07:繰り返しの中で変わるもの
就寝の準備をするヒルダと他愛もない会話をしていると、室内に再びノックの音が響いた。
次いで聞こえてくるのは「コーネリア、起きてる?」という母の声だ。
「コーネリア、もう寝てしまったのかしら」
「お母様?」
室内を気遣い声を潜めた会話。扉越しでは聞き逃してしまいそうなほどに小さい。
気付いたヒルダが扉が開ければ、そこから顔を覗かせるのは母と、それに父の姿もある。二人はコーネリアの様子を見ると、具合は酷くなっていないと判断したのかほっと安堵の表情を浮かべた。
「お母様もお父様も、どうしたの? 夜会は?」
「コーネリアの具合が心配でね。安心なさい、きちんと両陛下にはお伝えしてあるから。両陛下もコーネリアの事を案じて、早く帰ってやった方が良いと仰ってくださったよ」
だから大丈夫だと父が宥める。
そうして二人が「おやすみ」と告げれば、ヒルダも二人に続くように就寝の言葉を残して部屋を出て行った。
パタン、と扉の閉まる音がする。
一人取り残されたコーネリアは、自分の心臓が荒れるように鼓動を速めるのを感じ、ぎゅっと強く手を握った。
指先までもがドクドクと音立てて脈打っているように思える。自分以外誰も居なくなった部屋の中、途端に音が止んで、沈黙があるはずのない音を呼んで耳の中に響く。
恐る恐る時計を見れば、前回・前々回で夜会から帰宅した時間だ。
夜会は順調だったはず。それなのに結果的に両親はこの時間帯に屋敷に戻ってきた。
気味の悪さにふるりと体が震える。
そうして就寝の準備を終えてベッドに入るが、薄気味悪さが纏わりついて眠れない。
時計の音さえも気になり、微かに聞こえる窓の外の音、通路を歩く者の足音、自分の心音、呼吸音……。普段ならば気にもとめないどころか耳を澄ましてようやく聞き取れる音が、今日だけはやたらと大きく聞こえ、胸の内に不安を膨らませる。
焦燥感や不快感、不安、混乱、それらが綯い交ぜになり心音を搔き乱す。無意識に手を組むように握れば、指先が随分と冷えているのが分かった。これでは当分眠れないだろう。
「ヒルダになにか暖かな飲み物を持ってきて貰おうかしら」
暖かなレモネードでも飲めば体も温まり、心も落ち着いて眠くなってくるかもしれない。
そう考えて部屋を出ようとベッドから出た瞬間、扉がノックされた。不意打ちの音にコーネリアの体がビクリと大きく跳ね上がる。
「だ、誰……?」
「お嬢様、ヒルダです。お休みのところ申し訳ありません」
「ヒルダ?」
今まさに名前を口にしたばかりのヒルダの声に、跳ね上がったコーネリアの心臓が落ち着きを取り戻す。
一度深呼吸をしてゆっくりと扉を開けた。
「どうしたの?」
「レオンハルト様がいらっしゃっています。急ぎのご用事で、コーネリアお嬢様に話があるとのことです」
「レオンハルト様が? 分かった、すぐに行くわ」
突然の訪問に驚きはしつつも、きっとこの繰り返しについてなのだろうと察し、コーネリアは少し待っていてくれるよう言伝を頼んで部屋へと戻った。
さすがに寝間着では対応出来ないので衣服を着替え髪を整える。
ヒルダ曰くレオンハルトは庭の一角で待っているとのことで、屋敷の外へと出れば夜の庭園に彼の姿があった。
夜とはいえ、公爵家の庭園内はそれなりの明かりがある。外灯もついており、その光景は太陽の光が降り注ぐ日中とはまた違った美しさがある。
「レオンハルト様、お待たせいたしました」
コーネリアが声を掛ければ、レオンハルトが気付いてこちらへと歩いてくる。
「突然悪いな」
「いえ、大丈夫です。それより……、繰り返しの事ですか?」
さすがにこんな状況下において「どういったご用件でしょうか?」と尋ねる気にはならない。
現に彼もコーネリアに問われると頷いて肯定してきた。その表情は婚約者と過ごす一時を楽しもうとする者の表情ではない。
「本当は『明日』にしようかとも思ったんだが、その『明日』がくるかどうか分からない状況だろ? だから伝えたいことは今のうちにと思って」
「そうですね……。確かに『今日』のうちに話をしておいた方が良いですね。わざわざお越し頂きありがとうございます」
「気にしないでくれ。だが今回は婚約破棄を言い渡さないで良かった。もしも夜会で君の父上にでも婚約破棄を言い渡していたら、門前払いどころか二度と娘に近付くなと蹴り出されるところだったからな」
「まぁ、それは……。父上と、メイド長のヒルダならやりかねませんね」
苦笑しながら話すレオンハルトの冗談に、コーネリアも会話を合わせて表情を和らげた。
