54:どんなネックレスでも
朝食も摂らず、コーネリアは出かける準備を急いだ。
今更のんびりと食事をする気にはなれない。だがふと思い立って食事の間へと向かうも、そこに母の姿は無かった。
今までの繰り返しの中、コーネリアが朝食を摂るためにこの部屋に入るといつも既に母が居た。ちょうど朝食の席に着いたタイミングだったらしく、穏やかに微笑んで「コーネリア、貴女も一緒にどう?」と誘ってくれるのだ。
だが今回の今日、そして今、時刻は今までのそれよりも随分と早い。寝起きの紅茶も飲まず、不思議そうにするヒルダに説明も碌にせずに外出の準備を終えたのだ。ほんの少しとはいえ確かな時間のズレ、まだ朝食の準備も出来ていない。
「コーネリア様、お食事ですか? 今すぐにご用意いたしますね」
「いえ、お母様に伝えたいことがあったの。もうそろそろ来ると思うから言伝を頼めるかしら」
「かしこまりました」
ヒルダが頭を下げ、言伝が長くなるようならばとメモを取り出そうとする。だがコーネリアはそれを制した。
言伝はそう長いものではない。そもそも伝えなくてもなんら問題は無いものなのだ。
ただ……。
「お母様は綺麗だから、どんなネックレスでも素敵よ。……って、そう伝えておいて」
よろしくね、とコーネリアはヒルダに言伝を頼むと、不思議そうにしている彼女を置いて歩き出した。
◆◆◆
カルナン家の屋敷を出て、向かったのは王宮。
急な訪問に誰もが驚いているがコーネリアにとっては今更である。どうしたのかと尋ねてくるメイドにコーネリアは詳細を話すでもなく「レオンハルト様に会いに来たの」とだけ告げた。
「レオンハルト様にですか?」
「えぇ、そうよ。でもきっとすぐに来てくださるわ」
もはや何も説明する気にならず「待たせてもらうわね」と話を終いにした。
メイドの表情がより怪訝な色合いを増す。その表情が今度は驚きへと変わったのは、コーネリアの言う通りレオンハルトが通路の先から現れたからだ。
「コーネリア!」と響く彼の声。
前回の今日では片目を負傷していたが、今の彼の顔には包帯も傷跡も無い。包帯に血を滲ませていた怪我もまたこの繰り返しの中で消えてしまったのだ。
メイドが目を丸くさせてコーネリアとレオンハルトを交互に見るのは、きっと彼女にとってコーネリアの先程の発言は予言めいたものに感じられたのだろう。
「レオンハルト様……。申し訳ありません、私、間に合わなくて……」
思い出されるのは暗い森を覆う夜の闇。足場の殆ど見えない中をレオンハルトの手を引いて走り、ヒューゴと、そしてその先にいるリネットを追いかけた。
その途中でレオンハルトは自分を置いていけと言い出した。片目を負傷しうまく歩けない彼は、自身が足手纏いになると判断したのだ。
コーネリアはそれに従い彼から懐中時計を受け取って走った。
……なのに、間に合わなかった。
湖に身を落とすヒューゴの後ろ姿が脳裏に蘇る。
そして同時に思い出されるのは、消えかけた意識の中で聞いた水の音。ヒューゴが湖に身を委ねる音。
あの時、ヒューゴはきっとリネットの後を追ったのだろう。
……つまり、リネットは既に湖に。
「私が間に合っていれば、もっと早く走れていれば……。リネットさんもヒューゴも止められたかもしれないのに……」
「コーネリア、きみのせいじゃない。落ち着いてくれ」
「そもそも、私がリネットさんの部屋を出たのが間違いだったんです。あの時に部屋に残っていれば、リネットさんを見張っていれば、こんな事にならなかったのに……」
レオンハルトと対峙した瞬間、胸の内に押し留め考えるまいとしていた後悔が矢継ぎ早に湧き上がる。
もっとうまく立ち回れていたら。落ち着いて対処していれば。自分にはそれが出来たはずなのに。
カーテンとシーツを繋いで部屋から逃げるなんて、それこそ自分がやった方法では無いか。それなのにどうしてリネットがその方法を取ると思いつかなかったのか……。コーネリアが参考にした本がリネットの棚にもあった、それを自分は把握していたはずなのに。
「レオンハルト様は身を呈してヒューゴを守ったのに……、それなのに私がリネットさんの部屋を離れたせいで……」
すべてを台無しにしてしまった。
その言葉を口にするや後悔が渦巻くように嵩を増し、コーネリアの胸中はすっかりと飲み込まれてしまった。
自分の落ち度を責める声がする。耳の内側で木霊するこの声は自分のものだ。
心の中の自分が、鋭く、正しく、前回の行動を一つ一つ責め立ててくる。
苦しい。だけど自分を責めるこの声の言い分は尤もだ。不甲斐なさに目尻に浮かんだ涙を指で拭えば、レオンハルトが「コーネリア!」と名を呼び肩を掴んできた。
「コーネリア、泣かないでくれ。きみのせいじゃない!」
「ですが、私……。レオンハルト様の努力を無駄にしてしまって……」
「無駄なんかじゃない。確かにまた『今日』に戻ってしまったが、分かったことはあるだろう。一つずつだとしてもちゃんと進んでるんだ。だからそんなに落ち込まないでくれ」
