26:降りかかる不幸の欠片
室内は王宮の一室であっても簡素な造りをしている。
だがテーブルを挟んでソファが設けられ、それと壁には絵画が一枚。どれも品の良さを感じさせる品だ。
向かい合うようにソファに腰かけ、どちらからともなく一息吐いた。レオンハルトの顔色が悪く表情が渋いのは気のせいではないだろう。
そうして少しの沈黙の後、レオンハルトが「俺は今朝……」と話し出した。
普段ならば本題に入る前に一つ二つ他愛もない会話をし、時には冗談交じりに話し合うのだが、その余裕もないのだろう。
「俺は今朝、起きると同時に警備と共に北の領地を目指したんだ。王都から遡っていけばラスタンス家夫妻とも会えると思って……、それで……」
朝からの事を思い出そうとしたのだろう、だがレオンハルトは言葉を詰まらせてしまった。
元より顔色の悪かった彼の表情がサァと一瞬で青ざめる。瞳が揺ぎ、何かを言おうとするも苦し気な呼吸を漏らすだけだ。
辛そうなその表情に、コーネリアは堪らず向かいの席から立つと彼の隣へと移った。腕に触れれば微かに震えているのが伝わってくる。
「レオンハルト様、無理に話さなくても大丈夫です。何があったかはマーティス様から聞いておりますので……」
「いや、大丈夫だ……。それで、護衛を連れて北の領地に向かったところ、ラスタンス家の馬車を見つけたんだ。先導するように馬を走らせていたのがヒューゴ・エメルトだと思う。……それで」
良かった、無事だった。
そうレオンハルトの胸に安堵が湧き、彼等と合流すべく馬を走らせ……、
次の瞬間、目の前にあったはずの光景が荒々しい岩に覆われた。
「微かに地面が揺れた気がして、その瞬間に……、本当に一瞬だったんだ……。その瞬間にヒューゴと目が……、あぁ、きっと彼がヒューゴだ。……彼と目が合った。彼の瞳が俺を見て、だけど目が合ったと思った瞬間にはもう……彼が、馬車も……。ヒューゴの腕が、岩の隙間から……」
説明しようとするレオンハルトの声は震え、声には怯えの色すら漂っている。伝えようとする思いが先走り途切れ途切れの言葉が喉から漏れ出ていく。自分の意思ではないと言いたげで、彼の呼吸が次第に浅くなった。
見ているだけで胸が痛む。コーネリアは彼の腕を擦るのを止め、膝の上で硬く握られている手をそっと握った。ひやりと冷たい。手まで強張り、まるで指先まで固まってしまったかのようだ。
包むように手をさすれば、レオンハルトがようやく気付いたのかコーネリアの手に包まれる己の手に視線をやった。無理に手を開こうとしているのか。だがそれも上手くいかないと彼の手が不自然に震える。
「すまない……。話をしなくてはと思ってるんだが……」
「大丈夫です。レオンハルト様がご無事だと分かっただけで十分です。ですから無理に話さないで、もう傷つかないでください」
「コーネリア……」
弱々しい声でレオンハルトがコーネリアの名を呼ぶが、細く消えてしまいそうな声だ。だからこそ彼の声が消えないように、繋ぎとめるように、そして冷え切ってしまった手に自分の熱が伝わるように、コーネリアは彼の手をぎゅっと強く握った。
そんな思いと熱が伝わったのか、強張っていたレオンハルトの体からゆっくりと力が抜けていった。表情も和らぎ改めてコーネリアを呼ぶ声も先程よりも落ち着いている。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、気を遣わせてすまなかった。ちゃんと話すよ」
再びレオンハルトが話し出そうとするので、コーネリアは慌ててそれを制止した。
ラスタンス家の馬車とヒューゴが落石に巻き込まれたことは知った。きっと彼等は助からなかったのだろう。それが分かればもう良い。これ以上レオンハルトが傷つくのは耐えられない。
そう訴えるもレオンハルトは落ち着いた表情で「もう大丈夫だよ」と苦笑を浮かべた。まだ無理を隠しきれていないが、それでも普段の彼が見せる表情に近い。
