第1話 雨と子猫と、まあ、俺。
「はー……今日も今日とて、イベント発生率ゼロ%」
俺、相川健太の人生は、たぶん超イージーモードだ。ただし、退屈っていうデバフ付きのな。大学行って、講義受けて(半分くらいは意識を異世界トリップさせてるが)、まっすぐアパートに帰る。このループコンボ、もう何百回キメただろうか? サークル? リア充の巣窟だろ? バイト? まあ、してるけど、コンビニの深夜勤は刺激ってより疲労とのタイマン勝負だ。
空から美少女? いやいや、降ってくるのはせいぜい鳥のフンか、今日みたいなどんよりグレーな雨粒くらいだって。折りたたみ傘をパシュッと開いて、アスファルトを叩く雨音をBGMに帰路を急ぐ。なんかこう、スカッとする展開、ないわけ?
そんな、万年モブキャラ街道ばく進中の俺の耳に、妙なノイズが引っかかった。
「……み……」
ん? 空耳か? いや、違う。もっとこう、絞り出すような、か細い……
「……みぃ……ぅ」
――猫じゃん!
しかも、声の主を探して路地裏を覗き込んだら、ビンゴだよ。古びたアパートのゴミ集積コーナー、その脇に雨ざらしのダンボール。古典的、あまりに古典的なシチュエーション! そして中には、やっぱり古典的に小さな命がひとつ、ぐったりしてたわけだ。
黒猫…なのか? いや、雨と泥でよく分からん。とにかく小さい。手のひらサイズ。ピクリとも動かないけど、よく見るとかろうじて呼吸してる。……マジかよ。こんな土砂降りの中、ダンボールごとポイ捨てとか、どこの外道だよ。
「おい、生きてるかー?」
声をかけると、汚れた子猫がうっすらと目を開けた。その潤んだ瞳が、まるでスローモーションみたいに俺を捉える。……ヤバい、これは見捨てられないフラグだ。アパート、ペット禁止だけど? 大家さん、鬼のように怖いけど? 知るか! 緊急避難だ、これは人命救助ならぬ猫命救助なんだよ!
俺はダンボールごと子猫をひょいと抱え、アパートへとダッシュした。軽い。軽すぎる。まるで、命の重さなんてないみたいに。
部屋に着くなり、速攻でタオル召喚。まずは水分オフだ。優しく、だがしかし素早く拭いていく。ブルブル震えてやがる。そりゃそうだよな、ずぶ濡れだもん。暖房スイッチ、オン! 文明の利器、最高!
次は栄養補給だ。猫用ミルクなんて洒落たモンはない。牛乳を人肌に温めて、皿に入れて差し出す。「ほら、飲め。毒なんて入ってねえから」 子猫は最初、フンッて感じでそっぽ向いてたけど(気のせいか?)、やがておずおずと舌を伸ばし始めた。ペロペロ…ペロペロ…その音だけで、俺のHPがちょっと回復した気がするぜ。
だがしかし、問題発生。こいつ、拭いただけじゃ全然ダメだ。泥やら、なんかベトつく油汚れみたいなのがこびりついてる。ダニとかいたらシャレにならん。
「……最終手段、いくか」
俺は覚悟を決めた。風呂だ。猫にとって水責め同然かもしれないが、致し方あるまい。洗面器にぬるま湯をセッティング。刺激の少ないベビーソープ(妹が泊まりに来た時の残り)をスタンバイ。いざ!
「おら、観念しろ! 悪くしねえから!」
子猫をそっと湯船(洗面器だけど)へダイブ!
「み゛ゃーーーっ!!!」
予想通りの絶叫! そして全身全霊の抵抗! 小さい体でジタバタ暴れる! 危うく洗面器ごとひっくり返されるところだったぜ。
「うぉっ! 落ち着けって! 大丈夫、俺を信じろ!」
左手で猫ボディをホールド! 右手でソープ・アタック! いや、優しくウォッシュ! 背中、腹、足の裏の肉球まで丁寧に、だがスピーディーに!
「に゛ゃー! ふしゃー!」とか威嚇してくるけど、こっちはお前の命を救うためなんだよ! 分かれ! …とは言え、あんまりゴシゴシやるわけにもいかん。加減が難しいぜ。
しかし、数分後。あれだけ抵抗していた子猫の動きが、徐々に鈍くなってきた。あれ? 気持ちよくなってきた? 温かいお湯と、俺の絶妙(自称)なマッサージ効果か? 「くるる…」って、おいおい、喉鳴らしてんじゃねえか! さっきまでの威勢はどうした!
(それにしても…なんだこの毛並み。濡れると一層、ただの黒じゃないって分かる。深い藍色? いや、光の加減じゃ紫にも…? まるで高級ベルベットだぜ…)
ささっとシャワーで泡を洗い流し、ふかふかのタオルで全身を包み込む。ドライヤーの弱風で、安全距離を保ちながらブオー。完全に乾くと、そこには見違えるように美しい、艶やかな毛並みの子猫がいた。マジで綺麗だ。高貴さすら感じる。
「…お前、本当にただの捨て猫か?」
思わず呟く。子猫は「みぅ…」と小さく返事をしたような気がした。
綺麗になった子猫をクッションの上に置くと、よほど疲れたのか、安心したのか、すぐに丸くなって寝息を立て始めた。すぴー、すぴー、って、無防備すぎんだろ。
「名前、なぁ…」
黒いからクロ? いや、この毛並みにはもっとこう、キラキラネーム的な…いや、ないな。思いつかん。
まあ、いいか。とりあえず、こいつが元気を取り戻すのが先決だ。
それにしても、疲れた。子猫一匹拾っただけで、この消耗度。俺の非力さを思い知るぜ。子猫の寝息をBGMに、俺もクッションの隣にごろりと横になる。
雨はまだ、しとしとと窓を叩いていた。
平凡だった俺の世界に、小さな、でも確かな波紋が生まれた瞬間だったのかもしれない。
……なんてな。まあ、とりあえず、明日の朝、こいつが生きててくれれば、それでいい。
(……すぅ)
俺の意識も、静かな雨音の中に溶けていった。
(続く)
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