諭すようなレオンハルトの言葉に、コーネリアはゆっくりと頷いて返した。
次いで視線を感じてふと周囲を見回せば、メイドや使い達が不思議そうにこちらを見ているではないか。
割って入るのも躊躇われるのだろう。だからといって第一王子と公爵令嬢を放って仕事に取り掛かるわけにもいかない……、といったところか。思い返せば、以前にもこんな視線を受けた事があった。
「申し訳ありません。私ってば、つい焦ってしまって」
「あんな事があったんだから取り乱して当然だ。……そういえば、似たような言葉を前回も君に言った気がするな。その後は確か……、あぁそうだ。『あんな事を覚えてるのは俺達だけなんだけどな』だったか」
前回の今日、同じように朝、コーネリアはレオンハルトを案じて王宮へと駆け付けた。
そして彼の無事を確認すると、周囲の目も気にせずに湧き上がる安堵のままに話をしたのだ。その際に落ち着くように諭され、慌てた事を恥じると先程と同じように返された。
そういえば、とコーネリアもまた記憶を辿り、そして自分の落ち着きの無さを改めて実感した。先程まで胸を占めていた後悔が一転して羞恥心へと変わり、カァッと頬が熱くなるのを感じて慌てて両の手で押さえた。
その仕草が面白かったのか、レオンハルトが苦笑する。
「コーネリアが落ち着いてくれたなら何よりだ。ところで、本音を言えば部屋を用意して腰を据えて話をしたいところなんだが、俺はこのまま北の領地へ向かおうと思う」
「ヒューゴに会いに行くんですね。……ですが」
これでは同じことの繰り返しではないか。
自分達は繰り返しに抗っているつもりだが、全ては後手に回り、結局は『今朝』に戻ってしまう。
かといって何をどう行動したらいいのか分からない。結局コーネリアもまた、以前からの繰り返しと同じようにこの後レチェスター家へと向かい、リネットの様子を窺うしか考えつかないのだ。
もどかしさと不安、それに己への不甲斐なさがコーネリアの胸の内で綯交ぜになる。
そんなコーネリアの弱々しい訴えに対して、レオンハルトが「ヒューゴに話そう」とはっきりと告げてきた。
「何かが起こる前に繰り返しの事をすべて話して、ヒューゴに協力してもらうんだ」
「全てを……。確かにヒューゴに話して協力してもらうのが一番ですが、信じてもらえるでしょうか」
「リネットが今回も同じ状況なら、彼女を見れば流石に聞く耳は持ってくれるだろう。それに俺は前回の今日、ヒューゴとリネットしか知らない話を聞いた。それを話せば多少なり理解してくれるはずだ」
レオンハルトの口調ははっきりとしている。『ヒューゴとリネットしか知らない話』とやらに確証があるのだろう。
それが何かは気になったもののこれ以上足止めしてはいけない、そう考え、コーネリアは彼をしっかりと見上げて「後ほど詳しくお聞かせください」と伝えた。どうかご無事でという願いも込めて。
「それじゃあ、すまないが俺はもう行くよ。コーネリア、このまま王宮に残っていてくれないだろうか」
「王宮にですか? レチェスター家ではなく?」
「あぁ。俺もラスタンス家と合流したら一度彼等の屋敷に寄って、そのあとヒューゴを王宮に連れて来ようと思ってる。レチェスター家に居たらリネットを気にかけて話に集中出来ないかもしれないだろ。もちろん警備を出してあるから、リネットの動向は常に把握できるようにしてある」
「そうですね。王宮の方が三人で話をするにも邪魔が入らず良いかもしれません」
「それと、出来ればマーティスを手伝ってやってくれないか?」
曰く、ラスタンス家の御者が買収された件について、レオンハルトはマーティスに調査を頼んでいたという。
マーティスが証拠を掴み次第それを伝達係に頼み、疾駆けでレオンハルトが受け取る。それをもとに御者の企みを暴く……、という算段なのだという。
なるほど、とコーネリアはこの話に頷いた。前回の今日、レオンハルトはラスタンス家と合流するなり御者を取り押さえたと言っていたが、確かに証拠が無ければ不可能だ。「何度も繰り返したから知っている」なんて話はするだけ無駄である。
「突拍子もない話だが、前回マーティスは俺の話を信じて証拠を調べ上げてくれた。だから今回も大丈夫だとは思うが、念のためコーネリアにも協力してほしい」
「かしこまりました。では、何か分かりましたらすぐに伝達を出します」
「仕方ないとはいえマーティスは今回もすべて初耳だから、色々と聞き出されるかもしれないがうまくやってくれ。それと、出来れば二人きりには……。いや、なんでもない」
「なにかありましたか?」
言いかけたかと思えば話を止めてしまうレオンハルトを、コーネリアは不思議そうに見上げて首を傾げた。
だが彼は答えることなく「メイドを付けるよ」とだけ告げて、近くにいたメイドに何やら命じると、そのまま「またあとで」と残して去っていってしまった。
急いでいるのか、普段より幾分足早に見える。
その背中をコーネリアは首を傾げたまま見届け、穏やかに微笑むメイドに促されて王宮の奥へと向かった。




