荒野、ふたり、Escape
■エンデュミオン・とある宿酒場
「あら。あらあら、まあまあまあ」
「……疲れた……」
「………うー……」
昼過ぎの酒場に入ってきたのは、顔を煤だらけにした青年と少女。
酒場の女主人は、連れ立って歩くふたりに目を丸くしていた。
「どうしたの、こんな可愛い子連れて………それに、顔が真っ黒よ?」
「……店長。いや、勝ったはいいんだが……突然、特攻兵器の群れが出てきて……」
「はぁ? ……とりあえず、ケガはないのね?」
「なんとかな……。俺は後で大丈夫、この子にシャワーを浴びさせてやってほしい」
この子、と言うのは当然傍らの少女の事だろう。
それにしても、いったい何があったら遺跡に潜って女の子を連れ帰ることになるのか……。
女将にはよく分からなかったが、とりあえず要望に応えようとして───
「………」
青年のコートの裾をぎゅっと掴む、その手に目がいく。
「……どうやら、あなたから離れたくないみたいね」
「ん? ……いや、あー、この人は大丈夫……俺の知り合いだから」
「………(ふるふる)」
首を振って拒否する少女に、疲れ果てた傭兵は抵抗する気力もないようだった。
「モテる男は大変ねぇ」
「……今は反応する気力もないんだが……ああもう、どうすれば」
「一緒に入ってあげたら?」
「いい、……………はぁ?」
今度はアラトが目を丸くする番だった。
本気で困惑した表情の彼に、女将もあくまで本気らしい表情で応える。
「だから、一緒に入ってあげたらどう? その子もそっちの方がいいんでしょう?」
「………(こくこく)」
「えぇ……いや、えぇー………?」
困惑する青年をよそに、女将は少女と一緒になって彼を風呂場へと押し入れていく。
疲れてだらけ切ったアラトは抵抗らしい抵抗もできず、そのままシャワールームへと押し込まれていくのだった………
◇
■宿酒場・二階
現在時刻、01:34。
この部屋を借りているアラトは、現在ベッドをステラに譲って床に座り込んでいた。
『……ほう、ほう、ほうほうほう。話に聞く限り、中々に面白い拾い物をしたな、お主』
「茶化さないでくれ」
『別に茶化してはおらんよー。それで、お主の眼にはかなったかの?』
「……能力は文句なし。聞き取りは……やってみたが、主要な情報は大方ロックされているらしい」
『いやそうでなくてな、好み的な話』
「ぶっとばすぞババア」
『答えないということは、範囲内ではあったかー? 全くもう、このつるぺた趣味め』
思わずどの口で言ってんのお前、と言いかけた。
危ない危ない、こいつに向かってそういうのはつけ込まれるだけだからな。我慢我慢……
『おっと忘れておった、そういえば幼いアラト少年は超絶せくしーかつ血のつながらない育てのお母様に恋をしてしまい、哀れ性癖を歪ませてしまったんだったの』
うん、やっぱめちゃくちゃ他動的なのがめちゃくちゃムカつくなこの吸血鬼。
「年の離れすぎた義理の息子に夜這いをかける母親もどうかと思うがな?」
『だってそうしないと構ってくれんし』
「………はぁ。ああもう、この話終わり。こっちも随分と消耗した、いくらか都市を回って……補給をしてからそっちに向かうよ」
『あいわかった。レンには妾から伝えておこう、それではの。あとなアラト、血の味は保っておけよ?』
端末同士の通話が途切れ、手に持ったそれを懐へと仕舞い込む。
相も変わらずぶっ飛んだ育ての親だが、頼りにはなる。
……というか最後のは、『健康には気を使え』という吸血種特有のジョークだ。
いや吸われることには違いないんだが、な?
