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02:『明日』になれば……

 


 屋敷の自室に戻り就寝の準備を終え、コーネリアは深く息を吐いた。

 部屋にいるのは身の回りの世話をしてくれるメイド長のヒルダのみ。

 両親よりも年上の彼女はコーネリアが生まれる前からカルナン家に仕えており、乳母の役目もこなしていた。コーネリアにとっては第二の母親と言える存在で、ヒルダもまたメイドとして仕えながらもコーネリアを娘のように愛してくれている。

 両親から聞いたのだろう既に今夜の事を知っており、眉尻を下げて見つめてくる表情は娘を労わる母親の顔そのものだ。


「お嬢様、どうかお気を落とされませんよう」

「婚約のこと? 大丈夫、夜会の最中に言われて驚いただけ。別に傷ついたわけじゃないから安心して」


 別に誤魔化しでも気丈に振る舞おうとしているわけでもない。事実、傷ついてなどいない。

 ただ夜会の最中という意外性に驚き、そしてレオンハルトが夜会の最中に婚約破棄を言い渡すような男だったのかと驚いただけだ。

 思わず漏れる溜息は、予期せぬ展開への心労からである。我ながら傷心とは言い難く、溜息は吐けども不安すらないのだ。


「それにしても、どれだけ考えてもレオンハルト様のお考えが分からないわ。そもそも、私あんまり彼の事を知らないのよね。たまに話はするけど、それも当たり障りない会話だけだし。むしろ両陛下とお話する事の方が多いくらいだわ」

「両陛下もお嬢様に期待していらっしゃるんですよ。ここだけの話ですが、よく旦那様に『コーネリアが王妃になってくれれば国は安泰だ』と仰っているぐらいですから」

「そうね、目をかけてくださってるのは有難いわ。レオンハルト様が私とでは釣りあわないと仰った時も、陛下はレオンハルト様に対して何を馬鹿なと怒鳴りつけてくださったもの」

「釣りあわない!? コーネリアお嬢様と!? いったい何様のつもりなのかしら!」


 ヒルダが怒りの声をあげる。メイド長としては有り得ない落ち着きの無さだが、これはメイドとしての怒りではなく娘を侮辱された第二の母の怒りだ。

 対してコーネリアは落ち着いたもので「何様って王子様でしょ」と言いかけ、すんでのところで言葉を飲み込んだ。火に油を注ぐだけだ。

 だからこそヒルダを宥め、そしてもう眠るからと退室を促した。侮辱された張本人から宥められれば第二の母といえども怒りを収めるしかないようで、深く息を吐いて「かしこまりました」と返してきた。まだ随分と不服そうだが。


「では、おやすみなさいませコーネリアお嬢様。明日は何のご予定もありませんので、朝は普段よりも遅い時間にお声掛けしますね」

「そうね。今夜の事もあるし、ゆっくりと眠る事にするわ。おやすみ、ヒルダ」

「どうぞごゆっくりとお休みください」


 恭しく頭を下げ、ヒルダが部屋から去っていく。


 そうして自室に一人になり、コーネリアはベッドにポスンと倒れ込むように横になった。

 改めて夜会の事を思い出す。


『コーネリア・カルナン、きみと俺とでは釣りあわない、きみとの婚約は破棄させてもらう』


 まだ耳に残っているレオンハルトの声。あれは間違いなく婚約破棄の宣言だ。

 冗談を言っているような声色や表情ではなかった。そもそも、コーネリアとレオンハルトは婚約関係にこそあるが冗談を交わすような親密さはない。

 つまり紛れもなく本気ということだ。

 レオンハルトはコーネリアとの婚約を破談にしようと考え、そしてわざわざ人のいる場所で宣言したのだ。


「あんな場所で婚約破棄を言い渡せば、自分の評価が下がるだけだわ。レオンハルト様はそこまで考え無しの方ではないと思っていたけど……。でも、そもそもレオンハルト様はどんな方なのかしら」


 コーネリアの婚約者。もとい、元婚約者レオンハルト・ベルティエ。年齢はコーネリアより二歳年上で、この国の第一王子である。

『白銀の世界に宝石を落としたかのよう』とは、以前に聞いた彼の見目の良さを褒める言葉だ。銀の髪と紫色の瞳を喩えており、確かに美しい色合いとそれがよく映える整った顔付きをしている。背も高く四肢も長く、見目の良さは凛々しい王子そのものだ。


 もっとも、実際の王子としての、そして次期国王としての素質はといえば『あと少し』というのが周囲からの率直な評価である。……もちろん当人はおろか王族や関係者、そして婚約者であるコーネリアの前では誰も口にはしないが。薄々と、そんな空気が漂っている。

