49:すれ違う恋人達
王宮を出て、コーネリアは一度カルナン家に戻った。
朝食どころか説明も無しに馬車に飛び乗って王宮を目指しただけあり、両親はもちろんヒルダや屋敷の者達までも心配していた。もっとも、いったい何があったのかと問われても事実を説明する事は出来ず、そこは当り障りのない話で誤魔化すしかないのだが。
そうして手早く準備を終えて再びカルナン家を出る。向かった先はもちろんレチェスター家だ。
「リネットは今は眠っております。……医者に、少し眠った方が良いと言われまして」
繰り返しの中で聞いたものと一字一句同じ言葉を告げてくるのはグレイス・レチェスター。
これに対してコーネリアはそれでもと食い下がった。前回の今日と同じやりとりだ。今回もまたグレイスは難色を示したものの、結果的にコーネリアの要望に応じて屋敷へと案内してくれた。
何も変わらないリネットの部屋。窓からの風を受けて揺れるカーテンの色も、本棚に綺麗に並べられた刺繍の本も。
……そして、眠るリネットもまた、何一つ変わった様子はない。
「リネットさん、お邪魔するわね」
意味が無いと分かっていても一声掛ける。
リネットは静かに眠っており、事実を知ってもなおその寝顔は穏やかとしか思えない。目を覚ましたら柔らかく微笑んで一緒にお茶をして、そして「また夜会で」と別れそうだ。
だがそれはコーネリアの願望でしかなく、きっと仮に今この瞬間にリネットが目を覚ましても、彼女は柔らかく微笑むことは無いだろう。
それでも、いっそ肩を揺すってリネットを起こしてしまおうかという思いが過る。そうすれば何かが変わるかもしれない。何もかもが手探りすぎて、無理やりな手段さえも考えてしまう。
だが起きたところでリネットがこちらの話を理解してくれる可能性は低く、もしも部屋を出ようと暴れ出した場合、コーネリアだけで対処できるはずがない。無理にリネットを起こして暴れさせたとなれば、グレイスに不審に思われ、少なくとも今回の今日はリネットに近付くことさえできなくなってしまうかもしれない。
「リネットさん、あなた、いつもヒューゴを助けるために部屋を出ようとしていたのね」
そう考えれば、リネットが眠らされている事も酷に思える。
もちろん、眠らせようとした医者の判断も、それに従ったグレイスやサラの気持ちも分かる。彼等を非道と訴える気はない。
だがリネットがヒューゴを救おうとしていると分かった今は、起こして彼女を自由にさせてあげたくなる。
たとえそれが『一つ先の今日』だったとしても。自分達では理解の出来ない世界の事だとしても。
「リネットさんがヒューゴが生きている事を望んでこの繰り返しが起こっているのなら、もしも私達がヒューゴを救ったらどうなるのかしら」
ふと、コーネリアが呟いた。
もちろんこれに対しての返事はない。だが返事は元々期待しておらず、更にと独り言ちる。
「私とレオンハルト様がヒューゴを助けて、彼が生きていることをリネットさんに伝えられたら……。そうすれば、リネットさんの願いが叶って『明日』を迎えられるかもしれない」
この繰り返しがヒューゴを救うリネットが起こしたものだとして、彼女も『自分がヒューゴを救う』ということ自体には固執していないはず。むしろそんな余裕があるとは思えない。
それならば、どうにかしてコーネリアとレオンハルトがヒューゴを救い、それをリネットに伝える事が出来れば……。
だがそこまで考え、コーネリアは改めてリネットへと視線をやった。
「でも、リネットさんと会話は出来そうにないし……」
コーネリアの耳に幾度となく聞いたリネットの言葉とは思えない声が蘇る。
あの喋り方もリネットが異常をきたしたゆえだと思っていた。
だがもしかしたら、リネットは『一つ先の今日』で何かを話しているのかもしれない。そしてそれは彼女にとって『一つ前の今日』の自分達には通じない。
だとしたらリネットは何を話して、何を訴えようとしているのか。
そうして考え込むことしばらく、コンコンと部屋の扉が叩かれた。不意打ちのノック音にビクリと体を震わせ、上擦った声で返事をする。
ゆっくりと開けた隙間から窺うように顔を覗かせたのはレチェスター家のメイドだ。見覚えのある顔に、コーネリアははたと前回を思い出して机に置かれた時計へと視線をやった。
リネットの母であるサラ・レチェスターからのお茶の誘い。前回の今日とまったく変わらぬ時間である。
もっとも、今更それに対して寒気を覚えたり怯えたりなどはしない。
サラ・レチェスターとの会話は、これもまた前回と同じものだった。
コーネリアから話を振る時は前回とは違う話題にするが、サラが話し出す時は内容も言葉もタイミングもすべて覚えのあるものだ。
そんな中、サラがふと壁を見つめた。その先にいる、ベッドで眠るリネットを見つめているのだ。これもまた同じだ。
「リネットは本当に穏やかな子で、普段であればあんなに暴れたり騒ぐことはないんです。先日だって、ヒューゴに贈る刺繍がようやく完成したとそれはそれは喜んでいて……。二人で揃いの花を胸に飾って夜会に出るんだと話していたんです。それなのにどうして……」
