12:そしてまた婚約破棄を
行こう、とレオンハルトが来た道を戻ろうとする。
「今回はエスコートはやめておこう。俺は婚約破棄を言い渡すんだから、会場にも別々に戻った方が良いかな」
「……えぇ、そうですね」
「それなら先にコーネリアが会場に戻ってくれ。その後に俺が会場に戻って声を掛けるよ」
「はい、かしこまりました……」
婚約破棄と口にしながらもレオンハルトの表情は穏やかだ。優しくて友好的で、そのうえ「奥まったところまで来たが、戻る道は分かるかい?」と気を遣ってくれる。
仮にコーネリアが道案内を求めれば会場まで連れて行ってくれるだろう。その最中に溜息を漏らせば冗談めかして気分を晴らしてくれるに違いない。
だけど婚約破棄を告げてくる。
つり合わないという一方的な理由で。
彼の態度の差はコーネリアには違和感でしかなく、さりとて問うことも出来ず、一礼して先に会場へと戻った。
(私、この後にレオンハルト様に婚約破棄を言い渡されるのね……)
分かっていたことだ。
だけど前回の今日は、彼にエスコートをされながら会場に戻り、友人達には『仲が良い』とまで言われていたのに。
それを考えるとコーネリアの胸の内がざわついた。
先程まではレオンハルトの話を楽しく聞いていたというのに、今は酷く気分が沈んでいる。会場に戻る足が重い。
(でもそうよね、誰だって、これから婚約破棄を言い渡されるって分かっていれば気分が良いわけないもの……)
そう自分の気持ちを解釈しながら会場へと戻れば、迎えてくれた友人達が「連れ出してエスコートをしないなんて」「婚約者なのにあんまりですのね」と口々にレオンハルトを責めてコーネリアを慰めてきた。
これは前回と違う。だけどこの違いはなんともいえず気持ち悪い。
そうして告げれらる婚約破棄の言葉は、コーネリアの記憶にあるものそのままだった。
「コーネリア・カルナン、きみと俺とではつり合わない、きみとの婚約は破棄させてもらう」
一字一句違わぬ拒絶の言葉。
最初に聞いた時、コーネリアは傷つきもせず、ただ『まさか夜会の最中に言われるなんて』という驚きと疑問だけがあった。
ゆえに言われた瞬間も理解が追い付かず、唖然としたままに応えてしまったのだ。
「……はい」と。
だが今は驚きはしない。こうなると分かっていたし、他でもなくレオンハルトから予告されているのだ。
だけど驚きは無くとも疑問はある。
それでも問う事は出来ず、コーネリアはやはり今回も「……はい」とだけ返した。
レオンハルトが父親である陛下に咎められるも、それには答えずに去っていこうとする。
コーネリアの腕を優しく擦るのは母だ。愛しい娘がこの仕打ちに傷ついていると考えたのだろう、そして同時に好奇の視線に晒すまいと考えたのか「外に行きましょう」と手を握って中庭へと連れ出そうとしてくる。
その言葉を、コーネリアは母に促されるまま以前の通りに中庭へと出ようとし……、
「お待ちください、レオンハルト様!」
咄嗟に声をあげてレオンハルトを呼び止めた。コーネリアらしからぬ大きな声に、誰もが驚き視線を向けてくる。
これにはレオンハルトも驚いたようで、足を止めてこちらへと視線を向けてきた。
困惑と疑問を綯交ぜにした表情だ。紫色の瞳が無言で問いかけてくる。予定にないコーネリアの行動に「なぜ」と疑問を抱いているのだろうが、それはコーネリアとて同じだ。
「コーネリア……?」
「レオンハルト様、私に……、私になにか至らぬところがあったでしょうか?」
コーネリアは尋ねながらレオンハルトへと近付いた。
突然のこの行動に誰も止める者はおらず、母もそっと手を放す。周囲の者達に至ってはシンと静まり返りながらコーネリアとレオンハルトの出方を窺い、やりとりに巻き込まれまいと考えたか後退る者すら居た。
賑やかだったはずの会場が妙な沈黙に満ち、コーネリアの視線の先ではレオンハルトが眉根を寄せて困惑の表情を浮かべている。
「至らぬところ? いや、きみにそんなものあるわけがない」
「それなら、誰か他に伴侶にと望む方がいらっしゃるのですか?」
