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59:あったかもしれない不幸

 


「……ん、」

「起きたか?」


 掠れる声を漏らせば、頭上から覚えのある声が返ってくる。

 微睡んでいた意識が次第に鮮明になり、次いで目の前の光景をぼんやりと視認しだした。


 暗い。明かりを消した自室とは違う暗さ。

 だが頭上には星空が広がっており、それが周囲の景色を薄ぼんやりと照らしていた。


 それらを眺め、コーネリアはようやく自分がどこで何をしていたのかを思い出した。

 ヒューゴに事情を話し、西の森にある湖に彼を連れてきてリネットが来るのを待っていた。だというのに、どうやら自分は待っている最中に眠ってしまったようだ。

 それもレオンハルトにもたれかかって眠っていたようで、慌てて体を起こせばパサリと膝に上着が落ちた。レオンハルトの上着だ。


「申し訳ありません。私、つい眠ってしまって……」

「疲れが溜まっているんだろう」

「もたれかかって重くはありませんでしたか? レオンハルト様も寒かったでしょうに上着まで貸してくださったんですね」

「君が寄りかかるぐらいどうってことないさ」


 気にしないでくれとレオンハルトが笑い、上着についても「羽織っていて良いから」と告げてきた。

 聞けばコーネリアが眠っていたのは二時間程度。レオンハルトが見せてくれた懐中時計を覗けば、既に時刻は十一時を過ぎ、それどころか半になりかけているではないか。

 森から吹き抜けてくる風も冷たさを纏っており、コーネリアはふるりと一度体を震わせると、レオンハルトに感謝を告げて彼の上着を羽織った。


「何か異変はありませんでしたか? リネットさんは? ヒューゴはどこへ?」


 眠ってしまっていた間に何か事態が動いたのではないか。そんな焦りが一気に押し寄せてコーネリアが問えば、レオンハルトが「大丈夫だから」と宥めてきた。

 曰く、現状に大きな動きはないらしい。もっとも異変がないのは『この場所』だけだ。


「リネットは夜会に現れて、グレイスが手にしていたワインや給仕係の持つトレイを奪ったらしい。『一つ先の今日』ではヒューゴが飲み物に毒を仕込まれていた可能性が高いな」

「そうですか……。それで彼女は?」

「警備に取り押さえられてレチェスター家に戻ったと報告があった。二時間以上前だな。その後の伝達はまだ来ていないが、時間を考えるに既に部屋を抜け出してこちらに向かってるはずだ」


 今頃リネットは馬に跨りこの地を目指しているのだろう。


 ヒューゴの死を嘆き、

 救えなかった己を悔やみ、

 そして次こそは彼を救うのだと心に決めて……。


 その胸中を思えばコーネリアの胸まで痛みだす。

 耐えるように胸元にそっと手を添え、次いで周囲を見回した。


「ヒューゴはどこに?」

「彼ならさっき湖の様子を見に行ったよ。ほら、あっちにランタンの明かりが見えるだろう。戻ってきたらコーネリアを起こそうと思っていたんだ」


 レオンハルトが指さす先には、確かにぼんやりとだが明かりがついている。自然物の明かりではない、あれは人が作り上げた明かりだ。

 こちらに戻って来ているのか明かりが微かに揺れている。しばらく眺めていると徐々に明確になり、次第にヒューゴの姿も見えはじめた。

 それを眺め、ふとコーネリアは頭上を見上げた。満点の星空が広がっている。きっとこんな状況でなければ美しさに見惚れていただろうに。だがそこに普段ならあるべきものが無い。


