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29:ふたりでレチェスター家へ

 


「レオンハルト様、笑いたいのなら笑ってくださって結構ですよ」

「そ、そんな笑うなんて……。しつっ……失礼なことはしないさ……」

「我慢するくらいなら笑ってください!」


 もう! とコーネリアが訴えれば、我慢の限界がきたのかとうとうレオンハルトが笑いだした。

 口元を手で押さえてはいるものの声が出ており、挙げ句に立ち止まってしまうではないか。

 これにはコーネリアも眉間に皺を寄せた。だが笑う許可を出した手前「笑わないでください」とも言えず唸るしかない。

 それに気付いたのかレオンハルトが笑うのをやめた。……といっても、まだ表情は緩く、肩が不自然に揺れているのだが。


「すまない、笑う気はなかったんだが、どうにも……」

「いえ、お気になさらず、お好きなように笑ってください。我慢は毒です。さぁ、私のことは居ないものとして存分にどうぞ」

「悪かったって。そう怒らないでくれ。ただ意外だったんだ」

「意外ですか?」

「なんというか……、きみは何事にも落ち着いていて、こんな状況でも無駄なく完璧に物事を進めると思っていたんだ。俺じゃ考えも付かないような策を練って、それを難なくこなして。あ、でも別に早く寝る事が無駄ってわけじゃないからな。きちんと睡眠をとることは良い事だ」


 フォローを入れながら話すレオンハルトの言葉に、コーネリアはなんと返して良いのか分からず「そうですか……」と返した。

 彼の中の自分はどうやらかなり出来た女性のようだ。今までの周囲からのコーネリアに対する評価や賛辞が完璧な女性像を作り上げさせたのだろ。

 だが実際はどうだ。繰り返しに動揺し、落ち込み、かと思えば夜はぐっすり眠っている。出来た女性とは程遠い。


 自分自身、これほど己が頼りないとは思わなかった。

 そう話せばレオンハルトが苦笑を浮かべた。


「俺は頼りないとは思わないな。むしろ身近に感じるよ。俺が勝手に想像していたコーネリアよりも、今目の前にいるコーネリアの方が話しやすい」

「私もです。私も、想像していたレオンハルト様よりも、今こうやって一緒に居るレオンハルト様の方がとても頼りがいがあって話しやすいです」

「婚約関係にあったのに、こんな状況になってはじめてお互いを知るなんて変な話だな」


 レオンハルトの言葉に、コーネリアは一瞬言葉を詰まらせ、次いで頷いて返した。

 確かに彼の言う通りだ。今まで何年も婚約関係にあったのにレオンハルトの事をなにも知らなかった。

 当り障りのない会話をいくつか交わすだけで、あとは世間の第一王子への評価だけで、彼の全てを決めつけてしまっていた。


 レオンハルトは前向きで頼りになって強く、意外と冗談が好きで、そして何より優しく気遣いの出来る人だ。

 こんな状況になってはじめてそれを知るなんて……。


(でも『明日』がくれば婚約関係は解消されるのよね……。レオンハルト様も『婚約関係にあったのに』って仰ってるんだもの……)


 今はまだコーネリアとレオンハルトは婚約関係にある。

 だがそれは『今日』を繰り返しているからに過ぎず、今夜の夜会ではまたレオンハルトは婚約破棄を言い渡す予定だ。

 夜が明けてまた同じ『今日』になれば婚約関係に戻るのだが、それだって彼が破棄を言い渡してくれば終わる。繰り返しの中で幾度となく無かったことにされ、誰しもの記憶から消えてしまっているが、レオンハルトがコーネリアとの婚約を解消しようとしている事実に変わりは無い。


 仮に婚約破棄をしないまま『明日』を迎えたとしても、いずれ彼はコーネリアに破棄を言い渡すのだろう。

 つまりどれだけ繰り返しても、繰り返しから脱しても、結局コーネリアとレオンハルトが婚約関係にあるのは今だけなのだ。


 それを考えれば、コーネリアの胸の内が痛みを覚えた。

 刺繍針で指先を突っついてしまったようなチクリとした痛み。無意識に胸元に手を添えれば、気付いたレオンハルトが「どうした?」と尋ねてきた。優しい声、見つめてくる瞳は穏やかで、コーネリアが「なんでもありません」と微笑んで返せば彼も穏やかに笑ってくれた。



