40:森に響く音
森の中とはいえ道は舗装されており進むのにさほど困難はない。幸い木々の隙間から光が差し込み、しばらく進んだ先にレオンハルト達の姿を見つけることが出来た。
開けた先で話し合っているのはレオンハルトと三人の男性。一人はラスタンス家当主のエルマー・ラスタンス。彼の隣に立つのは御者だろう。そしてもう一人はヒューゴ・エメルトだ。
夜会で会った時とは違う服装。今は護衛としての服装なのだろう、それでもやはり鍛えられているのが分かる。
「レオンハルト様!」
コーネリアが名を呼べば、全員が同時にこちらを向き、そして同じように目を丸くさせた。
「コーネリア、どうしたんだ!? なんでここに!」
真っ先に駆け寄ってきたのはレオンハルトだ。
信じられないと言いたげな表情ながらも、息を切らすコーネリアを支えるように腕を掴んできた。
力強く腕を掴まれ、コーネリアの胸に一瞬にして安堵が湧く。それどころか今になってようやく息苦しさを覚えるほどだ。ぜぇぜぇと荒く息を切らしながらもレオンハルトを見上げた。
「あぁ、ご無事でよかった……。レオンハルト様に何かあったらと思ったら、私……!」
「よく分からないが心配をかけさせたみたいだな。俺は無事だから落ち着いてくれ。それで、どうしてここに来たんだ?」
「私、どうしてもレオンハルト様にお伝えしたいことがあって……。でも、そうしたらヒューゴとともに居ると聞いて……」
荒い呼吸による息苦しさのせいで、うまく言葉が紡げない。
それでもと話をしようとするも、レオンハルトに「落ち着いて」と宥められてしまった。
エルマー達が不思議そうにこちらを見ている。だがこちらに来る様子はないのは、話の邪魔はするまいと考えたからか。狩猟用の銃を手にしてなにやら話しだした。
彼等の姿を見て、コーネリアは荒れる呼吸ながらに深く息を吐いた。
「まだ何も起こっていないのですね」
安堵しながら、エルマー達が話している姿を見つめる。
どうやら使っていた銃の調子が悪いようで、かわるがわる手にしては構えたり細部を見たりとしている。
まだ彼等には何も起こっていない。
もしかしたら今回は何も起こらないのかもしれない。
彼等は今まさに目の前で、無事に、平然と、話をしているのだ。
森の中は落石の恐れもないし、北の森と違いここは賊徒も居ない。行方不明になるほどの広さもないのだ。ヒューゴが命を落とすような危険は無い。
十一回目にしてようやく、彼等はこの忌まわしい繰り返しの不幸から逃れたのかもしれない。
そう考え、コーネリアは目の前に立つレオンハルトへと視線を移した。
コーネリアが落ち着いたことを察したのか彼の表情が和らぐ。その表情に、コーネリアは己の胸に安堵が満ちるのを改めて感じた。
そうして再び、良かった、と安堵の言葉を口にしようとし……、
耳を痛めかねないほどに響きわたった銃声に、出掛けた言葉を掻き消された。
森の中の空気が銃声を受けて震え、痺れに似た感覚が肌を伝う。体中を硬直させる張りつめた感覚。
数羽の鳥が高い鳴き声をあげて飛び去り、それが草木を揺らし、銃声の余韻に被さる。
突如この場を切り裂くように響き渡った銃声は、一瞬にして場の空気を変えてしまった。
……そしてコーネリアの心臓を押しつぶすかのように圧迫した。
体はぴくりとも動かないのに心臓だけが激しく暴れている。鼓動はこれでもかと速まり、喉が渇き、だがそれでも何が起こったのかを探ることは体が許してくれない。
レオンハルトを見上げたまま、体も、頭も、視線すらも、少しも動かせない。
それでもとコーネリアは固まってしまった体をぎこちなく動かし、音のした方へと向こうとした。このままでは居られない。なにが起こったのかを見なくては。
だが僅かに身をよじった瞬間、
「駄目だ、見るなコーネリア!」
レオンハルトの荒い声が聞こえ、彼の手がコーネリアの肩を掴んできた。
そのまま抱きしめるように引き寄せられ、コーネリアは半ばバランスを崩しながら彼の体にぶつかった。振り向きかけていた顔が彼の胸元に当たり、視界には上着の布だけが映る。
レオンハルトの手が自分の背と頭を押さえている。
強く抱きしめるように。
まるで余所を、……何かが起こった場所を見させまいとするように。
「レ、レオンハルト様……、なにが……」
