52:『今回』の『今日』、打ち明ける事実
夜も深くなり、窓の外は夜の帳にすっかり覆われた。外灯の少なめなレチェスター家の庭は闇に包まれ、木々の影も目を凝らして薄ぼんやりと見える程度だ。
夜会もそろそろ終わりの時間か。
だがラスタンス家は御者の件があり、それを王宮で話し合うのだとしたらエルマーとヒューゴの帰宅はもうしばらく遅くなるだろう。
窓の外を眺めながらコーネリアが考えていると、同じことを考えていたのか、それともコーネリアの表情から察したのか、「夜会はもう終わりましたでしょうか」とサラが呟いた。
彼女とお茶を始めて一時間程が経った。もちろんリネットの部屋だ。ここから一歩も離れるまいとしたコーネリアの考えを汲んで、サラやラスタンス家夫人は度々部屋を訪ねてきてくれる。
彼女達も忙しいだろうと、むしろリネットがこの調子で更にラスタンス家御者の件があったのだからと、コーネリアは自分の事は放っておいて良いと話したのだが、どうやらそうもいかないらしい。むしろコーネリアと話すと気が紛れると言われ、こうやって向かい合ってお茶をして今に至る。
きっとサラはコーネリアを無関係だと考えているのだ。
コーネリアはあくまでリネットの友人でしかない。ラスタンス家の御者はおろか夫妻とも無関係。偶然リネットを案じて屋敷を訪ねてきたところ、騒動に巻き込まれ、最後まで付き合ってくれている……と。
「コーネリア様に夜会を欠席させる形になり、申し訳ありません」
詫びるサラに、コーネリアは慌てて彼女を宥めた。
レチェスター家に残ると決めたのは自分だ。それに残っていて何か役に立っているわけでもなく、ただリネットの部屋でじっとしているだけ。見守っていると言えば聞こえは良いが、実際はただ本を読んで、たまにサラ達とお茶をしているだけだ。
邪魔ではないかと問えば、今度はサラがコーネリアを宥めてきた。
そんなやりとりや他愛もない会話をしばらく続け、メイドに声を掛けられサラが部屋を去っていく。残ったコーネリアはまだ眠り続けるリネットの様子を眺め、次いで読み途中だった本に手を伸ばした。
眠るリネットを気遣い部屋の明かりは暗い。机に用意されていた灯りを手元に置いて、ようやく本が読める程度だ。
もっとも、こんな状況で読んだところで頭には碌に入ってこないのだが。それでも何も無い部屋で時計の音を聞いているだけよりはマシだ。
「時計……。そういえば、前回の今日はもう火事が起こっていたのよね」
レオンハルトの最期の言葉を思い出し、コーネリアは息苦しさを覚えて胸元に手を当てた。
息苦しい。熱風まで思い出されて体が熱くなる。ジリジリと肌を焦がすあの熱さは、きっと何度『今日』を繰り返しても、それどころか繰り返しを脱しても忘れることは無いだろう。
それと、耳を傷めかねないほどの銃声もふとした瞬間に蘇る。あれは『十一回目の今日』に聞いた銃声だ。
狩猟用の銃が暴発し、放たれた弾丸がヒューゴの頭を打ちぬいた。今となっては確認しようのない事だが、もしかしたら御者が銃に細工をしていた可能性もある。
あの時の銃声が、前回の今日に肌を覆った炎の熱が、滲むように体と意識をむしばんでいく……。
「駄目ね、一人で居ると後ろ向きなことばかり考えてしまう。……あら」
溜息交じりに呟き、次いで窓の外を見た。暗がりの中、一台の馬車が屋敷の門を通り抜けてこちらへと進んでくる。
ラスタンス家の馬車だ。もちろん御者は別の者が務めている。
きっとエルマーとヒューゴが戻ってきたのだろう。
「レオンハルト様もいらっしゃるかしら」
音を立てないようにそっと窓を開け、身を乗り出して様子を窺う。リネットの部屋は屋敷の二階にあり、見下ろせば馬車はおろか屋敷の門までの敷地全体が見通せる。
馬車は幾分早い進みで屋敷の前まで来ると速度を落とし、御者が扉を開けた。グレイスやサラ達がメイドを連れて出迎えに出ている。
