表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/65

51:二人の当主

 


 ラスタンス家の馬車の手綱を握っていた御者は勤めて長いという。夫妻がレチェスター家に来る時も彼が御者を務める事が多かったというのだから、グレイスとも顔見知りなのだろう。

 そんな御者が何者かに買収されヒューゴの命を狙っていた。その理由は、ひとえにヒューゴがリネットと恋仲にあったから。


「なんて馬鹿なことを……」

「リネットの事で大変な中、我が家の不祥事に巻き込んでしまった……。すまないグレイス」


 貴族の当主が二人、互いの家に起こった不幸を嘆き合う。

 次いでグレイスがコーネリア達のほうへと視線を向けてきた。はっと息を呑み表情を強張らせたのは、今の今まで挨拶どころか話しかけもせずいたからだ。むしろ居ることにすら気付いていなかったのかもしれない。


 訪ねてきた王子と公爵令嬢を放っておくなど平時であれば有りえない話だ。

 とりわけ、コーネリアは部屋を出て行ったリネットを探しに行き、レオンハルトは御者の買収を暴いてラスタンス家の窮地を救った。本来ならばいの一番に感謝を示し屋敷に招くべきである。

 もちろん、レオンハルトもコーネリアもそれを咎める気など一切無いが。


「レオンハルト様にコーネリア様、ご挨拶もせず申し訳ありません」

「気にしないでくれ。こんな事になって大変だろう、無理もない」

「お気遣いありがとうございます。お恥ずかしい話ですが、いったい何がどうなっているのかまだ分からず、何をすべきかも……。なんて情けない」

「あまり自分を責めない方が良い。御者に関しては落ち着くまでこちらで預かる。それに誰に買収されたかも聞き出しておこう。他にも必要な事があれば力を貸す。だからリネットとレチェスター家の事を第一に考えてくれ」


 レオンハルトが穏やかに告げる。グレイスを落ち着かせようとしているのだろう、表情にも労りが感じられる。

 それを受けてグレイスが深く息を吐いて軽く頭を下げた。隠す余裕もないのか心労が露わになっており、レオンハルトが気遣ってそっと彼の肩を叩いた。

 二人は親と子ほど年齢が離れているものの、いまは王子と侯爵家当主であり、グレイスを慰めるレオンハルトの仕草や佇まいには貫禄さえ感じさせる。


「俺はそろそろ王宮に戻らせてもらう。御者のこともあるし、夜会の準備をしないと」

「夜会ですか……。リネットがあの様子ですので、私とサラは今回は控えさせていただきます。どうか両陛下によろしくお伝えください」


 グレイスが頭を下げて急な欠席を詫び、次いでエルマーへと視線を向けた。まるで託すような視線にエルマーが頷いて返す。

 グレイスは屋敷に残り、エルマーは出席する予定なのだろう。

 彼等のやりとりを見て、コーネリアは窺うように「ヒューゴは……」とエルマーに声を掛けた。


「彼は、今夜の夜会をどうなさるのでしょうか」

「ヒューゴですか……。あの様子だとリネットから離れるのを嫌がるかもしれませんが、出来れば連れていこうと思います。あれは真面目な男で思い詰める質なんです。リネットのそばに居続けたらヒューゴまで参ってしまうかもしれません」


 溜息交じりに話すエルマーの表情や声色は子を想う親のものだ。ヒューゴを息子同然に思っていることが伝わってくる。それはまるで、ヒルダがコーネリアに向けるように……。

 なんて痛々しいのだろうか。

 グレイスもエルマーも、もしも何事もなく平穏な『今日』を迎えていたら、今頃きっと肩を並べて笑い合い、今夜を楽しみにしていたのだろう。リネットとヒューゴの未来に想いを馳せて酒を酌み交わしていたかもしれない……。


