05:繰り返す令嬢と王子
『今日』が眠る前に考えていた『明日』ではなく『三度目の今日』だと知り、コーネリアは愕然とした。
用意された服も、朝食の場も、朝食のメニューも、そして母との会話も、全てが覚えのあるものなのだ。食事の味もろくに分からず、母の話も耳に入りこそすれども意識にまでは届かない。まるで思考が薄い膜に覆われてしまったかのようで、鼓動の音だけが奇妙なほどに自分の中で木霊する。
気持ち悪い……。何が気持ち悪いのか、それすらも分からない。
そんな中ネックレスを選んでほしいと頼まれ、コーネリアはゆっくりと顔を上げて母を見た。
「……お母様、私、今日は王宮に行かないといけないの。申し訳ないけどお母様のネックレスを選んでいる時間は無いかもしれないわ」
「あら、そうなの?」
「そう……、レオンハルト様とお話することがあるの。だから、もう……部屋に戻るわね」
「あまり食べてないようだけど、食欲が無いの?」
コーネリアが立ち上がれば、様子がおかしいと感じ取った母が案じてくる。
それに対してコーネリアは引きつった笑みで返した。目覚めに頼んだ紅茶が美味しくて飲み過ぎたみたいと腹部に手をやっておどけて見せる。幸い、母もそれ以上を言及することは無かった。
「レオンハルト様と、もしお会いしたら両陛下に『今夜の夜会、楽しみにしております』と伝えておいて」
「え、えぇ、分かったわ……」
ぎこちなく笑い、コーネリアは食事の場を後にした。
◆◆◆
自室へと戻り相応の服に着替え、コーネリアは馬車を出して王宮へと向かった。
本来ならば事前に連絡が必要だろう。突然王宮に、それも夜会の準備をしていると分かっていて訪問するなど非常識と咎められても仕方ない。用件によっては忙しいからと門前払いを喰らう可能性だってある。
だがカルナン家は王家と懇意にしており、とりわけコーネリアは両陛下から娘のように可愛がられてきた。品行方正な今までの行いもあって、突如訪ねてきたコーネリアに対して誰も訝しがることはない。
なにより、コーネリアはレオンハルトの婚約者なのだ。これを無下にすることはないだろう。
まだ今は、というべきだが。
「レオンハルト様はどちらに? 彼に、私が来ていることを伝えて」
メイドに告げれば、彼女は意外だと言いたげに目を丸くさせた。更には「レオンハルト様ですか?」と確認してくる。
きっとコーネリアが両陛下ではなくレオンハルトに会いに来たのが意外だったのだろう。思い返してみれば、コーネリアもこんな事は初めてだ。
今まで幾度となく王宮を訪ねてきたが、用件は専ら両親の付き添いや両陛下への挨拶。王子の婚約者としての行動ではあるが、肝心の王子であるレオンハルトに対しては居合わせたら挨拶と当り障りのない会話しかしていなかった。
そんなコーネリアが、連絡もなしに朝からレオンハルトに会いにきたのだ。
メイドが意外に思うのも仕方ない。もっとも、今のコーネリアには訪問理由を説明する余裕はなく、そもそもコーネリア自身が今の状況を説明してほしいぐらいなのだ。お願い、早く、と急かす事しか出来ない。
「か、かしこまりました。今お呼びします……」
「コーネリア!!」
メイドの返事に被さるように、コーネリアを呼ぶ声が聞こえてきた。
レオンハルトだ。彼は通路の先から現れると、足早にコーネリアへと近付いてきた。
その表情は誰が見ても分かるほどに焦りが露わになっている。メイドどころか居合わせた使いまでもがぎょっとして彼を見る。
「俺もいまカルナン家に行こうと思っていたんだ。入れ違いにならなくて良かった」
「レオンハルト様、私……。昨日の、いえ、今日のことで話が……」
「あぁ、分かっている。だがひとまず人払いをしよう。誰か部屋の用意をしてくれ」
レオンハルトの言葉に、先程のメイドがより不思議そうな表情をしつつ恭しく頭を下げた。
王宮にある一室にコーネリアは案内された。
上質な調度品で揃えられた一室だ。窓の外に広がる中庭は美しく、カーテンをふわりと揺らして入り込む風は涼やかで清々しい。
向かい合って座るレオンハルトとの間にはティーセットが用意されている。美しい花柄のカップからほんのりと紅茶の湯気があがる。
傍目には麗しい男女の一時と映るだろう。
だがその表情は随分と険しく、室内に満ちる空気が重い。コーネリアも出された紅茶に口をつけはしたものの碌に味など分かりはしなかった。
「コーネリア、単刀直入に聞かせてもらう。きみは……、いや、きみも『今日』を繰り返してるのか?」
口火を切るなり核心に触れるレオンハルトの問いに、コーネリアは息を呑んだ。なにか言いたいのに言葉が詰まってしまう。
その態度こそが返事となったのだろう、レオンハルトが眉根を寄せ「やっぱりそうか」と呟いた。
