64:そして二人でこの先へ
「コーネリア様は昔から期待されておりましたし、知らぬ者はいないと言えるほどのお方ですから。ねぇヒューゴ、貴方もコーネリア様のお名前は知っていたのよね?」
「あぁ、知っていたよ。コーネリア様のお名前は北の領地でも有名でした。会った事のない者でさえ次期王妃はコーネリア様しかいないと考えているほどです」
「それほどのお方ですもの、国が簡単に手放すわけがありません。もしかしたら、王妃よりも補佐官の方が仕事を任せられて良いと考えている方もいらっしゃるかもしれませんね」
コロコロとリネットが笑う。意外とどころかかなり鋭い意見だが、さすが気の遠くなるほどの繰り返しを乗り越えて来た者の言うことは一味違う。
これに対してコーネリアは紅茶を一口飲み、「確かにその通りかも」と頷いた。最近の仕事量を考えるに、王妃ではなく補佐官になった事を幸いと思われている可能性は否めない。
だけど、とコーネリアはティーカップをソーサに戻した。
「我が儘を通したんですから、甘んじて受け入れるしかありませんね」
仕方ないとコーネリアが肩を竦めれば、隣に座るレオンハルトも「そうだな」と同意を示した。
「王族から除名されて気球で放浪の旅に出る覚悟だったんだ、補佐官の仕事は有難いくらいだ」
「そういえば、レオンハルト様が気球に乗って旅に出ると話していた時、両陛下もマーティス様も随分と驚いておりましたね」
「あれはコーネリアが話したんだろう。『理解されないのであればレオンハルト様は気球に乗ってどこかに行ってしまいます』って、そのうえ俺の手を握って『そのときは私も気球にしがみついてでも着いていきます』とまで言ってのけるんだ。あれは誰だって驚くよ。だけどその結果、こうやって穏やかに過ごせてる」
レオンハルトの手がゆっくりとコーネリアの肩に触れる。優しく擦り、そっと抱き寄せてくる。彼に身を寄せれば仕事の話をしていたというのにコーネリアの心はすぐさま温かくなり、気分はすっかりと補佐官夫婦だ。
「まぁ、」と小さく聞こえてきたのはリネットの声。嬉しそうにはにかんで、更には冗談めかして「見せつけられてるわ」とヒューゴに話す。これにはヒューゴも苦笑を強めてリネットの腕を擦り「こういう時は見ないふりをするんだ」と向かい合って座るには些か無理な話で伴侶を宥めた。
二人のやりとりも傍から見れば甘く、どちらが見せつけているのか分からなくなりそうだ。
なにせコーネリアとレオンハルトが補佐官夫婦であるように、リネットとヒューゴもまたレチェスター夫婦なのだ。
リネットとヒューゴはあのパーティーの直後に婚約を発表し、更にすぐさま式を挙げて夫婦となった。
そのスピードと言ったら無い。本来ならばまずはヒューゴをリネットの恋人として世間に紹介し、その後に正式な婚約を発表して、ようやく式を……という手順なのだが、それをリネットが拒んだのだ。
すぐにでもヒューゴと結婚したいと両親を急かし、自ら手配する勢いだった。
レチェスター家夫妻はさぞや驚いただろう。たった一日とはいえ娘の様子は明らかにおかしく、かと思えば突然もとに戻り、挙げ句に結婚を焦り出したのだ。
それでも結果は同じなのだからと夫妻は了承し、とんとん拍子で結婚までに至った。
「ヒューゴとの結婚の事もだけど、北の領地問題でもご両親は驚いていらしたわね」
「はい。その件ではレオンハルト様とコーネリア様にもお力添えいただきありがとうございました。さすがにラスタンス家については、きっと私一人では解決できなかったと思います」
「そんな、気にしないで。私達は首謀者までは辿り着いていなかったから、解決できたのはリネットさんの力があってのことだもの」
