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呪いの一族と一般人

碧真の癒し



 碧真(あおし)はファッションビル内の通路沿いに設置されていたソファに一人腰を下ろす。


 ビルにはアパレル店の他に、雑貨店や飲食店が入っている。土曜日の夜ということもあり、建物内は多くの人で賑わっていた。


 隣のソファに座っている子供は、一緒にいる親に向かって大きな声で(しき)りに話しかけている。通路を歩く大勢の人の話し声も加わり、周囲はかなり騒がしい。洪水のように溢れる声に、碧真はウンザリした。


 静かな場所に移動したら済む話だが、正面にある雑貨店のレジに並んでいる日和(ひより)を待つには、この場所がいい。店から出てきた時に見える位置にいないと、日和は碧真を探してビル内を彷徨(さまよ)い歩きそうだ。

 レジには結構な人数が並んでいたので、日和が会計を終わらせて出てくるまで時間がかかるだろう。


 碧真はコートのポケットからワイヤレスイヤホンを取り出して耳に装着する。携帯を操作して音楽アプリを立ち上げ、再生ボタンを押した。


 イヤホンから流れる音が、周囲の騒音を遮断する。碧真は視界から煩わしいものを消すように目を閉じた。


 暫くそうしていると、誰かが近づいてくる気配がした。碧真が目を開けると、日和が小さな紙袋を手に()げて近くまで来ていた。


「お待たせ。碧真君」


 碧真がイヤホンをつけていることに気づいて、日和は物珍しそうな顔をしながら隣に腰掛ける。


「何か聴いてたの?」

「音」

「おと……って、え!? 碧真君、音楽聴くの!? どんな曲!?」


 日和に食いつくように尋ねられ、碧真は苦い顔をした。


「何でそんなことに興味を持つんだよ」

「碧真君が好きな曲とか知りたいなって思って。私も知ってる曲かもしれないし!」


 どうやら、日和は碧真が聴いているものが、アーティストが歌っているものだと思っているらしい。


 説明するのも面倒だと感じた碧真は、ケースの中にしまおうとしていた片方のイヤホンを日和の耳につける。日和はイヤホンから流れる音を聴いて首を傾げた。


「雨の音?」


 イヤホンから流れるのは、降り続ける雨音だった。日和は更に不思議そうな顔をする。


「碧真君は雨が好きなの?」

「別に。周りの音が煩い時に聴くだけだ」


 人の声を遮断する為に聞いているだけで、好んでいるわけではない。

 碧真は誰かが歌っている曲を自分から聴くことはない。人の声をわざわざ聞きたくは無いし、歌に込められた想いなんてものに感動したり共感する感性は持ち合わせていないからだ。

 

「面白くも何とも無いだろう」

 

 碧真は携帯の画面を操作して停止ボタンを押す。自分がつけているイヤホンと日和につけていたイヤホンを外してケースに収めた。


「うーん。どっちかというと、面白い系じゃなくて癒し系なんじゃない? ヒーリングミュージックとかの分類?」


 日和はそう言うと、何か思いついたような顔をして紙袋から小さな箱を取り出す。先ほど買ったハンドクリームだろう。日和は箱の中にある三本のハンドクリームの内の一本を手に取ると、碧真に差し出した。碧真は差し出された意味が分からず、紫色のラベルのハンドクリームを見下ろして眉を寄せた。


「何だよ?」

「ハンドクリーム。碧真君にあげる。使って」

「は? 必要ない」

 

 冬だから多少は肌が乾燥するが、それで傷が出来て血が出ようが大したことではない。今までハンドクリームなどを使ったことがないので、全く必要性を感じなかった。


「もしかして、ベタベタするから嫌いとか? これ、保湿力高いけどサラっとしてるから大丈夫だよ」


 日和は碧真に差し出した物とは別の黄色のラベルのハンドクリームのキャップを開ける。日和は自分の(てのひら)に少量のクリームを取った後、何を思ったのか、碧真の左手を取って両掌で包み込んだ。


