27:異常な来賓客
コーネリアとレオンハルトが急いで向かうと、会場内は騒然としていた。
誰もが顔を強張らせ、年若い令嬢の中にはすっかりと怯えて身を寄せ合っている者も居る。
そんな会場の中央にいるのは両親や警備に囲まれる一人の令嬢。
リネット・レチェスターだ。
シンプルな服は部屋着だろうか。とうてい夜会に来る装いではなく、年頃の令嬢が人前に出る格好ですらない。
だが今のリネットは装いなど気にもとめず、鬼気迫る表情でなにかを喚き、腕を掴もうとする両親の手を振り払う。
その様子は異常としか言えず、扉越しとはいえ事前に声を聞いていたコーネリアでさえ背に冷たいものが走るのを感じた。
はじめて様子を知る者、それもリネットは具合を悪くさせて欠席と信じていた者には衝撃だろう。誰も声を発せずに佇むだけだ。レオンハルトも気圧され青ざめた表情をして何も言えずにいる。
「リネットさん、どうして夜会に……」
コーネリアは恐る恐るリネットに近付き声を掛けた。
だが今もリネットに声は届かず、彼女は誰もいない場所を見つめ何かを叫ぶだけだ。両親に腕を取られてもそちらを見ることもなく、何かを追うように必死で手を伸ばす。何もなく誰もいないはずなのに……。
「リネットさん、いったい何があったの? ねぇ……」
何を尋ねてもリネットからの返事はない。
彼女はコーネリアでも両親でもなく何もないはずの空間を見つめ、かと思えばその視線を、そして顔を、ゆっくりと別の方向へと向けた。
その視線が向かうのは会場の出口だ。やはりそこにはリネットが固執するようなものはなく、この空気に耐えかねた数人がそっと会場を出て行くだけだ。
リネットはそんな出口を見つめている。
だが彼女の瞳は出口から出て行く者達を追っているわけではない。それでも確かに、何かを追って瞳を動かしている。
それなら……、
「リネットさん、貴女は何を見てるの?」
コーネリアの問いかけにリネットはやはり答えず、親に連れられ、否、親を引きずるようにして会場から出て行った。
やはり何かを追うように。
◆◆◆
その後の夜会は、当然だが夜会の体を成していなかった。
突然のことに会場内はしんと静まり、我に返った楽団が再び音楽を奏で始めるもそれもぎこちない。
両陛下やマーティスがなんとか場を取り繕おうとすれば、誰もがそれに対して作り笑いを浮かべて対応するものの、やはり胸中の動揺は隠せない。不自然なほどに当り障りのない会話が交わされ、誰もがみな落ち着かず、早々に夜会は幕を閉じてしまった。
「さすがにあの状況で婚約破棄は言い渡せなかったな。これ以上の心労を重ねたら母上が倒れかねない」
困ったように苦笑しながら話すレオンハルトに、コーネリアは何と返せば良いのか分からず肩を竦めるだけに留めた。
場所はカルナン家の客室。今夜は婚約破棄を宣言していないため、レオンハルトはきちんと正門から入り屋敷を訪ねてきた。コーネリアもヒルダから彼の訪問を聞かされ、この客室で再び顔を合わせて今に至る。
腕はいまだ布で吊っており痛々しい。短時間で治るわけがないと分かっていても容態はどうかと聞けば、彼は自分の腕を見下ろし「それどころじゃなくて忘れてた」と笑った。
そうして腕のことを少し話し、コーネリアはさっそくと夜会の時に伝え損ねたレチェスター家でのことを話しだした。
今回もまた様子のおかしかったリネット。扉越しに声を掛けても話が通じる気配はなく、レチェスター家を去った後にはリネットの友人達に話を聞いて回った。
だが新たな情報は得られず、分かったのはリネットがラスタンス家の訪問と今夜の夜会を随分と楽しみにしていたということ。
それなのに、ラスタンス家も、夜会も……。
