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36:レオンハルト・ベルティエ

 


 王宮の庭も夜間と言えども真暗というわけではない。

 咲き誇る花々は外灯に照らされ、日中の眩い光の元に揺れる姿とも、そして数時間前まで開かれていた夜会の最中の華やかな姿とも違った美しさを見せている。花や木々、それどころかすべてが夜の暗がりを受けて色合いを濃くさせ、どことなく神秘的な光景を作り出していた。

 そんな中に置かれているテーブルセットに腰掛け、コーネリアはレオンハルトと向き直った。

 仮に二人の間にティーセットでもあれば深夜のお茶会といった光景になっただろうか。夜風に当たりながらの語らいと考えれば素敵だが、さすがに今はそんな気分ではない。


「……コーネリアにはちゃんと話をするべきだったな」


 口火を切ったのはレオンハルト。

 すまない、という彼の謝罪に、コーネリアはゆっくりと首を横に振った。彼の胸中を想像すればとうてい「どうして話してくれなかったんですか」等と責める気にはならない。

 そもそも責める権利はない。そんな関係ではなかった。


「どこから話そうか」


 落ち着き払った声でレオンハルトが尋ねてくる。静かで優しい声だ。

 彼の問いかけにコーネリアは「話せることならすべてお聞かせください」と返した。腰を下ろしたからか、夜の風に吹かれているからか、それともすべて聞くと覚悟を決めたからか、コーネリアの胸中もまた落ち着いている。

 そんなコーネリアの言葉にレオンハルトは「長くなるから覚悟してくれ」と念を押し、一度深く息を吐くとゆっくりと話し出した。


「この国の王位継承権は嫡男に与えられる。コーネリアもそれは知っているだろう?」

「はい」

「これは長い歴史の中でずっと守られてきた決まりだ。前例と言えば、嫡男が不慮の事故にあい王位を継げなくなった時と、あとは国の根幹を揺るがす罪を犯した時ぐらい。つまり嫡男以外が王位を継ぐことは基本的には有りえないということだ」


 レオンハルトの話にコーネリアは頷いて返した。

 この国は嫡男が王位継承権を与えられる。もちろん歴史を遡れば嫡男以外が王位を継ぐこともあったにはあったが、それはレオンハルトが話した通り、よっぽどの事があった時だけだ。それも稀な事で、ここ数百年は順当に王位を継いできている。

 それに対して、レオンハルトがはっきりした声色で「だけど」と否定の言葉を口にした。


「俺はずっと王位をマーティスに譲りたかったんだ。確かに俺の方が兄ではあるが、それは俺が先に生まれただけのこと。あいつの方が優れているし素質もある。マーティスこそが王になるべきなんだ。だが何度父上に話をしても、しきたりがどうの前例がないだのと碌にとり合ってもらえなかった」

「それで私との婚約を破棄にしようと……? あの場を選んだのも、大勢の前で告げることで王位を剥奪せざるを得なくするためですか」

「未来の王妃にと望まれている女性との婚約を、一方的に、それも『つり合わない』等という身勝手すぎる理由で破談にする。これほどの事をすれば、さすがに父上も考え直して俺から王位継承権を剥奪するだろう。元より周囲は俺よりマーティスの方が優れていると分かっていたんだ、この決断に異論を唱える者はいないはずだ」


 最初にレオンハルトから婚約破棄を言い渡された日、最初の今日、コーネリアは夜会を終えてカルナン家の屋敷へと戻り同じ事を考えていた。

 一方的な婚約破棄の末、両陛下はレオンハルトの王位継承権を剥奪し、第二王子であるマーティスを未来の王に据える。そしてコーネリアは改めてマーティスとの婚約を結ぶのでは……と。両親が陛下から貰った言葉を考えても、そうなっていた可能性は高い。

 きっとあの場にいた者や人伝ながらに話を聞いた者達だって同じように考えたはずだ。


 誰もがみな『レオンハルトはコーネリアに婚約破棄を言い渡したため、王位継承権を剥奪される』と考えた。

 だが事実は違っていた。事実は『レオンハルトは王位継承権を剥奪されるため、コーネリアに婚約破棄を言い渡した』。


「でも、どうしてそんな事を。確かにマーティス様は優れたお方です。ですがマーティス様自身も、国民の誰だって、レオンハルト様が王位を剥奪される事なんて望んでおりません」

