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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

暗号解析の先で

作者: minishi

ITの進歩は目覚ましい。数年前に流行した技術が、最近では時代遅れになってしまうというケースも珍しくない。

情報技術の進歩の目的は、人類がより便利に、より幸せに暮すことであった。しかし利便性と幸福度は必ずしも比例するとは限らず、より快適になっていく中、自分の存在価値を見いだせないまま、この世を去る人間が増えていく一方であった。

そんな中、「ITで欲求を満たせる世の中を」をモットーとした企業テセウスが、とある製品を開発した。それが人工人間の貸出サービスである。


サービスの内容はこうだ。まずWebサイトで会員登録をする。登録後、そのサイトで理想のタイプの人間をアンケート形式で答える。注文の際に同時にクレジットカードを登録する。数日後、理想の人間が自ら家に来る。

月額でお金を支払うだけで、自分の望み通りの相手と共に過ごせる。しかし支払いが遅れた途端に、すぐに家から出て行くようにプログラムがされていた。

また悲しいことに、表面上は笑顔でたち振る舞っても、心の底では絶対に恋をしないようにできていた。


セキュリティエンジニアとして技術を持っている男がいた。彼は仕事の能力は優れていたが、仕事に力を入れすぎた結果婚期を逃してしまい、時々寂しい思いをしていた。

そんな時にテセウスのサービスを見つけたのだ。金だけは余っていた男はすぐに登録し、理想の女を記載し発注した。

ショッピングサイトで欲しい物を注文するのとほぼ同じように進めることができた。


女はすぐに届いた。注文通りの魅力的な人だった。男より頭一つくらい背が低く、髪は茶髪のボブ、清潔感のある青いワンピースを着て彼女はやってきた。

「こんにちは、これからお世話になります。」

「はじめまして、信じられないくらい綺麗ですね。」

こんな、なんてことない掛け合いから2人の生活が始まった。


男は女をとても愛した。外見でなく、内面まで完璧な仮想の恋人を。

そして、女も同じように男を愛したのだった。これはテセウス側の不手際、バグが残ったままにしていたのが原因である。

2人は普通の恋人のように沢山のところへ出掛けた。となりの県にある遊園地、地方の温泉、地元の花畑。ありきたりな幸せを男は誰よりも望んでいた。女も、心の根っこのところから幸せな毎日であった。

天然と人工という点を除けば、2人は紛れもなく周りと同じような恋人であった。



女はとある悩みを持っていた。体に組み込んだチップが、男の趣味、行動、癖などをデータ化して定期的にテセウス社へ情報を送信していることに。

通常であれば恋心を抱くことはないこともあり、この機能に悩みを持つということはありえないことであったのだが、女の体はあまりにも人間染みた、優しいバグを持っていた。

男を好きになればなるほど、止めることのできないデータ送信が苦痛となり、ついには男にその悩みを打ち明けたのだ。

「僕はそういうの全く気にしないけど。」

「貴方がよくても私はすごく嫌なの、会社のために貴方を売ってる気がするの。たたでさえ自分が人工物であることが辛くて堪らないのに、これ以上は心が持たないの。」

「君は紛れもなく人間だよ、どこから産まれたとか、そんなことは重要じゃないだろ。」

「私の機械的な部分が少しでも消えれば、そう思えるのかもしれないけどね。」


自らの行為に正当性を持たせるために、人間は正義や大切な誰かを理由にする。しかしそれは承認欲求や性欲から派生した考えである可能性も否定はできず、むしろその方が多い。そして人間の欲は留まることを知らない。

男は彼女を苦しめているテセウスから、自らの能力を駆使して解放することを決めた。

男はこれまで仕事で培ってきたノウハウをフルに活用した。テセウスは世界を代表するような大企業であり、そのためにセキュリティへの投資も惜しまない。これまで男が受けてきた案件や、解決してきたバグなどとはひと味もふた味も違った。

男はセキュリティエンジニアということもあり、ハッキング等の技術、知識もかなり高いレベルで所有していた。しかし今回行うような、企業視点から見ると悪質な行為は絶対に行わないと誓っていた。

ハッキングをこれまで行わなかったのは男の強い倫理観のためであったが、大切な人を助けるためであれば、その価値観は逆転した。


まずは女からテセウスへ送られるデータを、男が用意した自前のサーバへ送るように設定を変更した。データ取得後、暗号化された内容を解読し、ヘッダに記載のある送信元のアドレス、ポート番号を確認。彼女の体内にあるチップがどこから通信を行なっているのかを特定に成功した。

男はハッキングのために準備していたプログラムコードをチップに送り込んだ。まだ世間で公表されていない、致命的な脆弱性を見つけて、そこを突いたのだ。

データ送信の機能は停止した。

「単純にパソコンが好きだったのがエンジニアになったキッカケだ。目的なんてなかった。そのまま大人になったけど、この歳になってやっと生きる意味が分かってきた気がする。」

仕事のためだけに培ってきた能力を、愛する人のために使えることを男は幸福に感じた。

女は物理的にも精神的にも開放された。人工物としてのコンプレックスの一部は消え去ったのだ。

「これからも同じように出掛けるのよ。でも景色はこれまで以上に鮮明に見える気がするの。」



男は重大な問題を見逃していた。テセウスは人類の欲求を満たすことをモットーとしているが、暴走は許さないらしい。

テセウス製のチップには非公表の機能が隠れていた。もし「商品」に意図的な不具合が生じた場合、あるいは提供中に悪意のある改ざんが見つかった場合、アルカリ化水分解を商品体内から行い、対象を溶かす機能であった。