考えれば考えるだけ混乱と困惑、そして繰り返しの中で一番と言える最悪な展開に、思わずコーネリアは溜息を吐いた。
「どうしてリネットさんは今夜の夜会に来たのでしょうか……。今までこんなこと一度として無かったのに」
「考えようにも、あの様子を見るにリネットの意志を探るのは難しそうだな。あれは……」
言いかけ、レオンハルトが口を噤んだ。
口にしようとした言葉がリネットに対してもレチェスター家に対しても失礼だと考えたのだろう。どのような言葉か、コーネリアも薄々とだが分かってしまう。
それほどまでにリネットの様子はおかしかったのだ。
会場に居てもなお彼女は誰の事も見ていなかった。
それでいて、会場内から会場の出口へ、そしてその先へと視線は動いていた。
まるで何かがそこに存在し、なおかつ移動しているかのように……。
自分とは違うものを見ているようで、リネットの様子を思い出すとコーネリアの胸中が不安でざわつきだす。
「私、次の『今日』もレチェスター家を訪問してみようと思います」
「そうだな。俺も……」
自分もまたラスタンス家を探しに行こうと思ったのだろうか。だがレオンハルトは言葉を途中で止め、眉根を寄せて視線を他所へと向けてしまった。
きっと今日の事を、目の前で起きた惨事を思い出したに違いない。
コーネリアはすぐさま彼の手を取ろうとしたが、テーブルを挟んで座っているためそれも叶わない。婚約破棄を言い渡され格子越しに話している時ならば、すぐにでも彼の手を握って励ましてやれたのに。
だがそれで諦めてなるものかとコーネリアは己に言い聞かせた。彼が今まで支えてくれたように、今は自分が支えなくては。
「レオンハルト様、お辛いのでしたら次は何もしなくても大丈夫です」
「何もしなくても?」
「えぇ、繰り返しも考えずに過ごしてください。私がレオンハルト様の分も動きます。だからどうか諦めないでください」
コーネリアが必死な思いを胸に告げれば、レオンハルトが意外なことを言われたといいたげに目を丸くさせた。
だが次いで何かに気付いたように「あ、」と小さく声を漏らすのは、この言葉がかつて自分が告げたものだと気付いたからだろう。
コーネリアの心が折れかけた時、レオンハルトはコーネリアの肩を掴んで宥め、そして同じ言葉で励ましてくれた。
「夜会の時と言い、なんだか今日はコーネリアに助けられてばっかりだな」
「それで良いんです。レオンハルト様が私を支えてくださるように、私だってレオンハルト様を支えます。だから二人でこの繰り返しを脱しましょう」
ねぇ、とコーネリアが同意を求める。
それに対してレオンハルトは一瞬言葉を詰まらせ、次いで深く息を吐いた。「ありがとう」という言葉は落ち着きを感じさせ、彼の気分が少しでも晴れたと分かる。
「駄目だな、今回はなんだか弱音ばかりだ。もう失礼しようかな。今夜は早めに休む事にするよ」
「そうですね、無理はなさらないでゆっくりと休んでください」
「次の『今日』は俺もレチェスター家に同行しよう。時間は……」
落ち合う時間を決めようとするレオンハルトに、コーネリアは慌てて待ったを掛けた。
もちろん、次の今日はレオンハルトには休んでいてほしいからだ。そう訴えるも彼は苦笑し「大丈夫だよ」と返してきた。
「無理はしないから安心してくれ。北の領地には警備を出すだけにして俺は行かない。だが調べることぐらいはしないと」
「……ですが」
「それに、次の今日が終わったらその次には十回目だろう?」
途端にレオンハルトの表情がパッと明るくなる。まだ無理の色が残っているが、それでも明るさを取り戻した表情だ。
コーネリアは彼の言葉を受け「十回目」と呟いた。今回の『今日』が八回目、夜が明ければ九回目がくる。そして九回目の『今日』も何も解決できなければ、その先にあるのは十回目だ。
