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39:西の森へ

 


 リネット・レチェスターとヒューゴ・エメルトは恋仲にあった。


 エメルト家は代々ラスタンス家を護衛する家系で貴族ではない。出自だけを考えればリネットと彼との仲はいわゆる『身分差の恋』と言えるだろう。

 とりわけリネットはレチェスター家唯一の子供であり、世継ぎに拘る者がこの話を聞けば『大事な一人娘を護衛の家系になんて』と難色を示しかねない。

 だがレチェスター家夫妻は二人の仲を好ましく思い、彼等の将来を歓迎していた。ラスタンス家も同様。心から二人の縁を喜んでいたという。


 そして今夜、ヒューゴはリネットをエスコートし夜会に出席する予定だった。

 もっとも今まで彼は夜会に出席した事は無く、そもそも招待される身分ではなかった。


 そんなヒューゴが、今夜は、否、今夜からは、リネットの恋人として華やかな場に出る。


 ……出るはずだった。




「だからヒューゴが狙われていたのね……」


 そうコーネリアが呟いたのは馬車の中。

 オリビアに感謝と別れを告げ、すぐさま馬車に飛び乗った。向かうのはもちろん西の森、レオンハルトに会うためだ。

 今日の予定を話していた時に彼は「また夜会で」と言っていたが、この事実は直ぐに伝えた方が良いだろう。それに彼の考えも聞きたい。


 だというのに馬車はゆっくりと走っている。

 もちろん御者には「急いで」と告げたので通常時よりは速度が上がっており、擦れ違った者達は何事かと視線を送ってくる。それでも馬車の速度には限界があり、御者も公爵家令嬢を預かっている身として危険な操縦は出来ない。

 それは分かる。仕方ないことだ。だけど今のコーネリアにはもどかしくて仕方ない。

 いっそ自ら馬に乗って走れたら良かったのに……。と、急くあまりにそんな事すら考えてしまう。


 だが焦燥感を拗らせていても仕方ない、結局は西の森に到着するのを馬車の中で待つしか無いのだ。

 ならばせめて考えを整理しよう。そう己に言い聞かせ、コーネリアは己を落ち着かせるために大きく息を吐いた。


(リネットさんとヒューゴが……。だから彼が狙われていたんだわ……)


 繰り返しの中で、ヒューゴ・エメルトは必ず命を落としている。

 強盗に遭い、ラスタンス家の馬車ごと落石に巻き込まれ、森の中で行方不明に……。

 その陰惨な事故の数々で、人為的な死因の時は殆どが夫妻を狙った犯行とされていた。ヒューゴは主人を護るため、時には自らを囮にし、時には相打ちになって命を落としたのだ。


 だがその考えに変化が生じ始めたのは『五回目の今日』だ。

 馬小屋で愛馬の世話をしていた彼は何者かに刺されて殺されている。その様子から、物盗りや通り魔の線は薄く、元からヒューゴを狙っていた可能性が高いとされた。

 更に『九回目の今日』も続く『十回目の今日』も、ヒューゴだけが命を落としている。


(九回目の『今日』、あのときはヒューゴが夜会に来ていて話もした)


 ふと、彼の姿と声を思い出す。なんだかもう随分と遠い昔のようだ。

 だがこれを『二日前』と言って良いのか分からない。『今日』の夜会での事なのだから、日時だけで言えばまだ先の話なのだ。さりとて今回も同じ事が起きるわけでもなく、その奇妙さがまた時間の感覚を鈍らせる。


 だがどれだけ時間の感覚が歪もうと、ヒューゴと会って話をしたのは事実だ。彼が覚えて居なくてもコーネリアの記憶には確かに残っている。

 実直な青年。社交界の場に慣れぬ様子で、緊張を隠し切れぬ言動が逆に好印象を抱かせた。上着の胸元には薔薇の刺繍が施され、それを押さえる姿も思い出せる。

 きっとあれはリネットが施した刺繍だ。それに触れることで愛しい恋人を想い、彼女の変化に胸を痛めていたのだろう。


(本当なら、彼の隣にはリネットさんが立っていたはずだったのね……)


『九回目の今日』ヒューゴは夜会に来ていたがリネットは来ていなかった。……来られる状況ではなかったのだ。

 思い出されるのは嘆きながら愛娘の自殺未遂を語るレチェスター家夫妻の辛そうな声。「なぜ」「どうして」と繰り返していた。


 なぜリネットは自殺なんてしたのだろうか。

 そのまま部屋で大人しくしていればヒューゴと共に夜会に来られたのに。


(そういえば、一度だけリネットさんが夜会に来たことがあったわね。あれは確か、八回目だったかしら)