「碧真君の手、乾燥であかぎれしてるみたいだから気になってたの。クリームつけてたら傷が増えるのを防げるし、良い匂いだから癒されると思うんだ」


 少し冷たい日和の手が碧真の手を優しく労るように撫でる。突然の行動に碧真は動揺して固まってしまい、されるがままになった。クリームを塗り終えて、日和は満足げな顔で手を離す。


「これでよし。ね? ベタベタしないし、香りもいいでしょ?」


 確かにベタつきはなく、匂いも微かに香る程度なので不快感はない。それに、この花と果物の香りには覚えがあった。


「これハンドクリームじゃなくて、シャンプーじゃないのか?」

「は!? 何で!? 違うよ!」


「日和ならやりかねない」


「私のこと、人の手にシャンプーを塗りたくる奴だと思ってるの!? どういう認識なの!? そんな意味不明な酷いことはしないよ!?」


「悪意を持ってやるとは思っていない。脳の欠陥が多すぎて間違えそうだという認識だ」


「それはそれで嫌な認識であることに変わりはないんだけど!? 小さい頃に洗濯用石鹸で体を洗っちゃったことはあるけど、さすがにシャンプーとは間違えないから! ほら、ちゃんとハンドクリームって書いてるでしょ!?」


 アホな間違いに呆れる碧真に、日和はチューブの裏面に書かれた文を見せる。確かにハンドクリームと明記されていた。


 碧真は自分の手の甲に鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。やはり、間違いなく似ている。


「日和の髪と同じ匂いがするが?」


 少し甘い果物と花の香り。抱きしめた時や近くにいた時に日和の髪からふわりと香る匂いと全く一緒だった。


「私の髪? ああ、確かに使っているシャンプーと同じ会社の製品だし。あれ? もしかして、同じ匂いなの?」


 日和は自分の掌に鼻を寄せて匂いを嗅いだ後、首を傾げた。


「……同じかな? 私が使ってるシャンプーって、こんな匂いだったっけ?」

「自分でわからないのかよ」


「長いこと使ってるから。鼻が慣れちゃって、あまり匂いを感じないんだよ。うーん、言われてみれば似てるかも?」


 日和はイマイチピンときていないようだ。


「あ。それより、使い心地悪くないなら、ハンドクリームもらってくれない? 三本は多くて使い切れそうにないし」


「それなら何でそれを買ったんだよ?」


「このシリーズのバラの香りのハンドクリームが欲しかったの。ただ、単品だとサイズが大きい上に値段が高すぎて。こっちなら丁度いいお試しサイズで安く買えたから」


 日和は箱の中からピンク色ラベルのハンドクリームを取り出して、碧真に見せる。目当ての物を買う為に、残り二本はおまけで買ったのだろう。


 日和は碧真の膝の上に紫色のラベルのハンドクリームを置いた。

 

「これは夜用のハンドクリームで癒し系の香りみたい。癒しを求めてる碧真君にピッタリじゃない?」

 

「別に癒しなんて求めてない」

「雨の音を聴いてるのに?」


「周りの音が煩いから聴くだけだと言っただろう? 人の話を聞けよ。それとも、頭が悪くて覚えられないのか」


「聞いてるし、わかった上で言ったんだけど!? ……まあ、そうだよね。雨の音で癒しを感じる人だったら、ここまで捻くれた性格じゃないよね。癒される前に、人間としての優しさを身につけないとって、ちょ!? 何で私の頭を掴むの!?」