「いや、それも違う。……言った通り、きみと俺とではつり合わないからだ」
はっきりとしたレオンハルトの言葉に、静まり返っていた会場内が僅かにざわついた。
「あのコーネリア・カルナンに対してなんてことを」だの「彼女ほど王妃に適した人物はいないのに」だのと。聞こえてくる囁きはどれもが『つり合わない』という言葉に対しての驚愕と憤りであり、すべてレオンハルトを非難しコーネリアを肯定するものだ。
そんな囁きがさざ波のように続く中、レオンハルトがポツリと呟いた。
「……それだけなんだ」
その言葉はざわつきに掻き消されるほどに微かなものだが、コーネリアの耳には届いた。
だが彼はそれ以上は何も言わず、再び歩き出すと今度は立ち止まることなく会場を後にしてしまった。
これ以上なにも言うことは無いとその背が語り、この突然の婚約破棄に対して彼の父や、弟のマーティスまでもが「なんてことを」と怒りを露わに彼を追い掛ける。
「ここはお父様に任せて、一度外に出ましょう」
母が手を引いて促してくる。
それに対してコーネリアは力なく頷き、促されるままに会場を後にした。
そうして夜の中庭で一人過ごしているところに父が訪れ、馬車に乗り込んで帰路に着く。
馬車の中で交わされる会話はやはり記憶にあるものと殆ど同じだ。
父からの労いの言葉、両陛下は案じるなと仰っていたと宥めてくる。それが終わると母は話題を逸らしてレチェスター家について話しだした。
「そういえば、レチェスター家の皆様は今夜はいらっしゃってなかったようね」と同じ文言で始まり、そしてリネットについてと続く。馬に乗ってどこかへ出かけ、かと思えば突如引き返してきた……と。
それをコーネリアはぼんやりと聞いていた。
先程聞いたばかりのレオンハルトの微かな呟きが耳から離れない。……離れてはいけない、忘れてはいけない言葉だ。
(レオンハルト様は、もしかして……)
ぼんやりと浮かぶ考えに意識を取られてしばらく、窓の外にカルナン家の屋敷の明かりが見えた。
屋敷に戻ってからも何一つ変わらず、レオンハルトからの婚約破棄を聞いたヒルダが怒りを露わにする。
彼女が怒りのあまりに口にする言葉も同じだ。
「つり合わない!? コーネリアお嬢様と!? いったい何様のつもりなのかしら!」
これに対してコーネリアは今回もまた「何様って王子様でしょ」という言葉を飲み込んだ。火に油を注ぐのは得策ではないし、今はそんな気分ではない。
それでもせめてと、コーネリアは口を開いた。
「もしかしたらレオンハルト様にもなにかお考えがあっての事かもしれないわ」
「そうでしょうか? でもどんな考えだろうと、コーネリアお嬢様に対して『つり合わない』だなんて……。同じ王子であっても、第二王子のマーティス様ならそんな事は絶対に口にしないのに……!」
「マーティス様……」
マーティス・ベルティエは確かに婚約破棄などしないだろう。
彼は思慮深く聡明な青年で、コーネリアこそ王妃にふさわしいと考えてくれている。彼もまた兄であるレオンハルトを支える意思があると、そのために努力していると、以前に話をしているのを聞いたことがある。
仮にマーティスが王位継承権を有していたとしても、一方的に婚約破棄を言い渡し、挙げ句にその理由は『つり合わない』等と、決してそんなことを言い出しはしないはずだ。
……だけど、
「レオンハルト様だって、そんな事を仰る方じゃないわ」
呟くように反論するも、怒り冷めやらぬと言った様子で就寝の準備を進めるヒルダには届いていない。
そうして手早く準備を整えたヒルダが、コーネリアを慰めるように優しく手を握ってきた。
「明日は何のご予定もありませんので、朝は普段よりも遅い時間にお声掛けしますね」
「そうね、明日は遅くに起こして」
明日がくれば、だけど。と、心の中で付け足す。
「……おやすみヒルダ」
「どうぞごゆっくりとお休みください」
きっと今度も来ないであろう明日のことを話し、コーネリアは部屋を後にするヒルダを見送った。