『八回目の今日』、リネットは夜会に現れた。

 といっても招待に応じて夜会を楽しみに来たのではない。

 彼女はレチェスター家を抜け出して勝手に会場を訪れ、誰もいない場所に向かって言葉にならない声で訴え続けていた。コーネリアも声を掛けたがリネットは反応することなく、ひとしきり声をあげると今度は会場の出口へと視線を移し、まるで何かを追うように出口へと向かっていったのだ。

 一連のリネットの行動の異質さ、纏う緊迫感、彼女が去った後のシンと静まり返った重苦しい空気。今でも思い出せる。


(『八回目の今日』にリネットさんは夜会に来た。でも『九回目の今日』では早い時間に自殺を図って、その『九回目の今日』にヒューゴが夜会に来た。そういえば『十回目の今日』ではヒューゴは早朝に屋敷に忍び込んだ物盗りと相打ちになって……)


「それで……」


 小さく呟くも、言葉を引き継いでくれる者はいない。

 コーネリア自身、己が何を言おうとしていたのか分からないのだ。口から衝いて出た言葉だけが続くことなく消えていく。


 妙な違和感を覚えた。

 明確な言葉には出来ないが、確かに何かがあった。あと少しで手が届きそうな、それでいてまだ靄に覆われて全貌が見えないような……。


「なにかしら……、でも……」


 何か分からない、だけど何かがある気がする。


 その言いようのない感覚に、コーネリアは自分の胸の内に問いかけるように胸元に手を添えた。

 それとほぼ同時に、ガタッと音がして馬車が揺れた。外を見れば景色は随分と自然が増えている。

 西の森に着いたのだ。次第に馬車が速度を緩め、停まったと思えば御者が扉を開けて到着を知らせてきた。




 タラップを降りれば近くに二台の馬車を見つけた。

 一台は王宮の馬車だ。この繰り返しの中でレオンハルトがいつも乗っていたものであり、今回の今日も公園で分かれた彼はこの馬車に乗っていった。もう一台の馬車は見覚えが無いが、それでも立派な造りをしており、相応の家の馬車だと分かる。

 すぐさま駆け寄るもコーチの中にレオンハルトの姿はなく、少し離れた先で休んでいた御者が慌てた様子で走り寄ってきた。普段レオンハルトが連れている御者だ。


「コーネリア様、どうなさいました?」

「レオンハルト様に話があるんです。彼はどこに?」


 御者の問いに答える余裕もなく、コーネリアが逆に問い返す。

 その慌てように御者は一瞬驚いた様子を見せるも、すぐさま眼前の森へと視線をやった。曰く、レオンハルトは数時間前に森の中に入っていったきりだという。


 まさか一人で、とコーネリアが案じるも、御者がそんなまさかと首を振った。

 レオンハルトは第一王子であり次代の王、この国の重要人物。市街地ならばまだしも、いかに補正された道があるとはいえここは森だ。安全とはいえさすがに一人歩きはさせられない。


「レオンハルト様はラスタンス家の御当主とご一緒ですよ。私は連絡のためにここに残る様に言い渡されています」

「ラスタンス家!? どうして彼等が!」


 予期せぬ名前にコーネリアは悲鳴じみた声をあげた。

 だが御者はそんな反応をされる理由が分からないと首を傾げ、「どうなさいました?」と至極不思議そうに尋ねてきた。


 御者は『今日』を繰り返していないのだからコーネリアの驚愕が理解出来なくて当然だ。

 彼にとっては、森を散策している最中にたまたまラスタンス家当主達が現れ、レオンハルトが自分に待機の指示を出して彼と共に森の中に入っていっただけのこと。

 この遭遇は偶然だ、さりとて有り得ない事でもない。


 だがコーネリアには異常な展開としか思えず、一気に自分の体が冷えていくのを感じた。

 手が震える。上擦った声で「どうして」と御者に詰め寄った。


「どうしてラスタンス家が……! 彼等はレチェスター家に向かっていたはずでしょう!?」

「そう仰られても、ラスタンス家の予定までは把握しておりませんので……。ただ、ラスタンス家の当主は狩猟が趣味らしく、早く王都に着いたのでこちらに寄ってみたと話しておりました。御夫人は知人の家に寄ったと聞いております」

「そんな、どうして……。ヒューゴは!? ヒューゴ・エメルトはどこにいるの!?」

「ヒューゴ……? あぁ、ラスタンス家の護衛ですか。彼なら、」


 言い掛け、言葉の先を視線に変えて御者が森を見つめた。

 ざぁと吹き抜けた風が木を揺らし、葉擦れの音がまるで獣のうなりのように響く。


 その先に、今は見えない、木々が重なり合ったその奥に……。



「彼ならレオンハルト様達と一緒に森の奥へと入りましたよ」



 御者の言葉にコーネリアは声にならない悲鳴をあげ、制止の声も聞かずに森の奥へと駆けだした。




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