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30:侯爵令嬢の不可解な行動

 


 王宮へと向かう馬車の中、コーネリアとレオンハルトは何も話さずにただ黙り込んでいた。

 馬車の車輪が道を走る音だけが続く重苦しい沈黙。窓から涼やかな風が入り込むが、今のコーネリアにはそれに心地良さを感じる余裕などあるわけがない。


 何を言うべきか、何を言っていいのか、何を言いたいのか。一つとして分からない。

 馬車内の空気が重い。呼吸をしているのに息苦しい。まるで気まずさが形になって喉に詰まり、言葉を発するのを邪魔しているかのようだ。


(リネットさん、どうして……)


 記憶に残っているリネット・レチェスターの姿を思い出す。まだ異変の起こっていない過去の姿だ。

 赤茶色の髪をふわりと揺らして微笑む、温かみを感じさせる令嬢。穏やかな仕草や口調は友人とすらいえない関係のコーネリアでさえ親近感を抱かせた。

 大人しい性格と印象を受けたがそれは当たっていたようで、彼女の両親であるレチェスター夫妻が嘆きながら語るには、彼女はこんな突飛な事をする娘ではけして無かったという。

 コーネリア自身、リネットがそんな事をする性格とは思えない。何か深い悩みがあったとしても誰かに相談をするはずだ。彼女には愛してくれる家族も、そして友人もいた。……なのに。


 どうして自殺なんて、とコーネリアが溜息を吐いた。

 それに気付いたレオンハルトが、気落ちするコーネリアを気遣って穏やかな声色で声を掛けてきた。


「驚いたが……、無事だったのは良かったな」


 良かった、とは言いつつもレオンハルトの声は沈んでいる。なにか話をと考え抜いて出した話題なのだろう。

 それに対しコーネリアも小さく頷いて返した。もちろん心から「良かった」とは考えていないが、それでもレオンハルトの気遣いに応えなくてはと思ったからだ。


 彼が言う通り、リネットは無事だった。


 リネットは早朝から様子がおかしく、その果てに一人で西の森へと向かった。そして森の奥にある湖に身を投げて自殺をはかったという。

 だが幸いレチェスター家の警備が彼女を追っており助け出すことが出来たという。

 そのあとリネットは再びレチェスター家へと戻され、すぐにお抱えの医師に診てもらった。自殺に関しては大事ないと判断されたが、それでもリネットの様子はおかしく、虚空を見つめては言葉にならないことを呟き、涙を流し……。と、まともとは言えない状態らしい。


 そこにコーネリアとレオンハルトが訪問したのだ。絶望した夫妻が縋りつくのも当然である。

 だが突然の事にコーネリア達も対処しきれず、彼の話を聞き、ひとまず王宮の医師を手配する事にして再び馬車に乗り込んで今に至る。


「リネットさん、どうして自殺なんて……」

「『昨日』までは確かにリネットは『今日』を待ち望んでいた。それはどれだけ繰り返しても変わらないはずだ。なのにどうして今回に限ってリネットは自殺なんてしたんだ」


 考え込むように話すレオンハルトに、コーネリアは頷いて返した。


 リネットは『今日』を楽しみにしていた。誰が見ても分かるほどに。両親どころか友人に弾んだ声色で話すほどに。


 どれだけ『今日』を繰り返そうとも、『今日』起こったことが消えようとも、『昨日』は揺るがない。

 この繰り返しは過ごした『今日』という一日が日付が変わる瞬間に消え去えり、そしてそこに新しい『今日』が入り込むだけなのだ。『昨日』はあくまで『今日』の前の日である。

