62:今夜もまた
あの晩が明けてしばらく――。
王宮で開催された今回のパーティーもまた華やかなもので、以前に開かれた夜会と比べても引けを取らぬほどの豪華さだった。
楽団は軽やかに音楽を奏で、生花があちこちで咲き誇っている。今日のパーティーもまた夜に開かれているが、装飾は前回とは違ったもので揃えられている。そのため同じ王宮での夜会とはいえ雰囲気はがらりと変わっている。
招かれた者達は楽しそうに談笑し、中には二度の夜会を比べては趣の違いとあえて違う夜会を開く王家のセンスを褒める者もいる。短い期間にこれだけの豪華な場を二度も、それも違った光景を見せつつも引けの劣らぬ豪華さで開ける国の豊かさを語り、そして自国は安泰だと笑う。
コーネリアはそんなパーティー会場を庭園から眺めていた。
庭園もまたあの夜会とは違う光景を見せているが、どちらも甲乙つけがたい。――もっともコーネリアは『あの夜会』には出席していない事になっている。だが本当は誰よりも多く出席しているのだが、繰り返しの事も含め、周囲には話さないと決めた――
「コーネリア、俺達もそろそろ行こうか」
声を掛けてきたのは隣に立つレオンハルト。
藍色を基調とした正装は彼の銀の髪をより美しく見せる。穏やかな表情を浮かべ、コーネリアへと片手を差し出してきた。
彼の手は家紋が刺繍された白い手袋に覆われている。今日の正装とよく合っており、誰が見ても違和感なく洒落た装いだと思うだろう。
だがコーネリアはその手袋を見ると無意識に眉尻を下げ、手を取って良いものかと一瞬躊躇ってしまった。もちろん彼の手を取る事が嫌なわけではない、手袋の下にはまだ傷が残っていると知っているからだ。
先日見せてもらったが、その際にコーネリアはあまりの傷痕の痛々しさに泣きそうになってしまった。
彼のしなやかでいて男らしい手に残る無慈悲な傷。その一か所だけ肌の色が変わっており、否が応でも目に付いてしまう。手を動かすたびに傷痕まで歪む。
もっともレオンハルト本人は自分の負傷だというのにどこ吹く風で、傷跡が残ると知ってもなお「箔が付くかもしれないな」と笑って言ってのけていたのだが。
「痛くはありませんか?」
「傷の事か? 大丈夫だよ、もう痛みは殆どない。ちゃんと包帯も巻いているからエスコートなら出来る。だから俺の手を取ってくれ」
彼の言葉に、コーネリアはそれならばと差し出される手にそっと己の手を重ねた。
できるだけ刺激しないようにと傷痕の位置を避けて掴む。その慎重すぎる動きが面白かったのか、それとも恐る恐るといった触れ方が擽ったいのか、レオンハルトが肩を揺らして笑った。
「それじゃあ会場に戻ろう。いよいよだな」
「本当にやるおつもりですか? あの時とは状況も変わっていますし、うまくいくんでしょうか」
「父上に理解してもらうためだ。それに俺なりのけじめでもある。……コーネリアが付き合ってくれればの話だけど」
どうだろう、と尋ねてくるレオンハルトに、コーネリアは苦笑と肩を竦める事で返した。
返事代わりに彼の手を先程より少しばかり強く握る。もちろん傷跡を刺激しないように気を遣ってだが。意図を察したのだろうレオンハルトの表情が嬉しそうに和らいだ。
◆◆◆
寄り添いながら会場へと戻ってきたコーネリアとレオンハルトの姿に、どこからともなく感嘆の吐息が漏れた。
「美しい」「なんてお似合いなのかしら」と。それに続くのは最近の二人の仲の良さを微笑ましく話す声。
二人で公園を歩いている姿を見た。レストランのテラスで楽しそうに食事をしているところに出くわした。他家のパーティーでは片時も離れずに過ごし、見つめ合っては幸せそうに過ごしていた。
政略的な意味しかない婚約だと思っていたが、彼等はしっかりと愛を育んでいたようだ……。そんな会話さえ聞こえてくる。