もうそれほど繰り返しているのか、あとどれだけ繰り返すのか。十回目が目前に迫ってなお分からないことばかりだ。
そう考えれば気分が沈みかける。
だけど……、
「五回毎に好きに過ごす、そう決めただろう?」
「えぇ、そうでしたね」
「あと一回頑張れば次は自由に出来るんだ。やる事も決めてある。それを考えれば頑張れるさ」
レオンハルトが笑って話すので、つられてコーネリアも笑って返した。
本音を言えばまだ彼を案じる気持ちは残っており、「それでも次は」と彼を制止したい。だが気丈に振る舞おうとする彼の気持ちを無下にする事は出来ず、ならばここは話に乗ろうと考えたのだ。この判断もまたレオンハルトのためになると信じて。
「十回目ですね。実は、私ももう何をするか決めております」
「本当か? 五回目の話をしていた時は随分と悩んでいたようだけど」
「あれから考えたんです。きっとレオンハルト様もビックリしますよ」
「随分と自信があるようだが、何をするんだ?」
「あら、それは今は言えません」
コーネリアが悪戯っぽく笑って返せば、レオンハルトの笑みが強まる。楽しそうな笑みだ。
爽やかで、そしてあどけなく、眩い笑顔。それを見てコーネリアは胸の内で「よかった」と呟いた。レオンハルトにはこの表情が一番似合う。
そうして屋敷の出口まで彼を見送る。
今回は夜会での婚約破棄宣言が無かったため、コーネリアの両親も、ヒルダでさえも穏やかな表情で彼を見送りに出た。
なにせレオンハルトはコーネリアの婚約者であり、なによりこの国の第一王子。いくら深夜の突然の訪問とはいえきちんと出迎え見送るのは当然である。――繰り返しの記憶の無い彼等には、いつだってレオンハルトの訪問は突然なのだ――
だがレオンハルトが婚約破棄を宣言した際には、両親は溜息交じりになんて事だと呆れ交じりに語り、ヒルダに至っては「何様のつもりなんでしょう!」と怒る。夜の訪問が知られようなら、いくら第一王子といえども追い返されるだろう。
「そう考えると、なんだかみんなの態度が薄情に思えますね」
「繰り返してないんだから仕方ないさ。それに、婚約破棄を言い渡すのはそれほどの事ってことだ」
あっさりと言い切り、レオンハルトが「また」と告げて去っていく。
『明日』とも『次の今日』とも言わないのは、『明日』が来るとは思っておらず、さりとてこの場にいる者達は『次の今日』が来ることを知らないからだ。
コーネリアもこの言葉に対して品良くお辞儀をしつつ「ではまた」とだけ返した。
やはり『明日』とも『次の今日』とも言わずに。
◆◆◆
夜が明けて、また同じ朝が来る。
コーネリアは一言たりとて変わらぬヒルダの言葉を聞きながら、香りも甘さも温度も全く変わらぬ紅茶を飲んだ。白地に花柄のカップで。
そうして同じ衣服を着ながら今日の予定をヒルダに伝える。衣類は汚くはないのだが、こうも毎朝同じ服を着るのは些か気が引ける。
「別の服を用意してくれないかしら」
「あら、お気に召しませんでしたか?」
「そういうわけじゃないんだけど……。」
繰り返しの中で何度も同じ服を着るのは気が引けるから……と正直に話せるわけもなく、コーネリアはそれとなく「なんとなく気分的に」と曖昧な言葉で返した。
「でしたら、どのようなお洋服をお出しすればよろしいでしょうか」
「そうね、動きやすい服をお願い」
「動きやすい服ですか?」
不思議そうに尋ねてくるヒルダに、コーネリアは直ぐには返事はせず、わざとらしく紅茶の最後の一口を飲み干してゆっくりとカップを机に置いた。
「食後に馬に乗ろうと思って。だから動きやすい服を用意して」
ヒルダが驚いたように目を丸くさせる。
これもまた何度も見た顔だ。




