんでいた。


「よし、それじゃあ改めて誓おう」


 俺が立ち上がった。


「三日後、俺たちは必ず勝つ。そして、この世界を守る」


「おう!」


 レイナも立ち上がって拳を突き上げた。


「当然だ」


 アリアも立ち上がり、決意に満ちた表情を見せた。


 三人で拳を合わせ、俺たちは誓いを新たにした。


 夜が深くなり、俺たちはそれぞれ休息を取ることにした。しかし、俺はなかなか眠りにつけずにいた。


 明日から始まる修行、そして三日後の決戦。不安がないと言えば嘘になる。


 だが、同時に希望もあった。アリアとレイナという仲間がいる限り、俺は諦めない。


「必ず勝つ」


 俺は小さく呟き、ゆっくりと目を閉じた。明日への準備のために、今は休息が必要だった。


 焚き火の炎が静かに揺れる中、俺たちは運命の三日間に向けて、最後の平穏な夜を過ごしていた。

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