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46:なにもかも赤く

 


 小屋は庭師達の道具置き場と休憩所であり、景観のため庭園からは見えないもののそう離れてはいない。

 庭園を抜けて足早に歩けばすぐに小屋の全貌が見え、そこに立つ男の姿に気付いてコーネリアは足を止めた。


「あれは……、ラスタンス家の御者?」


 前回の今日、西の森で出会った男だ。彼もまた西の森に入りヒューゴの死を目の当たりにした。言葉を交わした事は無かったが姿は覚えている。

 だけどどうして彼が小屋の前に……、そう疑問を抱くのと同時に御者はこちらを向き、次いでコーネリアを見るとその顔を引きつらせた。前回の今日とは別の人間なのではと思えるほどの険しい表情。

 気圧されコーネリアは思わず数歩後ずさり、そして御者の手元に視線をやって息を呑んだ。


 なぜ、手にナイフを握っているのか。

 なぜ、そのナイフの刃は真っ赤に染まっているのか。


 さながら濁流する川のように疑問がとめどなく浮かぶ思考とは裏腹に、手足はまるで凍り付いたかのようにピクリとも動かない。

 逃げなくてはと本能が訴える。だが動いた瞬間に御者の手にあるナイフが自分の腹に刺さりそうで、その光景が脳裏に浮かび更に体を凍り付かせる。


 そんな硬直から解放されたのは、小屋から聞こえてきたものがぶつかる衝突音を聞いたからだ。

 心臓が跳ね上がり体ごと大きく震える。ひゅっと高い音が喉から漏れ、今になってようやく呼吸を忘れていたことに気付いた。対峙していたのは僅か数秒、だが何分も息を止めていたかのように苦しさが後から追いかけてくる。


 次の瞬間コーネリアの視界に小屋の窓が……、その奥で揺らぐ真っ赤な炎が視界に映り込んだ。


「あ、あなた、なにをしたの……!」


 震える声でコーネリアが声を上げる。

 その声に触発されたのか男が表情を更に険しくさせ、次いでコーネリアへと向かって走り寄ってきた。

 咄嗟に避けそうとするも、その動きすらも男は追いかけ、体ごとコーネリアへとぶつかってきた。


「きゃっ……!!」


 衝撃に耐えきれず、短い悲鳴をあげると共に地面へと倒れ込む。

 それと同時に腹部に鋭い痛みが走り抜けた。まるで熱した鉄を押しつけられたかのような痛み。呻いて腹部を押さえ、それでもと顔を上げれば走り去る御者の後ろ姿が見えた。


「ま、待って……」


 縋るように御者へと手を伸ばす。だが視界に映り込んだ自分の手が真っ赤に染まっており、その異様な光景にコーネリアは御者を呼び止めることも忘れて息を呑んだ。

「え……?」と細い声が喉から漏れる。それとほぼ同時に脇腹の痛みが鋭さを増した。

 見下ろせばドレスの腹部が真っ赤に染まっている。


 赤薔薇のコサージュ。そんな錯覚を見たが、次いで走り抜けた痛みがそれが間違いだと気付かせた。

 腹部の赤は薔薇のコサージュではない。ナイフで刺された傷、そこから溢れた血だ。自分の身体とは思えない悲痛な光景にコーネリアは眩暈を覚え、それでもとゆっくりと立ち上がった。

 体勢を変えたことで再び激痛が走る。よろりと足がふらつき、それもまた痛みを呼ぶ。

 だがそれでもと小屋へと足を進めた。近付けば近付くほど周囲の空気に熱がこもっているのが分かり、熱気が顔に触れる。


「誰か、きて……。火が……!」


 声にならない声をあげ、また一歩小屋へと近付こうとし……、窓にゆらりと揺れる人影を見た。


 ひとが、と呟きまた一歩近付けば再び痛みが走る。

 だがその痛みすらも消え失せるほどの驚愕が走ったのは、窓越しに覚えのある銀の髪を見たからだ。


「レオンハルト様!」


 もはや腹部の痛みも体中を覆う熱も気にはならず、レオンハルトの名を呼んで駆け寄る。

 窓に張り付けば中は真っ赤な渦に覆われ、壁にもたれかかるように座る彼の姿が見えた。


「レオンハルト様、レオンハルト様! 返事をしてください、レオンハルト様!」


 窓を叩き彼の名を呼べば、その音と声に気付いたのかレオンハルトがゆっくりと顔を上げた。

 周囲を真っ赤な炎が渦巻き、それを受けて彼の銀の髪までもが赤らいで見える。虚ろな瞳がコーネリアを見つめ、唇が何かを伝えようと動く。

 レオンハルトの側に倒れているのはヒューゴだろうか。見覚えのある上着。だが辛うじて顔を上げているレオンハルトとは違い、ヒューゴは炎に囲まれても、ましてや上着の裾に炎が着いてもピクリとも動かない。


