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19:公爵令嬢はじめての乗馬

 


 朝食を食べた後、コーネリアはさっそくと庭へと出た。

 すでに連絡を受けていた御者が馬を一頭連れて待っており、彼の手を借りて馬に跨り手綱を掴み……。


「馬車を用意して」


 そうはっきりとした声色で告げた。

 背筋を正し、顔どころか手も動かせず微動だにしないまま。傍らに立つ御者に告げたつもりなのだが、もちろんそちらを向くこともできない。

 傍から見ればぴんと背筋を正して馬に跨る立派な姿に映るだろうか。だがしばらく眺めていれば微塵も動いていないことが分かるはず。


 そんなコーネリアを見守るのは、傍らの御者と、それに両親とヒルダ。彼等はみなコーネリアの突然の行動に驚き、庭にまで着いてきたのだ。他にも案じた使用人達が窓からこちらを見ている。

 いったいどうして突然、と誰もが疑問を抱き、中でも母やヒルダは案じるあまりに直接尋ねてきた。今まで大人しく淑女の見本とまで言われていた娘が突如馬に跨ったのだから当然だ。

 これに対してコーネリアは本当の事など言えるわけが無く、「友人の話を聞いて興味を持ったの」と適当に誤魔化しておいた。


(この繰り返しの中で、私、嘘を吐くのが上手くなっているような気がするわ……)


 以前はその必要性が無く、嘘を吐くことや誤魔化すことなど滅多にしなかったのに。

 だがそうは思えども勿論本当の理由など言えるわけがない。溜息交じりに御者の手を借りながら馬から降りる。


「はじめは慣れないと思いますが、何度か乗れば次第にコツを掴んで乗れるようになりますよ」

「コツを掴むのって、何回ぐらい乗れば良いのかしら」

「そうですねぇ、個人の差もありますが、運動神経の優れた方なら毎日練習して一ヵ月ぐらいで走れるしょうか」

「……そうなのね」


 一ヵ月、と小さく呟く。

 リネットの上達の速さは分からないが、少なくとも彼女は一ヵ月前から馬に乗っていたという事だろうか。

 もっと親しくしていればよかったと今更ながらに後悔してしまう。そうすれば当人から聞くか、せめて共通の友人から意外な趣味があると噂程度にでも聞けただろうに。

 この状況も分からなければ、リネットのことも分からない。おかげで何から何まで推測の域を出ない。


 そんなことを考えつつ、乗せてくれた馬の頭を撫でた。

 人間に慣れた大人しい馬だと分かっていても、自分の身の丈を超える動物を撫でるには勇気がいる。支えもなく跨り一人で走らせるなど考えられない。……だけど、前回の『今日』のリネットは確かにそれをこなしたのだ。

 意外を超えてやはり違和感でしかなく悩んでいると、御者が声を掛けてきた。


「初めてなら誰だって似たようなものです」


 気にしないようにと慰めてくるあたり、悩むコーネリアを見て、『馬に乗れずに落ち込んでいる』と取ったのだろうか。

 この気遣いは見当違いなのだが、それでもコーネリアは微笑んで返した。


「ありがとう。突然馬に乗ってみたいなんて言ってごめんなさいね」

「いえお気遣いなく。それに明日から毎日練習をすれば、コーネリア様ならば直ぐに上達しますよ」

「……え?」


 御者の言葉に、馬を撫でていたコーネリアの手がピタリと止まった。


「なに、ご安心ください。コーネリア様もお忙しいですし、毎日一・二時間ですよ。こういう事は一日掛かりよりも毎日コツコツと積み重ねる方が体が覚えて上達してゆくものです。それに今日は突然でしたので準備の整っている馬を選びましたが、明日にはコーネリア様と気の合いそうな子を選んでおきますから」


 御者が一方的に話してくる。嬉しそうな瞳「頑張りましょう」と鼓舞してくる声も弾んでいる。

 元は寡黙な男性なのだが、今だけはやたらと饒舌だ。その表情から、声から、馬への愛と己の仕事に対する誇り、そして仕えている家の令嬢が自分の分野に興味を持ったことへの喜びに満ちているのが分かる。なによりやる気に満ちている。

