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37:この想いは保留に

 



 同じメニューの朝食を終え、同じように母との会話を交わす。

 リネットについて、母は「具合が悪いらしい」と話していた。これに関してはコーネリアは考えを巡らせつつ「大変ね」とだけ返しておいた。


(具合が悪い……。どこかに行ったわけでは無いとしたら、これはリネットさんがレチェスター家に居るという事かしら)


 だとしても、彼女は自ら大人しく家に残っているのか、それともどこかへ行こうとしたが部屋に閉じ込められているのか。

 この繰り返しの中でリネットの行動を全て把握しているわけではないが、それでも彼女は常にどこかへ行こうとしている。

 親の制止を振り切って馬に跨り……、だがその先はバラバラで、引き返したかと思えば行方をくらまし、夜会に飛び込んできたかと思えば湖に身を投げて自殺を図った。

 以前にあったリネットの行動を思い出せば、コーネリアの胸に言いようのない不安と焦りが湧き上がる。


 今この瞬間にもどこかで何かが起こっているのかもしれない。

 リネットやラスタンス家だけではなく、誰かが何かをして、誰かが不幸に見舞われ、それを見落としてしまっているのかもしれない。


 自分は朝食を摂っていて良いのだろうか。母と会話をしていて良いのだろうか。

 今すぐにどこかへ行って何かをすべきなのかもしれない。だがどこに行けば良いのか、何をすれば良いのか分からない。

 いや、だけどもしかしたら自分がどこかへ行くことが駄目なのかもしれない。誰とも話さずにどこにも行かずに外界の情報を一切耳に入れずに居れば、それはそれで何かが変わるのではないか。


(考えれば考えるだけ分からなくなりそう。……そもそも、こうやって考える事が駄目なのかしら)


 考えたところで、この繰り返しが解決するものなのかも定かではない。そう分かっていても考えてしまう。

 かと思えば『考える事が駄目なのかもしれない』という考えに至り、ならばと考えまいとするもそう上手くはいかない。ふとした瞬間にあれこれと考えてしまい最初に戻る。

 いわゆる堂々巡りだ。思考の迷路、それも出口のない迷路を彷徨っているような気分である。


 思わずコーネリアは溜息を吐き、食事を終えると席を立った。

 母が案じてくる。それに対してコーネリアは「大丈夫よ」と返し……、


「迷っているネックレス、銀色の縁にしてみたらどうかしら。お母様は金の髪が美しいから、それと対比になって映えると思うの」


 そう告げて部屋を出て行った。

 この変化で繰り返しが解決すれば良いけれど、そう上手くはいかないだろう。

 さすがに今日は乗馬の練習をする気にはならず、「部屋にいるから」とヒルダに告げて紅茶の手配を頼んだ。



 ◆◆◆



「考えずにどうにかなるとは思えないが、あまり考え過ぎるのも良くないな」


 そうレオンハルトが苦笑交じりに宥めてきたのは、昼食時を過ぎた頃。

 場所はレチェスター家の近くにある公園。その一角、以前に彼と待ち合わせをした場所だ。

 今回も変わらず公園は長閑で、透き通った池には優雅に魚が泳いでいる。変わらぬ美しさではあるが、今のコーネリアにはどこか別世界のような、たとえば興味のない風景画を目の前に突きつけられているような感覚でしかない。


 前回の『今日』、コーネリアはレオンハルトから婚約破棄についての考えを聞き、そして己の胸の内を訴えようとし……、彼に遮られた。

『俺を想ってくれるなら、どうか俺にこの決意を貫かせてくれ』苦しそうに訴える彼の声と表情は今も鮮明に思いだせる。

 そうしてレオンハルトは無理やりに話を終いにすると、コーネリアにカルナン家に帰るように促してきた。その別れ際に『今回の今日』について話をし、この場で落ち合うことに決めたのだ。


 コーネリアもあの会話の後でどう顔を合わせて良いのか分からずにいたので、落ち合う場所を変える彼の提案には賛成だった。

 むしろ有難いくらいだ。清々しい湖とそれを長閑に楽しむ人々の気配、話し声や談笑の声、それらが二人きりという緊張感や気まずさを緩和してくれる。

 もちろん会話の内容ゆえに人混みの中には入れないし、第一王子と公爵家令嬢の散歩だけあり居合わせた人たちも道を譲ってくれる。不用意に近付く者がいようものなら警備を兼ねた御者が割って入ってくるだろう。

 結果的に見れば二人きりと言えないこともないだろう。それでも二人きりの密室で顔を突き合わせるよりは気分的には楽だ。


 ……だけど、


(レオンハルト様は、私と二人きりになるのが嫌でこの場所を選んだのかしら……)


