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43:あるはずだった特別な時間

 


『十二回目の今日』もレチェスター家の空気は重く、訪れたコーネリアは説明を受けずともリネットがあの状況なのだと理解した。

 屋敷から出てくるグレイス・レチェスターの表情も同じだ。告げられる言葉もまた変わりは無く、今回もまたリネットは医者の指示のもと眠らされているという。

 前回はそれならと引き下がったコーネリアだったが、今回はずっとリネットのそばに居ようと決めたのだから退くわけにはいかない。難色を示すグレイスに対して、心配だから、そばに居たいから、そう繰り返して応じて貰った。



 そうして通されたレチェスター家の屋敷の中は、厳かでありつつも言い知れぬ重苦しい空気が漂っていた。

 ぴりと張り詰めたような空気。メイドや使い達の悲痛な表情はより空気の圧を増させ、通路を歩いているだけで息苦しさが付き纏う。


 屋敷の窓からは明るい光が差し込み、通路に飾られた生け花が美しく咲き誇っているからこそ、よりこの空気を異質なものとさせた。

 それと同時にこのちぐはぐさを目にして改めて思うのは、やはりリネットの異変は『今日』からという事だ。

 きっと『昨日』までのリネットは何らおかしなところのない刺繍を好む淑やかな令嬢だったのだろう。異変に対応しきれない屋敷の細部が、取り繕えないメイドや使い達の様子が、この異変が突然だったことを物語っている。


「リネットさんの部屋の中に入らせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「部屋にですか……。リネットはこちらの話も聞かずしきりに部屋から出ようとしていたので、もし起きたとしてもコーネリア様に何かあったら……」


 困惑した表情でグレイスが話す。

 自分の娘が他人を――それも友人として訪ねてきたコーネリアを――害するわけがないと思いながら、それでも今のリネットの状態を考えると万が一を想像してしまうのだろう。自分で自分の発言に納得出来ないと躊躇いが顔に出ている。

 そんなグレイスに対してコーネリアはあえて穏やかに微笑み、「もしも何かあれば誰か呼びますから」と告げた。コーネリアがこの状況を前にしても落ち着いた態度を取っているからか、グレイスが僅かに安堵し「そうですね」と同意をしてきた。


「では、部屋の外に警備を付けますので必要な時はお声掛けください。それと今すぐにメイドに紅茶を手配させます」

「お願い致します。……リネットさん、失礼するわね」


 眠っているリネットを気遣いつつ控えめに声を掛けて、コーネリアはそっと部屋へと入っていった。




 昨夜、否、前回の夜もこの部屋に入った。調度品は何一つ変わっていない。

 この繰り返しを続ける限り、この部屋もまた変わる事は無いのだろう。たとえばいまコーネリアが物を動かしたり壊したとしても、次の『今日』になれば綺麗に元通りになっているのだ。

 その不気味さを実感しながらメイドが用意してくれた紅茶に口を付ける。

 淹れてもらって一時間は経っただろうか。湯気を立てていたはずの紅茶はすっかりと冷えてしまった。


 冷えた紅茶を飲むと時間は確かに経っているのだと実感する。

 だが『今日』の『今の時間』はもう十二回目だ。


(前回の夜にこの部屋で過ごしてから、時間は戻ってる。でも今こうやって時間は進んでる……)


 今まさに時間は進んでおり、机に置かれている時計を見れば秒針が小さな音を立ててゆっくりと文字盤の上を滑っていく。

 だが深夜の十二時を過ぎるとまた『今日』の十二時に戻ってしまう。きっとその時も変わらず時計の針はゆっくりと数字を進んでいくのだろう。


 以前に、レオンハルトがこの繰り返しは時計の針の進みに似ていると話していた。

 時刻を知らせるだけの時計は『今日』が何日だろうと構わず、今この瞬間が何時何分かを知らせるだけだ。それも午前か午後かすらもなく、ただひたすら針の先で数字を指し示しながら次の数字へと進んでいく。