 ゆえに『昨日までリネットがラスタンス家夫妻の訪問を楽しみにしていた』という事実は変わりようがないのだ。


 そのうえでリネットは繰り返しの中で違う行動を取り、そして今回に至っては自殺をはかった。


「自ら命を絶とうとするほどの何かが、今回だけはあったという事でしょうか? でも朝から何もおかしな事はありませんでしたよね?」

「そうだな、少なくとも俺はリネットが命を絶つほどの変化は把握していない」

「もしかして、ラスタンス家に何かまた不幸があって、リネットさんはそれを嘆いて……」

「いや、それは有りえない。ラスタンス家は今回最短の道を選んでおり警備は既に彼等と合流している。もしも道中に何か不幸があったとしても、それを俺より先にレチェスター家に居たリネットが知る事はまずありえない」


 レオンハルトの口調ははっきりとしている。分からない事だらけだが、この件に関しては確信があるのだろう。

 その言葉を聞き、コーネリアはまたも溜息を吐いた。今のところラスタンス家は不幸に見舞われることなくレチェスター家を目指しているようだが、かといってそれを喜ぶ気にはなれない。

 そんな息苦しさすら感じかねない憂鬱さを抱いていると、窓の外に見覚えのある屋敷が見えた。カルナン家だ。


「俺はこのまま王宮に戻って、医師をレチェスター家に手配する。正直に言えば、王宮の医者でも今のリネットを相手に何が出来るかは分からないが……。それでも何もしないわけにはいかないからな。それに、リネットも心配だが、俺はレチェスター家夫妻も医者が側にいた方が良いと思う」

「そうですね。ご夫妻ともかなり気を病んでおられましたし、お医者様がそばにいた方が安心ですね」


 大事に育ててきた愛娘がある朝起きたら言動がおかしくなり、話が通じず、挙げ句に自殺をはかった……。

 夫妻の心労はかなりのものだろう。彼等の胸中はコーネリアが想像できるようなものではなく、現にサラはコーネリア達と話している最中に嗚咽を漏らし、次の瞬間には気を失い倒れてしまってもおかしくなかった。

 対してグレイスは貴族当主としての立場ゆえに冷静に事情を説明しようとしていたが、無理をしているのは見ただけで分かる。

 リネットも心配だが、確かに夫妻も心配だ。それに王宮の医者なら、コーネリアやレオンハルトでは気付かないリネットの変化を教えてくれるかもしれない。


「私も、屋敷に戻ったら父にこの件を伝えて、レチェスター家からの要請があればどんなことでも応えて頂くようお願いしてみます」


 これがせめて解決に繋がれば。

 いや、解決とはいかずとも、せめてリネットとレチェスター家夫妻の気持ちが楽になれば……。


 そうコーネリアが願うのとほぼ同時に、馬車がゆっくりと速度を落とし始めた。

 既にカルナン家の屋敷は目の前に迫っており、庭掃除をしていたメイドが気付いて出迎えるためにこちらに歩いてくる。

 馬車が停まると御者が扉を開け、コーネリアだけがタラップを降りた。


「それじゃ、また夜会で」


 レオンハルトの言葉にコーネリアが頷いて返せば、別れの一時もなく馬車が急くように走り出す。

 普段のレオンハルトならば――この繰り返しの中で知った彼の一面に対して『普段の』というのも変な話だが――、別れ際には共に馬車を降りて、一言二言交わして、そしてコーネリアが屋敷に入るまでを見届けてくれただろう。

 だがそれすらもせずに馬車を走らせて去っていたのは、一刻も早くレチェスター家に医者をと考えているからだろう。

 ならばとコーネリアも馬車を見届けることはせず、父がどこに居るかをメイドに尋ねながら足早に屋敷へと戻っていった。



 ◆◆◆



 夜会は今夜も絢爛豪華に開かれている。

 誰も『今日』を繰り返している等と露程も思わず、たった一回だと信じてやまない夜会を過ごす。

 そんな会場の中、コーネリアは談笑する友人達の輪に加わりながらも小さく「よかった」と呟いた。


 幸い、誰もリネットについて話をしている様子はない。

 彼女が自殺をはかったことは当然だが口外無用となっている。コーネリアも有事の際には公爵家として助力出来るよう父に話はしたが、言い触らさぬよう念を押して頼みこんだ。それ以外にはもちろん話していない。母にすら話していないのだ。