 だがけして彼が他者と比べて劣っているわけではない。同年代の子息と比べれば優れた部類に入り、一貴族の子息だったならば十分と言えただろう。


 さりとて一国を背負う者としては……。

 とりわけ、彼の両親である両陛下や、そして弟の第二王子が王族としての素質を十二分に持ち合わせているから猶更。

 だが自国では嫡男が王位を継ぐと決められており、ゆえに誰もがこの話題になると曖昧に話を終わらせ、そしてすぐさま「優れた婚約者がいるから」とコーネリアの話題に変えてしまうのだ。

 レオンハルトも王位を継ぐに値しないわけではない。努力家で実直な青年だ。優れた婚約者と弟に支えられれば国を統べる事が出来る。……と、そう考えているのだ。


 そんな周囲の期待に応えるべく、コーネリアは日々励んでいた。

 公爵令嬢としてはもちろんのこと、厳しい王妃教育をこなし、加えてコーネリアが王位を継げそうなほどの勉学を重ねてきた。


 すべては王妃として王を支える日のために。

 それを、まさかよりにもよってレオンハルトから、それもあんな形で踏みにじられるなんて……。


(でも、両陛下が今後のことを案じる必要は無いと仰ってくださっているのなら、悪いようにはならないわね。さすがにあの婚約破棄が無かったことにはならないだろうから、もしかしたらレオンハルト様は王位継承権を剥奪されるのかも)


 きちんとした理由があり周囲の同意を得てからの婚約解消ならまだしも、夜会の真っ最中に、コーネリアはもちろん誰にも言わずに婚約破棄を言い渡してきたのだ。それも理由は『釣りあわない』という身勝手が過ぎるもの。一国を背負う者の在り方ではない。

 この事は数日すれば社交界中どころか近隣諸国にまで広がるだろう。レオンハルトの評価は落ちる一方で、むしろ彼どころか王家への信頼にも傷がつきかねない。

 そうなれば両陛下はレオンハルトの勝手な行動を許すわけにはいかず、彼に罰を与え、そして身勝手な第一王子に振り回された哀れな公爵令嬢に詫びを入れねばならない。身内と言えども、むしろ身内だからこそ厳しく処分することで、王家の信頼を取り戻すのだ。


 考えられるのはレオンハルトから王位継継承権を剥奪し、彼を追放し、そして弟である第二王子マーティスを次期国王に立てる事だ。

 そして改めてマーティスとコーネリアの婚約を結ぶ。

 これで全て無かったことに……、とはいかないが一応の体裁は整えられるだろう。結局のところレオンハルトとコーネリアの婚約は互いの身分ゆえのものでしかなく、それは周囲も理解している。状況に応じて変えたところで非道だなんだと訴える者はいない。


 それに、マーティス・ベルティエは勉学面も国政面でも優れている才知に溢れた青年だ。次期王として申し分ない存在。

 母親譲りの銀の髪をもつ兄レオンハルトとは違い、マーティスの髪色は父親譲りの金色。瞳の色も違う。だがどちらも同等に美しい見目をしている。

 年齢はコーネリアよりも一つ年下で、兄とは三歳の差がある。だがその差を感じさせないほどの優秀さだ。


 口にこそしないが、マーティスが王位に就けばと考えている者は少なくない。


「レオンハルト様であれマーティス様であれ、私は王妃になった時に王を支えるだけ。……ふわ」


 欠伸を一つし、コーネリアはもぞもぞと布団に入った。

 明日はなんの予定も入れていない。出かける必要もないので一日屋敷に籠っていれば、婚約の件を知った者達の好機の目に晒されることなく過ごせる。

 もしかしたら早々に両陛下は決断を下し、カルナン家に使いを出すかもしれない。あるいは王宮に呼ばれるか。


 なんにせよ、全ては明日になってからだ。


 そう考えて、コーネリアは眠りについた。



◆◆◆



 ……そうして夜が明けて、朝。



 ヒルダに声を掛けられ、コーネリアは目を覚ました。

 ゆっくりと身を起こし、窓から差し込む光とカーテンを揺らす風の心地良さに目を細める。

 そうして身支度の準備をするヒルダに挨拶をしようとすれば、ちょうど彼女がこちらを向き……、


「おはようございます、コーネリアお嬢様。本日の夜会、楽しみですね。レオンハルト様にお会いするのは久しぶりでしょう」


 という言葉に、コーネリアは「え……?」と簡素な声をあげた。



 あれほどレオンハルトに対して怒っていたヒルダが、平然と彼の名前を口にしている。

 怒りを収めたというよりはすっかり忘れてしまったかのように……。


 それに今日は何の予定も入っていなかったはずだ。


 そもそも、夜会は昨日終わっている。



 なにより……、



 この言葉を、コーネリアは昨日の朝に聞いている。




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