周囲の囁き声を聞きながら、コーネリアはレオンハルトと共に会場内を進んだ。誰もが仲睦まじいと暖かな視線を向けてくる。心地良く、そして照れ臭くてくすぐったくなってしまう。
そんなもどかしさを胸に、自分達に注目が集まっている事を横目で確認すると、次いでレオンハルトを見上げた。
彼の表情が無言ながらに「準備は良いか?」と尋ねてくる。これには対して、先程とは逆に握っていた彼の手をそっと放すことで返事をした。といってもこれもまた了承の意味だ。そうして向かい合うように彼の前に立つ。
いったい何をするのかと興味を抱いたのか、周囲の視線が更に注がれる。
そんな中、レオンハルトがゆっくりと息を吸い……、告げた。
「コーネリア・カルナン、きみと俺とではつり合わない、きみとの婚約は破棄させてもらう」
かつて何度も聞いたその言葉は、今夜もまた高らかに会場内によく通った。
周囲が驚愕し息を呑む声が聞こえる。
近くに居たコーネリアの両親は信じられないと言いたげな表情を浮かべており、両陛下さえも唖然としている。誰も動かず、声を出すことも出来ずにいる。
繰り返しの中での婚約破棄では、母はコーネリアを気遣い庭に連れ出し、陛下はレオンハルトを叱咤し、周囲の者達もレオンハルトの身勝手さを非難していた。だというのに今の彼等にはその余裕が無いようで、ただひたすらに唖然としている。
周囲の反応の違いが面白くてコーネリアは笑みを浮かべそうになり、慌てて口元を引き締めた。
だがレオンハルトには気付かれていたようで、目が合うと彼がニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべて返してきた。「今、笑ったな?」と楽しそうに尋ねてくる彼の声が聞こえた気がする。後で何か言われるかしら、と考えればまたも表情が緩んでしまう。
それをなんとか律し、コーネリアはゆっくりと一度息を吐くと、まるで場を改めるように改めてレオンハルトを見上げた。
思い出すのは一番最初に聞いた婚約破棄の言葉。これから同じ一日を繰り返すことになると思いもしなかった夜会。
あの時のレオンハルトは一方的に婚約破棄を言い渡すや、すぐさま踵を返して去ってしまった。コーネリアを気に掛けることも、叱咤してくる父や弟の言葉に耳を傾ける事もせず。
だけど今は違う。彼はコーネリアの目の前に立ち、じっと見つめ、それどころか手を差し伸べてくれる。
そうして続くように彼が告げてくる言葉は、あの日、ようやく迎えた新たな『今日』、湖畔で告げてくれた言葉……。
「コーネリア、きみとの婚約を破棄させてくれ。そしてどうか俺と結婚してほしい」
まっすぐに告げてくる彼の言葉は、婚約破棄を求めていて、それでいてプロポーズの言葉でもある。
真逆の言葉の組み合わせだ。居合わせた者達はいよいよわけが分からないと言いたげで、驚くべきなのか呆れるべきなのかも分からず困惑し、質の悪い冗談の可能性を考えたのか怪訝な表情を浮かべている者もいる。理解が追い付かないのだろう。無理もない。
だがコーネリアには、いや、コーネリアにだけは、彼の言葉は何よりも愛しい言葉として胸に届いた。
これは未来の王と呼ばれる第一王子からの婚約破棄であり、そしてレオンハルトからのプロポーズなのだ。
だからこそコーネリアは彼を見つめたままはっきりと、
「はい」と返した。
はじめて彼に婚約破棄を言い渡された時のような、わけが分からず理解も出来ぬうちの生返事ではない。
これはちゃんとレオンハルトの考えを理解し、彼を知り、彼の気持ちを知り、そして自分の想いを込めた返事。
そして、今日から続く未来を約束する言葉だ。
※残り二話になります。
最後までお付き合い頂けると幸いです。