 有り得たかもしれない『今日』を想像すればコーネリアの胸が痛む。

 だが胸の痛みを堪える事が出来たのは、それが有り得たかもしれない今日であり、それでいて、有り得ない未来ではないからだ。


 ヒューゴを救い、リネットを自分達と同じ『今日』に戻し、そして『明日』を迎える。

 そうすればグレイスとエルマーが肩を並べて笑い合う日もくるはずだ。今夜の夜会こそ参加できなくても、社交界に生きていれば夜会やパーティーには何度だって呼ばれる。いざとなったらコーネリアがカルナン家令嬢としてパーティーを開いて彼等を呼んだっていい。

 そこでリネットとヒューゴが手を取りあって出席し、それを両家の親達が見守るのだ。


 有り得ない未来ではない。

 いや、きっとその未来に向かっているのだ。そう信じているからこそ胸の痛みを耐えられる。


「私は出来ればリネットさんに着いていようと思います。もしも何かあれば力になりたいので……。グレイス様、よろしいでしょうか」

「えぇ、もちろんです。コーネリア様はリネットを探してきてくださいましたし、お断りする理由がございません。サラもそちらの方が喜ぶでしょう」

「ありがとうございます。では、少しレオンハルト様とお話をしてからお屋敷に入らせて頂きます」

「かしこまりました。私とエルマーは先に屋敷に戻っております。案内にメイドを残しておきますので、お話が終わりましたらお声掛けください」


 グレイスとエルマーがレオンハルトに対して深く頭を下げ、屋敷へと向かう。二人の足取りは見て分かるほどに重々しいが、彼等の胸中を考えれば当然だ。

 それを見届けコーネリアは一度深く息を吐き、隣に立つレオンハルトを見上げた。

 考え込んでいたのか、それともグレイス達の背中に痛々しさを覚えたか、彼は眉根を寄せて渋い顔をしている。だがコーネリアの視線に気付くと渋い表情を苦笑に変え、参ったと肩を竦めて見せた。


「リネットは屋敷に残り、ヒューゴは夜会に……か。出来れば二人が一緒に居てくれると有難いんだが、そう上手くはいかないようだな」

「そうですね。ヒューゴも屋敷に残すようにグレイス様に伝えようかと思いましたが、それでまた何かが起こってしまうかと思うと怖くて……」

「俺も同じ考えだ。ヒューゴが屋敷に残れば無事に夜を迎えられるというなら王族としての権限でもなんでも使う覚悟だが、今の段階ではレチェスター家にもヒューゴを狙ってる者がいるかもしれないからな……」


 無理やりにヒューゴを屋敷に残した結果、彼が屋敷内に潜む何者かに命を……、という可能性もある。

 それに無理に他者の行動を変えて『次の今日』にいるリネットやこの繰り返しに異常をきたすのも怖い。行動する必要は分かっているが、反面、その行動によりこの繰り返しに永遠に閉じ込められる恐れもあるのだ。

 ここはひとまず『十三回目の今日』の流れに沿いつつ、ヒューゴを助けるべきだ。そう話せばレオンハルトが同意した。


「惜しむらくは、前回のリネットの行動を把握していない事だな。前回の彼女が何をしていたかが分かれば、今回のヒューゴを救うヒントになるんだが……」

「私も前回はリネットさんが眠っていると思って部屋を出てそれっきりでした。もしかしたら今回のように部屋を出ていたのかもしれません。レオンハルト様、何があるか分かりませんので、くれぐれもお気をつけください」

「あぁ、分かった。コーネリア、きみも大変だと思うが気を付けて。御者の件という名目で王宮の警備を残しておくから、もしも何かあったら連絡をくれ。直ぐに駆け付けるから」


 互いに無事を祈り合い、レオンハルトが王宮に戻るべく馬に跨る。

 それを見つめていれば、不安が顔に出ていたのだろうか、レオンハルトが気遣うように優しく微笑んだ。


「ヒューゴを救おう、そして一緒に『明日』を迎えるんだ」


 優しく、そして力強い言葉。

 告げると同時にレオンハルトが手綱をぐいと引いた。馬が返事をするように一度高く嘶き、颯爽と走り出した。



 ◆◆◆



 コーネリアがメイドに案内されて屋敷に戻ると、リネットは自室で眠っているとサラが教えてくれた。

 きっとまたも医師の判断による投薬があったのだろう。あの様子を見るに無理もない。


「私、リネットさんのお部屋に居させて頂きます。出来ればそばに居てあげたいし、あと、先程お借りした本が途中だったので」


 それらしい理由も添えて話せば、サラも疑うことなく了承してくれた。

 彼女も本音を言えばリネットから一時も離れたくはないだろう。先程リネットを一人にしていたら外に出られてしまったから猶更、片時も離れず、一瞬も目を離すことなく、監視するように側に居たいはずだ。

