花嫁は怒っている
わたしの母は令夫人として有名だ。それはそれは御高名な令夫人である。
父はそんな母を持ってとても鼻が高く、母の悪評には耳も傾けない。
それもそうだろう。母は慈善活動に力を入れながら、社交界の権力者として君臨しているのだから。どこから見ても完璧な淑女だ。
だが、わたしは知っている。母には愛人がいることを。
わたしがまだ子ども部屋に押し込められていた頃、子守メイドの目を盗んで屋敷の中を歩き回った時に母が見知らぬ客と一室に消えて行ったのを見た。後で母にその客のことを聞けば、客など来ていないと鼻で笑われた。
その頃はそれがどういう意味なのか知らなかったが、大人のお茶会に参加することを許されれば、明け透けな話を耳にすることもある。夜会など、その手のことが繰り広げられているので、その時の母の冷たい対応がようやく理解できた。
母は愛人がいることを知られたくなかったのだ。
元々、忙しい生活をしている母とは疎遠だったが、自分の楽しみの為なら子どもに厳しい言動をとる母が嫌いになった。
そして、求婚してきた男も嫌いだった。父も母も諸手を挙げて歓迎しているその男との婚約は避けられなかった。
婚約者として我が家に出入りするその男が大嫌いだ。
父に言っても、父は信じてくれない。男の評判は母と同じようにとても良いものだったから。
十歳以上も離れている歳の差に不満があると思われただけだった。
だから、わたしは結婚式で言った。
「貞節という言葉を知らない方とは結婚したくありません。ましてや、婚約中に母と浮気していたような方に嫁ぐくらいなら死を選びます!」
阿鼻叫喚の嵐になった。母はわたしが気が狂ったことにして、自分の不貞を隠そうとした。父は結婚が嫌でこんなことを言い出したのだと言った。男はそんなことはしていないと、無実を訴えた。
結婚式の参列者は社交界を仕切る実力者の一人が失墜するのを目を皿のようにして見ていた。
「母があなたの胸に手を当てて口付けていたのを見たのよ」
「! それは彼女が勝手にやってきたことだ! 僕はすぐに引き離して帰った!」
「それは本当か?! この売女!」
男の言い訳に父は母の頬を叩いた。
「娘の夫に手を出すような女とは離婚してやる!!」
「嘘吐き」
わたしの声は父の怒鳴り声に掻き消された。
「本当に愛しているのは、君だけなんだ!」
わたしの母だけを悪者にした男が愛を乞う。
「そんなの信じられるはずがないでしょ」
「信じてくれ! 君だけなんだ!」
「カミラ、あなたのせいよ!! なんで、こんな時に言うのよ! あなたさえ黙っていたら、何も起きなかったのに、どうしてこんな時に言うのよ!! おかげでわたしが離婚されるじゃない!!」
「離婚できてよかったの間違いでは、お母様? 昔馴染みの愛人と結婚できるようになったんですもの。わたしに感謝しても、責めるのはお門違いです」
「あなた、おぼえていたの?!」
「!!!」
母も男もわたしが知っているとは思っていなかったのか、驚いた。
「どういうことだ!! カミラに求婚する前から関係があったのか?! 娘を自分の愛人と結婚させるなんて、頭がどうかしている!! あなたもあなただ! 愛人の娘に求婚するなど、娘と私を馬鹿にしているのか!!」
父だけは気付いていなかったようだ。それはそうだろう。妻の愛人を娘の夫にしようとする父親がいたら、まともな神経をしているとは言い難い。
「お父様、わたしは言ったわよ。この男とは結婚したくないって。それを無視したのはお父様よ。今更、他人を責めるのはよくないわ。悪いのは、妻の不貞に気付かず、わたしが浮気を告げても信じなかったご自身でしょ?」
「それは、独身なら夫に顧みられていないご婦人を慰めることもあるからであって――」
父は自分で言っていて気付いたのだろう。夫に顧みられていないご婦人を慰めることで批難されることはないと言いながら、母の不貞を責めている自分が妻を顧みていなかった夫だということを。
わたしが男の愛人が人妻だと言った時には笑って婚約の継続をさせた父。独身男なら人妻を寝取っても許され、人妻の不貞を責めるダブルスタンダードの持ち主が自分の妻を寝取った男を娘婿にしようとしていたとは何と言う皮肉だろう。
わたしは男に告げた。
「わたしはあなたとは結婚しません。頭が悪すぎて話が通じない相手と結婚できると思います? あなたがやったことは夫に顧みられていないご婦人を慰めると言って、夫のプライドを傷付け、子どもの心を傷付け、家庭に不和の種を蒔いただけ。夫が不貞を許しても、母親の不貞で子どもの心が傷付く可能性を思い付かないような人は頭が良いと思えないわ」
爵位があろうが、お金があろうが、顔が良かろうが、人の気持ちを慮ることすらできない人物なんかとは、結婚したくない。
彼女だけは特別だったんだ。他の女は割り切った関係でどうでもいい存在だった。彼女に求婚する為に全部、清算していたと、花婿は供述しております。
舅(母親の父親)は怒り狂った父親に弾の込められた短銃をプレゼントしたようです。
花嫁はセラピーアニマルと暮らしたがっています。