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17:危ないことを試すなら

 


 婚約破棄に対して生返事をされたことを嘆くレオンハルトに、コーネリアはどうして良いのか分からず、それでもと口を開いた。


「色々と考えていて、対応が間に合わなかったんです。返事をしなくてはと思っても、なんだかうまく声にならなくて……」

「一応、俺は毎回父上から怒鳴られ母上には溜息を吐かれマーティスからは呆れられる覚悟で婚約破棄を言い渡してるんだ。あげくに部屋に閉じ込められる」

「閉じ込められると仰っても、今こうやって外に出ているではありませんか」


 コーネリアの必死な反論にレオンハルトが大袈裟に肩を竦める。


「次あたりは返事すらしてもらえないかもな。そうなると、俺は叱責じゃなくて同情されるのかも……。どうだろう、試してみようか。次に俺が婚約破棄を言い渡したら、きみは思いっきり鼻で笑って無視するんだ。今度はきみが母君を連れて庭に出ても良いかもしれないな」

「そんなこと出来るわけがありません。もう、早く夜会の後ことをお聞かせください」


 この話題を言及されることが恥ずかしく促せば、レオンハルトが苦笑を浮かべる。

 そうして表情を真面目なものへと変え「それが……」と話を始めた。



 曰く、夜会で婚約破棄を言い渡した後のレオンハルトの周辺はやはり何も変わらなかったという。

 父親からの叱咤、母やマーティスからも呆れの表情で咎められ、部屋にいるように命じられる。

 そうして部屋に戻りはするものの、扉の外に人の気配が無くなるのを確認するや早々に窓から抜け出したという。――その話に、コーネリアは思わず「窓から」と呟いてしまった。レオンハルトの自室は王宮の三階のはずでは……と震える声で問うも、彼からの返事は「どうってことないさ」というあっさりとしたものだった――


「それで、ここに来る前にレチェスター家に寄ってみたんだ。こんな状況だし声は掛けずに遠目から様子を窺うだけのつもりだったんだが……」


 曰く、どこかからレオンハルトの姿を見つけたのか、レチェスター家夫妻が屋敷から出て来たという。

 その時の光景を思い出したのかレオンハルトの表情が歪む。


「夫人は覚束ない足取りで今にも倒れそうだし、それを夫君が支えていたから、二人の進みは随分と遅かったな。……見ていて辛かったよ」


 それでも夫妻はレオンハルトのもとへと来ると、開口一番に娘が戻らないことを訴えたという。

『娘が、娘がどこかに……、あぁ、どうしてこんな……!』『レオンハルト様、突然で申し訳ございません。どうかお力をお貸しください!』と。

 事情を説明するよりも嘆きと懇願が先に出る彼等の必死さは、レオンハルトが気圧されるほどだったという。


 彼の話を聞き、コーネリアは息を呑んだ。

 レチェスター夫妻の様子から、リネットが結局この時間まで家に戻らなかったと分かる。

 ……日付が変わるまであと二時間も無い、年若い令嬢が出歩く時間ではない。リネットの性格は詳しくは分からないが、それでも分かる。リネットは、帰らない、のではない、帰れないのだ。


「……リネットさん」

「ヒューゴ・エメルトの件もあって、レチェスター家の敷地内は重苦しい空気だったよ」

「ヒューゴ……? まさか、彼も……」


 ふいにレオンハルトの口から不穏な話の一端を聞き、コーネリアの胸が苦しみさえ覚える。

 見つめることで問えば、レオンハルトの表情がより渋くなる。何かを言いかけ、歯がゆそうに言葉を詰まらせ……、そしてゆっくりと首を横に振った。

 つまり、またもヒューゴに不幸が訪れたということだ。コーネリアは己の中で血の気が引く音を聞いた。


「……王都に着く直前、ラスタンス家の馬車をひく馬が暴れ出したらしい。御者が落ち着かせようとしたがそれも叶わず、前をゆくヒューゴが巻き込まれたらしい」

「それで、彼は……」

「レチェスター家へ運ばれた時はまだ息があったらしい。医者も数人呼んで診ていたらしいが、それでも俺が夜に訪問した時には……」


 レオンハルトが言葉を濁す。

 その後に続く言葉は想像に難くない。これより先の言葉を引き出すのは酷に思え、コーネリアは沈んだ声色で「そうでしたか……」と返すことで話を終わらせた。


 ラスタンス夫妻はヒューゴを息子のように思い、そしてレチェスター家を訪問する際には必ず護衛として連れていたという。となればレチェスター夫妻もまたヒューゴとの付き合いが長く、聞けば夫妻もまたヒューゴのことを高く評価していたという。

