48:繰り返しの中に一人
脳裏に蘇るのはリネットの姿。友人達の話を楽しそうに聞き、自分が話す番になるとどこか気恥ずかしそうにする控えめな子爵令嬢。
刺繍針を手に布のカンバスに花を描いていく姿も想像出来る。愛しい人が喜んでくれることを願いながら丁寧に針を進めていくのだろう。
だがその想像は一瞬にして崩れ去っていった。さながらガラスが割れるかのように、微笑ましいリネットの姿が崩壊し、次いで現れたのは……、誰の言葉にも返さず、誰も理解出来ぬ声を発し、誰に制止されても気にもかけず必死に行動する、この繰り返しの中のリネットの姿だ。
「リネットも俺達と同じように『今日』を繰り返している。多分、彼女の方が俺達より先にこの状況に陥ったんだろう」
「今回の『今日』が十三回目だと思っていましたが、それも違っていたということですね」
「あぁ、きっと俺達が把握しているよりもずっと前からこの繰り返しは始まっていたんだ。それがどれぐらいかは俺達じゃ分かりようもないが、きっと一回や二回ではないだろうな。もしかしたら、俺達の十三回が些細な事に思えるぐらいに繰り返しているかもしれない」
「刺繍が趣味のリネットさんが、馬に乗って早く走れるようになるぐらいに……」
小さくコーネリアが呟けば、今度はレオンハルトが首肯した。
彼の表情が渋くなるのは、きっと自分がリネットの立場だったらと考えたのだろう。眉根を寄せ、目を細め、想像するだけで辛いと言いたげだ。
コーネリアも同様に痛む胸を押さえた。
もしも自分がリネットの立場だったなら。
この繰り返しを何十回も、それこそレオンハルトが話したように十三回が些細に思えるくらいに続けることになったとしたら。
そして……、
「……もしも、リネットさんが一人でこの繰り返しの中にいたら」
それを想像しただけでコーネリアの胸が痛みを増す。絶望に心臓が圧し潰されそうで、鼓動が息苦しさを訴える。
次いでレオンハルトへと視線をやれば、彼も悲痛そうな表情を浮かべていた。
コーネリアが十三回目の今日を迎えてもなお絶望に負けずに居られるのは、ひとえにレオンハルトが居てくれるからだ。
誰もが忘れてしまう『今までの今日』を彼だけは覚えており、共有し、そして共に『明日』を目指してくれる。
この異常な状態を誰かと分かち合えることが、そして『分かち合える人が居る』ということが、どれだけコーネリアの支えになっているか。
レオンハルトが居てくれるからコーネリアは心折れずに居られる。
彼が諦めずにいてくれるから、前を向き続けてくれるから、コーネリアも明日がくると信じて居られるのだ。
そしてレオンハルトが心折れかけた時には、自分が彼を支えなくてはと強くいられる。
だからこそ、もしも自分が一人だったらと思えば恐怖すら抱く。
きっと十三回目を迎える頃には絶望し、諦め、一字一句変わらぬ言葉を聞いては一字一句変わらぬ言葉を返し、ただ無気力に過ごしていただろう。抗うこともせず、繰り返しの渦に取り込まれる時を待ち続けたはずだ。
「リネットさん……」
「実を言うと、俺はリネットが繰り返している可能性については以前に一度考えていたんだ。繰り返しの中で乗馬の練習をすれば周囲は驚くだろうとコーネリアに話した時に、もしかしたらリネットも同じなのかもしれない……って。だがリネットが夜会に最初に現れたのを見て、その様子から直ぐに考えを否定してしまった」
リネットの様子はあまりにも異常で、レオンハルトは彼女の繰り返しの可能性を直ぐに否定してしまった。
「それに、リネットがラスタンス家夫妻に会いに行こうとしているとも考えたが、それも彼女の行動から見当違いだと判断した。彼女の行動はラスタンス家ともヒューゴとも無関係と結論付けた。……駄目だな、こんな異常な状態にあってもまだ常識の範囲内で物事を考えていたんだ」