ねぇ、とコーネリアがレオンハルトに同意を求めれば、彼もまた頷いて返してきた。
北の領地問題とは、繰り返しの中で幾度とあがった跡継ぎ問題、そしてそこから繋がるヒューゴの暗殺計画だ。
コーネリアとレオンハルトはラスタンス家御者が買収されているところまでは突き止めたが、誰が御者を買収したのか、その裏に誰がいるのかまでは明かす事は出来なかった。
……だがリネットは違っていた。
もはや数えることすら忘れてしまうほどの繰り返しの中で、彼女は既に暗躍する人物に目星をつけており、繰り返しから脱するやすぐさま首謀者を炙り出しに掛かったのだ。当然コーネリアもレオンハルトもそれに力を貸し、あっという間に主犯を捕らえることができた。
「その件もあって、まだ両親は私のことを心配しているんです。たまに考え事をしていると『次は何をするの?』『出来れば事前に相談をしてくれ』って言ってくるんですよ」
リネットが困ったように苦笑を浮かべる。
これに関してはコーネリアとレオンハルトも思い当たる節があり、顔を見合わせ肩を竦めてしまった。
なにせリネット程ではないとはいえ、自分達も世間を騒がせた自覚はある。婚約破棄からのプロポーズ、更に次期王と次期王妃の座から退いて……と、周囲はさぞや驚いていただろう。
「でも今は一日一日が着実に過ぎていくんだ、周囲もいずれは落ち着いてくれるさ」
彼らしい決断に、コーネリアも微笑んで頷いた。
「そうですね。繰り返しのことも繰り返しを終えたあの晩のことも、私達の中だけですが、いずれ過去の記憶の一つになるんです」
今はまだすべて終えたとは言い難い。レオンハルトはマーティスに王位継承権を譲ったとはいえ、その根回しや近隣諸国への説明・挨拶が残っている。コーネリアも同様、今まで王妃教育を受けさせてもらった身として、次代の王妃候補が現れた際には出来る限りの協力をするつもりだ。
ラスタンス家の領地に関しても同様、主犯こそ捕らえたが裁きは下っていない。まだやるべき事は残っている。
だが一つ一つ終えていけば良い。それと同時にまた新たな事が始まるのだ。
『今日』が終われば『明日』になり、更にその先に進み、いずれは今直面している事も過去の出来事になる。このお茶会だって思い出に変わるのだから。
そうレオンハルトとコーネリアが見つめ合って話す。
そのやりとりを穏やかに眺めていたリネットが「いずれ……」と呟いた。
「あの湖もいずれは埋めてしまおうと考えています。ねぇ、ヒューゴ」
「あぁ、それが良いと思う」
繰り返しの要であった湖。
西の森は元々レチェスター家が管理していた。それをあの事件の直後、リネットが両親を説き伏せて自分の管理下に置いて今に至る。
「あの晩の事もあって、湖の周辺には幻覚を見せる植物が生えているのではと言われているんです。だから私は気が触れて、湖に入ろうとした……って。このまま危険視されているのを利用して、湖を埋めてしまうのが一番だと思うんです」
「私も賛成だわ。……でも、思い出の場所だったのに残念ね」
リネットとヒューゴは何度もあの湖畔で二人で過ごし、そして想いを打ち明け合った。
あの繰り返しさえなければ今もまだ二人のとっては思い出の場所だったのだろう。それを気遣えば、リネットが遠くを見るようにふいと視線を他所へと向けた。きっと西の森にある湖を思い描いているのだ。
「……小さい頃に、あの湖にお願いごとをすると願いが叶うと言われていたんです」
「願いって……、もしかしてそれで」
「ただの言い伝えです。それに今となっては確かめようもありません。だから、全て埋めてしまうのが良いと考えたんです」