「そうだな、望んではいないな。きっと俺がこのまま王位を継いでも誰もが支えてくれる。マーティスも、きみも」

「もちろんです!」


 レオンハルトの言葉に、コーネリアはすぐさま返した。はっきりと力強く。

 元よりコーネリアはそのために王妃教育に励んでいたのだ。マーティスもいずれは王の片腕になるために励んでいた。二人だけではない、誰だっていずれレオンハルトが王になった際に彼を支えるつもりでいた。


 確かに、レオンハルトよりもマーティスの方が優れている。王の素質はマーティスにあると言えるだろう。

 かといってレオンハルトに人望が無いわけではない。彼が努力をしているのも知っている。だからこそ今日までレオンハルトは次期王であり続けているのだ。


「私もマーティス様も、いずれレオンハルト様が王となった際にはもてるもの全てで支えるつもりでした。そのために今日まで励んでいたんです」

「二人が努力してくれていたのは知ってるよ。だけど考えてみてくれ。優れたマーティスとコーネリア、二人が支えてまで俺がこの国の頂点に立つ必要がどこにある? 二人が王と王妃として国を治めた方がこの国のためになるはずだ」

「それは、そんなことは……」

「コーネリア、きみなら分かるだろう」


 否定の言葉を口にしようとするも、レオンハルトに遮られてしまった。

 はっきりとした口調、真っすぐに見つめてくる瞳。だがコーネリアを責めるような色は無く、そして慰めや誤魔化しの言葉もいらないと無言で訴えてくる。

 彼の瞳にあるのは確固たる決意だけだ。きっと以前から己の王位継承権が剥奪される術を探り、そしてこの方法に辿り着いたのだろう。


「王族とは国民の幸せを第一に考え、そして国の繁栄のために努めるものだ。歴代の王の記録を読んでも彼等はそう努めてきたし、なにより父上から何度もそう教わってきた。だからこそ俺はこの道を選ぶんだ」

「……王族だからですか?」

「あぁ、そうだ。これは俺の王族としての、第一王子としての誇り。他のものではマーティスに敵わなくても、国民と国を想う気持ちでは負けてないつもりだ。だからこそ、俺はマーティスを王位に押し上げると決めた」

「ですが、そうしたらレオンハルト様はどうなさるおつもりですか? 王位継承権を剥奪されれば、王宮に残れるとは思えません」


 たとえそこに王族としての国への愛があったとしても、世間はそれを知る由はない。

 なにより、世間がそれを知れば感銘を受けて再びレオンハルトに王位をと考えかねないのだから、レオンハルト自身がそれを隠し通すだろう。

 これほどの立派な志と決意を持ってなお、否、持っているからこそ、『考えなしの身勝手な行動の末に王位継承権を剥奪された第一王子』であり続けるのだ。彼の両親である両陛下も、マーティスも、世間も、事実を知ることなく処罰を下す。……それがレオンハルトの望みだから。


「マーティスが王位を継いでコーネリアも婚約をしなおせば、元通りとはいかないながらも上手くまわるはずだ。……コーネリアには不要な負担を強いることになるけど、きみならやり切れると信じてる」

「そんな……、私のことなんかよりレオンハルト様のことです」

「さすがに命に係わるような処分や国外追放までは受けないだろう。良くて王族の末席に情けで残されるか、せいぜい勘当されて田舎に閉じ込められるか。個人的には王宮には残されたくないな。針の筵で生きるぐらいなら除名されて追い出されたいのが本音だ」

「……気球に乗って、どこかへ行ってしまわれるんですか?」

「そう、それだ。実を言うと、以前から追い出される前に屋根に鳥を描いて、それを眺めながら遠くに行こうと思ってたんだ」


 コーネリアの問いかけに、レオンハルトがパッと表情を明るくさせた。

 自分の行く末を、それも勘当されて住処を追い出されるという未来を語る表情とは思えない。まるで夢を語る少年のような眩さではないか。

 その表情を見て、コーネリアは自分が何を言っても彼の決意は変わらないのだと察した。そもそも、この繰り返しが無ければ彼の人となりを知ることもなく、彼の思惑通りに動いていたであろう自分には説得する権利など無いのだ。


