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35:西の森の侯爵令嬢

 


 場所は王宮の一角。既に夜会は終わり眩かった明かりの殆どが落とされ、王宮の敷地内とはいえ暗い。等間隔に設けられた外灯がポツリポツリと灯るだけだ。

 そんな中、コーネリアは頭上を見上げるように立つ人影を見つけ、そしてそれがレオンハルトであると直ぐに判断した。銀色の髪、高い身長にすらりと伸びた四肢、後ろ姿と言えども見間違えるわけがない。


「レオンハルト様」


 確信を抱いて呼べば、彼がこちらを振り返る。


「コーネリアか、君の方から……っ!!」


 レオンハルトの言葉が途中で止まる。まさに驚愕と言わんばかりの彼の表情だ。

 そんな彼に、コーネリアは優雅に微笑んで「ごきげんよう」と返した。


 馬に乗ったまま。

 そう、馬上からの挨拶だ。

 そのうえ「これでは失礼ね」とわざとらしく呟くと、ひらりと華麗に馬から降りた。


 手綱を付き添いの御者に渡して改めてレオンハルトに向き直ると、スカートの裾を摘まんで優雅に挨拶をしてみせた。あえて優雅に振る舞うのは、馬上に乗っていた時とのギャップをより強く印象付けるためだ。

 その狙いは見事に成功したようで、コーネリアが馬から降りて挨拶してもなおレオンハルトは目を瞬かせている。


「……も、もしかして、馬で来たのか?」

「えぇ、まだ御者に並走してもらっていますが、良い夜の散歩になりました」


 さも平然と、たいしたことはないと言いたげに澄まして話す。

 それを聞いたレオンハルトがしばし言葉を失い、しばらくすると今度は声をあげて笑いだした。

 既に夜の帳が覆う静まった王宮の庭に、彼の笑い声はよく通る。


「まさかここでも驚かされるとは思わなかったな」


 やられたとレオンハルトが話せば、澄ました表情を取り繕っていたコーネリアも堪えきれずに笑ってしまった。互いに顔を見合わせて笑い合う。

 御者は不思議そうにこのやりとりを眺めているが、今さら彼に説明をする必要も無いだろう。もしも『明日』が来れば全て話せばいい。

 レオンハルトも同じように考えたのか、彼に下がるように告げた。

「二人きりにさせてくれ」という言葉は、本来ならば婚約破棄を言い渡した身で口にしていい言葉ではない。だが婚約破棄を言い渡されたコーネリアまでもがそれを望むのだから一介の御者が口を挟めるわけがなく、「かしこまりました」と頭を下げて離れた場所へと馬を引いていった。


「夜会で報告しあって終わりだと思っていたから完全に油断していたよ」


 どうやらよっぽど意表を突かれたらしい。

 レオンハルトの様子にコーネリアは満足そうに笑みを浮かべた。


 だがこのまま彼の驚く様を見て楽しんでいるわけにはいかない。そもそも彼を驚かすために訪ねて来たのではないのだ。――驚かせようという悪戯心があったのは否めないけれど――。


 今夜自ら足を運んでまで彼に会いに来たのは、婚約破棄についてきちんと話を聞くためだ。

 夜会の最中という騒々しい中ではなく、落ち着いて話し合える場所で、『第一王子』の口からではなく『レオンハルト』の口から真実が聞きたい。

 その思いでここまで来た。


 だけど、とコーネリアは一度己の胸元をぎゅうと握りしめた。

 決意を抱いて来たはずだが、いざとなると不安と緊張が胸を占める。

 それでもと己を律して口を開き……、


「それで、今回の……、今回のラスタンス家とリネットさんについてですが」


 と、彼に話を促した。

 告げようとした言葉を途中で変えてしまったのは直前で怖気づいたからだ。臆病者、と心の中で己を叱咤する。自分がこれほどに情けなく思えたのは初めてだ。

 だがそんなコーネリアの胸中には気付いていないのか、話題を変えられたレオンハルトはそれに応えるように表情を真面目なものに変え、深く一度頷いてきた。


「あまり良い報告にはならないんだけど、伝えておかないとな」

「良い報告にはならないということは、やはり今回もまた……」


 コーネリアの声色が沈む。

 十回目の今日は自由に過ごすと決めたものの、コーネリアもまた何もかも全て忘れていたわけではない。

 リネット・レチェスターの様子が今回もおかしいこと、そして夜会にはレチェスター家もラスタンス家も来ていなかったこと。そこは確認してある。

 それを話せば、レオンハルトが溜息交じりに話し出した。


「報告によると、早朝、むしろ明け方と言える時間帯にラスタンス家に物盗りの集団が侵入したらしい」

「物盗り? まさか、それで……」

「駆け付けた警備が取り押さえて、ヒューゴが相打ちになり命を落とした」


 ラスタンス家は悲しみと恐怖が綯い交ぜになり、当然だが夜会どころではない。

 まだ眠っていた夫妻は突如起こされるや屋敷を襲った不幸と、息子同然に成長を見守っていたヒューゴの死に胸を痛め、そしてこの訃報をレチェスター家や王都へと連絡したという。

