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57:西の森の湖

 


「私、リネットさんの声を聞いた……。あの時、確かにリネットさんはちゃんと話してた……! 次はヒューゴを救うって、確かに彼女はそう言っていたわ!!」


 突然声を荒らげたコーネリアにレオンハルトとヒューゴが驚いて顔を向け、次いでレオンハルトが迫るように腕を掴んできた。


「コーネリア、それはきみが一人でリネットを追いかけていた時か!? その時に彼女が真っ当に話をしたのか!」

「えぇ、そうです。私の意識が途切れる直前、確かにリネットさんは喋っていました。はっきりと、次はヒューゴを救うって、そう言って彼女は湖に入っていったんです!」


 朧気だったのが嘘のように、今でははっきりとリネットの声が思い出せる。

 まるで頭を殴られたかのような衝撃、そして言葉の内容の重さに、コーネリアは自分の体が強張っているのを自覚した。

 指先が細かに震える。息苦しさに浅い息を吐けば、気付いたレオンハルトが慌てて腕を掴んでいた手を放した。「すまない」と詫び、宥めるように優しく擦ってくる。


「こんな大事なことを、どうして今まで思い出さなかったのかしら。私、あの時ちゃんと聞いていたはずなのに……!」

「これだけ色んなことが起こってるんだ、全てを覚えるなんて無理な話だ。それで、リネットは『ヒューゴを救う』と言っていたんだな?」

「はい。記憶の限りでは……」


『待っていてヒューゴ。次はきっと、貴方を救うから……』


「……そう言っていました」


 あの時リネットは確かにヒューゴを救うと言っていた。そして湖に身を投じたのだ。

 結論だけ考えれば、リネットが自ら湖に入っていった事に変わりは無い。だけどそこに含まれる意志が、その先に繋がるものが、あの言葉を思い出した前と後とでは変わってくる。


 自殺という考えが覆されたのだ。


 リネットは死ぬために湖に入っていったのではない。


「リネットさんは『次の今日のヒューゴ』を救うために自ら湖に入っていったんだわ」


 思い出の場所だから湖で自殺を図ったのではなく、『次の今日』に行くための術が湖に身を投じる事だったのだ。


『九回目の今日』でリネットが早い時間に湖に身を投じたのは、彼女が護ろうとした『一つ先の今日(十回目の今日)のヒューゴ』が早朝に命を落とし、早く次の今日に行こうとしたから。

 そして『十一回目の今日』と前回の『十三回目の今日』でリネットが夜中に湖へと入っていったのも、ヒューゴを救えず、次の今日で彼を救おうとしたからだ。


「俺達とリネットが見ている『今日』は一つずれている。だがずれていようが何だろうが、ヒューゴを救えない限りリネットは何度だって湖に身を投じてまた『今日』を始める。となれば、俺達の取るべき行動もはっきりしてくるな」


 レオンハルトの表情に決意の色が宿る。

 コーネリアもまたその決意に応じるように頷いて返した。


「西の森に行こう。酷な話ではあるが、リネットが見ている『次の今日のヒューゴ』が死ねば、彼女はまた繰り返すために湖へ来るはずだ」



 ◆◆◆



 西の森は日中でも静けさが漂っている。

 時折は風が吹き抜けてそれを追うように葉擦れの音が続くか、それも波のように一瞬湧いてはすぐに消えてしまう。呼べば誰かしらが応える王宮や人が行き交う市街地のような賑やかさは無い。

 前回の夜に低く長く鳴いていた梟は今は巣で眠りに就いているのだろうか。代わりに別の鳥が高い鳴き声を響かせるが、それもコーネリア達が近付くと人の気配に恐れをなして飛び去ってしまった。


 既に日は落ち始めているもののまだ夜の闇は広がっておらず、それでも言い知れぬ空気が周囲に満ちている。一歩進むことすらも躊躇わせる、そんな張り詰めた空気だ。立っているだけで肌がピリつく。

 もっとも、そう感じるのはこの状況だからでしかない。

 全く別の要件で――それこそ最愛の恋人と過ごす二人きりの時間として――この場を訪れていれば、きっと自然を感じる美しい森として視界に映るだろう。重苦しさなんて一つも感じず、胸いっぱいに空気を吸い込んで清々しいと話すのだ。


「……リネットさんは、繰り返しの最後には必ずここに来ていたんですね」


 森の中を歩きながらコーネリアが呟く。誰にというわけでもなかったのだが、隣を歩くレオンハルトがそれを拾うように「そうだな」と返してきた。

 前を歩くヒューゴは足を止める事も振り返る事もしないあたり、コーネリアの声が聞こえなかったのか、もしくは聞こえていたがリネットの事を考えてそれどころではなかったのか。

 だがコーネリアも彼に話しかけたわけではないので、答えが無くとも気にはならない。もちろん歩みを止める気も無い。

 胸の内の苦しさに耐えきれず漏れ出た言葉に近く、それを察したのかレオンハルトも気遣うような表情で見つめてくる。


「どんな思いでこの森を歩いていたんだろうな。夜は真っ暗だからさぞや怖かっただろうに」

「そうですね。最初の頃はきっと歩くのも躊躇われるほどだったと思います」

「最初の頃、か……。リネットにとっての『最初の今日』はどんな一日だったんだろう」


 レオンハルトの声には覇気が無く、先程のコーネリアの呟きのようだ。彼もまた誰にというわけでもなく、返事を求めているわけでもないのだろう。話しながらも他所へと視線をやった。……まるでそこにリネットの姿を思い描くように。