しかし女は溶ける前にそれを察知した。体内で何かが起動した予感がしたのだ。察知することができたのはチップの機能でもなければバグでもない。ただの第六感であった。

女はすぐに男にその不安を告げ、男はすぐさま対応に取り掛かった。

男は大企業のデータ転送を止めたという成功の熱が冷めておらず、自分の能力の高さに過信をしていた。彼の能力が高いことは間違いはない。しかしそれは本来の彼にある繊細さ、視野の広さ、そして全てをまずは疑うことから始める面倒さが組み合わさった能力値であった。過信の熱は男の長所の機能を落とし、熱帯びて本来の能力を失ったPCのようであった。

熱帯びたPCに負荷の高い作業をさせるべきではない。途中でそのタスクは落ちてしまう可能性があるのだから。


「私は貴方をいつまでも愛してる。間違いなく世界で一番幸福な人工物だった。」

女は悲しそうな笑顔のまま、一滴涙を流した後、静かに溶け、男の前から消えた。目の前には女を形成していた肉々しい媒体と、濡れた青いワンピースと、無機質な緑色のチップが残っていた。

男は現実を直視できず、悲しみの感情も起きなかった。涙すら流れなかった。女の最期と比較すれば、男の方が人工物であるかのように見えるだろう。


人間は得ることの喜びより、失うことによる悲しみの方が感情の動きが大きいという。男は女がいなくなったショックで働くことができなくなった。2週間以上の無断欠勤が続き、会社と相談した結果退職することになった。

無気力になった男は、決して自暴自棄になったというわけでもなく、ただ家に篭っていた。家の中で静かに、女と過ごした優しい空間をひたすらに思い出した。

生きた証であるチップを握りしめながら。



その日も男は外に出ず、甘い過去に浸っていた。男は元々過去について考えることを好まない方だった。ITの進歩についていくためには、常に先を考える必要があり、古いものに固執することは許されないからである。

男は暗い部屋で、チップを指で優しくなぞった。レコードから音を出すように、指から女の暖かさ感じようとした。しかしチップは冷たく、触れた部分だけ体温が移り、ぬるくなった。


ふと、男の頭にひとつの閃きが走った。その閃きは男の奥底に眠っていた無邪気さと、女を失った時に生じた絶望と、過去に女を助けた際に逆転した価値観が三重になることから生じた。

しかしあまりにもシンプルなその閃きは、男になぜこれまで思い付かなかったのだろうと疑問を抱かせるような内容だった。

蘇らせるのだ。男にはそれが可能であった。そして皮肉にも、女が人工物であることに初めて感謝した。


男のチップ解析が始まった。

しかしチップには物理的ハッキングを防ぐための舗装が施されており、下手をすると中の機能を全て破壊してしまいかねない。男はこれまでにやってきたどの仕事よりも丁寧に解析を行なった。

解析したその先に、愛した彼女がいることを信じて。



数ヶ月をかけて男はチップを解析した。女がどのように造られたのかを論理的に理解した。

内容を理解したのちに、完全に模倣した別のチップを作成した。解析のために少々であるが、元のチップには傷が入ってしまっていたためである。

残る必要な素材は人間となる物理的媒体のみである。媒体のために必要な素材を集めるにはかなり骨が折れそうだった。

法を犯さずに物事を進めるためには。

しかし男は法に従うことをやめた。過去彼女を救った際に彼はすでに理解していた。目的のためには倫理、価値観は容易に変わるものだと。


彼女の素材とするならば美しい肉塊に限る。男はそう考え、退職した会社で勤務している秘書をターゲットとした。SNSから秘書の自宅、帰りの道、基本的なスケジュールを把握したのち、確実に人に見つからないタイミングを狙って目的を実行した。

秘書を肉塊にするべきために、男はゴムホースを使った。後ろから首を〆るだけである。

情報技術に長けた人間にしてはあまりにも物理的な行動に出たのは、一刻も早く素材を手に入れたかったからであろう。


死体となった秘書の身体から必要な部位を巨大な出刃包丁で切り取り、チップと神経を繋げる作業にうつった。繋げるのに時間はかからなかった。

解析した際に発見したのだが、チップにはログが残っており、男と女の暖かかった思い出が冷たい文として機械的に記されていた。

男は過去と今との空いた時間を、矛盾点がないように架空の思い出を作り、チップ内に組み込んだ。

また、女が溶けた際の記憶についても削除した。

男は部屋で一人、これから彼女になる物体に静かに話しかけた。

「過去も今も君は死んでない。逆だったんだ。僕が悪い夢を見ているんだ。もうすぐ夢から覚め、これまでみたく何気ない生活を送るんだ。だって僕たちは紛れもなく、周りと同じような恋人なのだから。」


口を濯ぐような音を立てながら、肉塊はチップの命令に従い人間の形を成していった。そしてみるみる、男の過去で眠っていた女が姿を表していった。彼女は横たわって目を瞑っていた。

呼吸をしている。

男は愛する人を蘇らせることに成功した。


女が目を覚ませば、前のように何気ない生活に戻れる。今度は男が眠る番だった。

男は幸せそうに眠っている女を起こさないように呟く。

「共に目を覚まして、蘇らせるまでのことは無かったことにしよう。夢で見た内容はいつまでも覚えていられないから、いずれこのことは忘れて普通の生活に戻るだろう。」

男は女にブランケットをかけた後、隣に滑り込むように入って横になった。幸福がために男は中々眠りにつくことができなかった。

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