22:付き纏う不幸
夜の暗がりの中、外灯と手元の明かりだけをもとに格子越しに男女が話し合う。
その姿は本の挿絵のように見えるだろうか。
たとえば許されぬ関係の二人の逢瀬。誰にも見つからぬように息を潜めて愛を語り合う、そんな物語だ。
もっとも、コーネリアとレオンハルトの関係も現状もそんな美しいものではなく、これはただの報告会だ。
そもそも許されぬ仲どころか、元々婚約関係にあったのをレオンハルトが破棄し、その結果こうやって秘密裏に会っている。
当人もあっさりとしたもので、婚約破棄を言い渡した後のことを悪びれる事なく語る。
「俺の方は今回は少しだけ違っていたな。父上よりもマーティスの方が声を荒らげて怒って、部屋の前まで俺を追いかけて来た」
「日中にお会いしたからでしょうか?」
「そうだろうな。父上や母上はもちろん、マーティスもコーネリアのことを高く評価している。努力する姿を尊敬し、コーネリアより未来の王妃に適した者はいないとまで言ってるからな。そんな君に調べものを手伝わせて、一緒に食事をして、そのくせ夜会の場で一方的に婚約破棄を言い渡すんだ。兄の愚行に弟が怒るのも当然だ」
レオンハルトの口調は淡々としている。挙句に、自分を叱咤する弟を思い出して「凄い迫力だったよ」とまで語ってくる。
彼の話と飄々とした態度に、日中コーネリアの胸に湧いた疑問が再び舞い戻ってくる。
己の行動を『愚行』とまで分かっておきながら、それでも婚約破棄を言い渡してくる。
それも必ず夜会の場で。己の王位継承権が剥奪されると分かっていて……。
だがその真意を問うよりも先に、レオンハルトが「それで」と話を改めてしまった。
彼の表情が途端に暗くなる。眉根を寄せた強張った表情にこの先の話題を察し、コーネリアも思わず息苦しさを感じた。胸の内に湧いた疑問を今はひとまず押し留めて彼に視線をやる。
「ラスタンス家は夜会に来られなかった。王都にさえ到着していない。……まだ見つかっていないんだ」
溜息交じりのレオンハルトの言葉に、コーネリアは小さく溜息を吐いた。
今朝、レオンハルトは起きてすぐにラスタンス家への警備を出している。彼等に危険が迫っていると不穏な噂を聞いた、王都に来るまでの道中で狙われる可能性が高い……と理由はこういったものだ。さすがに「繰り返しているから知っている」とは言えない。
第一王子であるレオンハルトの命令に王宮の警備達がすぐさま出発し、定期的に報告を入れる。そういう手筈だ。少なくとも、ラスタンス家へ警備を出すようになってからは毎回この方法を取っているという。
だが今回、一度としてラスタンス家についての情報は得られなかった。
いや、正確に言えば報告自体は届いていたのだが、どれも『行方が分からない』『足取りがつかめない』というものでしかなかったのだ。
挙げ句に入ったのは……、
『馬車は見つかった』という報告。
だがあくまで、馬車は、である。中はもぬけの殻で、夫妻も、御者も、ヒューゴの姿も無かった。
それらの報告は王宮の書庫に居たコーネリアの耳にも届いている。
消息が分からないと言われた時は胸を押さえ、空の馬車だけが見つかったと報告された時は眩暈さえ覚えた。
それでもと僅かな期待を胸に、王宮を出てカルナン家へと戻ったのだが……。
「結局、見つからなかったのですね……。いったいどこに行ってしまわれたのでしょう」
「北の領地にある屋敷を出たのは確かで、その後は北の森に入ったところまでは分かってる。森の一角はぬかるんでいて馬車が通った車輪のあとがあったんだ。だがそこからの消息がつかめない。道を間違えたのなら良いんだが、この時間まで連絡一つ無いとなると……」
彼等が見つかる望みは薄い。
そんな言葉が聞こえた気がした。
だが実際にはレオンハルトは声は発していない。彼の辛そうな表情ときつく噤んでしまった口元から、声にならない彼の言葉を聞き取ったのだ。無言の訴え。それほどまでに今のレオンハルトの表情は物語っている。
ラスタンス家を襲った不幸を。そしてそこにはきっと……。
「ヒューゴ・エメルトも夫妻と一緒に……?」
「あぁ、今回もラスタンス夫妻は彼を護衛につれて出発している。だから多分、彼も……」
見つかる可能性は低いと考えているのだろう、レオンハルトの声は沈んでいる。まさに辛うじて絞り出した声だ。
それならばとコーネリアは「リネットさんは」と尋ねた。もっともこちらの話題もそう明るい物にならないと予感しているので、話題を変えたところで重苦しい空気が纏うだけだ。
現にレオンハルトの表情はいまだ渋く、ただ首を左右に振るだけである。
リネット・レチェスターについての報告も随時入っていたが、そちらも同様、明るい話は一つとしてなかった。
彼女は朝から様子がおかしく、誰一人として会話が通じる状態じゃない。挙げ句、馬に跨り走り出してしまったという。