確かに両親からしてみたら、一方的に婚約破棄を言い渡してきた婚約者が夜にのこのこと現れたら蹴り出したくなるだろう。かといって「今日を繰り返しているから」と話せるわけがない。仮に話したところで理解されず、下手すると彼を蹴り出す足が増えかねない。
そんな冗談を交わし、レオンハルトが「それで」と本題に移った。彼の表情が僅かに強張るのを見て取り、コーネリアの胸にも緊張が舞い戻る。
「それで、今日の事なんだが、夜会は順調だった。特に問題も何もなく、俺も大人しくしていたから本当に何も無かったんだ。ただ君の両親は夫妻揃って早くに帰っていたみたいだな」
「えぇ、私のことが心配だったと早くに戻ってきました。……今までの夜会と同じ時間です」
「そうか……」
この話にレオンハルトもまた薄気味悪いものを感じたのか、彼の表情がより強張る。
それでも黙ったままでは事態は解決しないと考えたのか、渋い表情で話を続けた。
「だがまったく同じことを繰り返しているわけでは無さそうなんだ」
「……同じではない? 私達が行動を変えたら両親やヒルダの対応は変わりましたが、それ以外は同じことの繰り返しのようですが……」
「いや、俺達以外のことも変わっている」
はっきりとレオンハルトが断言する。
どうやらその事実に気付き、そして『今日』のうちに伝えようと夜会が終わるやカルナン家を訪ねて来たらしい。
「コーネリア、今朝早朝に北の森で強盗が出たのは知っているか?」
「はい、メイドから聞いております。馬車が襲われて護衛が一人亡くなったと」
「それなんだが、俺は前回・前々回と強盗が出たなんて話は聞いていない。今回の今日はじめて聞いたんだ」
レオンハルトの話に、コーネリアは「え……?」と戸惑いの声をあげた。
コーネリアも盗賊の話は今回初耳だった。
だがヒルダからその話を聞いたのはつい先程、夜会を欠席して自室に残っていたから聞いたのだ。
だからてっきり前回も前々回も強盗事件は起きていて、今回だけコーネリアが行動を変えたから話を聞いたのだと思っていたのだが……。
それを話せば、レオンハルトが首を横に振った。
「仮にも俺はこの国の王子だ。国内の事件、それもそう遠く離れていない場所での事件となれば直ぐに報告がくる。それに今回の今日俺が話を聞いたタイミングは、前回も前々回も同じことをしていた時だ。だが以前には何の報告もなかった」
「それは、つまり……」
「偶然今回だけ報告を受けたというわけではなく、今回だけ強盗事件が起こった、と考えるべきだろう。もしくは今回から繰り返されるのかもしれない」
レオンハルトの話に聞き入り、コーネリアは呼吸すら忘れかねないほどだった。
自分達とはまったく別の場所で、自分達の行動とは無関係に、繰り返しとは違うことが起こっている。
仮にこれが喜ぶべき事柄だったなら解決の糸口かと期待も抱けるのだが、強盗事件、それも護衛が一人犠牲になっているのだ。喜べるわけがない。
物騒な話題、更にこれから幾度となく繰り返すのではと考えれば恐ろしく思えてしまう。ふるりと体を震わせ無意識に腕を擦った。
「強盗に襲われたという馬車は、いったいどこの馬車だったんですか?」
「ラスタンス家の馬車だ。乗っていた侯爵夫妻は無事だったが、護衛のヒューゴ・エメルトという青年が亡くなったらしい」
痛ましい話題にレオンハルトの表情が暗くなる。
だがコーネリアの視線に気付くとパッと表情を変えてしまった。胸の内を悟られまいとしたのだろうか、
「痛ましい事件だが、同じことの繰り返しじゃないと分かったのは良しと考えるべきかもしれないな。それに、もしもまた『今日』が繰り返されるなら、朝一に北の森に警備を出そう。もしもラスタンス家がこれからの繰り返しで強盗に襲われるとしても、俺達ならそれを止められる」
「そうですね。もしもカルナン家からも人手が必要なら仰ってください」
「あぁ、その時は頼むよ。それじゃあもう遅いから俺は失礼しようかな。朝になったら、また改めて連絡をしにくるよ。……願わくば明日の朝が良いんだけれど」
彼も薄々『明日』がこないと予感しているのだろうか、それでも「また明日」と軽く別れの言葉を告げてくる。
コーネリアはなんと言って良いのか分からずそれでもスカートの裾を摘まんで品良く返し、御者を待たせているという場所へと向かう彼を見送った。
◆◆◆
そうしてまた、朝がくる。
ヒルダの声に起こされたコーネリアはゆっくりと身を起こした。
「おはようヒルダ、ねぇ……」
恐る恐る声を掛ければ、ヒルダがくるりと振り返る。
「おはようございます、コーネリアお嬢様。本日の夜会、楽しみですね。レオンハルト様にお会いするのは久しぶりでしょう」
穏やかに微笑み紅茶を差し出してくるヒルダに、コーネリアはまた『今日』も『今日』なのだと理解した。