 それを考えると、コーネリアの胸に言いようのない寂しさが湧いた。

 無意識に胸を押さえるのは痛みに似た苦しさを覚えたからだ。

 自分にだって未来はあるのに、それも王妃という誰もが羨む輝かしい未来があるのに、それでもレオンハルトに置いていかれてしまうと孤独感が抑えきれない。

 だがその感情を口に出すことなど出来るわけがなく、コーネリアが何を話すべきか分からずにいると、レオンハルトがゆっくりと息を吐いた。

 先程より彼の表情が晴れ晴れとしているのは胸の内を語り終えたからだろうか。コーネリアの胸中とは真逆に明るくなる彼の表情を見れば、互いの距離を突きつけられているかのような錯覚さえ覚える。この距離もまた孤独感を募らせ、胸が苦しい。


「コーネリア、きみにはせめて一言でも伝えておくべきだったな」


 すまなかった、とレオンハルトに再び謝罪をされ、コーネリアは言葉を詰まらせてしまった。

「婚約者なのだから教えて欲しかった」という思いは確かにある。だがその言葉を口にするのはあまりに身勝手ではないだろうか。

 自分はこの繰り返しに陥るまで、レオンハルトの事を何も知らず、知ろうともしなかったのだ。そして婚約破棄を言い渡されてもなお深く考えることなくあっさりと受け入れた。

 彼が話してくれなくて当然だ。


 ……だけど、もう知ってしまった。

『次期王である第一王子レオンハルト』ではなく、『レオンハルト』の事を。

 優しくて頼りになり、穏やかで、前向きな彼の事を。


 コーネリアの胸がズキリと痛む。響くように、鼓動と連動するように、ズキリズキリと何度も。

 その痛みに煽られるように、掠れる声が口から出た。


「……決意は、変わらないのですか?」

「コーネリア?」

「考え直してはくださいませんか……?」

「それは……」

「国を治めることに不安があるのでしたら、私が支えます。王妃として王をではなく、私がレオンハルト様の隣に立って。今のように二人で力を合わせればより国を良くできるはずです。……それでも、決意は変わらないのですか?」


 乞うようにコーネリアが問う。

 それに対してレオンハルトは一瞬なにかを言いかけ……、だが言葉を発することはなく堪えるように口を噤んだ。

 先程まで晴れやかだった表情が辛そうに歪む。コーネリアを見つめる瞳がこの時初めて揺らぎを見せた。躊躇いと切なさを交えて、紫色の目が細められる。


「レオンハルト様、私は」

「コーネリア、頼む、それ以上は言わないでくれ。……俺はこの国の王子として、国のために最善を尽くしたいんだ」

「ですが……」

「俺を想ってくれるなら、どうか俺にこの決意を貫かせてくれ」


 訴えるレオンハルトの声は酷く辛そうだ。

 挙げ句、彼は掠れる声で「すまない」と呟くと、話を終わりにするために立ち上がってしまった。


「……もう遅いから、カルナン家に戻った方が良い。御者を呼んでくるよ」


 そう告げるなりコーネリアの返事も聞かずに立ち去ってしまう。

 彼の背中を見つめ、コーネリアはより痛みを覚える胸元を押さえた。



 ◆◆◆



 そうして、『十回目の今日』が終わる。

 その後に訪れるのは『明日』ではなく『十一回目の今日』だ。


「おはようございます、コーネリアお嬢様。本日の夜会、楽しみですね。レオンハルト様にお会いするのは久しぶりでしょう」


 今回も一字一句変わらぬヒルダの言葉に、コーネリアはゆっくりとベッドから降りながら「そうね」と生返事をした。

 レオンハルトの名前を聞いた瞬間に彼の顔を思い浮かべてしまう。穏やかに笑うあどけない顔、冗談めかす時の楽し気な顔、この繰り返しについて考えを巡らせる真剣な顔。……そして前回の夜に見せた苦しそうな顔。

 コーネリアの胸がズキリと痛む。指の怪我と違い、この痛みは前回の『今日』が消えただけでは無くなりはしない。


 だが今はこの胸の痛みに嘆いている場合ではない。

 全てはこの繰り返しの今日を脱して明日を迎えてからだ。


 来て当然だと思っていた、来ないなどと思いもしなかった『明日』、そこから続く未来。

 どんな『明日』を迎えようとも、レオンハルトは望んだ未来へと進むのだろう。

 コーネリアとの婚約を破棄し、それゆえに王位継承権を剥奪される。

 そして自分の人生を歩むのだ。まるで屋根に描かれた鳥が空に飛び立つように。『明日』と、その先にある未来へと……。


「だけど、私にだって『明日』がある。未来があるの。そしてそれを輝かしいものにするかは私次第」


 そう自分に言い聞かせ、コーネリアは決意を新たに、用意された衣服に袖を通した。




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