09:ラスタンス家の繰り返し
「ラスタンス家のことなんだが……」
人気のないテラスへと移動し、開口一番にレオンハルトがラスタンス家の名を口にした。
その言葉に、そして彼の真剣みを帯びた表情に、コーネリアの胸中がざわつく。
やはり彼等は北の森で強盗に……、と問うも、それに対してレオンハルトは首を横に振った。
「彼等は北の森を抜けずに別の道を通り王都に着いた。当主は夜会に来ている」
「それなら、無事だったんですね!」
「……いや、王都に着く直前に襲われたらしい。……擦れ違った馬車から数人が襲い掛かってきて、護衛の一人が刺されて今医者に掛かっていると報告があった」
レオンハルトの話を聞き、コーネリアは自分の体温がさぁと冷えていくのを感じた。「護衛……」と呟く己の声は弱々しく掠れ、穏やかに吹き抜ける夜の風にさえ掻き消されそうなほどに儚い。
まさかとレオンハルトを見つめれば、彼はコーネリアの視線の意図を察したのか眉根を寄せて一度頷いてきた。
「負傷したのはヒューゴ・エメルトだ。自分が囮になり馬車を逃し、そこで刺されたらしい」
「そんな、また同じ人が……。なのに今回は森の強盗じゃない……。どうして、前回は強盗だったのに。これはヒューゴ・エメルトが犠牲になるのは変えられないって事なのでしょうか。でもラスタンス家は夜会に来ているのですよね」
コーネリアが震える声で話せば、レオンハルトが困ったような表情で「落ち着いてくれ」と告げてきた。宥めるような声色だ。
混乱のあまり矢継ぎ早に喋ってしまったコーネリアはようやく我に返り、己を落ち着かせるためにゆっくりと息を吸った。だがその程度で心が晴れるわけはなく、不安と疑問はいまだ頭の中で渦巻いている。深く吸い込んだはずの空気は肺には届かず息苦しい。
「それで、ヒューゴ・エメルトの容態は……?」
「あまりよくないらしい。数か所刺されて、それも深く……。ヒューゴは長くラスタンス家を護っていて、夫妻も息子のように可愛がっていたという。随分と落ち込んでいて詳しくは聞けなかったよ」
前回の今日強盗に襲われて命を落としたヒューゴ・エメルトは、今回の今日もまた襲われて負傷した。
場所は変われども彼が負傷したことに違いはない。ならばこの事実は変わらないという事だろうか。自分達が繰り返すたびにラスタンス家は危険な目に遭い、ヒューゴは怪我をするのか。
いや、ヒューゴだけではない。もしかしたらどこかで誰かが繰り返すたびに苦しんでいるのかもしれない。
どうして、なぜこんな事が……。
コーネリアが溜息を吐けば、レオンハルトがコーネリアを呼んだ。
「結果的にヒューゴは負傷したが彼は治療中だ。完治する可能性だってある。確かに同じ繰り返しかもしれないが確かに変わってるんだ」
「……そうですね。私も何か変化は無いか引き続き探ってみます」
「あぁ、よろしく。それと今夜も前回と同じ時間にカルナン家にお邪魔させてもらうよ」
コーネリアが頷いて返せば、レオンハルトがふと夜会会場の方へと視線を向けた。そろそろ戻ろうと考えているのだろう。
今夜もまた彼が訪れ情報を交わすのなら、ここで長話をする必要も無いだろう。今は話し合うより周囲を調べて情報を得るべきだ。
そう考えてどちらからともなく会場へと戻ろうとするも、レオンハルトは何かに気付いたように足を止め、コーネリアに片手を差し出してきた。
「レオンハルト様?」
「『今日』は婚約者のままでいるんだ。エスコートぐらいはさせてくれ。といっても君を友人達のところへ送るだけだけどな」
「え、えぇ……、そうですね。ではお願いします」
差し出された手に、コーネリアはそっと己の手を重ねた。
そのまま軽く引かれ彼の隣に寄り添い、会場へと向かって歩き出す。
(……なんだか、レオンハルト様にエスコートされるのは不思議な気分)
コーネリアは隣を歩くレオンハルトを見上げた。
銀色の髪に紫色の瞳。夜の闇がその色合いをより引き立て、整った顔付きは黙っていても品の良さを感じさせる。
それを間近で見るのが初めてのような気がして、そんな事を考える自分が不思議だとコーネリアは己の胸中に疑問を抱いた。
レオンハルトにエスコートをされるのは今日が初めてというわけではない。
仮にも婚約者だ。今まで彼の隣に立ち手を引かれながらパーティーの場に出たことは何度もある。
だが婚約者といえどもそれは親が決めた国のためのもので、ゆえにエスコートの最中にあっても交わす会話はそつなく当たり障りないものだった。盛り上がることもなく、かといって、互いに気遣っていたため冷ややかになる事も無かった。
手を取るのを拒否するほどの嫌悪は無く、さりとて、好き好んで側にいるほどの仲でもない。終始その調子だったのだ。
