08:せめて体力は
レオンハルトの訪問がメイドから伝えられたのは、四度目の朝食を摂ろうとした矢先だった。
婚約関係にはあるものの――まだというべきか、またというべきか――彼が今までカルナン家を私情で訪問した回数は少なく、それもコーネリアに会いにとなれば殆どなかったと言えるだろう。昨夜訪ねてきたばかりなのだが、残念ながらコーネリア以外にはその記憶はない。
ゆえに朝食の席に居合わせた母は驚いていたが、そこはコーネリアがうまく誤魔化した。
「今夜の夜会のことで相談があると言われていたの。ごめんなさい、レオンハルト様がいらっしゃる事を伝え忘れていたわ」
「そうだったの? それなら失礼のないようにね」
「えぇ、分かってる。一緒に食べられなくてごめんなさい」
中座どころか食事を始めるまえに席を立つことを詫びるも、母は気にした様子はない。穏やかに微笑んで「レオンハルト様によろしく伝えておいて」と告げてくるだけだ。
そんな母を残し、コーネリアは朝食の場を後にしようと部屋を出て……、ふと足を止めて「お母様」と振り返った。
母が見つめてくる。「どうしたの?」と小首を傾げれば、金の髪がふわりと揺れた。
「……ネックレス、金の縁取りの方が良いと思うわ。お母様の綺麗な金の髪によく似合うと思うの」
母に告げて部屋を出れば、去り際に目を丸くさせる顔が見えた。その顔は「どうして知ってるの?」と言いたげだ。
まだネックレスの話はされていない、だけど、そうなる事はもう分かっている。
客間の一室へと向かえば、先に案内されていたレオンハルトの姿があった。
彼はソファに腰掛け用意された紅茶に口をつけており、コーネリアが部屋に入ってくると困ったように笑って「おはよう」と告げてきた。なんとも言い難い表情なのは、きっとまた同じ今日の繰り返しに落胆し、そんな落胆を隠そうとしているからだろう。
コーネリアは彼の向かいに座り、紅茶の手配をしてくれたメイドに軽く礼を告げて部屋をさがらせた。
「お待たせして申し訳ありません」
「いや、そもそも俺が時間を指定しなかったのが悪かった。もし朝食がまだなら、待つから先に済ませてきてくれ」
「大丈夫です。……あまり食べる気はしませんでしたから」
四度目の朝食メニューもまったく同じだった。何から何まで、スープの種類どころか量も、カップの柄さえも。
母に心配させまいと食べる気で席に着いたものの、正直なところ、変わらぬメニューを見た瞬間に食欲は消え失せていた。どれだけ食べれば良いか、まるで課せられた義務のように考えていたのだ。
そうコーネリアが話せば、レオンハルトが気遣うように名前を呼んできた。彼の顔に憂いの色が浮かぶ。「気持ちは分かるよ」という声は穏やかで優しい。
「だけどこの繰り返しがいつ終わるか分からない以上、気力はどうしようも無いが体力はちゃんとつけておいた方が良いと思う」
「……そうですね」
「だからこそ俺はしっかりと朝食を摂ってきた。それがどういう意味か分かるか?」
「どういう意味、とは?」
「つまり四度目のトマトスープだ。俺からしてみたら『同じメニューだから』ってだけで食べようとしないコーネリアは我が儘だよ」
やれやれと言いたげにレオンハルトが首を横に振る。
次いでふっと笑みを浮かべるのはもちろんこれが冗談だからだ。そしてコーネリアの表情が和らいだのを見たからでもあるのだろう。
先程まではこの繰り返しを前にコーネリアの気分は落ち込みきっていたが、レオンハルトの話を聞いたら気分が少し晴れてきた。今ならば食事も出来そうだ。
「確かにレオンハルト様の仰る通りですね。お話が終わりましたら、きちんと食事を摂ることにいたします」
「あぁ、そうした方が良い。それで『今日』の……、いや、今回の『今日』のことなんだが」
改めるようにして本題に入るレオンハルトに、コーネリアは自然と自分の表情が強張るのが分かった。
朝からのことを思い出す。起こしにきてくれたヒルダの言葉や、他のメイドや給仕達と交わし会話、母からの朝の挨拶、食事のメニュー……。鮮明に思い出せるのはこれが四度目であり、今までの四回すべて同じだからだ。
聞けばレオンハルトも朝から同じことの繰り返しだという。
「だが今朝は起きてすぐに北の森に護衛を出した。さすがに『今日を繰り返してラスタンス家が襲われたのを知っている』なんて説明は出来ないが、ラスタンス家が狙われていると不穏な噂を聞いたって事にしたからこれで彼等が襲われることは無いと思う」
「そうなのですね。良かった」
この繰り返しは奇妙だが、それでもラスタンス家の馬車が襲われずにすむなら喜ばしい事だ。
そう考えてコーネリアが安堵の息を吐けば、レオンハルトの表情も和らいだ。
「このあとは夜会まで知人の家を訪ねて回ってみるつもりだ。それに、各家の使い達にも異変が無いかを探ってみようと思う」
「私も、夜会では会えなかった友人のところに行ってみようと思います。それと、以前の繰り返しでどんな事が起こっていたかも改めて思い出してみようかと。紙に書きだして残せるかは分かりませんが……」
ふと、コーネリアは疑問を抱いた。
自分達の記憶は確かに残っている。だけど自分達に関するものはどうだろうか?