「ドアを……、今、直ぐに……!」


 ふらつきながらも小屋の扉へと向かう。

 だがそこには強固な南京錠が掛けられており、試しにと力いっぱいに引いても外れそうにない。扉越しの炎に熱された南京錠を握るコーネリアの手に火傷が広がるだけだ。

 その激痛に顔を顰めながらも扉を叩きつければ、「コーネリア」と微かに呼ぶ声が聞こえてきた。

 炎で小屋が歪み始めているのか、扉が微かに動く。隙間としか言えないその狭さ越しに銀色の髪が見えた。

 扉の向こうにレオンハルトがいる。低い位置に彼の髪が見えるあたり扉に寄りかかるように座っているのか、コーネリアも頽れるようにしゃがみこんだ。


「コーネリア、そこに居るのか……」

「レオンハルト様! お待ちください、今すぐにドアを……。それか窓から入って」

「無理だ、中はもう火がまわって……。それに俺が……動けない……」


 レオンハルトの声は苦し気で、浅い呼吸をしながら御者に刺されたことを伝えてきた。

 御者が手にしていたナイフ。コーネリアを刺す前に既に真っ赤に染まっていた。あれはレオンハルトの血だったのか。……いや、レオンハルトだけではなくヒューゴも、きっとあの刃に害されたに違いない。

 再び腹部の痛みが舞い戻りコーネリアが小さく呻くと、それに気付いたレオンハルトが眉根を寄せた。元より苦し気だった彼の表情が更に歪む。彼の視線はコーネリアの腹部に、赤く染まる一か所を見つめている。


「コーネリアもやられたのか……。すまない、俺を追ってきたから……」


 自分の方が危機的状況にあるというのにレオンハルトが詫びてくる。コーネリアはそんな彼の名を呼ぼうとし、だが声がうまく出ず激しく咳き込んだ。

 それとほぼ同時に腹部の痛みが増し、見れば炎に負けぬほどに自分の腹部が赤く染まっている。

 ただでさえナイフで刺された痛みにより呼吸は荒くなり、そのうえ扉の隙間から煙が流れ出て呼吸を乱す。吸う呼吸は熱く喉を焦がし、レオンハルトの名を呼ぼうとするも咳にしかならない。


 炎が渦巻く轟音が刻一刻と激しさを増す。

 だがその中に誰かが近付いてくる足音と声が聞こえ、コーネリアは痛みに呻きながら振り返った。

 炎の熱か、煙か、痛みか、それとも涙か、視界は酷く揺らでいる。だがそんな視界の中、こちらに駆け寄ってくる人影がぼんやりと見えた。


「見てください、レオンハルト様。助けが……」

「駄目だ小屋がもたない……。コーネリア、危ないから離れてくれ」

「そんなこと出来ません。レオンハルト様を、お助けしないと」


 だから、と言い掛けたコーネリアの肩を誰かが掴んだ。

 王宮の警備だ。いつの間にか十人近くが集まり、ある者は消火活動を始め、ある者は窓を割って中に入ろうと試みる。

 その中の一人がコーネリアの肩を掴んで下がるように促してくる。だがコーネリアの腹部を見ると顔を顰め、更に扉越しにレオンハルトの姿を見ると声をあげて仲間達へと伝えた。