 そうして公園を出れば、馬車が二台と御者が待っていた。

 片方は王宮の馬車、もう片方はカルナン家のものだ。どちらも質が良く、彫り込まれた模様が美しい。通りがかった者が見惚れるように眺めている。


「わざわざ二台並んでいく必要もないだろう。こっちの馬車に乗って一緒に行こう、戻りは送るよ」

「かしこまりました。では、御者に伝えてまいります」

「例の御者か。そのうち二人で馬に乗ってくるかもしれないな」

「そうなったらレオンハルト様だけが馬車ですね」

「俺一人だけ馬車で優雅に移動か……。それはなんだか立つ瀬が無いな。さすがにその時は事前に教えてくれ」


 苦笑しながら話すレオンハルトにコーネリアもまた笑んで返し、微笑ましそうにやりとりを見守っている御者に声を掛けた。




 レチェスター家は今回もまた重苦しい空気に覆われていた。馬車を降りて門を潜れば、その空気がより濃く感じられる。

 もっとも、景観は変わらず美しく、門から屋敷まで続く道の両側に設けられた花壇は今回も花が咲き誇っている。風が吹き抜ければそれらが揺れ、事情を知らなければ不安も息苦しさも覚える必要は無い。


 いつか不安を抱くことなくこの屋敷を訪れることが出来るのだろうか。

 何も問題なく、ただ友人と話すためだけに。笑顔で迎えてくれるリネットに自分もまた微笑んで「ごきげんよう」と返すのだ。


 そんな日がいつか……。


「コーネリア、もし不安なら俺が先に様子を窺ってくるから、きみはここで待っていてくれ」

「大丈夫です。私もご一緒します。リネットさんとは何度かお茶会で話をしたことがありますし、それに、婚約者を放って他の令嬢に会いに行ったなんて言い触らされたらレオンハルト様もお困りでしょう?」

「他の令嬢に……、あぁ、そうだな。確かにそれはまずい。ただでさえ婚約を破棄しようとするたびに父上とマーティスから怒られてるのに、そのうえリネットとの仲を怪しまれたら『不貞の王子』なんて言われかねないな。今度こそ殴られるかもしれない」


 些か大袈裟に話すレオンハルトに、コーネリアは笑みを零したまま「参りましょう」と彼を促して歩き出した。

 だがすぐさま足を止めたのは、屋敷から誰かが出て来たからだ。

 あれは……、とコーネリアが小さく呟いた。

 こちらに向かって歩いてくる一組の男女、片方は前回の『今日』顔を合わせたばかりのグレイス・レチェスターだ。彼に支えられ覚束ない足取りで進む同年代の女性は、きっとグレイスの妻でありリネットの母親サラ・レチェスターだろう。

 サラの様子は今にも倒れかねないほどだ。それをグレイスが支えながら歩いているため二人の歩みは遅い。


 こちらが訪問の旨を伝えるよりも先に出て来た二人に、そして彼等の明らかに異常と取れる様子に、コーネリアは張り詰めた空気を感じながらも隣に立つレオンハルトを見上げ……、


 そして、青ざめる彼の表情に息を呑んだ。


「レオンハルト様、どうなさいました?」

「あれは確か六度目の『今日』だ。俺は今と同じ光景を見た……」

「六度目……」

「あぁ、リネット・レチェスターが早朝から行方が分からず、俺は彼女を探すために夜にレチェスター家を訪問したんだ。その後に君のもとを訪ねた」


 言われ、コーネリアはその時の事を思い出した。

 六度目の今日。リネットは両親の制止に耳を傾けもせず馬に乗りどこかへ向かい、夜になっても帰らなかった。レオンハルトは彼女を案じて王宮の警備を捜索に向かわせ、自身もまた市街地を探しに行くと話していたのだ。

 その時のことを思い出す。

 彼の話を……。


『夫人は覚束ない足取りで今にも倒れそうだし、それを夫君が支えていたから、二人の進みは随分と遅かったな。……見ていて辛かったよ』


 コーネリアの記憶に、レオンハルトの言葉が蘇る。

 六度目の今日に聞いた言葉。今の、九度目の今日ではない。


 だけど今目の前の光景はまさにではないか……。


 そんな、とコーネリアが小さく呟くのとほぼ同時に、もつれるような足取りでこちらに近付いていた夫妻がようやくコーネリア達の前までやってきた。

 そうして挨拶も、ましてや事情を説明する余裕もないと言いたげに、開口一番に訴える……。


『娘が、娘が湖で……、あぁ、どうしてこんな……!』

『レオンハルト様、突然で申し訳ございません。どうか王宮の医師の力をお貸しください』


 その言葉は六度目の夜にレオンハルトから聞いたものと似ている。

 だが同じではない。少し違っている。


 ……違っているが、夫妻の言葉はまるで。


 コーネリアは己の中で血の気が引くのを感じ、再びレオンハルトを見上げた。

 彼は青ざめ驚愕を露わにし、掠れた声で夫妻に「何があった」と尋ねた。血の気の失せた顔をした夫妻の顔が見て分かるほどに歪み、夫人は耐え切れないと手で顔を覆い、苦し気な嗚咽を漏らした。

 そんなサラの肩を擦るグレイスの表情も青ざめており、彼だって支えが必要なほどだ。それでも問われたならとゆっくりと口を開いた。


 リネットが自殺をはかった。


 彼女は西の森に一人で向かい、その奥にある湖に身を投げたのだという。




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