 娘の行方が分からないという状況に加え、到着したヒューゴは目も当てられぬ傷を負っていた。そして医者の治療もむなしく夜には……。その時にもリネットは戻ってこない。

 そんな状態なのだから、屋敷が重苦しい空気で覆われ、姿を現したレオンハルトに縋り助力を求めるのは当然だ。


 レチェスター夫妻の胸中を思えばコーネリアの胸まで痛む。

 リネットはコーネリアと同い年であり、夫妻もまたリネットの両親と同年代である。思わず両親が嘆き悲しむ姿を想像し、耐えられなくて強く胸元を掴んだ。


「せめてリネットさんが戻ってくれば良いんですが……。捜索は進んでいるんですか?」

「微妙なところだな。コーネリアから話を聞いてすぐに王宮からも捜索を出してるが、今のところ消息はつかめてない。俺もこのまま市街地に出て、夜間に開いている店を覗いてまわるつもりだ」

「それなら私も一緒に行きます!」

「待ってくれコーネリア、さすがに君を夜に連れ出すわけにはいかないよ。俺は君に婚約破棄を言い渡した身なんだ、婚約破棄のうえに夜に連れ出したなんて知られたらどうなるか。殴られたっておかしくない。いくら繰り返しで怪我が治るとはいえ、好んで殴られる趣味は俺には無い」


 慌てて止めてくるレオンハルトに、コーネリアは「ですが……」と食い下がった。

 だが食い下がりこそすれども無理なのは自分でも理解している。コーネリアがいくら着いていくと言い張ってもその手段が無いのだ。

 馬車を出そうとすれば当然だが両親に知られて止められるのは目に見えて明らかだし、かといって秘密裏に出るにもレオンハルトのように馬に乗っての移動は出来ない。歩いて彼と共に市街地に向かっては逆に足手まといになってしまう。

 仕方ないとコーネリアが「かしこまりました」と沈んだ声で了承すれば、レオンハルトが分かりやすく安堵した。


「不安なのは分かるし、心配しているのも分かる。だがここは俺に任せてくれ。見つかったら直ぐに連絡を入れるし、そうでもなくとも、次の朝にはちゃんと伝えに来るから」

「はい……」

「それに、次の『今日』が来たらラスタンス家に対しての警備に加えて、リネット・レチェスターに対しての警備も着けようと思う。だからどうか今夜は大人しく屋敷に戻ってくれ」


 レオンハルトの口調は、まるで子供に言い聞かせるかのようではないか。

 さすがにコーネリアも駄々をこねるわけにはいかず、そしてこれ以上彼を引き留めてはいけないと考えて頷いて返した。リネットを案じるなら、コーネリアがすべきはレオンハルトを行かせることだけだ。


「どうかお気をつけください」

「あぁ、分かった。それじゃ俺はもう行こう」


 レオンハルトが踵を返して歩き出す。

 だがすぐさま何かを思い出したのかピタと足を止め、再びコーネリアへと向き直った。眉尻を下げ、困ったような表情で格子に添えたコーネリアの手を見つめる。


「もしこれからも危ないことを試すなら、俺がやるから事前に教えてくれ」

「危ないことですか?」

「カップを割って指を傷つけたんだろう? 言ってくれれば俺がやる」

「そんな、ほんの少しの傷ですよ」


 確かに自ら傷をつけた。だが騒ぐようなものではなく、もし消えずに傷が残っていたとしても、既に塞がり痛みは失せ、せいぜいペンで書いたような細い跡が残っている程度だろう。紙で指を切ったのと同じだ。

 だから心配することはないとコーネリアが話すも、レオンハルトは「それでもだ」と食い下がってきた。子供を諭すような優しい声色だが、否定はさせないという静かな圧もある。


「少しの傷であっても俺がやるから。……俺にはそれぐらいしか出来ないんだ」

「……レオンハルト様?」


 ふと、彼の表情が変わった。

 眉尻を下げて、目を伏せ、小さく息を吐き、どことなく諦めの色を纏う。

 どうしてそんな表情をするのだろうか。そうコーネリアは疑問に思って声を掛けるも、彼は顔を上げるや一瞬で表情を変えてしまった。普段通りの、凛々しく麗しくもどこか親しみやすさを感じさせる表情だ。


「でも、さすがに屋根から飛び降りろとか日付が変わるまで水に潜っていろとか、そういう実験はやめてくれよ」

「そ、そんなこと致しません……!」

「しかし割れたカップが繰り返しで戻るといっても、他はどうなるか分からないな。俺も今朝スープ皿を叩き割ってくればよかった」

「レオンハルト様、それはトマトスープが飲みたくないからではありませんか?」

「はは、バレたか」


 あっけらかんとレオンハルトが笑い、「それじゃあ」と一言告げて再び歩き出した。今度は振り返ることはない。

 彼の後ろ姿が夜の闇に溶け込むように消え、しばらくすると手にしていた灯りすらも見えなくなる。コーネリアは今後の不安と、そして一瞬だけレオンハルトが見せた表情への疑問を胸に、ただじっと見つめ続けていた。



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