 楽しそうに会話する友人達もレチェスター家の事情をまだ知らない。今夜の彼女の不在は、ただ具合が悪いというだけになっている。

 きっと友人達は事実を知らないまま『今日』を終えて、全て忘れてまた新しい『今日』を迎えるのだろう。

 それはレチェスター家夫妻も同じで、あと数時間経てば夫妻も娘の自殺未遂を忘れてしまう。


 そして迎えた『今日』の朝、愛しい娘の異常な様子を目の当たりにする。


 幾度となく繰り返し、そのたびに娘の変わりように衝撃を受け嘆く夫妻を想えば胸が痛む。更に彼等はのちにラスタンス家夫妻とヒューゴ・エメルトの不幸を知るのだから、今日一日で負う心労はかなりのものだろう


 もしかしたら生涯で考えても『最悪な一日』と言えるかもしれない。

 全て忘れてしまっているとはいえ、それを何度も繰り返している。

 どうしてよりにもよって不幸が重なった一日を繰り返しているのだろうか。


(……もしかして、不幸が重なった『今日』だから繰り返してるのかしら)


 ふと、コーネリアが考えを巡らせた。

 だがその考え込んでいた意識が一瞬で戻ってしまったのは「コーネリア様? コーネリア様、どうなさいました?」と声を掛けられたからだ。

 はっと我に返れば、令嬢の一人が不思議そうにこちらを見つめている。それにつられたのか他の者達も不思議そうにコーネリアへと視線を向けてくる。


「ごめんなさい。私ちょっと考え込んでいて……。今度のお茶会でのドレスについてよね」


 何の話だったかしら、とコーネリアが記憶を辿り、すぐさま話題を思い出した。何度も聞いていた話なので思い出すのは容易である。

 友人達もコーネリアがすぐに話に加わったことで大事無いと判断したのか、話を再開させた。



 コーネリアだけが覚えている会話を続けてしばらく、ぐいと腕を引っ張られた。

 驚いて振り返れば、己の腕を掴むのはレオンハルト。彼は険しい顔をしており、その表情にコーネリアはもちろん友人達もぎょっとしてしまう。


「レオンハルト様、どうなさいました」

「コーネリア、すぐに来てくれ!」


 コーネリアの問いに碌な説明もせず、それどころか腕を引っ張ってレオンハルトが歩き出す。

 これにもまたコーネリアは驚きを隠せず、友人達に言葉を掛けることも忘れて彼に連れられるまま輪から離れていった。突然のことに友人達も理解が追い付かないようで、去っていくコーネリアへの見送りの言葉も、ましてや王子であるレオンハルトに挨拶すら出来ずにいた。


「レオンハルト様、何かありましたか?」

「それが……、さっき。いや、とにかく来てくれ。説明は後でする。俺もまだ急なことで……」


 理解が追い付かず、急く気持ちだけで動いているのか。レオンハルトの言葉は要領を得ない。

 らしくない彼の様子にコーネリアは抗う気もなく腕を引かれるままに歩いた。


 繰り返しの中、レオンハルトがコーネリアを呼んで連れ出すことは何度かあった。

 だがその際の彼はこれほど鬼気迫った様子ではなかった。まず「コーネリア、少しいいかな」と声を掛け、そして居合わせた者達にも「話の最中にすまない」と邪魔をしたことを詫びる。そのやりとりは穏やかだった。

 それなのに今のレオンハルトの様子はどうだ。焦りが顔にも声にも出ており、辛うじて早歩きに留めているが今にも走り出しかねないほどだ。

 何があるのかは分からないが、それほどまでの何かがあるということは分かった。そしてそれはきっと繰り返しについてなのだろう。ならば無理やり足を止めて説明を求めるべきではない。



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