38:身分違いの恋
「俺はこのまま西の森に向かってみようと思う」
「どうかお気をつけて。私はこのあとレチェスター家を訪問し、その後はもう一度リネットさんのご友人をまわって話を聞いてみようと思います」
「分かった。きみも気を付けて」
そんな会話を交わし、それぞれ馬車へと乗り込んだのが数十分程前。
コーネリアは公園から移動しレチェスター家の屋敷の前に立っていた。
今回もまた屋敷は重苦しい空気を漂わせており、玄関先に立っているだけで緊張してしまう。この空気に当てられて肌がひりつく。
玄関扉から姿を現したグレイス・レチェスターは気丈に振る舞おうとしているものの、無理をしているのが見て分かり、朝からの愛娘の様子を語る口調は酷く痛々しい。
「リネットは今は眠っております。……医者に、少し眠った方が良いと言われまして」
あまりにリネットの様子がおかしく、このままでは危険と医師が判断し眠らせたのか。
詳細を語れずにいるグレイスの言葉を引き継ぐように、コーネリアは「そうですか」と理解を示した。彼にこれ以上の説明を求めるのは酷だ。
「リネットさんが眠っているのなら、私はこれで失礼いたします」
「せっかくお越し頂いたのに申し訳ありません……」
「気になさらないで。リネットさんが目を覚まして、それで……、落ち着いていたら、『また今度お話しましょう』と伝えてください」
では、と一言残し、コーネリアはグレイスに見送られながら馬車に乗り込んだ。
窓から顔を覗かせればグレイスが軽く会釈をし、メイドや使い達は深く頭を下げてくる。
彼等の視線にコーネリアは努めて穏やかに微笑み、そして馬車が走り出しその姿が見えなくなるところまで来るとようやく深く息を吐いた。
レチェスター家を離れて向かったのは、リネットの友人達のもとだ。
誰もが貴族の令嬢であり、年も殆ど同年代。ゆえにコーネリアも知り合いばかりだ。訪問してもさして警戒されることなく、リネットについても隠すことなく教えてくれた。
といっても『八回目の今日』で既に友人達には話を聞いて回っている。その際に集められた情報は、リネットがいかに今夜の夜会を楽しみにしていたかぐらいだった。
人選を変えても、同じ人物に再度訪問してみても、やはりそれは変わらない。誰もがみな『八回目の今日』で聞いた事と同じ内容を語ってくる。
それは今目の前にしている令嬢、オリビア・リスタールも同じだ。
彼女もまた繰り返している自覚はないようで、コーネリアが訪問するとまるで初めての事のように驚き、そしてリネットについて尋ねれば、以前聞いたことと同じことを一字一句変わらず話してくれた。
『八回目の今日』では、コーネリアはあらかた聞くと話を終わりにした。
「突然ごめんなさいね、話を聞かせてくれてありがとう」と感謝を示すと椅子から立ち上がり、早々に馬車に乗り込んで去っていったのだ。
……だけど、とコーネリアは考え、オリビアの名を呼んだ。
「もう少し話を聞かせてもらっても良いかしら」
と。その問いかけは『八回目の今日』では口にしなかった言葉。
これを受け、オリビアは穏やかに微笑んで「もちろんです」と答えてくれた。これもまた『八回目の今日』では無かったことだ。
「リネットさんは、今日を随分と楽しみにしていたのね」
「はい。聞いているとこちらまで微笑ましくなるほどでした」
オリビアが穏やかに微笑む。
彼女はコーネリアの友人であり、そしてリネットにとっては親友と言える存在だった。以前にリネットの趣味を聞いた茶会も、思い出せばオリビア主催の茶会だった。
「夜会に着ていくドレスを見せてもらいましたが、『これを着て行くの!』と声を弾ませて私の目の前でくるくると回って披露してくれたんですよ」
「リネットさんが? 大人しい方だと思っていたけれど、そんなはしゃぎ方をするのね」
「えぇ、随分とはしゃいでいました。早くその日が来ないかとドレスを着たままカレンダーを見上げて、私も思わずメイド達と笑ってしまったほどです。あれはまさに『指折り数える』と言った様子でしたね」
当時を思い出したのか、オリビアが口に手を当てて優雅に笑った。
まさかリネットがあんな状態にあるなど思いもしていないのだろう。疑問も抱かずに楽しそうに話す友人の顔を見るとコーネリアの胸が痛む。
オリビアがリネットの事を知れば嘆き悲しむに違いない。
だが『今日』を終えてまた『新しい今日』を迎えれば、その悲しさは彼女の胸から綺麗さっぱり消え失せ、そしてリネットの状態を知らず過ごすのだ。オリビアに限らず、リネットの友人達もレチェスター家夫妻も。ラスタンス家夫妻やヒューゴも。
それを改めて認識し、コーネリアの胸に孤独感が湧き上がった。
自分の心の傷は消えることなく深くなるばかり。仮にそれを打ち明けたとしても誰もが忘れてしまう。
だが『自分だけ』ではないと己に言い聞かせ、レオンハルトの顔を思い浮かべて心を奮い立たせる。
(不安に負けてる場合じゃない。今は一つ一つ疑問を解いていかなきゃ。それに私は一人じゃない、何度繰り返してもレオンハルト様が居てくださる)
彼が共に居てくれる。各々別行動こそ取ってはいるが志は同じだ。共に前を向いて『明日』を目指している。
そう考えればコーネリアの胸にあった不安は消え去り、改めてオリビアへと向き直った。
「リネットさんはどうしてそこまで今日を楽しみにしていたのかしら?」
「どうしてとは?」
「確かに今夜は王家主催の夜会だから豪華だけど、彼女、それほどパーティーが好きだったの?」
リネットは侯爵家の娘だ。その身分からパーティーや夜会に出席する事は多く、現にコーネリアも別のパーティーで彼女と顔を会わせる事は多々あった。
ゆえに今夜の夜会を特別楽しみにしている事に疑問を抱いたのだ。
確かに王家主催となれば他家の夜会よりも華やかで期待は出来るが、かといって周囲に話してまわるほどのものでもない。仮にこれが社交界デビュー直後の初の夜会や、地方に居たため王都の夜会が初となれば興奮し心待ちにするのは分かるが、リネットはどちらにも当てはまらない。
ラスタンス家夫妻と共に出席できるからだろうか?