「今夜は月が見えないんですね」

「月? あぁ本当だ、確かに見えないな。俺も今まで気付かなかったよ」


 コーネリアにつられてレオンハルトも頭上を扇ぐ。

 ちょうどそのタイミングでヒューゴも戻ってきて、彼もまた頭上を見上げた。


「今夜は新月ですね。どうりで普段よりも暗いと思いました」

「普段はもっと明るいの?」

「はい。特に湖周辺は遮るものが何も無いので、時期によってはランタンがいらないほどに明るくなります」

「そうなのね。それはきっと綺麗でとても……」


 素敵でしょうね、と言い掛けたコーネリアの言葉に、カサリと小さな音が被さった。心臓ごと体が跳ね上がる。

 咄嗟にヒューゴが周囲に視線をやり、状況を窺うと同時にコーネリア達を庇うために森とベンチとの間に立った。その反射神経と咄嗟の行動は警備を務める者ゆえと言えるか。

 レオンハルトも音に気付き、険しい表情で音のした背後へと視線を向ける。


 草が揺れる音。それが森の奥から聞こえてくる。

 ……まるでこちらに向かっているかのように、次第に音を大きくさせながら。


 静かだったこの時間も終わりだ。

 それを感じ取れば同時にコーネリアの胸に緊張が湧き始める。レオンハルトへと視線をやると彼も表情を強張らせているが、それでもコーネリアが見ていることに気付くと穏やかに笑った。不安にさせるまいとしているのだろう。

 視線を落とすのは手元の懐中時計。横から覗けば、十二時まであと二十分を切ろうとしている。


「いつの間にと言うべきか、ようやくと言うべきか。ひとまず、ここまで何も無かった事を感謝しとこうか」

「……この音はリネットさんでしょうか」

「そうかもしれないが、それにしては音が大きいな。……話し声も聞こえる」


 複数人いると判断し、レオンハルトが手早くランタンの明かりを落とす。ヒューゴもそれに続けばあっという間に周囲は暗がりに覆われた。

 夜の闇が色濃くなり、数歩先の景色さえも見えなくなる。先程までは気にもならなかった梟の鳴き声が妙に耳に纏わりつく。

 音がした森の先をじっと見据えるも、もちろんだが何も見えない。入り組んだ木々は日中でさえ視界を遮るのだから、日付が変わる直前の夜の闇、それも月明かりのない今夜は木の形すらも隠してしまう。

 それでも確かに音と声が聞こえてくる。

 本来ならばこんな真夜中の森の中では聞こえるはずのない、荒く揺れる葉擦れの音、数人が喚く怒声……。


 押し寄せるような騒音に、コーネリアは緊張で体が強張るのを感じた。呼吸の音すらも躊躇われ、無意識に息を止めてしまう。

 息苦しさを覚えるのとほぼ同時に、森を覆う暗がりから人影が飛び出てきた。


「リネット!!」


 人影が誰なのかをいち早く判断し、ヒューゴが声をあげる。

 彼の声に被さるように、


「居たぞ!」


 と、荒々しい怒声が聞こえた。


 森の闇から飛び出して来たのはリネットだ。だが彼女だけではなく、数人の男達がリネットを追うように続けて現れた。

 一人は湖へと向かうリネットの腕を掴むと羽交い絞めにし、そして二人はヒューゴに対してナイフを構える。示し合わせる様子もなく咄嗟に役割を分担させているあたり、元々ここにヒューゴがいると踏んでいたのだろう。

 だがそんな男達もコーネリアとレオンハルトの姿を見ると顔付きを変えた。この暗がりの中でも驚愕と焦りの色が窺える。こんな場所に第一王子と公爵令嬢が居れば当然だ。


「くそ、なんでこんな所に……」


 忌々しいと言いたげに男の一人がコーネリアを睨みつけてきた。

 身元を知られまいと帽子を目深に被り口元も布で覆って顔の半分を隠している。だが布の隙間から覗く眼光は鋭く、敵意までは隠しきれていない。

 男達は誰もが手にナイフを握っており、まるで持ち主の敵意を汲み取ったかのように刃が光った。

 繰り返しの中で腹部を刺されたことを思い出してコーネリアの腹部がじわりと痛む。無意識に腹部に手を添えれば、ぬるりと血で滑ったあの感触さえも指先に蘇った。

 緊張と、不快感と、そして記憶の中で反芻される痛みが綯い交ぜになり、額にじわりと汗が浮かんだ。


 男達はじっとこちらの様子を窺いつつ、だが徐々に距離を詰めてくる。

 リネットだけは男に羽交い締めにされながらも言葉にならない声をあげ、一心不乱に湖へと向かおうとしている。その声が張り詰めた空気の中で不自然に響き続け、この場の異質さをより濃い物にしていた。


 緊張で息苦しさすら感じる中、レオンハルトが男の一人をじっと見据えた。


「もう時間がない。悪いが、お前達を相手にしている余裕は無いんだ」

「は? なにを言ってるんだ」


 淡々と話すレオンハルトに対し男の一人がどういう事かと問おうとする。だがレオンハルトは視線を他所にやっており、男に睨みつけられても動じることなく、指示を出すようにくいと微かに首を傾けた。