コーネリアの体の中で心音が響き渡る。もはやどこに心臓があるのか分からなくなりそうなほど、鼓動は大きく息苦しさが湧く。
それでもとぎゅうと胸元を押さえ、震える声でレオンハルトへと話しかけた。
「……きみも、ということは、レオンハルト様も同じなのですね」
コーネリアが問えば、レオンハルトが静かに一度頷いた。
曰く、彼もやはり同じ『今日』を繰り返しているのだという。
「これはどういうことなのでしょうか。どうしてこんな事が……。一昨日も昨日も同じで、それに今朝も、同じことを言われて、誰もがみんな終わったはずの夜会が今夜にあると言うんです。誰も今までのことを覚えていなくて、私だけが、でももう終わったはずなのに……!」
「落ち着いてくれ、コーネリア。俺も同じ状況でまだ碌に理解出来ていないんだ。ひとまず互いのことを確認しよう。俺は今日を既に三回繰り返している、つまり『三回目の今日』だな。きみは?」
「私も三回目です……」
「昨日と今朝の時点で確認した限りでは、きみ以外に同じ状況にある者はいなかった。カルナン家はどうだ?」
レオンハルトからの質問にコーネリアは首を横に振って返した。
昨日、コーネリアは自分の置かれた状況に理解が追い付かず殆どを自室で過ごしていた。それでも朝食時には母と話をし、部屋にいる時もヒルダを始めメイド達が紅茶や食事の手配に何度か訪れた。夜会のためにドレスを着る際にも手伝ってもらい、父とも顔を合わせた。
積極的に確認に回ったわけではないが、それでもカルナン家にいる者達の何人かとは言葉を交わしている。そしてその際には僅かな期待を込めて『今日』についてを尋ねた。
だが誰一人として、繰り返しのことを言及せず、そして繰り返している様子すらも見せなかった。
「多分、カルナン家では私一人だけかと思います……」
「そうか……。だが自分一人だけじゃないと分かったのは良かった。それに俺達だけじゃなくて他にも同じ状況の者はいるかもしれない」
「……そう、ですね」
「俺は今夜の夜会で挙動のおかしい者はいないかを探ってみようと思う。もしかしたら昨日の俺達みたいに、繰り返しと違うことに反応する者がいるかもしれないからな。そこでコーネリア、きみに今夜の夜会を欠席してもらいたいんだ」
「欠席ですか?」
レオンハルトの提案に、コーネリアは疑問を抱いて彼を見た。
紫色の瞳がじっと見つめてくる。
「昨日の、……いや、ここは『前回の』と言った方が正しいかな。前回の今日、俺ときみのやりとりは確かに変わっていた。そのおかげでお互いが繰り返していることに気付くことが出来たんだ。だが結果的に俺はきみに婚約破棄を言い渡し、会場を離れていった。大まかな流れは変わっていないだろ」
問われ、コーネリアは昨日を……もとい、前回の今日を思い出してコクリと頷いた。
確かにレオンハルトの言う通りだ。彼からの婚約破棄の言葉こそ調子が変わっていたものの、その他の流れは変わっていない。
「レオンハルト様の仰るとおりです。私も貴方を追おうとしましたが叶わず、母に連れられて庭園へと出ました。多少の違いはありましたが、結果的な流れは同じです」
改めて考えればなんとも薄気味悪い話ではないか。
だが今はその恐怖を押し留め、コーネリアは最初の今日と前回の今日を比較した。
多少の違いはあれども概ねは同じだ。
レオンハルトは夜会の最中にコーネリアに婚約破棄を言い渡し、父と共に会場を後にした。そしてコーネリアもまた母に連れ出され、両親と共に馬車に乗って早々と会場を後にした。
あの場にいて二人のやりとりを目の当たりにした者ならば違いに気付くだろうが、遠巻きに眺めていた者達や、居合わせず後から伝聞で聞いた者ならば同じと捉えてしまうかもしれない。コーネリアとて、第三者として他者に話す身となれば殆ど同じ文言で伝えただろう。
「だから今回は大々的に変えてみようと思う。婚約についても口にせず夜会を過ごすつもりだ」
「そうですね……。それに、もしかしたらそれが切っ掛けでこの繰り返しが終わるかもしれませんね。では、私は具合が悪いということにして家に残ることに致します」
「あぁ、そうしてくれ」
互いにやるべき事を決める。だがやるべき事が決まったからといってコーネリアの気持ちが晴れるわけがない。胸中は困惑と不安に覆い尽くされたままだ。
思わず吐いた溜息は深く、己を落ち着かせるために一口飲んだ紅茶の味もやはり分からない。自然と俯き、どうしてこんな事に……、と不安を心の中で呟けば、向かいに座るレオンハルトが「だけど……」と話を続けた。参ったと言いたげな表情だ。
「よりにもよって、繰り返すのが『今日』とはな」