たとえばメモを書いたら、ものを壊したら……。
一つ一つ確かめていくしかない。そう考えてやるべき事を頭の中で思い浮かべていると、レオンハルトが「よし」と立ち上がった。
「また夜会で声を掛けるよ。それと、ラスタンス家が来ているのなら彼等にも話しかけて、あと出来ればヒューゴ・エメルトにも話を聞きたいな。今回も婚約については話題に出さずにいるから、コーネリアも何かあったら気兼ねなく呼んでくれ」
「かしこまりました。でしたら、もし早く帰りそうになってもお父様とお母様を引き留めてみます。少なくとも、前回までの今日で帰宅した時間より遅く夜会の会場に残れば、それによって何か変わるかもしれませんし」
「そうだな。コーネリアが残ることで、また違う情報を得られるかもしれない」
予定を話す彼の声は明るく、それを聞いていると自然とコーネリアの胸に希望が湧いた。
まだ何一つ分かっていない、解決の糸口は見えてすらいない。だがやるべき事が決まると繰り返しに落胆している場合ではないと考えられる。
常に解決へ向けて行動しようとするレオンハルトの前向きさが、コーネリアを前へ前へと引っ張ってくれる。
感謝を胸に抱きながら、コーネリアはレオンハルトを見送るために屋敷の出口へと向かった。
その去り際、レオンハルトが思い出したように「そうだ」と足を止めてコーネリアへと向き直った。
「食欲がわかないのは仕方ないが、夜会で空腹のあまりに食事ばっかりしていて何も出来なかったなんて事にならないよう、しっかりと食事を摂っておいてくれよ」
まるで子供に言い聞かせるような彼の言葉に、コーネリアはきょとんと目を丸くさせてしまった。
これはきっと先程の食事についての事を言っているのだろう。一寸遅れて茶化されたと理解し、コーネリアは思わず小さく笑みを零した。
次いで「そうですね」と応じ、だがそれだけでは終わらすまいと話を続けた。
「私、これから王宮に行って今夜の夜会のメニューにトマトスープを追加して頂くようにお願いしてみようと思います」
「トマトスープ?」
「えぇ、もしかしたら夜会にトマトスープが追加されることで何かが変わるかもしれませんし」
「あれを日に二度は勘弁してくれ。……いや、でも飲める人には美味しいスープなんだ。現に母上は好きだし、父上やマーティスも美味しいと言っている」
王宮のシェフ達のことを考えたのか、レオンハルトは嫌がりながらもフォローを入れてくる。
それが面白くコーネリアが笑えば、彼も苦笑を浮かべて「それじゃ、また今夜」と残して待たせている馬車へと向かっていった。
◆◆◆
夜会の会場は、今日も……否、今回も変わらず絢爛豪華だ。
楽団は軽やかな音楽を奏で、あちこちに飾られた生花が瑞々しく咲き誇る。誰もが楽しそうに話し、食事に舌鼓を打ち、そしてこの見事な夜会を口々に称えている。
だがそれを眺めるコーネリアの気持ちは冷めきっていた。当然だ。四度目の今日、そして夜会は三度目である。
楽団の音楽にも覚えがあり、一輪とて変わらず咲き誇る生花には奇妙さを感じてしまう。交わされる会話に至っては、同じ内容をこれからも繰り返すのならいずれ一字一句違わず覚えてしまいそうだ。
それでも、やるべき事があるなら気持ちは紛れる。
繰り返しの薄気味悪さに怯えている暇はないと己に言い聞かせ、コーネリアは夜会を楽しむ令嬢の一人を装いつつ異変は無いかと周囲を窺った。
「コーネリア、少し良いかな」
レオンハルトに声を掛けられたのは、友人の令嬢達と話をしていた時だ。
同じことを友人達が話して盛り上がる様はコーネリアにはとりわけ異常に思え、自分だけが取り残されたのだと実感させられる。
だがそんな中でレオンハルトに声を掛けられ、コーネリアは安堵した。一度目の夜会でも二度目の夜会でも彼には声を掛けられなかったからだ。友人達はそうとは知らずに今日を繰り返している、だけどレオンハルトは違う彼だけは自分と同じ、『今日』を異常と感じている。
「盛り上がっているところ申し訳ない。コーネリアに話があるんだ」
談笑の最中に割って入ったことを詫びるレオンハルトに友人達が異論を唱えることはない。
相手はコーネリアの婚約者、なによりこの国の第一王子。皆が恭しく頭を下げ、夜会に招かれたことを感謝し、そしてコーネリアには「また」と告げてくる。
これは以前には無かった友人達の反応だ。それを見ると僅かにコーネリアの胸に安堵が湧き、彼女達に軽く別れを告げて場を後にした。