 次の瞬間、森の中から無数の人影が音もなく現れた。

 さながら暗闇が人の形を成して襲い掛かかるように。境目のないはずの闇から人が生まれ、手を伸ばす。


 男達が言葉を詰まらせ驚愕の表情を浮かべた。

 今回現れた人数は彼等の比ではない。その数は十を優に超え、瞬きの間で男達を取り囲むと押さえつけた。

 森の中に身を隠すための装備を身にまとった集団。その正体は王宮の警備であり、中でも潜伏に長けた者達である。元より息を潜めて見張ることを得意とし、更には月明かりの無い闇夜が彼等に味方していたのだ、男達が気付かないのも無理はない。


「くそ、なんだこいつら……! どこから情報が流れた、誰が情報を漏らした!」

「誰も情報なんて漏らしてない。お前達の行動はリネットが教えてくれたんだ」

「……あの娘が? だがあんな状況で話せるわけがない」


 男の視線がリネットへと向けられる。

 だがリネットは変わらず声をあげて暴れるだけだ。その様子からはとうてい何かを教えられるとは思えない。

 男が再びレオンハルトへと視線を戻し「ふざけるな」と吐き捨てた。苛立ちを増した低い声。きっとレオンハルトが嘘を言っていると考え、それに怒りを抱いたのだろう。


 そんなやりとりをコーネリアは静かに聞いていた。

 ちらと視線を向ければリネットの様子は相変わらずで、これを目の当たりにすれば男の考えも分からなくもない。

 だけどレオンハルトの話は事実だ。この窮地はリネットが教えてくれた。


 ただし『前回の今日』のリネットだ。


(前回の夜、リネットさんは目を覚まして直ぐにここに馬を走らせた。それはきっと『一つ先の今日』のヒューゴを、つまり今ここにいるヒューゴを助けるため。だけど途中で悲鳴をあげた……)


 あれは『前回の今日』が終わろうとしていた時だ。

 コーネリアはリネットとヒューゴを追いかけていたが、『今日』の境目である零時を前に意識が揺らぎ、進む事が出来なくなった。頭の中が白い靄で覆われるような感覚、意識が混濁し、体も動かなくなる……。

 だが意識が消えかける間際、コーネリアの耳に高く悲痛なリネットの悲鳴が届いた。それを頼りに意識を繋ぎ止め、足を動かしたのだ。


(あの時、きっとリネットさんはヒューゴの死を見て悲鳴をあげたんだわ。彼女が見ていたのは『一つ先の今日』、つまり一つずれた今、『今回の今日』。ヒューゴはこの場所で、このタイミングで、命を落とす。……はずだった)


 彼女の悲鳴を思い出したコーネリアはそこから今回のヒューゴの死を予測し、それをレオンハルトやヒューゴ本人に話した。

「多分ですが、このままではヒューゴは夜中に湖の近くで……」と、本人を前に死の予測を伝えるのは気が引けたが、そんな事を気にしている場合ではなかった。ヒューゴも青ざめはするものの真剣に話を聞いてくれた。

 そうして彼の死を防ぐために王宮の警備を森に待機させていたのだ。いつなん時、何があろうと直ぐに駆け付けられるように彼等は森の中で息を潜めて待ち、レオンハルトの合図を機に一斉に姿を現したのだ。


 もちろん、こんな事をわざわざ説明してやる気はない。

 説明したところで碌に聞きはしないだろう。現に男達はそれどころではないと逃げようとしている。

 もっとも、所詮は多勢に無勢。それも相手は鍛えられた王宮の警備達なのだ、逃れられるわけがない。


 男達が捕らえられたのを確認すれば、コーネリアもレオンハルトももうそちらに用は無い。レオンハルトが「後は頼んだ」と警備の一人に声を掛けるや、すぐさまリネットのもとへと駆け寄った。

 男の一人に羽交い締めにされていた彼女は、今はヒューゴに腕を掴まれている。だがその瞳はやはりヒューゴを見ることなく、何かに抗うように腕を大きく動かし、一歩でも湖に近付こうともがき続けている。




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