11:五回目は自由に
その日一日は何から何まで記憶の通りだった。
それでもコーネリアは自分の思う限り好きに過ごした。……つもりである。
夜会の準備を終え、出向いたのは王宮。
今回もまた夜会は変わらず絢爛豪華で、来賓達はこれが五回目とは思いもせずに楽しそうに同じ会話を交わしている。
そんな中、前回同様に友人達と話をしていたコーネリアは、これもまた前回同様にレオンハルトに声を掛けられた。レオンハルトに対しての友人達の言葉や態度もまた前回と同じである。
だがレオンハルトが向かったのはテラスではなく、、中庭に出ると更にその奥へと進んだ。
曰く、
「エスコートで同じ場所に案内するのはマナー違反だろう?」
とのこと。
これにはコーネリアもクスと笑ってしまった。
「でしたら、繰り返すたびに違う場所に連れ出してくださるんですか?」
「その予定だが、ある程度のところで繰り返しから逃れられないと厳しくなるな。いずれ厨房に連れていくことになるかもしれない」
おどけた態度でレオンハルトが話す。
そうして人気のない場所まで進むと、改めるように「それで」と彼が話を改めた。
話題は『今日』についてだが、それでも好きに過ごすと決めた『今日』だからか、彼の表情は明るく、つられてコーネリアも表情を和らげたまま彼の話を聞いた。
「好きに過ごすと決めたけど、コーネリアは今日は何をしていたんだ?」
「ずっと本を読んでおりました」
「本を? 他には何を?」
「いえ、なにも。読みかけの本がありましたので、それを最後まで読んでしまおうと思いまして」
ヒルダの言葉でまた繰り返していると知ったコーネリアは、ならばと好きなことをやろうと考えた。
やりたかったこと、出来なかったこと、どうせ繰り返しで元に戻ってしまうのならいっそ……。
そう考え、夜会の時間がくるまでずっと自室で本を読んでいたのだ。もっとも、一日中籠っていたわけではなく、朝食や昼食は予定通り摂り、昼食後には母の部屋を訪れて金縁のネックレスを選び、そして部屋に戻って本を読み……、と過ごしていた。
それを話すと、レオンハルトが意外そうな表情で「そうか」と返してきた。
「読書が好きだとそうなるんだな」
「え、えぇ……。そうですね、とても有意義に過ごせたと思います……」
納得したと言いたげにレオンハルトが話すが、それが逆にコーネリアの中になんとも言えない居心地の悪さを呼んだ。
確かにコーネリアは本を読むことが好きだ。今日読んでいた本は面白くて、有意義に過ごせたという言葉も嘘ではない。
だがこの繰り返しの中でやる事かと問われれば微妙なところだ。もっとも、ならば何をすれば良かったという考えも浮かばないのだが。
「レオンハルト様は何をなさっていたんですか?」
「俺か? 俺は昼過ぎに剣の訓練をしたよ。王族としての護身術も兼ねて昔から習わされていたんだ」
「剣の訓練、それがお好きなんですね」
知らなかった、とコーネリアが返す。
だがどういうわけかレオンハルトは眉間に皺を寄せてしまった。とうてい、好きなことをして過ごし、それを語る表情とは思えない。
挙げ句はっきりと「嫌いだ」とまで言うではないか。トマトスープを語る時よりも渋い表情である。
「嫌いなのですか?」
「あぁ、嫌いだ。剣の訓練も好きじゃないが、なにより講師が嫌いなんだ。どの分野の講師も俺とマーティスを比べてくるが、特にあの男はなにかにつけてマーティスを引き合いに出してくる」
マーティスとはレオンハルトの三歳下の弟であり第二王子である。
幼少時から秀才と呼ばれ、剣の腕前も優れている。
コーネリアも幼少時から才女と褒められているが、運動面や体力に関しては並の令嬢の域を出ない。その点、マーティスは勉学・運動、全てにおいて優れている。文武両道とはまさに彼の事を言うのだろう。
レオンハルトは常日頃からそんな弟を引き合いに出され、とりわけ剣技の訓練時には必ずといっていいほど言われるという。
「そうだったのですね……」
「『マーティス様はもっと上手くできますよ』だの『弟君に遅れをとって悔しくはないのですか』だの、うんざりするよ。だから今日はあえて一対一の真剣勝負を挑んだんだ。案の定いつもの『マーティス様はもっと……』が出たから、その隙を突いて……」
「隙を突いて?」
「足払いをして体勢を崩したところを蹴り倒して殴りかかった」
「そんな……!」
突然話の流れが物騒な方向に変わり、コーネリアは思わず息を呑んだ。
だが当のレオンハルトには悪びれる様子は一切無く、それどころか口角を上げてニヤリと笑っている。見た事のない悪戯っぽい笑みだ。
「最終的には掴み合いの泥仕合だ。まぁ、もちろん王宮専属の剣の講師に敵うわけがないから、結果的に俺の方が負けたけどな」
「お怪我はしておりませんか? どこか痛めたりは……!」