それならばとコーネリアは彼の話を聞くことにした。
レオンハルトが辛い記憶を蘇らせてでも話をするというのなら、自分がすべきはそんな彼を支えて話を聞くことだ。そう考えれば自然と彼の手を握る己の手に力が入る。彼の手が震えないよう、自分の手が震えてしまわないよう、強く握って話の続きを待つ。
レオンハルトが覚悟を決めたと言いたげにゆっくりと息を吐き、「朝の事から遡ろう」と話を始めた。
「朝起きて、俺はすぐに警備と共に北の領地に馬を走らせたんだ。ラスタンス家夫妻がどんな道を選ぶか分からないが、どの道であっても彼等を見つけられるように警備を分けて、すぐに合流出来るように密に連絡を取り合うようにしていた」
手早く指示を出し、警備と共に北の領地にあるラスタンス家の屋敷を目指した。
そうして王宮を出発して数時間後、景色もだいぶ変わり自然が多くなり、岩肌の続く険しい道が続く。
この話を聞き、コーネリアは脳内に地図を思い描いた。ラスタンス家が管理している北の領地までは一日で行き来できる距離だが、その途中は森と荒々しい道が続いていた。時間はさほどだが、道程はなかなかに険しい。
そんな道すがらにこちらに向かって走る一台の馬車を見つけた。地元の者達が使う乗り合いの馬車とは違う、遠目でも立派な造りと分かる馬車。先導して馬を走らせる青年はいかにも護衛といった畏まった服装をしている。
見た瞬間にそれがラスタンス家一行だと分かり、レオンハルトの胸に安堵が湧いた。近付けばより馬車の造りがはっきりと分かり、ラスタンス家の家紋も見える。
「最初に俺達に気付いたのはヒューゴだ。彼は御者に何か伝えると、馬車の窓に近付いて夫妻に話しかけていた。きっと俺達の事を報告したんだろうな」
突然王家の警備隊が現れ、その先頭には第一王子であるレオンハルトが居るのだ、きっとヒューゴはもちろん馬車の中にいたラスタンス家夫妻も驚いただろう。
そんな彼等に対してどう説明すべきか。そうレオンハルトは考えつつも馬を進めさせた。その時には既に互いの表情が分かるほどに近付いていたという。
その時、ふと、不自然な振動に気付いた。
馬の呼吸による揺れとも違う、小刻みで、それでも強い確かな振動。
「何かと思った、いや、思うよりも先かな。馬が嘶くのとほぼ同時に轟音がして、それで……。世界が壊れたかのようだったよ」
目の前の光景が一瞬にして積み重なる岩へと変わった。
馬が暴れる。拳大の岩が頭上から降り注ぎ、落石の一つがレオンハルトの腕を打つ。
突然の事にそれでも王宮の警備達は即座に行動に移し、落石に巻き込まれたラスタンス家夫妻たちの救助へと向かい、数人はレオンハルトを護るためにと彼に安全な場所まで戻るように促してきた。
落馬し掛けていたレオンハルトも手綱を握り直し、警備に促されて場を離れようとし……。
振り返り、目の前で起こった惨劇と、岩の隙間から伸びるひしゃげた腕を視界に捉えた。
そこまで話し、次いでレオンハルトは深く息を吐いた。
彼の表情から緊張が伝わってくる。惨状を思い出したのだろう眉根を寄せ、一瞬躊躇うように掠れた声を出し、それでもと再び話し出した。
「落石はラスタンス家夫妻が乗っていた馬車を直撃した。夫妻も、御者も……、ヒューゴも巻き込んで……。岩の隙間から男の手が伸びていて、多分、あれは……ヒューゴのものだったんだろうな……」
「そうだったのですね……」
「後のことは警備に任せてすぐに王宮に引き返したんだ。怪我もあるし、俺が残っていては足手纏いになりかねないからな」
「お怪我は酷いのですか?」
「いや、心配する程じゃない。数日で治るし、腕の包帯は医者がこれ以上俺に無茶をさせまいと大袈裟に巻いただけだ」
無事を見せるためか腕を動かそうとするので、コーネリアは慌てて彼を止めて安静にしてくれと告げた。
レオンハルトが苦笑する。「どうせ次の『今日』には怪我も無くなってるよ」という彼の言葉には、どこか吐き捨てるような、投げやりな色が漂っている。
