28:長閑な公園で
レチェスター家の屋敷の近くには大きな公園がある。
一周するだけでも良い散歩になるほどの広さで、子供が遊ぶ遊具や、美しい景観を眺めながら休憩する設備、幼い子供が走り回れる草原と、老若男女問わず愛される場所だ。
公園の端には小さいながらも美しい池があり、整備された緑に囲まれたその一角は賑やかな公園内でもどこか隔離されたかのような静けさと趣がある。
レオンハルトとはその池の一角で落ち合う約束をしていた。
さすがにレチェスター家の屋敷の前で待ち合わせをするわけにもいかず、さりとてどちらかの元を訪問しても手間になると考えたのだ。
誰かに見られたとしても、婚約関係にある二人が公園を散歩することに疑問を抱く者は居ないだろう。――「いつの間にそんなに親しく」という疑問を抱く者はいるだろうが、コーネリアはこの質問にはもう答え飽きている――
「レオンハルト様」
コーネリアが声を掛ければ、池の縁に立ち懐中時計を眺めていたレオンハルトが顔を上げた。
こちらを向いて微笑む。その表情は穏やかで無理をしている様子はない。……腕には包帯は巻かれておらず、怪我の跡もない。
今回ばかりは繰り返しの薄気味悪さよりも良かったという思いが勝り、コーネリアは小さく安堵の息を吐くと彼の隣に立って池を眺めた。透き通るほどの綺麗な水の中を魚が優雅に泳いでいる。
「おはようコーネリア、前回の夜ぶりだな」
「おはようございます。……腕はどうですか。痛みは?」
跡はなく消えているとはいえ、それでもと案じればレオンハルトが笑みを強めた。
見せつけるようにぐいと腕を豪快に振るう。そこに痛みを感じている様子も無く、無理をしている様子もない。
コーネリアが指を切って試した時と同じように、綺麗さっぱり、怪我をしたという事実そのものが消えてしまったのだろう。
「こうなると分かっていたとはいえ、朝起きた時は違和感しか無かったな。でもまぁ腕に関しては長引かれるよりは治ってよかった」
「そうですね。大事無いようで何よりです。ですが、もしかしてお待たせしてしまいましたか?」
彼の腕への心配が晴れれば、今度は彼を待たせてしまったかと不安が湧く。
コーネリアが到着した時すでにレオンハルトは待ち合わせの場所に居り、懐中時計を見つめていた。その姿は誰が見ても何かを待っていると分かる。
予定より早めに到着するように屋敷を出たつもりだったが、もしかしたら時計を見誤って遅れてしまっただろうか。そう不安を抱いてレオンハルトの様子を窺えば、察した彼が「大丈夫だよ」と笑みを強めた。
「時間通りだ。むしろ少し早いぐらいだな」
「そうでしたか。長くお待たせしてしまったかと思いました」
「これだけ繰り返してるんだ、一時間や二時間待たされてもどうってことないさ」
肩を竦めて話すレオンハルトの冗談に、コーネリアも笑って返す。
次いで彼の手元にある懐中時計へと視線を向けた。彼が愛用しているもので、この繰り返しで彼が時間を確認する時にはいつもこの懐中時計を上着から取り出している。
長針と短針、文字盤はシンプルな数字が書かれていて見やすい。十二時を示す箇所にだけ数字の代わりに紫色の小さな宝石が嵌めこまれている。
銀色の枠組みには細かな彫り込みがされており、王子である彼が持つだけあり品の良さを感じさせる懐中時計だ。
それを眺めていたレオンハルトがそっと片手で文字盤を撫でた。
指先が嵌めこまれた紫色の宝石に触れる。
「俺が生まれた時に、父上が俺の髪と瞳の色に合わせて作ってくださったんだ」
「そうでしたのね。素敵なお品物です」
「気にいってるよ。……だけど、眺めていたら今の状況がまるでこの時計のようだと思えてきてさ」
懐中時計についてを話す時は穏やかだったレオンハルトの声色が僅かに沈む。
そんな彼の話に、コーネリアは「時計のよう?」と尋ね、彼と彼の手元にある懐中時計を交互に見た。美しい銀の縁取り、同色の蓋には王家の家紋が彫り込まれている。文字盤で輝くのは紫色の宝石。品の良さも合わせてまさに彼そのものだ。
だがその時計がどうして今の状況なのか……。
そうコーネリアが問えば、レオンハルトの指がコツンと文字盤の一部を突いた。十二の数字があるべき場所、彼の瞳に合わせた紫色の宝石が嵌めこまれている。
「時計の文字盤だけでは今日が何日なのか、日付が変わったのか、それは分からないだろ? 時計の針はただ回るだけ。それが何日であっても、今日であろうと明日であろうと、何回目の今日であろうとも変わらない」
深夜の十二時を過ぎても時計はただ時を刻むだけだ。
今日だろうと明日だろうと繰り返しの中だろうと、時計の針の動きは変わらず、十二を過ぎたら一の表示を目指して、一の表示を過ぎたら二の数字を目指して……、と時刻を刻んでゆく。
戻ることなくただ進むのみ。何周しても何十周しても何百周しても変わらない。
「針は一周まわるとまた次の一周を始める。何周目であっても関係なく……。そう考えると、繰り返しに似てるなと思ったんだ」
そう話すレオンハルトの表情は普段通りのものだ。
だがコーネリアはまだ彼の心に傷が残っているのかと案じ、名を呼ぶと共に懐中時計を持つ彼の手にそっと己の手を添えた。
前回の『今日』、レオンハルトはラスタンス家の惨事を目の当たりにして傷を負った。その傷は腕だけではない、むしろ腕よりも深い傷を心に負った。彼の両親である両陛下や弟のマーティスもそれを知っており、彼を気遣ってくれていたという。