それは当人達だけではなく、家族も、社交界の者達も把握していた。いわゆる周知の事だ。
誰もが二人の婚約を『いずれ王になる第一王子』と『未来の王妃になるに値する令嬢』の婚約としてしか考えていなかった。仲が険悪でなければ良し、国を統べてくれるなら十分だ。と、こんなところである。
だからこそレオンハルトがわざわざコーネリアを誘い出したことが意外だったのだろう。コーネリアが友人達のもとへと戻ると、彼女達はどこか期待を宿したような瞳で迎えてくれた。
「コーネリア様、レオンハルト様と仲がよろしかったのですね」
「そ、そうかしら。そうかもしれないけど、でも……」
「お二人が並んでいらっしゃる姿、とても麗しく素敵でしたわ。金の髪と銀の髪がお互いの輝きをより引き立てておりました」
友人達が口々に褒めてくる。
それに対してコーネリアはなんと答えていいのか分からず、曖昧に言葉を濁すしかなかった。
(仲が良い、なんて……。だって、彼は私に婚約破棄を言い渡したのよ)
コーネリアの脳裏に、かつて聞いたレオンハルトの言葉が蘇る。
『コーネリア・カルナン、きみと俺とではつり合わない、きみとの婚約は破棄させてもらう』
共に聞いた両親も、彼を咎めてくれた陛下も、侮辱だと憤ったヒルダも、そしてあの場に居合わせていた者達も、誰一人として覚えていない。
今コーネリアに対してレオンハルトとの仲を褒めている友人達だって、婚約破棄を確かに聞いていたはずなのに……。
婚約破棄の言葉は繰り返しの中で消えてしまった。
だけどコーネリアの記憶の中には残っている。
……そして、レオンハルトの記憶の中にも。
(それなのに仲が良いなんて、言われたって頷けるわけがない)
そうコーネリアは心の中で呟いて、友人達の会話にそつなく終止符を打って輪からするりと抜け出た。
◆◆◆
レオンハルトからの婚約破棄の言葉もなく、コーネリアも問題なく過ごす。
ゆえにコーネリアも両親も早く帰宅をする必要はなく、以前よりも長く会場に残っていた。
以前ならば帰っていた時間にまだ会場に残る。それは緊張を抱かせ落ち着きを失わせるが、以前ならば帰っていた、という事実を知っているのはコーネリアとレオンハルトしかいない。他の者達にとって今開かれている夜会は後にも先にも一度きりで、そしてコーネリアが帰っていた『以前』は存在しないのだ。
途中ふいに父から「疲れたのならもう帰ろうか」と案じられた時はドキリとし、体が小さく震えた。大時計を見れば、今までの夜会で帰宅した時間だ。偶然なのか、それともこうなると決まっているのか。
上擦った声で理由を問えば、疲れているようだからと返されてしまった。そのうえ顔色が優れないとまで。夜会のせいではなく、『居るはずのない場所に居る』と言う事への心労なのだが、どうしてこんな事を話せるだろうか。
乾いた笑いを浮かべ、大丈夫だと告げることで誤魔化した。
「コーネリア、もう帰りましょうか」
更に一時間ほど経った頃、今度は母に声を掛けられ、コーネリアは「大丈夫よ」と答えようとし……一瞬迷って言葉を詰まらせた。
まだ会場に残って探らねば、それにまだ夜会は終わっていない。以前の時間は過ぎたとはいえ今帰れば結果的に早く帰ることになる。ここは残るべきだ。
だが母の提案に素直に従いたくなるほどには、コーネリアは疲労を感じていた。
夜会そのものに不備はない。『何もないただの夜会』であったなら、コーネリアもここまで疲労を感じはしなかっただろう。友人達と談笑していたに違いない。
だが、今日を繰り返しているという嘘のような現実が、同じ事柄と違う事柄が混じり合い『自分が居なかったはずの夜会』に居るという違和感が、神経を終始張り詰めさせる。
本来ならば楽しいはずの友人達との談笑さえも、取り残された孤独と薄ら寒さを募らせるだけだ。他人が取ったとりとめのない一つの動作に、カタと小さく鳴った物音に、何かあるのではと勘ぐってしまう。
「大丈夫? 具合が悪そうよ」
「いえ、違うの……。ただちょっと疲れただけ。でも……」
「レオンハルト様が貴女を案じて、疲れているようだから早めに戻った方が良いと仰っていたの」
「レオンハルト様が?」
コーネリアが他所へと視線をやれば、弟のマーティスや懇意にしている者達と話しているレオンハルトの姿があった。
彼がふとコーネリアの方へと顔を向ける。紫色の瞳でコーネリアを捉え、……そして目を細めると穏やかに笑った。微かに彼の唇が動く、声が届くはずがないのだが「また今夜」という彼の声を聞いた気がした。
彼の表情に、そして気遣いに、コーネリアは素直に甘えることにして「そうね」と母に同意を示した。