1-1.物柔らかなる殺し棘
《青薔薇姫の暗殺》。依頼決行の夜は、すべてが順調に進んでいた。
一直線に差し向けた剣のすぐ先に、標的の乙女がいる。深々と奥ゆかしい嫁入りの生花、齢20そこいらの旬なる花姿は、今までに楽しんできたどんな女よりも、かぐわしかった。
青天の大半球を床上に咲かせる、ボールガウン・ドレス。
サラサラと腰先まで直と流れた、白銀色の長つや髪。
深く羽織ったショールから覗く、新雪の人肌。
高嶺の花ほど高値で売れるものだ。
深窓にひとつ咲く儚げな美貌、箱入りに育てられた華奢な一身には、街がまるごと買えるだけの値が飛び交っても不思議ではなかった。たっぷりと味見をしてしまってもいい。しおれかけでも、酒と女に飽きるまで暮らせるだけの値がつくだろう。
――二度と表に出さなければ、殺したことと同じになるのだ。
いよいよ今宵の《花摘み》が始まる。宮殿外郭に張り巡らされた衛兵の網々、それらを一切の沙汰なくくぐり抜けた先に、この舞踏の広間はあった。20年物の生花と20年来の花売り、がらんどうの密室にはそれしかいない。衛兵や侍女などの邪魔者はいない。王国一の護衛の剣士も、今夜だけはいない。
青薔薇姫は今、たったひとりだ。
それを黒衣の大男、10人が囲う。
包囲中央、可憐淑やかな小顔は青ざめていた。リスのように頻りに見回しては、床丈のスカートをあたふたと波立たせて、四方八方からの薄汚い笑みを、ぎらついた剛剣を振りかざす大男たちを、潤んだ目で見上げていた。
もう間もなく手に入る。だからこそ男たちは頬を引き締め直した。花摘みはここからが大事なのだ。十方塞がりの青一輪花、白長手袋の小さな手には――
姫の手には、レイピアが握られていた。
満月の青光あふれる舞踏の広間、一面に広がる白大理石の床の上で、命を賭した剣戟が始まった。
いざ幕が開かれてみると――姫が優勢だった。
《お姫さまの大活劇》。百千と命を刈り取ってきた剛剣10本の打ち込みが、花をめかした細剣一本にことごとく受け流されていく。銀細工の曲線が入り組んだ湾曲柄、そこを青爛漫と生花で着飾ったレイピアを片手に、青薔薇姫は大立ち回りを見せていた。
筋骨隆々の大男10人、正面突破も視野に入れた選りすぐりの面々が囲んでいるというのに、花の乙女は細剣を捨てない。ふた回りは小さな身体をいっぱいに使って、ひらりひらりと剛剣を受け流し、ひとりとして男たちを寄せつけず、常に包囲の中央を維持している。花売り20年の男たちであっても、今回ばかりは手に汗を握らずにはいられなかった。
かすり傷ひとつが金貨ひとつを左右するのだ。
素人が握りしめた剣ほど怖いものはない。にわか仕込み程度に磨いた護身剣術などもっともだ。下手にレイピアを弾き飛ばして、それが商品本体をかすめただけでも大損となる。これだけの仕上がりの一等花ともなればなおさらだ。摘み際では適切な力加減が大事なのだ。
男たちは10人総出で大活劇を演出していく。ガクガクと震えて止まない花細剣、強張りきった花乙女を円陣を組んで囲い込み、一見丁重にもてなしながらも、じわりじわりと着実に型へとはめていく。細剣を落とすか、裾を踏むか、壁へと追い込むか――いずれにしても時間は充分にあった。
11人きりの舞踏の広間で、花のレイピアは叫び続ける。
へっぴり腰の護身剣術で、姫は円陣内を逃げ回り続ける。
たったひとりの防衛戦には、誰ひとりとして駆けつけない。
それでも姫はレイピアを捨てない。
大粒の涙で長いまつ毛を濡らしながらも、おっかなびっくりの受け流しを続けて、男たちをまったく寄せつけない。スカートの大半球を翻し、裾先のフリルの多重層で床をくすぐり、細長い踵のつま先立ちの靴を見え隠れさせながら、ひらりひらりと逃げ回る。男たちがどれだけ打ち込んでも、細剣を手離さず、裾も踏まずに、円陣の中央も維持していた。お姫さまにしては大健闘だった。
いよいよ円陣が壁に接しても、姫はレイピアを離さない。男たちは追い込み猟の仕上げにかかった。十方からの矢継ぎ早のそよ風、10本の剛剣のやさしくも執拗な揺さぶりに、花の乙女はてんやわんやだ。ドレスが髪がごった返して、綱渡りのような剣さばきは、右に左にますます傾いていく。
絶叫の悲鳴、レイピアの金切声だけが舞踏の広間に響いていく。一声も発しない乙女の泣顔に代わって、花のレイピアは甲高く叫ぶ。すべての窓扉が閉ざされていても諦めない。ひっきりなしに叫ぶ。叫び続ける。