今回は王宮の警備が追いかけることが出来たが、リネットは北の領地に通じる道の途中で突如馬を止まらせ、悲鳴をあげていた……と。
話す警備の表情は随分と険しく、奇妙な物を見ていまだ信じられないと言いたげだった。
それ程までにリネットの様子は異常だったのだろう。
「警備によると、彼女は道の途中で叫び声をあげ、しばらくするとレチェスター家の屋敷へと引き返したらしい。行きの早駆けが嘘のように遅々とした速度で、まるで魂が抜けきってしまったかのように……。」
「そうですか……。前回の『今日』ではリネットさんの行方が分からなくて、今回はラスタンス家が……。どうしてレチェスター家とラスタンス家には不幸が付き纏うのでしょうか」
「分からないが、ここまで毎回変わっているとなると無関係とは考えられないな」
レオンハルトの言葉にコーネリアも頷いた。
何がどうと問われれば答えようが無いが、彼等の置かれた状況がこの繰り返しに何かしら関与している可能性は高い。
もっともそれが分かったところで解決策が浮かぶわけでもなく、彼等と接触することすらも難しい。ラスタンス家夫妻は夜会に辿り着けない事も多く、そしてレチェスター家のリネットもまた話が通じる状況ではないのだ。
「俺は次の今日、朝からラスタンス家に向かってみようと思う」
「レオンハルト様が自ら?」
「あぁ、今までは警備を出していたがそれに同行するつもりだ。そうすればヒューゴ・エメルトにも接触できる」
「どうかお気をつけてくださいね……」
ラスタンス家には繰り返しのたびに不幸が訪れている。そして必ずヒューゴ・エメルトは命を落とす。
そんな彼等と接触すればレオンハルトにも危険が及びそうでコーネリアの胸に不安が湧いた。それが声と顔に出ていたのだろう、レオンハルトが苦笑を浮かべ「気を付けるよ」と返してきた。
「それなら、私はレチェスター家に行ってみようと思います。リネットさんとは何度かお話もしたことがありますし、同性の私が訪問した方がきっとレチェスター家夫妻も通してくれるかと。そのあとはリネットさんの友人を回って、なにか異変が無いかを聞いてみます」
「あぁ、頼む。きみも気を付けて」
無理をしないようにレオンハルトが告げてくるが、どちらかと言えば危ないのは彼の方だ。ただでさえラスタンス家は事件に遭遇しており、なおかつ北の領地に向かうには森や補整のされていない道を通る。崖もあったはずだ。
対して、レチェスター家はリネットこそ不穏な繰り返しを続けているが、距離も向かうまでの道のりもさして問題ではない。
だからこそコーネリアは「レオンハルト様の方こそ」と案じるのだが、逆に「いや、君だって」と返されてしまった。
互いに互いが心配なのだ。
そんなやりとりを数度繰り返し、苦笑するレオンハルトの「埒が明かないな」という言葉で応酬を終わりにした。
「一応夜会までには戻るつもりだから、次は夜会で会う事になるかな」
「はい。それでは次の『今日』の夜会で」
「あぁ、それじゃぁおやすみ」
レオンハルトが穏やかに微笑む。
その優しい表情にコーネリアは己の胸も温まるのを感じ、ゆっくりと一度頭を下げると屋敷へと戻っていった。
レオンハルトはまだ格子越しにこちらを見ている。きっと屋敷に戻るまで見届けるつもりなのだろう。コーネリアが振り返ると穏やかに微笑んで軽く手を振ってくれた。街灯だけがともる夜の暗がりの中、それでも彼の銀の髪は明るく見える。
それを眺め、コーネリアもまた自分の表情が和らいで笑みを浮かべるのを感じつつ、屋敷へと戻っていった。
◆◆◆
そうしてまた朝が来る。
同じ朝だ。ヒルダが告げてくる「おはようございます、コーネリアお嬢様。本日の夜会、楽しみですね。レオンハルト様にお会いするのは久しぶりでしょう」という言葉も何も変わらず、差し出される紅茶の暖かさも味もカップも何もかも記憶の通り。
だがこれにいちいち落胆するのは無駄だ。そうコーネリアは己に言い聞かせてベッドから降りた。
「朝食を取ったらレチェスター家に向かうわ。馬車を用意して。……でも、」
ふと、その前にとある考えが浮かんだ。
「ちょっと馬に乗ってみようかしら」
消えていく毎日でもコツコツと積み重ねれば乗馬も上手くなるかもしれない。
そうすれば、いちいち馬車を用意させ、理由を説明し、御者に行先を支持して……、と手間が省ける。思い立ったら即行動に移せるのだ。
もしも上達する前にこの繰り返しが終わったとしても経験は無駄にはならないだろう。少なくとも両親やヒルダを驚かせることは出来る。
そう考えてコーネリアが朝の準備をしていると、ヒルダが驚いたように「馬にですか?」と尋ねてきた。
「えぇ、そうよ」
(私、もう乗ったことがあるのよ)
心の中で言葉を付けたして、コーネリアは朝食を取るために部屋を後にした。