 だがその立場を考えれば、何もかも放って娘に付きっきりとはいかない。侯爵家夫人としての最低限の仕事はこなさねばならないのだ。

 リネットの異変、更にラスタンス家の御者の企てと続き、屋敷の中は騒然としているはず。サラにはそれを鎮める役目がある。


「でしたら、後ほどお茶をお持ち致します。……どうかリネットの事を見守っていてあげてください」


 託すように告げて、サラが一礼して去っていく。

 彼女を見送り、コーネリアはリネットの部屋へと入っていった。


 数時間前と何も変わらぬ部屋。ベッドに横たわり緩やかな寝息を立てるリネット。彼女の表情にはやはり異常をきたしている片鱗はない。

 だが今のコーネリアには痛々しく見え、囁くような声でリネットを呼んだ。


「リネットさん、ヒューゴは貴女の隣に居たのよ。何度も貴女の名前を呼んでいたの」


 ヒューゴがすぐ隣にいるのに、リネットにだけは見えていない。彼の声も聞こえない。なんて残酷なのだろうか。

 そして先程見たリネットの様子から考えるに、彼女が見ている『次の今日』では、彼女の訴えは誰にも届いていないのだろう。あれだけ必死に訴えても何かを返された様子はなく、そして自分を置いて移動してしまうヒューゴを追いかけていた。


 リネットは今ここに居て、それでも彼女の意識は『次の今日』にある。

 だが『次の今日』には既にリネットが居るのだ。そしてそのリネットの意識は、更に一つ先の今日にある……。


 一回分だけ、それでも確かに一回分、リネットは存在と意識がずれてしまっている。

 その結果、彼女の行動を理解出来ず言葉も聞こえず、そして彼女もまた行動を理解してもらえず言葉も聞いて貰えない。


「それはどれだけ怖い事なのかしら……」


 現状、コーネリアはいまだ繰り返しの中に囚われたままだ。ヒューゴを救おうとしているものの、それが解決に繋がるかは定かではない。

 それでもコーネリアの言葉を誰もが聞いてくれる。繰り返すたびに忘れて、同じ言葉を返してきたとしても、両親や友人達の瞳は真っすぐにコーネリアへと向けられ、話しかければ返事もしてくれる。

 なによりコーネリアにはレオンハルトがいる。共に記憶を共有し、一つ一つ積み重ねた会話をしてくれる存在。それがどれだけ有難いか……。


「でも、リネットさんは一人きり」


 囁くような声色で呟き、眠るリネットの顔を覗き込んだ。


「『明日』がきたら、たくさん話をしましょう。きっとみんなリネットさんの話を信じないでしょうけど、私とレオンハルト様ならどんな話だって信じるわ」


 この繰り返しの中でリネットが何をしたのか、どんなことをしてヒューゴを救おうとしたのか、どれだけ繰り返したのか……。

 それはコーネリアでさえ想像も出来ない話なのだから、繰り返しの記憶の無い者達が理解など出来るわけがない。

 きっとそんなまさかと疑い、ある者は冗談だと笑い、ある者は夢でも見ていたのだろうと相手にせず、そして中にはリネットがまだおかしいのではと考える者もいるだろう。

 だがコーネリアは彼女の話を疑う気はない。どれだけ突拍子も無い話だったとしても彼女の話を聞いて、信じて、そして労うつもりだ。


 だから……。と、コーネリアは眠るリネットの手をそっと握った。


「だから、どうか心折れずにいて……」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