前回の訪問時と一字一句変わらぬ言葉でサラがリネットを語り、そして同じタイミングで目元を拭う。
娘の豹変に嘆く彼女の姿は二度目であっても痛々しく、仮に何十回と繰り返しても慣れるものではないだろう。
コーネリアはその姿に胸を痛めつつ、サラとグレイスのためにもこの繰り返しを脱さなければと心に誓った。
だがどうすれば良いのか……。と、ふと考えた瞬間、ガタンッと大きな音が響いた。
「なにかしら……」
サラが不思議そうに周囲を見回す。平時であれば物が落ちたか、メイドや使いが家具を動かしているかと考えるだろう。コーネリアも異常な状況でなければ気にもしなかったはずだ。
だが今は先程の音が気になる。
前回の今日、こんな異音はしなかった。
鼓動が早まり一瞬聞いただけの音が耳の奥で何度も蘇る。それが心音と重なり、体中で響いているかのようだ。
前回の今日と変わらぬレチェスター家の屋敷で、前回の今日は起こらなかった異音。本来なら有りえないはずの変化。
ならば異音を発したのは、変わらぬこの屋敷の中でそれでも変化をもたらすものだ。
それはつまり……。
「リネットさん!!」
コーネリアは息を呑み、リネットの名を叫ぶと同時に立ち上がった。
リネットが部屋から居なくなったとメイドが伝えにきたのはその直後だ。
◆◆◆
リネットの部屋へと急ぐサラにコーネリアは彼女を探しに行くと告げ、すぐに屋敷を出た。
馬車の準備をする僅かな時間すらももどかしい。準備が終えるや飛び乗ると北の領地を目指すように告げた。
「リネットさんは部屋を出てヒューゴを探しに行ったんだわ。でもリネットさんは次の今日に居る。つまり、次の今日も今の時点ではヒューゴは生きているという事かしら……。それとも、もしかしたらまた西の森に向かったのかも……」
リネットは『一つ先の今日』を元に行動している。
コーネリアではどうあっても知りようのない事だ。見失った以上、北の領地を目指すか、西の森に向かうか、別の場所へ行くか、すべては賭けでしかない。
「次は絶対にリネットさんから目を離さないようにしないと」
眠っていると信じ込み、サラとお茶をするために部屋を出て行った事が悔やまれる。
もしかしたらあの時リネットは起きていたのかもしれない。彼女が繰り返しの記憶を持っているとすれば、投薬に対して対策を取るはずだ。
次の今日ではサラの誘いを断るか、せめてリネットの部屋でお茶をしよう。そうコーネリアが心に決めた矢先、窓の外に見覚えのある姿を見つけた。
一台の馬車を前に、何やら話し込んでいるのは……。
「レオンハルト様!」
咄嗟に名前を呼び、窓から顔を出して御者に彼の元へ向かうように告げた。
馬車が大きく揺れて進路を変える。その音を聞きつけたか、もしくは先程のコーネリアの声が届いたのか、レオンハルトがこちらを向いた。
銀の髪が揺れる。驚いたと言いたげな表情。堪らずコーネリアは速度を緩めた馬車から飛び降り、バランスを崩して倒れかけるのを無理やりに耐えて彼のもとへと駆けつけた。
「コーネリア、どうしたんだ」
「レオンハルト様、ご無事で良かった。私、レチェスター家にいたんですがリネットさんが居なくなってしまって、それで……!」
「リネットを追ってきたのか。……彼女ならそこに居る」
レオンハルトの言葉に、コーネリアは「え?」と小さく呟き、彼の視線を追うように馬車の先を見た。
ラスタンス家の馬車。傍らに立つのはラスタンス家夫妻。夫妻は困惑を露わに寄り添い、目の前の光景を見つめている。
道の先で、何もない場所に向かってしきりに声をあげているリネットを。
ヒューゴが腕を掴んで名前を呼んでも、こちらを向かせようとしても、リネットは一切応じることは無い。ヒューゴの声に応えることもましてや彼を見ることもせず、ただしきりに何かを訴えている……。
まるでその場所にこそヒューゴが居るかのように。
「やっぱりリネットは俺達とは別のものを見ているんだな。彼女の世界では、きっと彼女の目の前にヒューゴが居るんだろう」
「どうして……、隣にヒューゴが居るのに……」
「彼女が来てから誰もが声を掛けたんだが、終始あの調子だ。ヒューゴの声にも反応しない」
曰く、レオンハルトは数時間前には既にヒューゴ達の元に辿り着いていたという。
御者がヒューゴ暗殺を企んでいる事を暴き、その後は彼等と共に来た道を引き返すように王都を目指した。もちろんリネットの様子がおかしい事も伝えてある。
そこに馬に乗ったリネットが駆け付けてきた。
だがリネットはヒューゴの呼びかけにすら応えることなく、ただ一点を見つめて言葉とは思えない声をあげ続けるだけ……。
異様としか思えない光景。そこにコーネリアが駆け付けてきたのだ。
ヒューゴが顔色を青ざめさせ悲痛な声でリネットを呼び、倒れかねない夫人を夫君が支える。
その光景にもリネットは一瞥する事はない。
かと思えば突如ぐるりと顔の向きを変え、声をあげながらも馬に乗った。