その光景を、コーネリアはリネットの部屋から見下ろし……、
「レオンハルト様!!」
声を上げるやすぐさま部屋から出て行った。
馬車から降りたレオンハルトはヒューゴに支えられてようやく歩けるといった様子で、それは二階から見ても一目で分かる程に痛々しいものだった。
「レオンハルト様、大丈夫ですか!? あぁ、なんで、どうして……!」
「コーネリアか……。良かった、屋敷に居たんだな」
ヒューゴに支えられて立っていたレオンハルトがゆっくりと顔を上げた。
その顔には包帯が巻かれ、額と片目を覆っている。包帯に滲む血を見てコーネリアは息を呑んだ。
「レオンハルト様、その傷は……」
「屋敷に戻るために馬車に乗ろうとしていたら、突然背後から数人が現れて囲まれたんだ。それでこの様だ。あとはもう戻るだけだと思って油断してた」
「そんな……。大丈夫ですか? 医者は? お待ちください、今医者を連れて参ります!」
「落ち着いてくれ、コーネリア。もう医者に診てもらったよ」
診断済みだとレオンハルトが苦笑する。
包帯で覆われた顔で浮かべる苦笑はより痛々しさを増すが、それでも「大丈夫だから」という彼の言葉ははっきりとしている。痛みはまだあるのだろう耐えているのが分かるが、それでも前回の最期に話しかけてきたような掠れて儚い声ではない。
それを聞いて、屋敷へ戻って医者を呼ぼうとしていたコーネリアはなんとか落ち着きを取り戻し、改めてレオンハルトに向き直った。大事は無いとしてもなんて痛々しいのか。
「医者からは命に関わる傷じゃないと言われてる。それに、腹を刺されて火に巻かれるのに比べたらどうってことないさ」
「ですが……。傷は酷いのですか? 目は……」
「視力が戻るかは分からないな。傷跡は確実に残るらしいが、顔に傷があるほうが貫禄が出て良いかもしれない。どうだろう、似合うかな」
レオンハルトが冗談めかして笑った。彼らしい冗談だ。もちろんコーネリアを気遣っての冗談である。それが分かるからこそコーネリアは胸が締め付けられるのを堪え、「髭も生やしてみてはどうでしょう」と冗談に乗って返した。
レオンハルトが満更でもなさそうな表情を浮かべ、片手で自分の頬を軽く撫でて「悪くないな」と答える。
次いで彼はその手をコーネリアへと差し伸べてきた。
「コーネリア、少し支えて貰って良いか? 片目が見えなくてバランスが取れないんだ」
「もちろんです、どうぞお手を」
彼の手をコーネリアはしっかりと掴んだ。
もたれかかれるように寄り添えば、一歩近づこうとしたレオンハルトの体が僅かに揺らいだ。傷の痛み、片目を塞がれた不自由な視界、更に出血も酷かったというのだから、立っているのもようやくなのだろう。それでも「重くないか?」とこちらを気遣ってくる。
「グレイス、エルマー、俺はコーネリアと話があるから二人はご夫人達を連れて先に屋敷に入っていてくれ」
「かしこまりました。客室をご用意しておりますので、もしお辛いようでしたら我々との話は明日にして、どうぞお休みください」
「では、我々は先に……。ヒューゴ、お前も怪我をしているだろう、医者に診てもらった方が良い」
グレイスとエルマーが一礼し、妻達を連れて屋敷へと戻る。ヒューゴもこちらに一礼すると主人を追おうとし……、だがその途中で足を止めてコーネリア達の元へと戻ってきた。
思いつめたような悲痛な表情だ。苦しそうに眉根を寄せて小さく呻くと深々と頭を下げてきた。
「申し訳ありません。すべては俺のせいです……」
「貴方のせい?」
「ヒューゴ、馬車の中で何度も言っただろう。君のせいじゃない。むしろ君も巻き込まれた被害者だ」
「そう仰られても……。レオンハルト様は俺を庇い、お顔に傷まで……」
口にしたことでより責任を感じたのかヒューゴの表情が更に歪む。