 レオンハルトが報告を受けたのは朝食の直後だという。思わずコーネリアが「そんなに早くに」と掠れた声を漏らした。


 自分はまだ朝食を摂っていた時間帯だろうか。それとも馬に乗っていたか。

 レオンハルトもすぐに伝えようと思ったらしいが、『十回目の今日』を過ごすコーネリアの邪魔をするまいと考えて報告は後にと考えたらしい。

 そして自分もまた十回目を過ごすことにした。


「といっても、流石に全て放っておくわけにはいかないからな。ヒューゴを狙った犯行の可能性もあると話して、その線で調査を進めるように伝えておいた。……まぁ、この時間まで何の進展もないあたり真相は分からず仕舞いだろうな」


 上着から取り出した懐中時計で時間を確認し、レオンハルトが肩を竦めてみせる。

『今日』が終わるまであと数時間。そうすれば全て何もかもが消えて、また新しい『今日』になってしまう。死んだはずのヒューゴは平然と朝を迎え、彼が巻き込まれた事件は無かったことになってしまう。

 真相は闇の中。何も分からないまま、何もかもが消え、そしてまた何かが起こる。


 改めて薄気味悪さを覚え、コーネリアはぞわりと走った怖気に無意識に腕を擦った。


「今回もリネットさんの様子はおかしいようでしたし、やっぱり、必ず『何か』は起こるんですね……」

「リネット・レチェスターと言えば、彼女は今回、西にある森に行ったらしいな。まさか前回同様に自殺をするためかと報告を聞いた瞬間に冷や汗が出たが、今回は湖までいかずに途中で何かを叫んで、そのままレチェスター家の警備に連れられて屋敷に戻ったようだ」


 そこまでを話し、レオンハルトが考え込むように言葉を止める。

 次いで彼はいまひとつ確証はないと言いたげに「多分だけど」と前置きをして話を再開させた。


「西の森に向かうリネットの姿を見た」

「レオンハルト様がリネットさんを? いったいどこで?」

「はっきりと断言はできないけどな。日中、俺は屋根に上っただろう?」


 レオンハルトが頭上を指さす。

 王宮の屋根。今の時間帯は夜の帳に飲み込まれ、屋根と空の境目ははっきりとしない。


 日中、彼は屋根に上って鳥の絵を描いていた。

 屋根の上からの景色はまさに壮観で、周囲どころか遠くまで見通せたという。その話も、語る彼の晴れ晴れとした表情も思い出せる。


「絵を描いてる最中、何度か休憩をとったんだ。その場に座って風を感じながら景色を眺めて……。それで、何度目の休憩だったかな」


 ふと、穏やかな景色の中を馬が走っていることに気付いた。

 一頭の馬が真っすぐにどこかへ向かい、その後を数頭が追いかける。尋常ではないその光景に疑問を抱き眺めていたが、距離があり誰かまでは分からず、しばらくすると馬も見えなくなった。

 そうして数時間後にリネットの行動を知り、屋根から見た光景がリネットとそれを追うレチェスター家の使い達だったのではと考えたのだという。


「西の森……。前回、リネットさんが自殺を図ったのも西の森でしたよね。でも今回は湖にはいかずに戻ってきた……。いったい何がしたかったのでしょうか?」

「彼女の行動に関してはさっぱり見当がつかないな」


 前回・今回とリネットが向かったのは西にある森だ。

 北の森と比べて規模は小さく、補整された道もある。自然を愛する者が野生動物や鳥を眺めたり、自然の中を散策する程度。時期によっては森の奥で狩猟を楽しむ者もいるらしいが、獲物は専ら小動物。命の危険を感じるほどの獣はいない。

 北の森に比べ、西の森は安全だ。ラスタンス家がかつて襲われた賊徒も居ないし、途中で行方不明になることもない。


 観光や散策ならば西の森に行くのは分かる。

 だがリネットの目的はそんな平穏なものではないだろう。彼女の行動に関して何一つ分からないが、平穏な理由ではないということだけは分かる。


 だけど、いったい何のために……。


「今まで、俺はリネットがラスタンス家夫妻に会いに行こうとしているんじゃないかと思ってたんだ」

「リネットさんが?」

「なんとなく、もしかしたら、の話だよ」


 確証も無く薄っすらと考える程度だったらしい。頭の片隅に時折浮かんでは自分で却下する、そんな程度だ。

 今までコーネリアに話をしなかったのも、自分の考えながらも信憑性が無いに等しいと考えていたからだという。


「彼女の行動は理解出来ないものだが、それでも必死でどこかに行こうとしていた。まぁ、途中で引き返したり行方が分からなくなったり、挙げ句に自殺したりとやっぱり理解出来ないものだけど。それでも、俺達には異様としか思えなくても、彼女は彼女なりに目的があって行動してるんじゃないかと思ったんだ。そしてその目的はラスタンス家夫妻かもしれない……」

