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 土煙をあげ、尋常ではない速度で迫り来ていたなにかに、ヤイズミの声が届いたらしい。

 騎手に手綱を絞られて高く脚を振り上げた馬が、土煙のなかから姿を見せた。


「ヤイズミ!」


 いまだ鼻を鳴らして落ち着かない馬から転がるように降りて来た人物は、ヤイズミの元へ駆け寄って彼女の手を取った。


「すまない。遅くなって、ほんとうにすまない。不安だったろう。ことばの荒い者が多いから、さぞ怖かったろうね。父さまが悪かった。やはりだれか家の者を付けるべきだったね。ヤイズミひとりに港の仕事をすっかり任せてしまうなんて、無茶をさせてしまった」


 振り返りもせずにヤイズミに語りかける人物のうしろで、ゼトは馬に駆け寄り手綱を取った。暴れはしないものの、うろうろと歩きまわる馬をなだめようと首すじを叩く。


「お父さま。仕事を任せてくださいと言ったのはわたくしです。わたくしは白羽根の家の者として、一人前になった姿を見ていただきたかったのです」

「ああ、ああ。そうだね、わかっているとも」


 背筋を伸ばし、表情をひきしめて訴えるヤイズミをなだめるように、ヤイズミの父は彼女の頭をやさしくなでた。


「ヤイズミはがんばり屋さんだから、もちろん一人前になれるとも。けれど、それは今じゃなくてもいいんだよ。今日のところは父さまに任せて、現場が落ち着いているときにゆっくり、時間をかけて学んでいけば……」


 聞き分けのない子どもに言い聞かせるような父の物言いに、ヤイズミが割って入る。


「いいえ! わたくしはいま、いますぐに一人前になりたいのです」

「だけど、物事には時期というものがあってね。まだ経験の浅いきみが、ひとりで不測の事態に対処するのは無謀というものだよ」

「それは……」


 意気込むヤイズミに父の告げたことばは、やわらかい物言いながらも手厳しい。

 勢いを無くし、続くことばを無くし、ゆるゆるとうつむいてしまうヤイズミを見下ろして、父はやわらかな苦笑を浮かべた。そして、艶やかな白髪をなでようと手を伸ばしたとき。


 ヤイズミが頭をあげて、父を真っ直ぐに見返した。その顔に、父の予想していた涙はない。


「たしかに、わたくしひとりでは対処できませんでした。お父さまのおっしゃる通り、わたくしは未だ経験が浅く未熟です。けれど」


 苦しげに、けれど決然としたさまでヤイズミは己の未熟を認めた。その姿をヤイズミの父は呆然と見つめる。


「けれど、支えてくださる方とふたりでならば、一人前になれます。父さま、わたくしはその方と生きたいのです」


 ほんとうは父さまに一人前と認めていただいてから言いたかったのですけれど、とつぶやくヤイズミに視線を向けたまま、ヤイズミの父は黙っている。

 父の返答を待っていたヤイズミは、なにも言わず身じろぎもしない父に視線をやって首をかしげた。


「お父さま?」

 