「こうなる可能性はあったんだ。目の当たりにすることも、巻き込まれる可能性だって考えておくべきだった。それでも何とか出来ると思いこんでいたんだ……。馬鹿な思い上がりだ。俺にはそんなこと出来ないのに……」
レオンハルトの声に次第に自虐めいた色が濃くなっていく。
目の前でラスタンス家夫妻達を亡くしたことが、あと一歩のところで救えなかったことが、記憶に残る惨状が、己の内で自らを責め立てるのだろう。
その果てに、レオンハルトは小さく息を吐くと掠れる声で「すまない」と謝罪の言葉を口にした。コーネリアを見つめてくる彼の表情は辛そうで、なぜ謝られたのかが分からずコーネリアは「レオンハルト様?」と彼を呼んだ。
「すまないコーネリア。……せめて、君と繰り返すのが俺じゃなくてマーティスだったらよかったのに」
「マーティス様?」
「あぁ、マーティスの方が機転も利くし頭も回る。だからきっと俺よりもマーティスの方が上手くできる。なにもかも、ぜんぶ……」
「そんな……!!」
あっさりとしたレオンハルトの話に、逆にコーネリアの方が悲痛な声を上げてしまった。
彼の手をさらに強く握りしめる。
「私そんな事を思ってなどいません! それに、レオンハルト様がいらっしゃらなかったら今頃どうなっていたか……!」
もしもこの繰り返しが自分一人だけだったなら……。
想像するだけでコーネリアの胸がぎゅうと締め付けられるように痛んだ。
きっとわけが分からず、繰り返しを奇妙で恐ろしいと思い、それでいて何も出来ずにいただろう。
もちろん五回毎に自由に過ごすなど考えもしなかったはずだ。早々に心が折れていた可能性が高く、今の八回目の『今日』は絶望だけを胸に何も出来ずにいたかもしれない。
「レオンハルト様の前向きさにどれほど救われたか。今こうやって話をして次に何をすべきかを考えて行動できているのも、レオンハルト様が居てくださっているからです。それは『一人じゃない』という理由だけじゃありません、一緒に過ごしているのが貴方だからです」
はっきりとコーネリアが告げれば、レオンハルトは意外そうに目を丸くさせた。
次いでゆっくりと目を細め、照れ臭そうに笑う。
その表情に自分の気持ちは伝わったとコーネリアは安堵し……、そしてここにきてようやく彼の手を握ったままだったことに気付いた。慌てて手を放し、「痛くはありませんでしたか?」と強く握ってしまったことを詫びる。
「申し訳ありません、私ってばつい……」
「いや、謝らないでくれ。俺の方こそ取り乱してすまない。……そういえば、これと同じやりとりを逆でやったな」
あれは四度目の繰り返しの時だ。
なぜこんな事になってしまったのか分からず「皆のようにいっそ自分も全て忘れてしまいたい」と嘆くコーネリアに対して、レオンハルトが肩を掴んで宥めてくれた。
「辛いとは思う、怖いのも分かる。だけどどうか心折れないでくれ」
彼のその言葉に、そして自分も辛い状況にありながらも折れまいとする姿勢に、コーネリアは救われた。そして今は逆にコーネリアが心折れかけたレオンハルトを救おうとしている。
誰だって嘆きすべてを放り出したくなる時はあって当然だ。
だからこそ支え合うのだ。
(そうよね、これが支え合うって事なのよね……)
今まで自分は『王妃として王となったレオンハルトを支える』と考えていたが、そのレオンハルトの事を何一つ知らなかった。知ろうともしなかった。
それでどうやって支えるつもりだったのか。王妃教育を受けて、周囲から未来の王妃と褒めそやされ、随分と思い上がっていた。
それをコーネリアが自覚するのとほぼ同時に、何か騒々しい音が聞こえてきた。
はっと同時に顔を上げて扉へと視線をやる。今なにか、と、そう考えるのとほぼ同時にまた聞こえてきた。
数人が騒ぐ声、それを押しのけるように響く悲鳴じみた声……。
これは……。
「リネットさん!!」