「ですが、それなら今回のリネットさんの行動は矛盾しています」

「あぁ、まったく辻褄が合わない。だからやっぱり俺の見当違いだったんだろうな」


 あっさりとレオンハルトが己の説を否定する。

 だが事実、今回のリネットの行動はラスタンス家とはまったく無関係と言えるだろう。

 朝レオンハルトが知るより前にレチェスター家にはラスタンス家からの連絡が入ったはず。それから数時間の間が空き、リネットはラスタンス家のいる北の領地とは別方向の西の森へと向かっていった。

 そこに繋がりを見出す方が難しい。


「この繰り返しについてもだが、リネットの行動も分からないことだらけだな」

「そうですね……」


 自分達は解決に近付けているのだろうか。もしかしたら全く見当違いな事をして、無関係な事を必死に調べているのかもしれない。

 今回の『今日』が十回目だが、もしかしたら二十回目、三十回目、それどころか百回を超えて繰り返してもまだなお何も分からずにいるのかもしれない。

 小さく溜息を吐けば、レオンハルトが真っすぐに見つめて優しい声色で名前を呼んできた。


「そんなに気に病むことはない。……と言ってやれれば良いんだけど、今の状況だと無責任になるかな」


 彼の気遣うような声を聞き、コーネリアはようやく己の表情が暗くなっている事に気付いた。


「あ、……申し訳ありません。私、つい不安になって」

「これだけ分からない事ばかりだから仕方ないさ。だけど俺は解決へと進めていると思ってる。確証はないけど、近いうちに必ず『明日』を迎えられる。いや、『明日』だけじゃない。その先にも、ずっと先にもいける。そう信じてるんだ」


 レオンハルトの声ははっきりとしていて、穏やかではあるものの力強さを感じさせる。

 その言葉に、前向きな姿勢に、紫色の瞳に宿る強さに、コーネリアの胸に湧いていた不安は緩やかに消えていった。

 何度彼の前向きさにに助けられただろうか。不思議なことにレオンハルトの言葉を聞くとコーネリアの胸にも期待が湧くのだ。彼の言う通り、この繰り返しを脱して『明日』を迎え、そしてその先にある未来に……。


(だけど、その未来では……)


 ふと、期待を宿し始めていたコーネリアの胸の内に影が掛かった。

 思い出されるのは夜会で聞いた彼の言葉。幾度となく告げられた婚約破棄の言葉。

 仮に『明日』を迎えてその先の未来に続くとしたら、自分とレオンハルトは……。


「私達の関係には『その先』は無いのでしょうか……?」


 ポツリとコーネリアが呟く。胸の内を吐露するような溜息交じりの声。

 だがそれはレオンハルトに届いたのだろう、彼は一瞬不思議そうな表情をしたものの、すぐさま意図を察して困惑の表情へと変えた。

 見つめてくる紫色の瞳は緊張と覚悟を滲ませ、その中に少しだけの切なさを纏う。


「コーネリア……」

「レオンハルト様、お聞きしてもよろしいでしょうか。……もしかしたら、レオンハルト様にとっては辛いお話かもしれませんが、それでも……」


 今から口にする問いかけはレオンハルトを傷つけてしまうだろうか。彼の真意を暴くことに意味があるのだろうか。

 そうコーネリアの胸に僅かに躊躇いが浮かぶ。

 ……だがそれを押し留め、真っすぐにレオンハルトを見つめた。


 今、きちんと彼の口から聞かなくては。

 そもそもこの為に王宮に来たのだ。

 今回は『十回目の今日』、好きに過ごすと決めた。……だから聞こうと決めた。


「レオンハルト様、レオンハルト様はどうして私に婚約破棄を言い渡したのですか?」

「俺ときみとではつり合わないからだ。ただそれだけなんだ」

「……それは、誰が、誰に、つり合わないのでしょうか」


 より明確な説明をとコーネリアが求めれば、レオンハルトは一瞬言葉を詰まらせたのち……、


「俺が、きみに、つり合わないんだ」


 ゆっくりと息を吐くと共に静かな声で告げてきた。


 やっぱり、とコーネリアが心の中で呟く。それとほぼ同時に、レオンハルトが穏やかな表情のまま「座ろうか」と移動を促してきた。自分を落ち着かせるためか、それとも話が長くなると分かってコーネリアを気遣ってくれたのか。

 どちらにせよ少しでも彼が話しやすい状況を作るべきだと考え、コーネリアは頷いて返すと案内されるままに王宮の庭を進んだ。



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