結局、誰も駆けつけなかった。
姫は最後まで、ひとりだった。
その夜は、朝まで薔薇三昧だった。
男たちは夜通し青薔薇におぼれた。一世一代の暗殺依頼を終えてもなお、まだまだ力を持て余した隆々の巨体を寄せ合い、天香国色の香り花やぎを味わい尽くした。
かつてない味わいだった。忘れられないひと時だった。事が終わった後もなお、その時の香り花やぎが染みついて離れない。いつでも何度でも、その時の光景が鮮明によみがえる。明るくなってきた夜空にまどろみながら、男たちはまた思い返していた。
――豊穣の処女雪。
ぷりぷりと、白肉にあふれた女体。
20の目が睨みを利かせる中、乙女はその小さな手を震わせながら、自らの胸のリボンをするすると引き下ろした。青一色のショール、深く上体を覆った煌びやかな包み布は、あれよあれよと地の引くままに幕開かれ、男たちは一様に動きを止めた。
白世界に引き込まれたのだ。
乳も腹も剥き出しだった。ボールガウン・ドレスの上体部、青花と銀刺繍が彩るコルセットは、隙間だらけで、くびれもえげつない。か細い青幹のそこかしこから、むちむちと白く丸い豊潤がこぼれて、女肉の実々であふれかえっていた。
花々の柵が並ぶコルセット上部では、たらふくに育った桃ほどの丸肉をふたつ、たぷんたぷんと盛り乗せて、ぷっくりとした先端と下半球だけをかろうじて覆っている。すぐ下の前面中央には、銀刺繍の丸額縁、ぽっかりとくり抜かれた西瓜大の穴からは、むちむちとお腹の贅が浮き出て、おへその深淵を肉で囲っている。――なのに腰は、ぎゅうぎゅうにか細い。背中では編み上げ紐が極小の×字を連ね、コルセットから締め出されたものたちは皆、隙間へとあぶれる。押し上げ乗り上げ、ねじ込み食い込み、てんこ盛りの果肉であふれかえった洋梨型の器、その鋭い双曲線のくびれは、男の両手に収まってしまいそうなほどだった。
そんな雪白い女肉盛りに、日焼黒の大男たちが寄ってたかる。
きめ細かくてなめらかな雪肌、一面無垢の白を台なしにしないように抑えながらも、男たちは息を荒くして征服にかかる。か細い腕の懸命な拒絶に合わせて、隆々の剛腕に少しずつ力を入れていく。屈辱の先端が肉をとらえるまで、そう時間はかからなかった。
一方的な蹂躙劇。一度とらえたら止まらない。10の巨体が次々と押し寄せ、引き締まった肉が延々と侵し突かれ、屈辱が淡々と植えつけられていく。ひっきりなしの悲鳴をものともしない。目も当てられない惨劇の渦、まだまだ力を抑えている巨体群の輪の中で――
青薔薇の花実は、より香り色めく。
身体と身体が近づくほどに、くびれた腰が逃げくねる。顔と顔とが近づくほどに、洗髪香油が花やぎを醸す。ボールガウン・ドレスに銀つや髪、大男10人でも持て余す海原とオーロラが、身じろぎの度にゆらゆらと波立ち、むんむんと女肉の芳醇をまき散らす。そうして男たちのすべてを、ずかずかと雌色で塗りかえてくる。日焼黒の巨体の輪が熱帯びていくほどに、雪白い青薔薇も揺れ躍っていった。
――商品価値など、もうどうでもいい。
男たちは本気になっていた。10人全員が顔も身体も真っ赤にして、輪の中へと向かって突き狂った。狙い先などどこでもいい。ふっくらとした唇、鼻高い小顔、雪肌のうなじ、乳房の底なし谷、深陰るおへそ、やわらかなドレス、つややかな長御髪――とにかく目の前の雌に目掛けて、全体重をかけて突き襲った。
乙女は健気にも諦めない。汗だくな巨体の輪の中で、男たちの本気の攻めにさらされているというのに、華奢な身体ひとつで耐え抜いている。エメラルド色の瞳は輝きを失っていない。大男たち10人の渾身の一振りに、青薔薇の乙女はたったひとりで立ち向かっていく。
――血塗れたレイピアを、花らかに振りかざして。
《お姫さまの大活劇》が、いつまでも終わらない。舞踏の広間の白盤上、じわりじわりと順調に運んでいた包囲の円陣が、壁まであと一歩のところで止まってしまったのだ。さらには壁から遠のき始め、気がつけば円陣は広間中央へと戻っていた。
暗殺者10人の、本気の殺人剣が当たらない。とっくに抹殺に妥協しているというのに、首や心臓を目掛けた必殺剣はかすりもせず、ひらりひらりと受け流されてしまう。こんなことは初めてだった。