「大丈夫だよ。向こうも手加減はしてたみたいだし。それに最終的には褒められたからな」
王宮の訓練とは思えない掴み合いの争いを終えたあと、剣の講師はレオンハルトに対して「思っていたより根性がある」と告げてきたらしい。
それを話す彼の表情は嬉しそうで、コーネリアも穏やかに微笑み「良かったですね」と声を掛けた。
「もっとも、この話を聞いて父上はかなりお怒りだったらしいけどな」
「それは……、仕方ありませんよ。では講師と争ったあとは陛下に諭されていらっしゃったんですね」
「いや、今の今まで逃げ切ってる。それにこれから君に婚約破棄を言い渡すから、そうしたらもう講師に殴りかかったなんて些細なことだろう」
確かに講師に殴りかかったのは問題だ。だが夜会の最中に婚約破棄を言い渡す方が大問題である。
問題を更に大きな問題で上書きするなんて、とコーネリアがレオンハルトを見つめていると、レオンハルトがしてやったりと笑った。麗しい顔付きの中に子供のようなあどけなさが宿る。
かと思えば、その笑みを今度は渋いものに変えてしまった。ころころと変わる彼の表情にコーネリアは目が離せず、今度はいったい何だと彼の続く言葉を待った。
「好きに過ごせたが、朝食のトマトスープは残せなかった」
「あんなに嫌がっていたのに?」
「残そうと思ったんだ。むしろ『トマトスープは昔から嫌いだった!』と高らかに告げようとも思っていた。だけど美味しそうにスープを飲む母上を前にしたら言葉が出なくて、そのうえ厨房で働いている者達の顔まで思い浮かんでしまって……」
ゆえに残す事が出来ず、結局五度目の朝食もスープを飲み切って完食したのだという。
眉間に皺を寄せて話すレオンハルトに、コーネリアは数秒言葉を探すように静まり……、そして我慢が出来ずに笑いだしてしまった。
トマトスープを残すことに申し訳なさを抱いて完食してしまう。かと思えば剣の講師に殴りかかり、父親から逃げ回っているという。
彼の話と、そして真剣みを帯びて語る様子が面白く、コーネリアは口元を押さえて隠しながらもクスクスと笑い続けてしまった。
そうしてしばらく笑い、落ち着くと共に深く息を吐いた。
王子を前に、それも彼の話にこれほど笑ってしまうのは失礼だ。そう考えて詫びるもレオンハルトは肩を竦めるだけである。
そんな彼を見つめ、コーネリアは再び深く息を吐いた。今度は溜息じみた重みがあるのが自分でも分かる。
「……私も、もっと好きなことをやるべきでした」
「本を読みたかったんじゃないのか?」
「それはそうですが……。ですが、もっと何かやるべき事があったのではと思えてきたんです」
かといって、何をと言われてもやはり思い浮かばない。
それでも本を読むだけで過ごすのは惜しいと思えてきたと話せば、レオンハルトが穏やかに微笑んだ。
「それなら、また好きに過ごせる日を決めようか。そうだな……、五回毎なんてどうだ?」
「五回毎というと、次は十回目の今日ですね」
「繰り返しの事ばかり考えていると気が滅入るし、何をしたいかを考えれば少しは気が晴れるだろ。せっかくだからコーネリアも以前であればやらないような事をしてみると良い」
レオンハルトの提案に、コーネリアは頷いて返した。
今すぐに『それならまた次の今日も自由に』と言われると困ってしまうが、あと五回今日を繰り返すのならその間にやりたい事が見つかるかもしれない。
もちろんこの繰り返しの謎を解くことが優先だ。十回目の今日が来る前に解決できるのならそれに越した事はない。だが繰り返しから脱することを考え続け、同じ朝を迎えるたびに落胆していては、そう遠くないうちに気力が尽きてしまうだろう。
だが五回毎に好きなことを思うままに出来ると考えれば、その区切りと自由はきっと折れかけた気力を癒してくれるはず。
「私、次こそはきっと今までの私ではやらないような事をして、レオンハルト様を驚かせてみせます」
「俺を驚かせる? ……まぁ、奇抜な事をすれば驚くだろうな」
「そのためにはまず計画を立てて、事前の準備こそ繰り返しゆえに叶わなくとも、起床後スムーズに行動に移せるように手筈を考えておかねばなりませんね。ですが手配も予行もせず一日で成し得るとなると難しい……」
「コーネリア、あまり深く考えない方が良いぞ。繰り返しの気晴らしに自由に行動するのに、そのために考え込んでいたら意味が無いだろ」
レオンハルトに諭され、コーネリアははっと我に返った。「失礼いたしました」と詫びれば「きみは真面目だな」と笑って返される。
次いで彼は上着の胸ポケットから懐中時計を取り出した。銀色の懐中時計、蓋には王家の家紋が彫り込まれた美しい代物だ。慣れた手つきで蓋を開けて中を覗く。
「そろそろ会場に戻ろうか。きみに婚約破棄を告げる時間だ」