そこで、常人の数倍───同族と比べても3倍はあるだろう自身の聴覚が、かすかに床がきしむ音を感じ取る。
俺は微動だにせず、ステラは規則正しい寝息を立てているのみ。
加えて、これは部屋を訪ねようという者のそれではなく、明らかに足音を殺そうとしているそれだ。
であれば───
(………来たか)
傭兵というのは総じて、汚い手段であっても躊躇いなく使う。
戦場で隙を晒した者を襲うなどといった事は日常茶飯事であり、加えて珍しいものを持っているとなれば、もはや狩ってくださいと言っているようなもの。
だが悲しいかな、俺はこういう夜襲や奇襲に対しての経験値はずば抜けていると自負している。
というか育ての親が毎晩襲ってきたからな……二重の意味で。そりゃ性格も性癖も歪むわ。
そんなこんなで、俺は一度家を出てからは───いつだって狩られる側でなく、狩る側の人間だった。
「よう、ナイン………なんだ、起きてやがったのか」
「そう言うあんたは……誰だったか」
「へっ、誰でもいいさ。……ランク上位だからって所詮は人間だ、今ここでてめえを───ぐべっ」
言い終わる前に、床を軽く踏み込み加速して、男の首に手をかける。
そしてそのまま、片手のみで男を締め落とした。
「………確定、と……こういうのは有無を言わさず襲った方がいいぞ」
大方、寝込みを襲えば勝てるとでも思ったのだろう。
顔を改めれば、一階で夕食をとった際にギラついた目を向けてきた男───散々突っかかってきた傭兵の一人だ。
とりあえずはステラが起きない内に、縛り上げて窓から路地裏へと放り出しておく。
(しかし………いくらなんでも、恐れを知らなさすぎじゃないか? ……あるいは、あの目……何度も見た目、だったな)
自分の手を汚さず、他者を煽動して動かす手口。
目先のことを優先させ、冷静な判断力を失わせる手管。
俺にとっては非常に、………非常に、見覚えのあるものでもあった。
その存在に思い当たっただけで、全身の血が沸騰するほどの怒りに襲われる。
「……………ハッ」
生きていたのか、という驚きがある。
本当に生きているのか、という疑念がある。
ようやく尻尾を掴んだ、という歓喜がある。
この手でヤツを───殺してやる、というどす黒い感情が燃え上がる。
………いつの間にか、手首までが黒い鎧に覆われていた。
けれど、なんとかそれを鎮めて、俺は少女の眠るベッドに近づき。
「ステラ、起きてくれ」
「どう……したの……?」
「俺はこれから……念のためだけど、都市を出る。キミはどうする?」
「………?」
やっと少女が起き上がり、辺りを見回して、
「………なにか、あったの?」
「わからない。あるにはあったが、俺の思い違いかもしれない。けど、警戒しておく必要がある。それだけの相手だ」
「………わたし、は……」
彼女にとっては、半分以上は意味のわからない言葉の羅列だろう。
しかし目をこすりつつも、真っ直ぐに俺を見据えて彼女は言う。
「……わたしの目覚めた理由。そこから考えるに……アラトのそばにいるのが、適切……なんだと、思う」
「………わかった。なら、行こう」
「うん」
わずかな言葉を交わして、酒場を出る。
そこで【格納術式】を使い、専用の大型バイク……相棒たる、ドラグレイダーを取り出す。
「すこし、勿体ないな。先払いであと一ヶ月はいられるハズだったんだが」
「……ね、アラト。今のって、《次元収納》スキル?」
「ん? ……ああいや、これは【格納術式】って言って。俺が昔、仲間と開発した……れっきとした魔術、だよ。乗ってくれ」
静かにエンジンをつけ、ステラも俺に抱きつくようにして座る。
そしてそのまま、二人と一台は都市の搭乗口へと向かっていった───
◆
『うーん……やっぱり、そこら辺の傭兵では無理か。わかっていたことではあるけどね』
都市の中心部にそびえる高層ビル。
その屋上に、『影』はいた。
『技研の遺産とやらも案外頼りない。わたしが直接行ったほうが……いや、さすがに殺されてしまうか』
黒い靄を纏い、実体があるのかどうかもわからず、けれど確かにそこにいる。
『まあ、彼と彼女が出会ってしまったこと。それそのものは仕方ない、切り替えていこう』
あえてその容姿を言葉にするなら、それは機械人形のようであった。
接地することを考えていない足、背中には盾のような、バックパックのようなものも見て取れ。
頭部には、紫色に妖しく光る大きな単眼。
そしてただ喋っているだけで、その声には端末越しのような電子音とノイズが混じる。
『それでは、また会おう。白の騎士くん』
それだけ言って、笑う"影"は空気に溶け、滲むようにして消える。
あとには、何も残らなかった。
◆
■エンデュミオン・出入ゲート
「あれ、ナインさん。都市を出るんですか?」
「ああ、緊急の依頼が入って」
都市の入り口で、アラトは係員と言葉を交わす。
幸い、彼は顔馴染みのほうだった。
「そうですか……それにそっちの───いえ、聞かないでおきます」
「……すまない。それじゃ」
「ええ。……もう嵐はすぐ近くです、お気をつけて」
ゲートが開き、二人乗りのバイクが外に出る。
昇降口を下って荒野に足をつけると、そこには風が吹いていた。
「……嵐、近づいてきてるな」
自然災害たる嵐が『近づく』というのも妙な話だが、そういうものなのだから仕方ない。
現に、都市の中でもきつく戸締まりしている家を何軒か見た。
「とりあえずは近郊の都市を目指そう。戦闘になった時は、後方支援を頼む」
「………うんっ」
『Gra!』
放った言葉に、彼女が応え───
黒いバイクも唸り声をあげ、荒野を駆けていく。
見上げた夜空には、満天の星が輝いていた。
◆
こうして傭兵と少女は出会い、そして旅立ち…………
いずれ大きな戦いへと、その身を投じていくことになるのであった。
序章終了です
設定まとめと人物紹介はまた別に上げてますけどたまに解説挟む(後書き)(用語のみ)ので読まなくても大丈夫です