男たちは決して揺るがない。愛用の剛剣、古傷と汗の黒ずみだらけの質実な柄が、過去一番に力をよこしてくるのだ。鍛え上げた巨体はますます滾り、どんな血生臭い戦場を切り抜けたときよりも力が湧いてきている。10人全員がギラギラと目を燃やし、片時も敵から離さない。10本の剛剣の刃も、陽の中で研ぎ澄ませた輝きを一片たりとも失っていない。なのに――
青薔薇の剣舞は、終わらない。
白盤上は花爛漫、ボールガウン・ドレスが満開はつらつと回り咲いては、青の舞踏会へと、誰も彼もをエスコートしていく。床丈のスカートはひだを目一杯に解き放ち、裾先では幾重ものフリルがらんらんと大円弧を駆け巡り、そのまま芯へとぎゅうぎゅうに絡みついては、螺旋のつぼみをぷっくりと孕みづける。そこからすかさず逆回りにいっぱい、くるりくるりと花びらをおっぴろげては、ぎゅうぎゅうにつぼみ逆巻いてと、うら若い雌花はのさばって止まない。往に復に、右巻きに左巻きに、ふくらふくらな大半球を、青一輪花はとめどなく産み落とす。どこまでも回り広がる花海原のすぐ上では、銀糸面のオーロラが躍りゆらめく。腰先まで真っ直ぐに伸びたつや髪の一本一本は、どれだけ振り乱れてもひと房に収まり、まとまって波打ちながら青い月明かりを跳ね返す。青薔薇のドレスと白銀の長御髪、二色が奏でるうららかな円舞曲を、乙女はしなやかな手つきで指揮を執りながら――
またひとつ、真っ赤な蜂の巣を仕上げていく。
花々で青色にめかしたレイピアが、次々と大男たちを赤色にめかしていく。白長手袋の細腕一本から繰り出される連続突きが、延々と引き締まった筋肉を侵していく。空いた手をたおたおと掲げてバランスを取りながら、淡々と花細剣の先端を植えつけていく。
野太い悲鳴、飛び散る赤、そのどちらにも目もくれない。青一輪花の一番棘が、一方的にまくし立てて、はやし立てて、ずかずかと男をしだいていく。1、2、3と、みるみる花剣は調子づく。4、5、6と、ますます花棘は弾みづく。ハイヒールの踵を浮つかせて、一本足でくるくると回って、青薔薇のドレスはむくむくとどこまでも増長していく。なのに男たちは手を出せない。花乙女が描くのびやかな剣跡に、10本の殺人剣が追いつけない。
のろまなレイピアを、止められない。
蝶が止まるほど遅い払いに、あれよあれよと踊らされる。蜂が笑うほど力ない突きに、あれまあれまと歌わされる。なまくらの儀礼剣にひっかき回され、青若い護身剣術につっつき回され、いつまでも深手にはいたらないものの、いつまでも悪夢を止められない。腰の入っていない連続突き、そのすべての軌道が手に取るように見える花の剣に、もれなく蜂の巣にされていく。
しなやかな白長手袋に、教え込まれていく。
剛腕の暗殺者がボールガウン・ドレスの乙女に、手取り足取り踊らされていく。10人の大男がひとりの乙女に、おんぶにだっこに歌わされていく。至れり尽くせりの花細剣を、男たちは止められない。止まって見えるレイピアを、いつまでも止められない。
――身体が重いのだ。
筋骨隆々、どんな死地でもともにあった錬磨の巨体が、まったくいうことをきかないのだ。力ならいくらでも湧いてくるというのに、今にも足場が崩れ落ちそうな、むかむかと気味が悪い感覚が、全身にまとわりついて離れないのだ。
包囲した当初はこんなではなかった。しかし気がつけば悪寒に囲まれていた。初めての反撃、苦し紛れの細剣が頬をかすめたときが境だった。膨らみ始めたら止まらない。抹殺に妥協しても消えていかない。それどころかますます膨れ上がってきている。剣を交わせば交わすほどに、ねっとりと四肢に絡みついて、ぬらぬらとうねり登ってきている。じわりじわりと、着実にこちらへと迫ってきている。
毒霧や錯乱魔法の気配はない。毒剣でも魔法剣でもない。深手の傷はひとつもなく、体力も有り余っている。全身の筋肉は無尽蔵に燃え滾り、足を敵へと何度でも向かわせる。がらんどうの舞踏の広間、11人きりの密室、必殺の包囲陣――何をとっても順調だ。間違いなく順調なのだ。なのに――
青薔薇の剣舞は、終わらない。
戦勲の古傷が、次々とかすり傷で上書きにされていく。
戦友の剛腕が、延々とつつき傷で苗床にされていく。
なにもかもが、淡々と一色で塗りつぶされていく。
20年来の花売りの刃が、20年物の生花の棘に。
10の剛剣も大男も、一度も触れないままに。
たったひとりの、顔色色めく花乙女に。
生きたままに、殺されていく。
男たちは、震えていた。
青い薔薇のドレスが翻る度に。
白銀の長御髪がゆらめく度に。
花のレイピアが突き躍る度に。
男たちは、震え上がっていた。