「そのままじっとしていてくれ。見たら駄目だ……」
震える声で尋ねるも、レオンハルトは明確な答えは口にしない。ただコーネリアの体を押さえ、そして見てはいけないと掠れる声で返してくるだけだ。
彼の腕が背を押さえて振り返る事が出来ない。
コーネリアの耳の中で先程の銃声が木霊する。鼓動が速まり心臓が痛い。体が震える。
そして、自分を押さえるレオンハルトの腕もまた震えている。
「答えてください、レオンハルト様……。なにが……何が起こったんですか……」
コーネリアの問いかけはエルマーの悲痛な叫び声に掻き消され、やはりレオンハルトからの答えは得られなかった。
◆◆◆◆
その晩の夜会をコーネリアは欠席した。
両親もその方が良いと話し、案じた母は一緒に過ごすために共に屋敷に残ってくれた。父だけは夜会に赴いたが「すぐに戻ってくる」と何度も話していたあたり、きっとじきに戻ってくるだろう。
「コーネリアお嬢様、暖かいレモネードを用意いたしました」
囁くような声色で話しかけてくるヒルダに、コーネリアはゆっくりと顔を上げて彼女の方を向いた。「ありがとう」と柔らかく微笑んだつもりだが、うまく笑えているとは思えない。
さぞや痛々しい笑みになっているのだろう。切なげに眉根を寄せたヒルダの顔を見れば分かる。
それでも今のコーネリアには気丈に振る舞う余力はなく、テーブルに置かれたカップをそっと手に取った。
白地に花柄のカップだ。熱い。だがカップが熱いのか、自分の指先が冷えてしまって熱く感じるのか、よく分からない。
「どうか気を病まないでください、コーネリア様。あぁ、なんでこんな事に……」
「大丈夫よ、ヒルダ。私は見てはいないもの。……私は」
言い掛け、コーネリアは言葉を止めた。
あの瞬間、確かにコーネリアは何も見なかった。
レオンハルトに抱きすくめられ、その後も彼に導かれてそのまま馬車へと戻っていったのだ。
だから何も見ず、馬車の中で震えて待ち、そうしてレオンハルトが諸々の手配を終えてようやく彼から話を聞いた。
狩猟用の銃が暴発し、放たれた弾丸がヒューゴ・エメルトの頭を撃ち抜いた……、と。
「ヒューゴ……」
「ヒューゴ? あぁ、ラスタンス家の……。時間があるからと寄っただけの森でこんな事になるなんて、まだ若いのに可哀想に……」
「そうね……」
ヒューゴの事を思い出すと胸が痛む。
そして同時に思い出されるのが、彼の恋人、リネットだ。
「リネットさんが森に行ったのが今回じゃなくて良かった……」
レモネードを一口飲み、ポツリと呟く。
もしも今回リネットが西の森を訪れていたら、ヒューゴの死を目の当たりにしていたかもしれない。
ただでさえまともとは言い難い状況で、さらに婚約者の死という追い打ち。もしもリネットがヒューゴの死さえも理解出来ずにいたとしても、あまりに酷すぎる話だ。
だがリネットが西の森を訪れたのは『前回の今日』。
ヒューゴは西の森に行かず、北の領地を出てすぐに命を落としている。
良かったとは言えないが、二人の行動がずれていたため不幸が重なり合うことは無かった。
「……え」
誰に問うわけでもなく、無意識に喉から声が漏れた。
まただ。また違和感を覚えた。
なにかが引っかかる。なんだろうか……。
気付かなくてはいけない事が確かにあるはず。
だがやはり靄が掛かっていて全貌がはっきりと見えてこない。なんてもどかしいのか。
「レオンハルト様なら何か分かるかしら」
結局、レオンハルトにはリネットとヒューゴが婚約関係にあることは話していない。
話そうとした矢先に銃の暴発が起こってしまったのだ。彼はすぐさま手配に移り、コーネリアはあらかたの説明を受けるとカルナン家に戻るように告げられ、そのまま夜会にも出ずに今に至る。
伝えなくては、と再びはやる気持ちが舞い戻り、コーネリアがガタと音を立てて立ち上がった。
就寝の準備をしていたヒルダが驚いたようにこちらを向く。
「どうなさいました、コーネリアお嬢様」
「王宮に行くわ、馬車の準備をして!」
「今から王宮に? 明日でも良いではありませんか。あのような事があったのですから、本日はもうお休みになられた方が」
「来るか分からない明日じゃ駄目なの!」
ヒルダの話に被さるように断言し、コーネリアはすぐさま衣装クローゼットへと向かうと外出用の服を取り出した。