だがその『今日』はもう終わり、今はもう次の『今日』だ。そのことを覚えている者はコーネリア以外には居ない。
だからこそ自分が支えねばと気遣って手を握るも、当のレオンハルトは逆に手に触れられた事に驚いたと目を丸くさせ「コーネリア?」と呼んできた。
「どうしたんだ? 時計が見たいのか?」
不思議そうな彼の言葉に、今度はコーネリアが驚いてしまった。
慌てて手を放して突然触れてしまったことを詫びる。
「申し訳ありません。私、てっきりレオンハルト様が前回のことを気になさってるのかと思って……」
「そうだったのか。ありがとう、でも大丈夫だ。ただ時計を見て思ったことを話しただけさ」
笑いながら話すレオンハルトの表情は確かに穏やかで、これといって思いつめた様子はない。
コーネリアはほっと安堵し「行こうか」という彼の言葉に頷いて返して共に歩き出した。
そうして公園内を歩き、ふと、この繰り返しの中での夜の事を思い出した。
時計の針が十二の数字を超える瞬間……。
「レオンハルト様は、この繰り返しの中で夜通し起きていたことはありますか?」
「夜通し? あぁ、起きようとしていたことはあるな。リネットが行方不明になった時も、遅い時間まで彼女を探して回って、日付が変わる直前まで報告が来るのを待ってた。それに繰り返しの瞬間がどうなるのかを確認しようとしたこともある」
「私、いつも夜は眠ってしまい同じ朝に起きているのですが、日付が変わる瞬間に起きていることは出来るのですか?」
この繰り返しが起こる前まで、コーネリアは規則正しい生活を送っていた。
夜は遅くなる前に眠り、朝は早く起きる。何も予定が無い日はゆっくりと眠っていたが、それだって朝と言える時間帯には起床していた。――本来なら『明日』はそういう日だった―ー
だが日付が変わるまで起きていた事が一度として無いわけではない。旅行に出て美しい夜空を眺めていたら気付けば日付が変わっていたり、久しぶりに再会した友人を屋敷に招いた際は時間を忘れて夜通し語り合って朝を迎えてしまった。
幼い頃は昼に眠りすぎたせいで夜になったら目が冴えてしまい、母やヒルダを困らせた事もある。
そういう時、いつだって気付けば日付を越えていた。
時計を見れば短針が十二の数字を通り越しており「もうこんな時間」と気付くのだ。
『今日』が『昨日』になり、『明日』が『今日』になる。
その境目は一瞬で、意識していなければ音もなく過ぎ去ってしまうものだ。
それこそ、短針が十二と書かれた数字の上をスイと通り過ぎるように。
だが今のこの状況は別である。
時計の針は変わらず動いているが、『今日』は『昨日』にならずどこかへ消え、『明日』は『今日』にならず『明日』のまま。
ぽっかりと空いた空白にはどこからか現れた一日が『今日』として入り込む。
ならばその境目はどういうものなのか……。
それを問えば、レオンハルトが歩きながら小首を傾げた。眉間に皺を寄せたなんとも難しい表情である。
「なんと言うべきか……、というよりなんとも言えないな。日を跨ごうと起きていたことは何度もあるし、試しに自室とは別の場所で夜を過ごした事もあるんだが、日付が変わる直前に必ず意識が遠のくんだ」
「意識が?」
「あぁ。零時になる五分くらい前からかな。意識がぼんやりしだして遠のいていって……」
そうして、自室のベッドで朝を迎える。
まるで昨夜きちんと自らベッドに入って眠りについたかのように。着ていた服も寝間着に変わっている。
曰く、前回の夜こそ大人しく寝たものの、今までの繰り返しの殆どで日付が変わる瞬間に起きていようと試みていたという。だが一度としてそれは叶わなかった。
それを語るレオンハルトは苦虫を噛み潰したような表情だ。抗えない力を前にもどかしさを抱いているのだろう。
だが深く息を吐くと表情を戻し、コーネリアへと視線を向けてきた。
「コーネリア、きみは確認していなかったのか?」
「はい。夜はきちんと眠らなくてはと思っておりましたので」
この繰り返しを奇妙に思い、また同じ『今日』を迎えるのではと怯え、どこかに繰り返しを脱するヒントがあるのではと寝る直前まで考えを巡らせていた。
……考えを巡らせてはいたが、律儀に決まった時間にベッドに入っていたのだ。そのうえ寝つきは良い方なので不安を抱きながらも直ぐに眠りについてしまった。
それを話せばレオンハルトが一瞬の間を空けたのち「……真面目だな」と告げてきた。その声が少し上擦っている。挙げ句、ふいと他所を向いてしまった。
傍目には目の前の原っぱを眺めているように見えるだろう。だが彼の態度に異変を感じたコーネリアは、窺うようにじっと彼を見つめた。
「一瞬おかしな間を感じたのですが、なにか仰りたいのでしょうか」
「い、いや、なにも? どんな状況でも規則正しく生活することは大事だと思うな。うん」
「レオンハルト様、どうして他所を向くのですか?」
「ほら、その……、自然を感じる綺麗な景色だと思って。こういう場所だとより風を気持ちよく感じられるな」
レオンハルトの話は確かにこの場と景色に合っている。現に目の前に広がる草原は自然を感じさせ、草木を揺らして吹き抜ける風は普段以上の爽快感をもたらす。見ているだけで晴れやかな気分になってくる。
この繰り返しの中でなければ、否、たとえこの繰り返しの中であっても今の会話さえ無ければ、コーネリアは促されるままに景色を眺めて「本当に美しいですね」としばし景観を堪能しただろう。
だが今はその気になれない。
なぜか?
レオンハルトが笑うのを堪えているからだ。