 だが想像したところで分かるわけがない。

 それでも、こうやって幾度となく辿ったであろうリネットの足取りを追っていると、否が応でも彼女の繰り返しを考えてしまうのだ。思わずコーネリアが溜息を吐く。


「あくまで俺の推測ですが……」


 とは、そんな会話の中、控えめに入ってきたヒューゴの言葉だ。

 彼はここまで滅多な事では会話に加わらず、渋い表情でずっと足早に前を歩いていた。だが話をする気になったのか、もしくは一人考え込むことに耐え切れなくなったのか、歩く速度を僅かに落とし、コーネリアとレオンハルトと並ぶとゆっくりと話し出した。


「これはあくまで俺の推測でしかありません。それも『今回の今日』しか記憶の無い俺の推測です。……ですが、きっと『最初の今日』のリネットは、俺が死んだことに耐えられずに入水自殺を図ったんだと思います。……多分、その時には暗がりに対する恐怖もなにも感じる余裕は無かったかと」

「……そうね、周りへの恐怖なんて感じている場合じゃないものね」


 コーネリアとレオンハルトが繰り返しを始めるよりも前、それがどれほど前なのか想像も出来ないほどの前。確かにあったリネットにとっての『最初の今日』。

 その時のリネットはこれから起こる苦行を想像もせず、ただ輝かしい未来に胸を弾ませていたはずだ。

 だがそんなリネットを悲劇が襲った。輝かしい未来を共に歩むはずだったヒューゴの死だ。それがどんな死だったのか分からないが、リネットは悲しみ、絶望し……、


「そして、耐え切れず湖に身を投じた。俺が同じ立場でもきっとそうしています。俺もリネットを追って死ぬなら湖が良い。……ここは俺とリネットの思い出の場所だから」


 溜息交じりに話し、ヒューゴが足を止めた。

 彼の肩越しに見える景色が変わっている。どこまでも続く木々から一転して、開けた空間に。もっともその遥か先には再び草木がどこまでも生い茂っているので森を抜けたというわけではない。

 森の中にぽっかりと空いた場所だ。そこには波紋一つない水面が広がっており、半ば落ちかけた夕日に赤く照らされている。

 まるで炎が広がっているかのよう……、とコーネリアは考え、ふるりと体を震わせた。

 いつぞや味わった熱風が記憶の中から漏れ出て肌を内から焦がす。恐怖に駆られて無意識に後退れば、倒れるとでも思ったのか案じたレオンハルトが腕を掴んできた。


「コーネリア、平気か?」

「え、えぇ、……大丈夫です。ただ、景色を見ていたらなんだか怖く思えてしまったんです。美しい景色ですけれど、なんだかまるで……」

「この時間帯は夕日で赤く染まっていて、……まるで炎のようだ」


 目の前の湖を見つめ、その目をゆっくりと細めながらレオンハルトが話す。横顔に僅かに影が掛かったのは、彼もまた炎に絡め取られた時の事を思い出したのだろう。あれは『十二回目の今日』、渦巻く炎に覆い尽くされ、レオンハルトは命を落としたのだ。

 コーネリアは自分の腕を掴む彼の手にそっと己の片手を添えた。励ますように微笑めばレオンハルトの表情も僅かに和らぐ。


「心配したつもりだったが、逆に心配されたな。俺の事なら大丈夫だ。リネットが来る前に湖の周辺を調べてみよう」


 行こうか、とレオンハルトが促してくる。

 彼に促されてコーネリアもまた足を進めた。開けた場所に出たからか先程までの木々の香りが微かに変わる。これもまた清々しいはずの空気なのだが、やはり重くて息苦しい。




 湖は広く、湖畔に立つと全景は視界には収まりきれないほどだ。対岸の景色が随分と遠く小さく見える。

 木々に囲まれた森の中を歩いていたかと思えば一転してこの景色だ。まるでこの景色だけ別の場所から持ってきて嵌めこんだかのように見える。

 そのうえあと一時間もなく周囲は真っ暗になり、湖は夜の闇に覆われてまた姿を変える。黒に染まるのだ。そうなれば別の場所の景色どころか、どこまでも続く深い穴があいているように見えるだろう。

 人の手では成し得ない広大な自然を前にすると、己がいかにちっぽけな存在かを思い知らされる。

 繰り返しがこの湖によって起こっているというのなら、自分達の抵抗なんてこの広い湖に小石を投じる程度の些細なものなのかもしれない。


 そんな無力感とさえ言える不安を抱くコーネリアとは逆に、レオンハルトはここが勝負の場だと考えているのか、周囲を探りヒューゴにも詳細を聞いている。

 彼の姿を見て、コーネリアは小さく首を横に振った。胸の内に湧いていた不安を掻き消し、それだけでは足りないと、弱音を吐きそうになった己を叱咤するためにペチリと両の手で頬を叩く。


(何かしないと始まらないどころか終わらないんだから、怖気付いて時間を無駄になんてしていられない。……それに、私達の抵抗が些細なものでも、仮に失敗して何度『今日』に戻ってしまっても、レオンハルト様は隣に居てくださるんだもの)


 だから怖がることはない。目の前の湖が何だというのか。

 そうコーネリアは己に言い聞かせ、ヒューゴと話し合うレオンハルトの元へと向かった。



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