甘かった、とレオンハルトが己を悔やむ。
だがそれも仕方あるまい。
リネットの様子はそれほどまでに異常で、ラスタンス家とヒューゴの行動とは全く別物としか思えないものなのだ。
八回目の『今日』、ラスタンス家の馬車とヒューゴは落石により命を落とし、リネットはその夜の夜会に突如現れた。
九回目の『今日』、ラスタンス家夫妻とヒューゴは無事に王都に辿り着き夜会に出席したが、リネットは湖に身を投じて自殺を図った。
十回目の『今日』、ラスタンス家の屋敷に早朝物盗りが侵入しヒューゴは朝早くに命を落とし、リネットは西の森へと馬を走らせた。
十一回目の『今日』、ラスタンス家当主エルマーとヒューゴは西の森を訪れ、ヒューゴは銃の暴発で命を落とし、リネットは夜会に姿を現し小屋に水をかけ続けた。
そして前回の、十二回目の『今日』に繋がる。
彼等の行動に関係性を見出すのは不可能と言えるだろう。
『同じ今日』で考えれば。
「リネットさんは『一つ先の今日』でヒューゴを助けようとしていた……」
その事実を口にすれば幾度か感じていた違和感がはっきりとした形に変わっていく。
レオンハルトが先程より一層眉根を寄せ、深く息を吐くと同時に頷いた。彼も同じ結論に至ったのだろう。
確かに、リネットの行動はヒューゴの行動や彼に降りかかる不幸とは一致していない。
彼女の様子を見れば誰だって、異常をきたしたリネットはヒューゴの死すら理解出来ていないと判断するだろう。
だが実際は違っていた。リネットの行動はいつだって『一つ先の今日』のヒューゴと関係していたのだ。
ヒューゴを追って夜会に現れ、夜会の最中に去る彼を追っていった。
朝早くにヒューゴが命を落とした事を知り、絶望で自殺を図った。
西の森に向かう彼を追って自らも西の森へと馬を走らせた。
……そして、燃え盛る小屋に残されたヒューゴを救うため、水をかけ続けた。
リネットの行動はどれも理解しがたいものだ。
だが『一つ前の今日』と重ねて考えれば、彼女は常にヒューゴを追いかけ、そして救おうとしていたと分かる。
「この繰り返しはリネットさんが起こしているのでしょうか?」
「リネット自身が望んで起こしているかは分からない。だが彼女のヒューゴを救いたいという願いに呼応している可能性は高い。……多分、最初の『今日』でもヒューゴは命を落としたんだろうな」
「それが発端となって……」
はたしてそれは何回遡った『今日』なのか。
その『最初の今日』、リネットは初めてヒューゴの訃報を受けた。
嘆き、悲しみ、……そして願っただろう。
愛しい恋人を失った『今日』をやり直したい。
彼を救うためなら何だってするから……、と。
「リネットが実は魔女で、魔法を使って今日をやり直している。もしくは、彼女を憐れんだ神様が与えたチャンス。あるいは、誰かがリネットを呪って彼女を絶望の一日に閉じ込めた。……なにをどう考えても御伽噺めいて有りえないと言いたいところだが、現に俺達も繰り返しの中にいるから何とも言えないな」
「でも、どうして私達なんでしょうか?」
「俺達って?」
「この繰り返しがリネットさんがヒューゴを救うためのものだったとして、どうして巻き込まれたのが私とレオンハルト様なのでしょう。私、リネットさんとは何度か話はしましたが仲が良いという程ではありませんし、ヒューゴに至っては彼の名前すらも知りませんでした」
不仲ではないが、さりとて親しいと言える程の仲ではない。
もしもリネットを助けるために誰かが繰り返しに巻き込まれるとしても、それはコーネリアではなく彼女の家族や友人、もしくはヒューゴに関与する者達ではないのだろうか。
たとえば、オリビア・リスタールだ。彼女はリネットの親友であり、ヒューゴとの仲も、今夜の夜会が特別なものになることも事前に聞かされていた。リネットが夜会の事を話した数少ない人物の一人だ。