だがレオンハルトの調べによると、リネットがラスタンス家夫妻と共にパーティーや夜会に出た事は過去幾度となくあったという。
ラスタンス家は北の領地に住んでいるものの、馬車で行き来できる距離。彼等はよく王都のパーティーや夜会に招かれていたという。その際には必ずレチェスター家に寄り、そして夫妻やリネットと共に過ごしていた。
(だけど、リネットさんは『今夜の夜会』と『今日のラスタンス家夫妻の訪問』を楽しみにしていた……)
何日も前どころかラスタンス家の訪問が決まった時から。親友に苦笑交じりに見守られてしまう程に。
だが『ラスタンス家夫妻の訪問』も『王家主催の夜会』も、どちらも彼女にとっては初めての事ではない。
ならば毎回これほどに喜んでいたのだろうか。
そうコーネリアが疑問を抱けば、オリビアがクスリと小さく笑った。上品な笑みで、そしてどことなく愛でるような色もある。
「リネットさんにとって、今夜の夜会は『特別』なんです」
「特別? 何かあるの?」
「えぇ、ですが夜には分かることですし……」
話す事が躊躇われるのか、オリビアが言葉を濁す。
そんな彼女にコーネリアはぐいと身を寄せて「お願い教えて」と頼み込んだ。
必死さにオリビアが意外そうな表情をする。どうしてコーネリアがここまでリネットの事を気にかけているのか疑問に思ったのだろう。それも、隠されているとはいえ今夜には分かることを、それでもと今この場で聞き出そうとしているのだ。
だが幸い疑問に思えども話す気になってくれたようで、苦笑を浮かべて「コーネリア様にそこまで言われたら」と折れる姿勢を見せてくれた。
「コーネリア様、この事は他の方には話さないでくださいね。絶対に秘密にしてって何度も言われているんです。いくらコーネリア様相手とはいえ、話したと知られたら怒られてしまいます」
曰く、リネットは今夜の夜会を楽しみにしているとあちこちで話してはいるものの、その詳細については極僅かな友人にしか打ち明けていなかったという。その一人がオリビアだ。
秘密ですよ、と念を押されてコーネリアが深く頷いて返せば、オリビアがゆっくりと口を開いた。
自分達以外に誰も居ない客室だというのに声を潜めるあたり、それほどの内容なのだろう。もっとも、オリビアの表情は変わらず微笑ましそうなものだが。
「今夜の夜会、リネットさんは婚約者にエスコートをして貰う予定なんです」
「婚約者? リネットさんに?」
「えぇ、まだ正式には公表していないんですが、結婚を前提にお付き合いをしている方がいるんです」
オリビアの話では、リネットの婚約者は今まで社交界に出た事が無く、華やかな場も今夜の夜会が初めてなのだという。
リネットの婚約者としてもだが、彼の存在そのものを知らぬ者も多い。
それを踏まえ、レチェスター家は今夜の夜会でその男性にリネットのエスコートを頼んだ。
もちろん王家主催の夜会で婚約発表をするわけにはいかない、それは後日改めてレチェスター家が場を用意するつもりだという。
つまり、今夜の夜会でリネットの婚約者を軽くお披露目し、尚且つ社交の場に慣れていない婚約者に経験を積ませる……、ということだ。
聞けば、リネットの婚約者は貴族ではなく、そもそも夜会に正式に招待されているわけでもない。あくまでリネットのエスコートであり、ゆえにリネットは周囲が驚くのを期待して友人達に「秘密にして」と笑いながら話していたという。
「そうだったのね。リネットさんに婚約者が……」
初めて恋人にエスコートをしてもらう、特別な夜会。
だからリネットは今夜を楽しみにしていたのだ。
恋人と過ごす時間を、そして恋人同士なのだと世間に知ってもらう瞬間を、彼女は待ち望んでいたのだ。
だとすると、その相手は……。
もしかしてと考えれば口の中が乾く。言いようのない焦燥感に心臓が締め付けられる。
息苦しさを感じながらもコーネリアはオリビアに声を掛けた。「ねぇ」という自分の声は随分と上擦っている。
「ねぇ、オリビアさん。……もしかして」
声が震える。
それでもと、コーネリアは震える声で続けた。
「もしかして、リネットさんの婚約者は……、ヒューゴなの……?」
震える声で一人の青年の名前を口にする。辛うじて絞り出した随分と掠れた声だ。
だが問われたオリビアはコーネリアの異変には気付かなかったようで、友人の恋愛話が楽しいのかふふと嬉しそうに表情を緩めた。
「えぇ、そうです。ラスタンス家の護衛を勤めているヒューゴ・エメルト。リネットさんは何年も前から彼とお付き合いをしているんですよ」