「馬鹿の相手は疲れるから、ストレス発散しようと思ってな」

「怖っ! 人の頭部を掴みながら言っていいセリフじゃないから!」


「とりあえず砕くか」

「とりあえずで頭部破壊しようとしないで!!」


「もう壊れているようなものだから、粉々にしても何も問題ないだろう?」

「大問題だよ!! 割れ窓理論みたいなこと言わないで! 私の脳みそ、碧真君の性格ほど破綻してないから!」


 日和は言い返した後、何故だか気まずそうな顔をする。日和の視線の先を追って碧真が後ろを振り返ると、隣のソファに座っていた子供がジッとこちらを見ていた。


 碧真と日和にとっては日常的なやり取りだが、暴力行為と思われて面倒なことになる可能性がある。碧真は仕方なく日和の頭から手を離す。携帯で時間を確認すると、もう二十時を過ぎていた。


「そろそろ帰るか」


 碧真はソファから立ち上がる。日和は明日も仕事があるようなので、そろそろ帰した方がいいだろう。日和も頷いてソファから立ち上がり、二人でその場を後にした。



 ビルの前にある広場には、イルミネーションを見る為に多くの人が集まっていた。動画や写真を撮ったりして、画面越しに景色を見ている。日和も写真を撮ろうとしていたが、目の前の景色を見ることを優先することにしたのか携帯をコートのポケットにしまった。


 日和は「綺麗」と呟きながら、はしゃいだ様子で周囲を見回す。碧真は、しっかりと日和の手を握った。


「あまりキョロキョロするなよ。ぶつかるぞ」

「碧真君が手を引いてくれているから大丈夫でしょ?」

 

 何かあっても、碧真がいるから大丈夫だと思っているようだ。信頼しきった笑顔に、何とも言えない感情が込み上げてくる。碧真は誤魔化すように顔を逸らした。


「街灯にぶつけても文句を言うなよ」

「わざとぶつけに行く気!? それは流石に文句を言うよ!」


「衝撃を与えたら、頭が良くなるかもしれない」


「それで、”わーい。試してみよう♪”ってなる人いないから! 脳細胞が死滅しそうだし! てか、私の頭はそんなに悪くないから! 軽んじないでよ!」


「重篤なバカ扱いすれば満足か?」


「軽い重いの話じゃないから! 碧真君、もしかして私を(けな)してストレス解消してるんじゃないよね!?」


「まあ、多少の憂さ晴らしにはなるな。俺に癒しを与えようとしていたのなら、目的達成できて良かったな」


「何も良くないよ! 私は言葉でボコボコに殴られて”お役に立てて良かったです♡”なんて言える善人でも変態でもないから!」


「変人ではあるだろう」

「変人じゃないし! 碧真君には言われたくない! とにかく、もう私のことを貶すの禁止! 寒いから早く帰ろう!」


 日和に駐車場とは別方向に手を引っ張られ、碧真は溜め息を吐いて正しい方向へ手を引いて歩いた。



 車で日和をマンションまで送り届けた後、碧真は自分の家に帰った。


 コートをハンガーにかけて携帯を取り出そうとした時、手に何かが当たる。取り出してみれば、紫色のラベルのハンドクリームだった。


 ビルでソファから立ち上がる時に、日和から渡されていたハンドクリームをとりあえずポケットに入れたことを思い出す。後で返そうと思っていたが、話をしている内に忘れていた。


 携帯で日和にメッセージを送れば、案の定だが『使って!』と返ってきた。碧真が返そうとしても、受け取る気はなさそうだ。


 碧真は自分の手を見る。確かに日和の言うように手が荒れているようで、指や手の甲に細かい傷が入っていた。


(俺自身ですら気づいていなかったのにな……)

 

 取るに足らない小さな傷だが、その傷が増えていたら日和は更に気にするだろう。碧真は迷った末、ハンドクリームのキャップを外す。

 

 クリームを出して掌に伸ばすと、ふわりと花と果物の香りがした。日和がつけたハンドクリームの少し甘めの香りとは違い、すっきりとした香りなので碧真でも使いやすそうではある。


(癒し系の香りと言っていたが、さっきの香りの方が……)


 自分の考えにハッとして、碧真は苦い顔をする。

 

(別に、癒しなんて求めていない)


 少し残念に感じた思いを封じるように、碧真はハンドクリームを机の引き出しにしまった。




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