 次いでコーネリアの怪我を気遣い肩を貸そうとしてくる。


「コーネリア様、危険ですのでお下がりください! すぐに医者が参ります!」

「でもレオンハルト様が……!」


 コーネリアが扉へと手を伸ばそうとする。

 だがその手は先程よりも赤く染まっており、扉に触れようとするも震えるだけで力が入らない。

 それでもと扉の隙間から見えるレオンハルトに呼びかければ、苦し気だった彼の表情が僅かに和らいだ。唇がゆっくりと動く。


「また次の今日に会えるから……。だから、泣かないでくれ……」


 炎が渦巻く轟音と喧騒、その中で聞こえてくる囁くようなレオンハルトの声。苦しそうで、それでも優しさを含んでいる。

 それがコーネリアの耳に届いた彼の最後の言葉だった。

 次いで一際大きな轟音が響き、僅かに見えていた扉の隙間からの景色も真っ赤な炎に掻き消された。炎が渦巻いて覆い尽くしたか、それとも小屋の一部か調度品が崩れ落ちたか、一瞬にしてレオンハルトの姿を消し去ってしまった。


「……レオンハルト様?」


 コーネリアがポツリと彼を呼ぶ。

 だが呼びかけに対しての返事はなく、代わりに耳に纏わりつくのは避難を促す警備の声。それでもコーネリアが反応出来ずにいると警備が強引に体を担ぎ上げてきた。傷を気遣っていたが、もうそんな場合では無いと判断したのだろう。


「レオンハルト様、返事をしてくださいレオンハルト様!」

「コーネリア様、落ち着いてください!」

「あぁ、嫌! どうして、レオンハルト様!」


 警備に半ば担がれるように移動させられ、それでもコーネリアは小屋へと手を伸ばした。手はいまだ血で赤く染まり、手を伸ばした先の小屋も炎に巻かれて赤い。炎は一気に火力を増して、今はもう小屋の屋根を超えるほどに炎と黒煙が渦巻いている。

 警備も増え、避難を促された来賓達の一部が遠目で眺めている。中には悲痛な声をあげる者も居り、その中から医者と、そしてコーネリアの両親が駆け寄ってきた。


 彼等が何かを言っている。

 医者が腹部を見て部下に指示を出し、母は嘆きながらコーネリアの手を握り、父は風に乗ってくる火の粉から庇うように上着をコーネリアに被せる。

 だがその声も、彼等が呼ぶ自分の名前も、レオンハルトの名を呼ぶ両陛下の声もマーティスの声も、そして頽れ嘆くラスタンス家夫妻の声も、今のコーネリアの耳には届かない。


 コーネリアはただじっと一点を見つめていた。


 消火活動を手伝うメイド達。彼女達は必死にバケツで水を汲んでは小屋にかけている。

 だが専門の設備で消火活動を行う警備達に対して、彼女達が使っているのはバケツだ。庭師達が普段使っている物で、もちろんだが消火活動には適していない。

 それでも、燃え盛る炎を前には無力と分かっていても、何もせずにはいられないのだろう。



 小屋に水をかけ、

 空になったバケツを手に井戸に戻り、

 水を汲み、

 また小屋に水をかける。



 その姿は、前回の今日、自分達の制止の声も聞かずにひたすらに同じ事を繰り返していたリネットの姿と重なり……、


(あぁ、そういう事だったのね……)


 コーネリアは一つの考えに至ると同時に、拭き上げた熱風に煽られ、強く襲った眩暈に抗えずに意識を手放した。



 ◆◆◆



 微睡んでいた意識がゆっくりと覚醒する。

 普段であれば緩やかな目覚めになるはずだが、コーネリアは意識が戻ると同時に恐怖が自分の身体を支配するのを感じた。

 脳裏に蘇るのは真っ赤な炎に覆われる小屋の光景。そして……、


 ぞっとコーネリアの背に寒気が走り、震える体を両腕で押さえた。有るはずのない黒煙が部屋の中で渦巻いている気がする。窓から入り込む風は涼やかなはずなのに、今だけは熱風を纏っているように思えてしまう。寒気がするのに熱い。

 無意識に腹部を押さえる。痛みは無いが、服を捲って傷を確認しようとするも硬直した体は腕すらも自由に動かせない。

 部屋の隅ではヒルダが朝の支度をしており、その背中を震えながら乞うようにじっと見つめた。


(お願い、どうか『十三回目の今日』であって。繰り返していて……)


 今この瞬間だけは強く繰り返しを乞う。

 そんなコーネリアの視線を感じたのか、ヒルダがゆっくりと振り返った。



「おはようございます、コーネリアお嬢様。本日の夜会、楽しみですね。レオンハルト様にお会いするのは久しぶりでしょう」




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