 これは断れない……、とコーネリアは彼にバレないように小さく呻いた。「よ、よろしくね」と返す己の声が震えているのが分かる。


 そうして馬車の手配を彼に任せ、そそくさと屋敷へと戻った。


 不謹慎だと分かっていても、この時ばかりは『明日』ではなく『今日』がまた繰り返しますようにと願いながら……。



 ◆◆◆





 屋敷に戻るのとほぼ同時に、メイドがレオンハルトの訪問を伝えてきた。

 客間の一室で彼を迎えて報告を受ける。もっとも、困ったような彼の表情と、そして話し出す際にふいに逸らされた視線で、良い報告にはならないことは分かったが。



 昨夜、もとい、前回の『今日』の夜。

 コーネリアと別れた後レオンハルトは市街地へと向かい、夜間でも営業している店や宿を見て回った。

 だが結局リネットは見つからず、日付が変わる直前にレチェスター家へと向かったという。もしかしたら既にリネットは発見されているかもと期待を抱いて……。

 だが彼の期待は屋敷を訪れてすぐ、張り詰め重苦しい空気を感じ取った瞬間に砕け散った。


 最後までリネットは戻らず、行方も分からなかったのだ。


 そして今に、今という『今日』に至る。

 リネットが行方不明になったという事実さえも消え去った『今日』だ。


「……そうでしたか」

「『ここは俺に任せてくれ』なんて言っておいて、結局リネットの事を見つけるどころか彼女がどこに向かったのかさえ掴めなかった。……すまない」


 謝罪の言葉と共に頭を下げようとするレオンハルトを、コーネリアは慌てて制止した。

 リネットが見つからなかったのは彼の責任ではない。むしろ王子という立場でありながらも自ら馬を出して探し回り、そして約束通りこうやって連絡しにきてくれたのだ。感謝こそすれども責める理由は無い。

 コーネリアが労いの言葉を告げれば、レオンハルトの辛そうだった表情が僅かに和らいだ。


「そもそも、なぜリネットは屋敷を出て行ったんだろうな。レチェスター夫妻の話では彼女は言葉とは思えない声をあげてそのまま馬に飛び乗ったらしいが、せめて理由が分かれば推測も出来るんだが……」

「そのことなんですが、リネットさんが馬に乗ったということもなんだか不思議に思えるんです」

「馬に?」

「はい。以前にリネットさんの趣味は刺繍と聞いていましたし、乗馬を好む方とは思えなくて……。それで、私もレオンハルト様がいらっしゃる前に馬に跨ってみたんです」

「コーネリアが馬に? 馬車ではなく、自分で跨ったのか?」

「はい。もちろん御者に付き添って貰ってです。……ですが、まったく動けませんでした」


 リネットを理解するために馬に跨ってみたが、走るどころか歩かせることも出来ず、背筋を正して跨ったまま動けなくなってしまった。我ながら見事な硬直だったと思う。

 降りるのだって御者の手を借りてようやくだったのだ。前回の『今日』のリネットのように、飛び乗り、走らせ、それも追いかける者達を撒くほどに早く……、なんて夢のまた夢だ。


 身をもって難しさを知ったからこそ、改めてリネットの行動が普通ではないと分かる。普通の、それこそ刺繍が趣味の控えめな令嬢では到底出来ないことだ。

 それを話せば、レオンハルトがなるほどと言いたげに頷いた。


「確かに、言われてみると変な話かもしれないな。俺もリネットについてそこまで覚えているわけではないが、記憶にある彼女はコーネリアの言う通り控えめな女性だ。馬に跨る姿は想像出来ない」

「やはりそうですよね……。御者から聞いた話では、誰だって最初は動けないもので、自由に走らせるのには毎日練習をしても早くて一ヵ月ぐらいだそうです。……毎日」

「……コーネリア?」


 話の途中で言い淀めば、不思議に思ったのかレオンハルトが名前を呼んでくる。

「どうした?」と問われ、コーネリアは馬から降りた後の事を話した。


 御者のやる気と「頑張りましょう!」という言葉に気圧され、思わず応じてしまった事を。

 そして、不謹慎ながらこの時だけは繰り返しを願ってしまった……と。


 深刻な声色でコーネリアが語り、最後に溜息を吐いた。窓の外を眺めて「どうしましょう……」と儚い声で呟く。

 そんなコーネリアに対して話を聞き終えたレオンハルトはと言えば、一瞬言葉を詰まらせたのち、


「そ、それは……、それは災難だったな……!」


 と、震える声で宥めてきた。声の震えは言わずもがな笑いを堪えているためだ。

 もっとも、すぐさま堪えきれずに笑いだしてしまったのだが。


「レオンハルト様、笑うなんて失礼ですよ。これは私にとっては死活問題なんですから」

「そうだな、すまない……。でも何事もやってみるのは良い事だと思う。それに俺は幼少時から馬に乗ってそれが当然だったから、改めて『自ら馬に乗ってどこかへ』という事に疑問すら抱かなかったよ」


 コーネリアが馬に乗れないからこそ気付けた疑問だ、そうレオンハルトがフォローを入れてくる。

 声はまだ震えているが。

 これは彼を咎めるよりも話を変える方が良いかもしれない。そう考え、コーネリアはじろりと一度レオンハルトを睨みつけて「それで」と話を改めた。

 さすがにこれ以上笑うのは失礼と考えたか、レオンハルトもわざとらしい咳払いで笑いを抑え、顔付きを真剣なものに変えてこちらを見てくる。


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