 それが何周目だろうと、何十周目だろうと……。


「リネットさん、私達もう十二回も『今日』を過ごしてるのよ。貴女も一度ぐらいは覚えていると良いんだけど」

「…………」

「『明日』が来ても、こうやって貴女に会いにくるわ。そうしたらこの繰り返しの事を話すけど、変な人だと思わないでね」


 眠るリネットの隣に座り、起こさないよう小声で話しかける。だがもちろん返事はない。

 医師の指示により投薬されたリネットの眠りは深く、コーネリアが話しかけても、部屋にメイドが入って紅茶の手配をしている最中も、微動だにせず薄く開けた唇から穏やかな寝息を漏らし続けるだけだ。

 彼女の寝顔は穏やかで、『前回の今日』に見せたあの鬼気迫る異常な行動は想像できない。


 今のリネットならば穏やかに目を覚ましそうではないか。

 自室にコーネリアが居たらきっと驚くだろう。寝顔を見られたことを恥じて、来客があったのに起こしてくれなかった親やメイド達に不満を訴えるか。もしかしたら「コーネリア様に気付かずに眠っていた事、皆に話さないでくださいね」と恥ずかしそうに頼んでくるかもしれない。


 そんな穏やかな想像をすれば、コーネリアの表情も自然に緩む。

 だが次の瞬間にすぐさま表情を暗くさせたのは、そんな会話の後にリネットがラスタンス家の馬車の到着を知ろうとすると考えたからだ。


『ねぇ、ラスタンス家の馬車は? ヒューゴはもう来たのかしら』と。

 そして照れ臭そうに、それでいて嬉しそうに、ヒューゴをコーネリアに紹介すると言い出すだろう。『今夜の夜会までは彼の事は秘密ですよ』と笑いながら……。


「素敵な夜会になるはずだったのに、こんな事になって……。やり直したいのは私達じゃなくてリネットさんよね」


 はじめてヒューゴにエスコートされて、彼との仲を周囲に打ち明ける。そんな素敵な夜会になるはずだった。

 それなのにヒューゴは命を落とし、時にはラスタンス家夫妻も事故に遭ってしまう。もしもリネットが正常であったとしても夜会どころではない。

 きっとやり直したいと思うだろう。ヒューゴとラスタンス家夫妻を救って、本来あるべきだった素敵な夜会を過ごすのだ。


 何度繰り返したって。

 十二回だろうと、十三回だろうと。

 それこそ……、


「馬に乗って走れるようになるぐらいに……」


 静かな部屋の中、コーネリアの呟きだけが不自然に響いた。



 ◆◆◆



 リネットの寝顔を見ながら考えを巡らせてしばらく、室内にノックの音が響いた。

 開けた扉から現れたのはレチェスター家のメイドだ。曰く、レチェスター家夫人であるサラ・レチェスターが一緒にお茶をしないかと誘っているのだという。


 もちろんそんな状況ではないのは誰だって分かる。娘が錯乱している異常事態の中、どこに優雅にお茶とお喋りを楽しめる母親が居るというのか。

 それでもとコーネリアに誘いの言葉を掛けたのは貴族の夫人としての責任感からだろう。それと、コーネリアとリネットが二人きりでいることへの不安もあるのかもしれない。


「お茶、そうね……。せっかくだし頂こうかしら」


 本音を言えば、今すぐにでもレチェスター家を出てレオンハルトに会いに行きたい。

 この考えを彼に打ち明け、そして二人でこの繰り返しについて話し合うべきだ。

 だがそれが分かっても行動出来ないのは、レオンハルトがどこに居るか分からないからだ。


 今回の今日、彼は朝からラスタンス家夫妻と合流するために北の領地へ向かっている。

 どの道を選んだかも分からないし、今からコーネリアが追いかけたところで合流できるかも定かではない。入れ違いになって会えず終いの可能性もある。

 それならばと逸る気持ちを押さえていたのだ。サラからの誘いはその矢先である。


 眠るリネットを部屋に残し、メイドに案内されながらレチェスター家の客室へと移った。

 品の良い調度品とセンスの良い絵画と生花が飾られた一室。室内は程よく飾られ落ち着きを感じさせ、カーテンを揺らす風が心地良い。

 コーネリアが部屋に入るとレチェスター家夫人であるサラが既に待っており、コーネリアの姿を見ると穏やかに微笑んだ。

 ……もっとも、その顔色は青く、無理をして微笑んでいるのが見て分かる。だが分かってもそれを指摘するのは酷と考え、コーネリアもまた穏やかな笑みを取り繕い、夫人の向かいに腰を下ろした。




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