願いが叶って繰り返しに囚われたのか、それともリネットのヒューゴを想う気持ちが強すぎるあまりに不思議な現象を引き起こしたのか。あるいは、誰かがリネットを呪って繰り返しに閉じ込めたのか、もしくは憐れんだ神様がくれたチャンスか……。
そのどれかはもう分からない。探る術もない。
そもそもリネットには原因を追究する気はないのだろう。神妙な面持ちをパッと明るいものに変え、隣に座るヒューゴを見つめた。
「確かにあの湖は思い出の場所でした。ですが思い出ならこれからたくさん新しく作っていけば良いんです。そうよね、ヒューゴ」
リネットがヒューゴを見つめて穏やかに微笑む。ヒューゴもまた目を細めて愛おしむように彼女を見つめ返して頷いた。
二人の表情はどちらも穏やかで幸せそうで、瞳はしっかりと互いを映している。
結婚こそ急いだが、新婚旅行はまだだと以前に話していた。近く旅行の計画を立てるとも話していたので、その旅行先、そしてこれから二人で訪れる場所……、それらが思い出として積み重なっていくのだろう。
◆◆◆
リネット達との茶会を終え、コーネリアは庭園から王宮内へと戻ろうとし、だがその途中でレオンハルトに呼び止められた。
「コーネリア、俺達も思い出作りをしようか」
「私たちも? もちろん構いませんが、何をするんですか?」
「注文していたペンキが届いたんだ」
楽しそうに笑ってレオンハルトが頭上を見上げる。頭上の……、王宮の屋根を。
「もしかして」とコーネリアが呟けばレオンハルトの笑みが更に強まった。
「また屋根に鳥を描くおつもりですか?」
コーネリアが問えば、レオンハルトが笑みを強めて頷いた。
思い出すのは『十回目の今日』。繰り返しを脱した今となっては『十回目のあの日』である。
お互い好きに過ごそうと決め、レオンハルトは王宮の屋根にペンキで鳥の絵を描いた。銀色のペンキは手配が間に合わなかったため代わりに白いペンキで、羽を広げて自由に飛ぶ一羽の鳥を。己を重ねながら。
だが繰り返しの中で屋根の鳥は消えてしまった。
それをまた描こうと考えているのだろう。
「やっぱりどうしても描きたくて準備をしていたんだ。それに今回は時間があるからちゃんと銀色のペンキも手配出来た。……それと、金色のペンキも」
「金色の……」
風が吹き、コーネリアの金の髪がふわりと揺れた。
「二羽の鳥が宿り木にとまって寄り添っている姿を描こうと思うんだ。だけど二羽だと流石に時間が掛かるから、途中でマーティスにバレて引きずり降ろされかねない。だからコーネリア、手伝ってくれないか」
レオンハルトが片手を差し出して誘ってくる。
コーネリアは迷うことなく「はい」と真っすぐに返し、彼の手を取った。
再び風が吹き抜け、レオンハルトの銀の髪と、コーネリアの金の髪を優しく揺らす。
「もしかして、気球も既に手配をされているんですか?」
「あぁ、手配済みだ。ペンキよりも日数が掛かるらしいけど、あと数日で届くだろうな」
「私も一緒に連れて行ってくださいますか?」
「もちろんだよ」
穏やかにレオンハルトが笑う。コーネリアの手を握りながら。
その温かさにコーネリアもまた微笑んで返し、二人並んで歩き出した。
……end……
『繰り返す夜会で、今夜もまた貴方から婚約破棄を』これにて完結です。
珍しくシリアス要素強めのお話に挑戦してみましたがいかがでしたでしょうか?
一日を繰り返す奇妙さ、徐々に判明する繰り返しについて、そんな中で築いていくコーネリアとレオンハルトの絆、そして恋……。少しでも楽しんで頂けたでしょうか。
本編は完結しましたが、いずれ短編をあげるかもしれません。本編で苦労した分ほのぼの甘いお話でも……。その時はまたお付き合いください。
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