彼はラスタンス家の護衛、有事の際には盾になり主人達を護る立場だ。それが逆に庇われ、しかもその相手は第一王子……。
ヒューゴが責任を感じるのも無理はない。いっそ自らが怪我を負った方が良かったと思っているかもしれない。――もちろん、命を落とすなんて事は考えてはいないだろう――
そんなヒューゴを見兼ねたのか、レオンハルトが少し考え込み……、
「ヒューゴ、聞いてほしい話がある」
深刻な声色で彼に告げた。
ヒューゴの体がビクリと一度小さく震える。叱咤どころではなく、ラスタンス家にまで咎がいくと考えたのだろうか。強張った表情は今にも許しを乞いそうだ。
それに対してレオンハルトは「落ち着いてくれ」と彼を宥めた。先程のコーネリア相手と言い、今のヒューゴ相手と言い、この状況において負傷者であるレオンハルトが一番落ち着いている。
「何度も言っただろう、ヒューゴ、きみが罪悪感を感じることはない。俺は俺の判断で君を庇ったんだ。それに、俺がきみを庇ったのも、あの時咄嗟に庇えたのも、理由がある」
「理由が……?」
罪悪感で俯いていたヒューゴが顔を上げる。
疑問を露わにした表情。それに対してレオンハルトがはっきりと頷いて返した。
コーネリアとレオンハルトが『今日』を繰り返している事、これが十三回目の『今日』である事。繰り返しの中でヒューゴは必ず命を落とし、そしてリネットが『一つ先の今日のヒューゴを』を救おうとしている事……。
レオンハルトは全てを話した。もちろん一回目の今日から今回までを事細かに話すには時間が掛かりすぎるので随所を省きはしたものの、それでも彼が伝えるべきだと判断したものは洗い浚い打ち明けた。
話の主導権こそ彼に譲っていたコーネリアだったが、時には話に加わり細部を補足し、時には自分が話し手になり見聞きしたことを語った。
しかし、改めて考えると随分と突拍子のない話ではないか。
この期に及んでふざけているのかと怒りを買ってもおかしくない。現にヒューゴも最初は疑心暗鬼の色を浮かべていた。話しているのが第一王子と公爵令嬢でなければ、与太話に付き合っている暇はないとさっさと屋敷に戻ってしまったかもしれない。
だが話がリネットの異変についてに差し掛かると彼の表情はより険しいものに変わり、怪訝な色に当事者としての困惑が混ざり始めた。
「……そんな、リネットが」
ポツリと呟く。信じられないと言いたげだが、今日見たリネットの様子を思い出しているのだろう。
リネットの瞳は明らかに何かを見ていた。だがその瞳の先には何もなく、更に彼女は何かを追いかけていった。
……何か。
その答えは『一つ先の今日のヒューゴ』だ。
「そんな話を突然されて、どう信じれば良いのですか……」
「信じられないのも無理はないと思う。だが俺は前回の今日、御者に切られて命を落とす君を見た。だから今回、御者の犯行を事前に暴き、そして君が襲われた際には庇う事が出来たんだ」
「……確かに、あの時のレオンハルト様の行動は誰よりも早く、迷うことなく俺を庇っていましたね」
「油断はしていたが、それでも君が命を落とす可能性は常に考えていたんだ。あの瞬間、即座に狙われるのは君だと分かった」
「そんなことを言われても……。俺は……。ですが、本当にリネットがそんな状況にあるのなら……俺になにが……」
ヒューゴの呟きは唸り声に近く、動揺しているのが伝わってくる。
次いで彼は屋敷を見上げ……、「リネット?」と恋人の名前を口にした。動揺の色が強かった表情が、意外なものを見たと言いたげなものに変わる。目を丸くさせ、驚きの色を交え……。
いったいどうしたのかとコーネリアはつられるように屋敷を見上げた。二階の端、リネットの部屋。先程までコーネリアが居た部屋だ。
窓はコーネリアが開けた時のまま……。
そしてそこから地面へと垂れる長い布を見て、コーネリアもまた「リネットさん!」と、繰り返しの渦に溺れる少女の名を叫んだ。