『前回の今日』はこの繰り返しの中でどこかに消えてしまった。交わした言葉も、やりとりも、もう誰も覚えていない。

 ……コーネリアと、レオンハルト以外は。


 だからこの場所なのかと改めて周囲を見渡せば、美しいはずの景色が色褪せて見える。


 二人きりにならなくて良かったと安堵する反面、彼は二人きりになるのを避けたのかと考えると胸が痛む。

 なにより、思いのままに胸の内を語ろうとしてしまった己の行動の浅はかさに申し訳なさが湧く。互いに気まずさを覚えて行動しにくくなる可能性を考えていなかった。

 彼を困らせてしまった事がなにより悔やまれる。

 思慮深いとまでは言わないが、自分はあまり感情に任せた行動は取らない方だと思っていた。

 それなのに……、と自分がいかに思い上がっていたかを自覚していると、レオンハルトが案じるように「コーネリア?」と尋ねてきた。


「どうした、どこか具合でも悪いのか?」


 心配そうなレオンハルトの声を聞いて、コーネリアはようやく自分が話の最中に考え込んでしまった事を、それも立ち止まってしまっていた事に気付いた。


「なんでもありません。ただ少し考え事をしてしまって……。申し訳ありません、お話の最中でしたのに」

「いや、とくに大事な話じゃなかったから気にしないでくれ。それよりも本当に大丈夫なのか? もし具合が悪いのならどこかに座って休もうか」

「そんなに心配なさらないでください。……ただ、」


 ただ、自分は……。

 一瞬言葉を詰まらせた後、コーネリアは改めるようにレオンハルトを見上げた。


「前回の夜、余計なことを言ってしまった事をお詫びさせてください」

「余計なこと……?」

「レオンハルト様のお気持ちも考えず、ましてやこんな状況にあるというのに、己の気持ちばかり押し通そうとしてしまいました。レオンハルト様も私と二人きりにならないようこの場所を選んでくださったのでしょう?」

「コーネリア、それは……」

「申し訳ありません。どうか前回の夜の発言はお忘れください」


 あんな事を言った手前、「忘れてくれ」なんて勝手すぎる。

 そして自分の想いも、彼が忘れると決めたからといって消え去るものではない。


 それでもこのままいつ終わるとも知れない繰り返しを気まずい思いで過ごすくらいなら、いっそ全て無かったことにしてしまいたい。それこそ十二時を過ぎたら『今日』が記憶も何もかもすべて無くなってしまうように……。

 そう願いながら頭を下げようとするも、レオンハルトに肩を掴まれ、コーネリアははっと息を呑んで顔を上げた。

 紫色の瞳が真っすぐに自分を見つめてくる。穏やかで深い色合いの瞳、だが今は熱を感じさせる。


「謝らないでくれ。俺はコーネリアの気持ちを……、きみが告げてくれた言葉を、とても嬉しく思っている」

「レオンハルト様……」

「ずっとコーネリアに憧れていた。いつか隣に並ぶに値する男になりたいと願っていた。俺が今日まで第一王子として励めたのは、コーネリアが居てくれたからだ」

「それなら、どうして婚約を」


 どうして婚約を破棄するのか、どうして思い直してくれないのか。

 そう問おうとするも、レオンハルトが遮るように「憧れていたからこそだ」と告げてきた。


「きみがどれだけ努力をしていたか、どれだけ素晴らしい女性か、俺は分かっている。分かっているからこそ、つり合わない事も分かるんだ……」


 国を想い、国民の幸せを願い、そして王妃になろうと励んでいるコーネリアを第一王子の立場で見てきた。

 だからこそすべてにおいてレオンハルトは『退く』という道を選んだのだ。第一王子として、そしてコーネリアの隣に立つ存在として……。

 苦しそうな声色で訴え、次いで彼はそっとコーネリアの肩から手を放した。突然触れてしまったことを詫びる。その声もまた苦し気だ。


「この場所を選んだのは、確かに二人きりにならないようにと考えたからだ。だけどそれはコーネリアのせいじゃない、俺がきみと向き合う勇気が無かったからだ。それと……、迷い始めていたから」


 すまない、とレオンハルトが謝罪の言葉を口にする。

 その言葉にコーネリアの胸は更に苦しさを覚えた。だがそれと同時に僅かながらに安堵するのは、彼に訴えた自分の胸の内が迷惑にはならなかったことだ。

「嬉しい」と言ってくれた。彼の中には自分への好意が確かにあったのだ。

 今はそれが分かれば良い。


「レオンハルト様、それならこの件は『保留』として頂けませんか?」

「保留?」

「はい、『保留』です。私が言い出した事ですが、今はまずこの繰り返しを解決させるのが優先。ですから前回の夜にお話したことは『保留』にして、以前のように接してくださいませんか?」


 断られたらという不安をなんとか押し留め、冷静を取り繕ってコーネリアが提案する。

 そんな胸の内を知ってか知らずか、レオンハルトは「保留……」と小さく呟くと、次いで小さく笑みを浮かべた。表情が和らぎ、彼の体から力が抜けたのが分かる。


「確かに、まずは『明日』を迎えなくちゃいけないもんな」

「『明日』の先にも時間はいっぱいあります。でもその『明日』を迎えないことには始まらないんですもの」


 同意を求めればレオンハルトの笑みがより強まった。

「そうだな」という同意の言葉に、穏やかな声に、コーネリアの胸にあった不安が消えていく。

 ゆっくりと歩き出す彼に倣い、コーネリアもまた並んで足を進めた。涼やかな風が吹き抜けて湖面を震わせ、それを感じると同時に気分が晴れていく。

 色褪せていた景色に一瞬にして色が戻り、今更ながらに美しい光景に爽快感を覚えた。




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