 呼んでも、返事はない。それどころか、父がまばたきもしていないのに気がついたヤイズミは、慌てて父の手を握った。

 それに促されたのか、ヤイズミの父のくちから声がこぼれる。


「ヤイズミと……ふたりで……ヤイズミが……ふたりで生きていく……?」


 焦点の合わない目でどこかを見つめながらつぶやいたヤイズミの父だったが、不意にその目に涙が盛り上がる。


「や、ヤイズミは父さまの知らない誰かのものになってしまうのかい? 父さまのかわいいヤイズミが……」


 顔を覆ったヤイズミの父が悲しみに打ちひしがれていたとき、彼の乗って来た馬が短くいなないた。


「おや、きみは……?」


 その段になって、ようやくゼトの存在に気がついたヤイズミの父が顔をあげる。馬の手綱を持ってたたずむ青年に、見覚えがないことに気がついたらしい。

 反応に迷い会釈をしたゼトに駆け寄り、ヤイズミは父に向き直る。


「こちらはゼトさん。街で菓子舗を営んでいる方です」

「ああ、このところヤイズミがお世話になっているという、あの店の」


 言われて、ヤイズミの父は家の者から報告のあった菓子舗に思い至った。ちいさな緑髪の少女とヤイズミが懇意にしている、という話を聞いてほほえましく思っていたのだ。


「このたび、わたくしが港の仕事で難儀しておりましたところを助けてくださったのです。ゼトさんのおかげで、荷下ろしは終わっております」

「そうか。きみがヤイズミを助けてくれたのか。ありがとう!」

「これからもそばで支えていてほしいと思っている方というのも、ゼトさんです。生涯をともに過ごしたいと思っています」


 頬を赤らめながらも言い切ったヤイズミに、ゼトはおどろき「えっ、姫さん⁉︎」と声をあげた。

 それよりも顕著な反応を見せたのが、ヤイズミの父だった。


「生涯を……ともに……? ヤイズミと、ともに……?」


 呆然とつぶやいたヤイズミの父は、ゼトを見つめながらふるふると震えだす。

 風もないのに、ヤイズミの父の着物がはためき始める。羽根の形状を成さないまでも、感情のままに練り上げた力が幾本もの氷の杭のように凝って、宙に生じる。


「お父さまっ!」


 氷の杭の切っ先からゼトを守るように立ったヤイズミに、父は悲しげな瞳を向けた。


「元貴族でなくとも構わないさ。構わないけれど、でも、ちいさな菓子舗の男がどうやってきみを支えるんだい? それではきみが苦労するばかりだよ。きみを支えるだけの能力を持った男を父さまが探してあげるから。いい子だから、ヤイズミ……」


 やさしく、諭すように言うヤイズミの父の周りで、宙に浮かぶ氷の杭がゆらりと動く。


「そんな男は忘れなさいっ!」


 声とともに、杭が勢いよく宙をすべる。

 腕も羽根もめいっぱいに広げて立つヤイズミを、後ろから抱き込んだのはゼトだ。

 ゼト目掛けて一斉に滑空する氷柱を前にして、ヤイズミはただ悲鳴をあげることしかできない。迫り来る氷の切っ先を見つめるゼトは、ヤイズミを抱きしめる腕に力を込めて、そのときに備えた。


「……もうっ! なんで避けないのさ!」


 ゼトの目の前でぴたりと止まった氷柱は、苛立たしげな声をきっかけにバラバラと地に落ちる。


「逃げればいいだろう! さりげなく馬まで逃してるくらいなんだから、ヤイズミを置いて逃げるくらい余裕だろう! なぜ避けない、大店おおだなの面倒に巻き込まれる前に、さっさと菓子舗に帰ればいいものを!」


 理不尽な怒声を投げつけられて、ゼトは迷いながらも一歩踏み出した。引き止めようとするヤイズミを制して、ヤイズミの父に歩み寄る。


「おれはたしかに、大店の仕事なんざ知りません。姫さん……ヤイズミさんを過不足なく支えられるかって聞かれたら、きっと無理だ」

「だったら」

「でも!」


 冷静に話すゼトに、ヤイズミの父が声をあげる。けれど、それをさえぎってゼトは続ける。


「でも。それでも、おれはヤイズミさんと支え合って生きたい。まわりにいっぱい迷惑かけることはわかってます。それでも、ヤイズミさんが好きだから。どうか、おれたちを見守ってください。おれたちじゃどうにもならないときは、頼らせてください!」

 

 がばりと頭を下げたゼトに、ヤイズミの父はぐっと眉を寄せた。ゼトの横に並んだヤイズミが、彼にならって深く頭を下げる。

 ますます眉間にしわを刻んだヤイズミの父は、こぶしを握りしめて声を絞り出した。


「……港の仕事は、きみたちに任せる。謎の光で起きたごたごたを()()()()乗り切ってみせなさい。本当にどうしようもなくなるまでは、手助けもしない。父さまの返事はそれからだ」


 いろいろな感情をねじ伏せて言うヤイズミの父に、ゼトとヤイズミは顔を見合わせた。そして、ふたりでまた深々と頭を下げたのだった。

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