もしもオリビアが繰り返しに巻き込まれていたら、もっと早くリネットの事実に辿り着けたかもしれないのに……。
それを話せば、確かにと言いたげにレオンハルトも頷いた。
彼もまた何故自分が巻き込まれたのか思い当たる節がないのだろう。
そうしてしばらく考えを巡らせ……、ふと、コーネリアは「婚約」と呟いた。
「婚約がどうしたんだ?」
「いえ、それが原因というわけではないのですが……、ただ、なんだか酷い皮肉だと思ったんです」
「皮肉?」
「リネットさんは夜会を楽しみにしていました。恋人のヒューゴに初めてエスコートしてもらえる特別な夜会。二人は婚約の公言こそまだですが、お互いをきちんと想い合っていたんです。誰もが微笑ましく語る程に愛し合っていた」
「……そうだな。そんな特別な夜会で、俺はきみに婚約破棄を言い渡した。身分ゆえの、お互いを何も知らず、お互いのことを何も知ろうとしなかった契約だけの婚約。想い合う恋人達の繰り返しに俺達が巻き込まれるのは、確かに皮肉と言えるな」
落ち着き払った声色で話すレオンハルトに、コーネリアは静かに彼の話を聞き、小さく頷いた。
改めて自分とレオンハルトの関係の薄さを思い知らされ、胸の内が重苦しく澱む。
『お互いのことを何も知ろうとしなかった』。
確かにレオンハルトの言う通りだ。レオンハルトのことを『次期王である第一王子』としてしか把握せず、それだけ把握していれば十分だと考え、彼の人となりを深く知ろうとしなかった。
繰り返しの中でヒューゴを救おうとするリネットの強い想いと比べて、なんて浅はかなのだろうか。
そんな自虐的な気持ちが胸を占める。
だが次の瞬間に顔を上げたのは、レオンハルトが「神様が与えたチャンスか」と話し出したからだ。
「さっき俺が言っただろう。この繰り返しはもしかしたら『神様が与えたチャンス』かもしれないって」
「えぇ、仰ってました」
「もしかしたら、リネットを憐れんだ神様が彼女にヒューゴを救うチャンスを与えて、そのおまけで俺達がお互いを知るための機会をくれたのかもしれないな」
どうだろう、とレオンハルトが自論を語る。
彼の話を聞き、その意外性にコーネリアはパチンと一度瞬きをした。
「それは……、確かに、私はこの繰り返しでレオンハルト様を知る事ができましたが……」
「俺も同じだ。ずっとコーネリアのことを、手の届かない完璧な女性だと考えて、俺では隣に並ぶに値しないと決めつけていた。それで婚約破棄を言い渡したんだ。だけど俺達はちゃんと話を重ねてお互いを知るべきだった。だから、もしかしたら神様がそのため時間と機会をくれたんじゃないかと思ってさ」
「それで私達がこの繰り返しに?」
「あくまで俺の推測だけどな。それも『神様がリネットにチャンスを与えた、そのついで』という推測に更に推測を重ねただけ、むしろ俺の希望と言ってもいいぐらいだ。でも、そうやって考えていた方が前向きになるだろう」
悲劇と考えどれだけ嘆いても、悍ましい呪いと考えどれだけ恐れても、結局のところ『今日を繰り返す』という事実は変わらない。
それならば前向きに考えた方が良いと話すレオンハルトは普段通りの声色で、それどころか今の話し合いについても「前進してる」と言い切った。客室に入った時こそ顔を強張らせていたが、今は穏やかな表情に戻っている。
なんとも彼らしい解釈に、コーネリアは視界が明るくなるのを感じた。レオンハルトが眩く見え、その光が胸の内にまで届いていく。
「そうですね。確かに、嘆いても恐れても同じなら前向きに考えるべきですね」
「あぁ、俺達はこの繰り返しの中でお互いを知る事が出来た。その時間はけして無駄じゃなかったはずだ。だけど流石にもう繰り返すのは十分だ。『明日』を迎えよう」




